「エキサイト公式プラチナブロガー」スタート!

谷端川暗渠。北池袋~下板橋間、変電所内の蓋暗渠(擬き?)と井戸守猫ちゃ

「池袋」「板橋」といったドン!と大きめの地名に、「位置的」冠詞が載せられた、東武東上線の北池袋・下板橋各駅。
本家に非ず、の雰囲気?サブ的位置づけを帯びた駅名に惹かれます。

ターミナル駅の次の駅が「何かいいものがある」雰囲気なのは、北品川で実感しています。

まず、駅ホームに降り立った目の前の風景が、両駅ともとても味わい深いのです。


下板橋駅から。

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 屋上部分の外壁ブロック塀が、沖縄でよく見られる建物のよう。年月を経たブロックの醸し出す良い雰囲気。


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衣料関係の会社だと推測しているのですが、少しホテルっぽい看板サイン。夜はどんな光を放っているのだろう・・・


下板橋駅は、すぐ脇を谷端川の暗渠と交差している箇所なのですが、付近は明確に緑道化されていることもあり、しっかり歩いた事があまり無かったのです。食わず嫌いを悔い改めつつ、少しぶらぶらしてみます。
旧い地図などを眺めると、駅南側に製餡所がちゃんとあったり、駅西側に製氷所があったり。川沿いを実感する材料を得つつ歩くと気分も盛り上がります。

上流方面へ向けて出発。


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右手の緑道部分より、車道に残る舗装の名残のそこはかとなさの方が断然気に入りました!ザラザラとしたテクスチャー、しかも手前が消えかかっているし。
緑道部分は車道部分より一段高いのですが、私は低きを選択。



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 谷端川沿道の飲み屋さん。こういう亀の剝製?昔はよく見た気がします。本物だとしたら、どのあたりの海を泳いでいたんだろう。。
東京湾から、隅田川→神田川→谷端川、と遡上してきたのかもね。

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ここのアパートがまた、もの凄~く素敵なんですよ。玄関の引き戸の上・・・
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この、山岳感を前面に押し出した名乗り!!のオーナメント。
山本体も峰々していて立体感あるし、それを際立たせるのが背後の・・・背景、これ何だろう。舞台の大道具のような造り。
オーナーさんにご縁のある土地なのか、何なのか。海の物(亀さん)を見た直後にこれ。

海千山千、谷端川本川。

「谷端川北緑道」の「豊橋」付近(谷端川が劇的に曲がる箇所)に、怪しい動きをしている猫に出会いました。
場所は下の地図のピンクで囲った辺りになります。
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マーキング中だったのかな。
猫ちゃも谷端川の屈曲を表現しにきてくれたのかもしれません。尻尾のところなんか特に、ね。(思い込みMAX)

ここ「豊橋」付近にはこんな橋跡に似ている構造物もありました。
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警告色のこちら。壁をガードしているのか、境い目を強調しているのか。
弧を描いた結界なのかもしれん。
幅員を減少させる目的でこういったものが設置されている場所もあるのですが、果たして・・・

そして、先程ピンクの丸で囲った辺り、右岸側には変電所があるのです。そこを覗いてみると・・・


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うをっっ!!!我々のような者が見た場合、蓋暗渠に見えてしまうのですが・・・
落ち着くんだ。


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単なる敷石かも。性急な思い込みは良くない!と自分を制すのに躍起になっておりました。
交差あり、鉄板で継ぐのもあり!

変電所の近くに暗渠が存在するケースもありますが、(実際、ここの東側隣地との境界も水路跡)敷地内にこういった思わせぶりな構造物があるとは。
トラップかしらん(疑り深い)。蓋暗渠擬きなのか、独りで騒いでいるのもどうかと思うので記事にした次第です。
この変電所、隅々まで見て回りたい~感電覚悟です。


あれこれ想像を巡らせつつ、北池袋方面へ向かいます。

谷端川、上流部分はどうしちゃったのというぐらい激しく曲がって流れ、上の豊橋付近でもググッと折れ、埼京線を越えたあとは意を決したかのように大人しく南東方向へきれいに落ちていくのが面白いですよね。

谷端川に影響されたのかと勘繰るぐらい、東武東上線も下板橋→北池袋に上ると大きく弧を描いて行きます。

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途中で呼ばれた、井戸の墓的な物体。
こちらが序曲を奏でるような構成で、このあと井戸の密集エリアに足を踏み入れるのです。

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バアアアアン!とプロパン。燃え尽きた感のある「プロパン」とめくれたポスター。絶対にいい街だ。



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北池袋駅に近いこちらの一角、ふと気になって寄ってみると、不思議な空間が広がっていました。異なる路線どうしが、くっついていくように絞られる鋭角空間。
電車がひっきりなしに通過し、踏切の音がせわしなく響きます。


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写真奥には大きなマンションが控えていますが


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木柱にタワシが引っ掛けられていたり
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お花に惹かれて覗きこむと、立派な井戸場もあるのです。
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↑現役かな?


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こちらの井戸は、井戸場自体が花壇のように転用されていて井戸は使えないようですが、井戸守の猫ちゃがいました。
カメラ目線でしょう?
「おいらに挨拶は?」


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鼻が大きくて、イリオモテヤマネコみたい。こちらを気にしている様子です。

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↑水道の下に格納された電動ポンプの井戸かな?
次々と見本市会場のごとく現れる井戸、ナンバリングしていきたいぐらいだ。

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そしてまたあの井戸守猫ちゃが!!井戸のある所、キジトラ在り。
「・・・挨拶は?」

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こちらの井戸端は、植木鉢に埋め尽くされてほぼ底が見えません。

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オリヅルランやゼラニウムに埋もれる中に井戸の残骸が見えました。
「息苦しいよ~」
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これは井戸なのかもはや私にはわからない。何かの機械かも。
ここまでくると笑いが起きてしまう。しかしここで笑ってたら、ただのおかしな人。

一体いくつ井戸があると言うんだ・・・ハウメニ~
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井戸の他にも廃浴槽。
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表面張力ぎりの際どい水面に欲情してしまう自分。


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北池袋駅のホーム風景も素晴らしい。

ほぼホーム端に近い位置、
トドワラというか、大正池から出ている枯れ木のような風情の物干し。紅をうっすら帯びた色合いのアパート。
先端がビンビンきています。




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同じような色調の物件が線路際に並び建ち、独特の佇まいを造り出しています。

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この辺りを歩いても面白そうだな・・・

ちなみに、北池袋の井戸地帯最初の写真にも、井戸守キジトラ猫ちゃが写っています。おわかりになるでしょうか?


北池袋駅近辺の過去記事はこちらです。
上池袋~北大塚あたりを歩く(谷端川巣鴨学園支流暗渠も)



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# by onnbubatta | 2016-06-25 10:21 | 谷端川 | Trackback | Comments(0)

江戸川区松島3丁目、青の世界~僅かに残された奇跡の蓋暗渠アイランド

所用で近くを訪れる運びとなったため、新小岩から15分ほどの場所にあるこちらの蓋暗渠を一度確認に出掛けました。新小岩なのですが葛飾区ではなく、江戸川区にあり、説明&把握するには微妙な立地になります。

当該暗渠は以前しかすけさんがレポートされ「新小岩の短い蓋暗渠」、暗渠界が震えた(と言っても過言ではない)案件で、私もずっと心の片隅に住まわせていた水路跡です。

確認後、所有している資料二つに記載されている水路跡だったことが判明、しかしながら全く「out of 眼中」(古いね)でした。

この辺りの旧地名が「道ヶ島」なので、仮に「道ヶ島の水路跡」と呼ぶことにします。

当該水路跡の至近に「東福院」というお寺があり、開祖である秀円創都が住民と力を合わせて荒地を開墾したため、「堂ヶ島」の名が付き、それが道ヶ島となり、江戸川区発足時に消滅した地名なのだそうです。

この辺は島要素があるのか・・・そのことはこの水路跡の先にある「香取神社」を訪れると、更に深く理解ができるのです。

新小岩からバスで二つ目の停留所辺りに位置します。バス停そばには武蔵川部屋も。

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久しぶりの、深い深い青の世界。。。↑
(旗の台の暗渠の続編を綴ろうと思っていたのですがあっさり心変わりします。何というか、ここは拘泥したい水路跡なのです)


最初に行った日は好天で、何枚か写真を撮ったのですが(青空は綺麗)暗渠は曇天が似合うような気がするので(蓋などの質感がわかりやすい)曇天の日に再訪しました。

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手前側が平和橋通り。さりげなく、しかししっかりとした橋跡が迎えてくれます。


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自販機とゴミ箱の群青色が、この年月を経た橋跡を引き立たせる存在になっています。橋跡の断面を鑑賞(感傷)。


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場所の詳細と、ごく近い周囲の水路跡を示すとこのような感じ。蓋暗渠が奇跡的に残されているのはピンク色で囲った僅かな区間のみ。

接続関係はわかりませんが、このあたり歩いて見ると土地が微かに上がったり下がったり。寺院もありますし、微高地的な土地の模様。



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「いらっしゃ~い。」

隣(南側、写真左)は青いトタンが印象的。北側隣地はコインパークと、「シンボルツリー」と私が呼んでいる一本の樹木が残された空地。廃れたような、中途な佇まい。
北側は特に、何だか謂れのあるような、何かを感じさせる区画なのです。



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始めは(平和橋通りから入ってすぐ)蓋の幅がやたら広い造りとなっています。



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二つ目の橋跡のようなものに差し掛かります。
ここは土が露出していたり、敷石のようなものが見えてます。

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しゃがんで撮影するとこのような感じ。蓋に穴が開いているのも判ります。

そして「帝都地形図」を確認してみると、橋に交差して道が描かれており、更には
「道ヶ島裏橋」の表記があったのです。(平和橋通りに面した、第一の橋跡には特段橋名の表記はなし)

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オレンジ色が、「帝都地形図」に描かれていたかつての道。水路跡と交わる地点が「道ヶ島裏橋」。



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私の所有する別の地図「ワラジヤ」の昭和41年の「小松川」の頁にも、この水路が記載されていました。道の名残のようなものも描かれています。道ヶ島裏橋、に対して道ヶ島橋が上の地図でいうと43番と44番の間に架かっていました(橋情報は帝都地形図より)。

う~ん・・・表に対する裏。繁華的な側面で裏なのかしら・・?


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平和橋通りに向かって振り返り撮影。
ねえ、あなたが「道ヶ島裏橋」なの・・・・?地図に載るような、名前のある橋なの?
とてもそうは見えないのですが・・・


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往時には道はこんな感じで通っていたのでしょうか。
思いがけず、この水路跡と今は無き道との交わりが明らかになり、深い感動に包まれます。

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コインパーク側から見た、「道ヶ島裏橋」(推定)跡。
ふと、この扉から誰か出てきて、この流れの事を語ってくれはしないだろうか。
そんな情事を望んでしまいます。


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東へ歩き進めると、疎らな縁石とおしろいばなに挟まれ、お決まりのバイク・自転車がこなれた感じで登場します。暗渠の中央付近には変なプランターに謎の植物が植わっているというか生えています。
もう、この無造作感。無造作に~髪をかき上げ~計算してないよ~みたいな風情でしょうか・・・
突当りで右に曲がる流路になります。

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画像では伝わりにくいですが、この変なプランター、うこっけいの卵のよう、というか不思議な青色なのです。子供の頃図鑑に載っていた、魅惑的な色の鳥の卵を思い出します。
植物、ツンツンしていますね。


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道路を挟んで、また謎のプランター置き場を経由して、左へと流路が続いて行きます。
何かもうこのあたり、どちらの方向に向かって流れていたのかよくわかりません。

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旧い地図を見ると、このプランター置き場兼流路の付近、昭和30年代は「香取前巡査派出所」。
前から思っていたのは、交番って、今ある場所も、かつて交番があった場所も、何だか土地の核になるような場所にあるような気がするのですよね。かつて交番があった場所は、そのあとも建物が建たずに利用されていたり。。。(神宮前の、千原児童遊園地もそうだった気がします)
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更なる発見は、1963年の地図に、東福院の北側、緑で囲ったあたりに「新小岩温泉」という表記があったこと。

新小岩の松島地区にはかつて三業地があり、真上の地図だとちょうど左上端で切れてしまう辺りかと思いますが、そういった縁なのでしょうか。1963年の住宅地図を細かく見ていくと、旅館や「新小岩トルコセンター」などがみてとれます。

真の温泉なのか、湯屋なのか、なんなのか(ちなみに上野東天紅のビルも建築当時の住宅地図上の表記は「上野観光温泉建築中」でした。)

増々、湿気が立ち上ってきました。もう、心情的にはホットヨガをやっているような感覚を覚えます。

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道ヶ島の水路跡の或る一角の全体像。真ん中のオレンジ辺りがかつての通路。

好天バージョンも数葉収めておきます。

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東福院の前の道にはこんなものもありました。第六天。
小さな祠に、かなり大きな字の石碑。。
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さて、この水路跡の延長のように見える、平和橋通りを渡って西の水路跡は香取神社の手前で途切れています。

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奥が香取神社。


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縁起を読むと、
「昔この辺一帯が芦原で舟が自由に往来出来た頃、その中に浮かぶ道ヶ島という小高い島に、香取神社を勧請。当時国府台の間々の入江から、武蔵国上野の台地に向かう船は、この神社の森を船舶の目印にしたので、「間々井宮」と称したと伝えられる」

航行する船舶の目印となる小高い森・・・川崎の船旅の記事でも登場しましたね。足取りも心もプカプカしてきました。
私は今日漂泊していたのだなあ・・・

弓取の銅像についても説明書きがありました。
(ちょっと高枝切りバサミの事なども考えていました・・・)

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「弓は密教の法具として魔や敵を打ち払う力の象徴として用いられてきました。
 当地が未だ利根川の本流であったころ、下総国府台間々の入江よりはるかに西南の沖に浮かぶ道ヶ島の伝説が神楽になって伝えられてきました。
 この島は下総国と武蔵国を結ぶ航路の中継所で大変重要な位置にありました。丙午毎に来る災難に島民は怯え、鎮守の森に集まり悪魔を追い払う弓取の神事に一年の安泰を祈りました。」

ビンビン響くような文節がそこここに採用されている!さらっと触れているけど本流だよ?本流。
おまけに人々を「島民」と!


新小岩松島の、僅かな区間の暗渠・・・極めてKEYになるエリアに存在していたのですね。

葛飾関係の暗渠にとてもお詳しくて、こちらのブログにもコメントを寄せて下さる「ゆ」さんにもお話を伺ってみたいです。




そして帰路に。新小岩駅、停車場の雰囲気を色濃く残していて(更に駅ビルとかもない)郷愁を覚える駅舎でした。
ホームの屋根から漏れる青い光で締めくくります。
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この青さよ。










~後記~
もう少し時間があれば、近隣の、野球で有名な関東一高の校舎を一度見ていたいと思っていたのです。


前掲の、ワラジヤさんの地図(昭和41年)でずっと気になっていた関東一高。
どの点が気になっていたかというと、(左下端)
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二棟も円形校舎を擁している事です。
残念ながら、北側の方は取り壊されてグラウンドになっている模様です。

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(2016年のグーグルアースより。左側の河川は中川です)

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(1997年のグーグルアースより)


円形校舎と云えば、王子の桜丘女子高校(逆川の暗渠近くかな)も地図上では目を引きます。こちらは残っているようで、ほっと一安心。
(十年以上前に共学化され桜丘中.高等学校となっているようですが、昔の女子校のイメージを私がまだ引きずっているのでこう表記しました。)「
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机の配置に難がある、等の理由で円形校舎は減っている傾向にあるようです。こちらも早く見に行きたいと思っています。




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# by onnbubatta | 2016-06-15 15:42 | 江戸川区 | Trackback | Comments(5)

旗の台:昭和大学そば。野の花咲き乱れる傍流蓋暗渠

超久しぶりで、立会川関係の暗渠について綴ります。

最寄駅は東急大井町線&池上線の旗の台。人生で初めて降りた駅ゆえ、概要の把握すら未熟です。
イメージは、自由が丘のような形状で斜め交差した駅、香蘭女学校の最寄り駅。「女学校」名称や変わらない制服、落ち着きを覚えます。

ちなみに香蘭女学校、トットちゃんの出身校との事です。

今回ご紹介する水流は明治期の地図にも記されているので、呼び名があるのかも知れませんが(また他の暗渠家の方が名付けているのかもしれません)、個人的には至近に立地する昭和大学の卒業生、高須クリニックの高須院長のイメージが強く、作業する中では「高須院長の暗渠」と呼んでいます。

昭和大学のHPには実に素晴らしいページがあって、
 
昭和大学本校舎と伝染病棟の間に架けられていた「医専橋」の話、昭和初期の立会川周辺の様子、1930年代の校舎と雪景色の立会川の写真、昭和30年代の校舎と「屋敷下橋」の写真など貴重な写真を見ることが出来ます。



傍流は、本流(黄緑ライン)のすぐ東を沿うように流れています。中原街道(クリーム色の道路)の旧道あたりからみていきます。
恥ずかしながら、中原街道についての意識が今迄薄くて。
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中原街道のすぐ南にあるややカーブのきつい道が旧道。旧道に面して、その水路跡は現われるのです。



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ブロック塀が橋跡になっているようにも幻視します。現代の橋:ブロック塀の暫定さ加減。




そして・・また別の日に撮った別の姿。ひらひら~幟り旗と、ブロー台。

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水路跡が見にくくなっているけれど、かえって「旗の台」に似つかわしい旗が強風に揺れる風景が現れて。源氏の白旗が蘇り、気持ちが高まります。
「はた」地名って、もののふ感が感じられて好きなのです。

旗の縦横両方の並びバージョンが見られて良かった・・・
この水路跡は一旦、奥に見えるマンション敷地で遮られます。


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少しずつ荒れた雰囲気が出てきました。



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一旦引き返します。

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ちょっと石が飛び出してくるのも風情があります。



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北に向かって(上流方向へ)、回り込みを開始。


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あった!続いてた!こちらは路面高から一段低くなっています。

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プランター手前辺り、接道面へ向けての質感がザクザクしていて非常に好感が持てます。

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一歩失礼して、水路側から。
この先は中原街道を堂々と横切る訳ですが、果たしてどういった状態になっているのか・・・こんな細流が大きな通りを越えていくさまを想像すると気持ちが込み上げてきます。

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南国っぽい鉢。名前は解らないけど単子葉系かな。こんなに綺麗な水路跡を見せてくれてありがとう~。の気持ちを抱いたまま、幹線道路の中原街道を渡ります。
建物の区割りなどをみながら、推定して辿って行きます。



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建物の建ち方を観察するに、木曽路の左手側に流れがありそうなのですが、ここは目視できるはっきりした痕跡はなし。
木曽路は全て川のそばである。などど都合の良い一節を創作して呟いてみたり。


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壷とかタライとか、容器系が置かれているのも暗渠サインの一つにはなるケースも多いのですが。。。決め手に欠ける感じ。

この先で錦湯という銭湯に差し掛かります。が、痕跡はわかりませんでした。(ちょっとこの辺り確認が甘かったかもという反省点)
(※痕跡の確認できなかった箇所の推定流路はオレンジで示しました)


再び中原街道に出てきましたが、この辺りは不思議な空気が充満していました。地図ピンク丸で囲った、変形六差路辺り。


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中原街道に面して建つ「木霊稲荷」とサイゼリヤの看板。

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続いて、札場の跡。「中原街道高札場跡」



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それにしても、何とも不思議なサイゼリヤだ。ちょっとした螺旋階段の下に石材が集積している。

改めて木霊稲荷の沿革を読んだら、「別名 不思議稲荷という」(不思議と願いが叶うらしい)。


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右が中原街道。現われた三角地帯の奥に、庚申塔がありました。
説明書きに拠ると、「~日蓮宗の影響か、青面金剛・日月・三猿の彫られていない文字塔として特色がある。全村のほとんどが日蓮宗といわれる旧中延村において、日蓮宗の僧が指導したと思われる庚申塔の存在を示す資料として貴重である。」との事。

古い地図を見ると、この三角地帯を含む一帯が「延山小学校分校」の表記がなされていました。


稲荷、札場、庚申塔・・・この一帯は地域の重要な場所だったのですね。

江戸時代の中原街道は江戸城の虎ノ門から相模国中原(平塚郊外)に通じる街道で、東海道が整備されるまでは主要道路であり、その間には小杉と中原に御殿が設けられたそうです。東海道整備後は幹線道路から脇往還へ変わり、江戸への食糧などの流通路となり、なかでも中原の特産品である酢の輸送に利用されたので「御酢街道」とも呼ばれたそうです。サワ~街道。

主役から脇役へ・・・東京にいながら「中原」(平塚)の地名を纏う。。。酸味・・・帰ってから知った情報。これらを持って現地を歩いたなら、また違ったものが見えてきたかもしれません。


この左側の道へ進んで、水路の痕跡を更に辿って行きます。

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付近を歩いていると、昭和大学関連の建物がまとまって、ではなく点在しているのが面白かったです。

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こちらも、昭和大学の施設になる模様。


と、水路跡の続いていそうな路地に勇気を出して入ってみると・・・



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個人宅の縁側のような空間に水路跡が現れました。蓋にまだ白さが残っていて、新しい質感!
写真を二枚だけ撮って、そそくさと脱出
(上流方向)

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(下流方向)

道路との交差点を目指して、再び回り込んで行きます。ゴムパチンコのような形状のY字路にふと墓域が収まるように立地していたりして、やはり何か面白い場所だなと思いを抱きながら歩きます。(住宅地図で確認すると「法蓮寺 上ノ墓地」と書いてありました。荏原町駅の方の法蓮寺(旗岡神社の隣)の境外墓地(お寺のHPによると離れ墓地と表現されていましたが)になるようです)

普段街を徘徊していて、境外墓地って、何だか非常に惹かれるものがあるんですよね~。特に気になるのは、新青梅街道にある三宝寺境外墓地。早稲田高等学院のそばの。川に近い立地もさることながら、こんもりした塚みたいなのがみえるのです。



と、墓地を過ぎて左に曲がると・・・
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パイロンとビンボウ草が私を迎えてくれたのです。
何かユニット名みたいだな。「パイロンとビンボウ草」
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塔の如く聳え立つ赤パイロン、育ち過ぎたビンボウ草。
野の花咲き乱れる暗渠に降り立つことの出来た喜びよ。


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手前は蓋が付いていますが、奥は(下流側)一段低くなっているようです。


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蓋有り部分(手前)と奥の溝形状部分、の境目です。ここは細部をよく観察。

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奥ではポピー?ナガミヒナゲシ?が咲き乱れていました。訪れる人もないのに。ポピー系の花言葉は「慰め」だそうです。
虞美人草に慰められた事にして、美しい話と仕上げましょう。ナガミヒナゲシ、国立環境研究所の「侵入生物データベース」にも記載がある外来種で、「乾いた肥沃地を好む」との説明がありました。

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戻り画像。同じような画像が続きますが、筆者なりの細部をお伝えしたいこだわりがあるのです・・・
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戻り方面から見た、蓋部分と溝部分の境界


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明治期の古地図に載っているようなニョロッとした短い区間の水路跡を、都会の裂け目・隙間に見出す驚きと感動。
こういう出会いがあるから、水路跡歩きはやめられないね。

夢幻の如き空間から、路面方向(現実現在)へと戻ります。

このあとは、猫またぎさんが以前書かれていた「旗の台の暗渠」を見学に行きました。次回私もご紹介できるかな・・・?



おまけ。

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立会川暗渠cat。見返り美人。

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委ねる系。




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中原街道にて。


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ちょっとアヴァンギャルドなクレオパトラ風の麗人にも出逢いました。
トットちゃんに似ているかな、心なしか。




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# by onnbubatta | 2016-05-11 12:34 | 立会川 | Trackback | Comments(0)

鮮やかに艶やかに散るらむ・・ 解体目前の豊島区役所&豊島公会堂

本年4月を以て、豊島区役所&豊島公会堂が解体されるとの事。
2つの建物は不思議な渡り廊下で結ばれていて、切っても切れない関係。

豊島公会堂は一度だけ中に入った事がある。区役所庁舎の方は、草63のバスから眺めるだけの存在で特に強い思い入れがある建物というわけでもない。

しかし、以前「帝都地形図」の池袋の頁を眺めていたら、この場所がかつて「荒玉水道会社」の社屋であったこと、1932年(昭和7年)に豊島区が成立した際、区役所として荒玉水道株式会社の社屋がそのまま使用されたこと、隣地には「池袋製氷所」があったことが記されており、少しずつ興味を持ち始めたのでした。

水気要素が染み込んだ土地。

周りも見ていくと、「津村敬天堂」(津村順天堂の親戚筋の模様)という会社建物が見つかったり、地図鑑賞は本当に愉しいひととき・・
(ムヒの池田模範堂とか、亀屋万年堂とか、この系譜良いね~)
 



両建物の窓はピンク色にお化粧されていました。
桜の時期と何かつながりがあるのでしょうか。

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こちらは旧区役所庁舎の方。
「きっと少しずつ忘れてしまう」

庁舎の解体と関係があるのかないのか、調べていません。



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豊島公会堂の「堂」の字上部の窓。
「終わりは寂しいけれど、どこかわくわくするね」
満開間近の桜が触手を伸ばしています。建物と、桜の暗喩のようで・・・
(桜の樹は残るのかな?)


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写真中央が旧区役所庁舎、右側が豊島公会堂、左側は公園
桜に関しては、咲く前から散ることを考えて悲観してしまうタイプです(心から喜べない)



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豊島公会堂の【豊島】部分。

「戦争で焼けた私をみんなが助けてくれたの」「もうここからはいっしょに行けないの」
限られた色使いながら、青部分がじわりと効いていて。狼のベロが青い点が、「妖怪人間ベム」における青の際立ちを連想させます。


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「私はみんなに大切な思い出を作れたかしら」
オーバーハングの崖のような地形で。「公」の字もシンメトリー且つ呆けた顔のような書体で楽しい。



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こちらの窓枠アート、絵本の挿絵のようで物語を感じます。
絵の意図やモチーフはわかりませんが、美しいだけでなく哀しさ・不安さ・少々の不気味さ(特に豊の字の上の絵)を訴えてくるような印象があります。
あと、この少女の蝋燭を思わせる風貌。周りを灯した後、消えてなくなるイメージなのかな・・・?

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公会堂楽屋口の方に回ると、荷物の搬出というか片付けのような作業が始まっているようで
何故か書籍が散乱しており



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図書館の印がついた図書も放られて?いる状態でした。
昔の地図を見ると、図書館だった時代もあるようですね。その当時の除籍本なのでしょうか。。。

今現在の中央図書館は東池袋の駅前ですが、そのまえは都電向原の近く(春日通り沿い)だったようなのです。
しかし、私はこの場所が旧中央図書館だとずっと思っていました。
手持ちの昭和38年地図ではこの場所が中央図書館。昭和58年の地図では向原。


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何故か栗林中将の「散るぞ悲しき」。よりによって、というか。
背後の、土台のみ残るパイロンの残骸が借景という。



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駐車場側も各種設備が取り外されていました。


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おねんねする時のように置かれた黄色い手袋。



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作動した事があるのかないのか気になります。忍び寄るヒマラヤスギ??の先端とのバランスも気に入っている一枚です。



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奥が豊島公会堂側。手前の旧区役所庁舎と渡り廊下で連絡できたようです。



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何事も無かったかのように、モノレールなどやってきそうな雰囲気です。


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閉鎖された駐輪場、まるで一区間だけ梯子式開渠を見ているような。


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旧区役所庁舎側の窓。
「豊島区域の約7割は城北大空襲により焼失」

表情は、伏し目がちの睫毛ただそれのみ。
豊島公会堂の方の窓枠「戦争で焼けた私をみんなが助けてくれたの」→「私」の主体は何?庁舎群?土地そのもの?
はたまた心・・・?



明治通り側に廻って、区役所庁舎の玄関口に向かうと、以前は玄関口入り口に向かい合う形で存在していた、男女の対のレリーフが痕跡だけになっていました。


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まず、女性の方。群舞のような躍動感ある動き、揺れる裾。。全員マキシ丈。
レリーフ本体が残っていた時分に目にした記憶はあるのですが、単色の作品かカラーだったのか思い出せずにいました。


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女性1 おおよその面積を算出できそうなタイル上にありました。
今となってはメッシュ図上の作品に見える妙味。




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女性2&お子様 楔痕のようで、少し痛々しい印象も受けます。特に頭頂部の穿たれた跡が。




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女性3 三人の中で最も享楽的な動きに見える(筆者の印象)。この女性だけ、頭部がそっくりそのまま剥落しているので髪形が判らないし、鳥を擬人化したような形状になっています。(「舌切り雀」の絵本に登場する形状に近い)




続いて、男性バージョン。

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ギリシャ神話に登場する男性のような印象。
隣の鳩?の儚さ、訴えくるものあり。


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作品中央部の男性&お子様。肩口から伸びているのは・・・羽?翻るマント?
元作品が取り除かれているゆえ、色々と想像を巡らせる事が出来ます。一番筋骨隆々とした姿に力強いイメージを受けます。

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時代物のテレビ(チャンネルをカチャカチャするタイプ)と共に、今まさに無くなろうとして歩を進めているのでしょうか。
何処に向かおうとしているのか。。。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記 都バス草63ってこんな特徴を有するバスです

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上60の運行本数の極端な少なさ・・・儚し・・

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池袋を代表する?縦長の堂々たる電飾。

最近、池袋が落ち着きます。みんな(本当は)大好き池袋。


~補足。~
昭和38年の住宅地図を見たら、下の航空写真(同じく昭和38年)のピンクで囲った箇所が図書館でした。そして緑で囲った部分にあったのが、銭湯:寿湯。こんな所にお風呂屋さんがあったのですね。今、ベローチェの入っているビルの箇所。

やはりここにも水気があったみたいで。。
荒玉水道、池袋製氷所、銭湯。
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グーグルマップではまだ「豊島公会堂」の表記がかろうじて残されていたのですが、goo地図では既に無表記でした。(5/24)

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2016年6月、旧区役所庁舎、公会堂ともに唸るような重機の音が響く中、渡り廊下、呆気なく消失していました。







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# by onnbubatta | 2016-04-01 14:58 | Trackback | Comments(14)

道路計画(大蛇)に飲み込まれる過去の川。生活の痕跡(平和台~田柄)

現在、道路工事で大きく変貌しつつある有楽町線平和台駅周辺で出逢った、生活の痕跡やら
田柄無間暗渠のその後などを綴っていきます。

平和台、という瑞祥地名、その名の通りの比較的フラットな地勢に、
ザワザワする要素は少ないかと思われましたが、そんな前評判は簡単に裏切られたのでした。

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グーグルアース画像の左上から右下にかけて、道路工事が着々と進行中。


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上の画像とは方角が回転してしまうけれど(右に一回転すると上のグーグルアースの画像と方角が一致します)、
まるで大蛇が這うような道路計画。



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道路沿いに金網で囲われた空間。収用された土地に残る暮らしの痕跡。
大きめのタイル痕は玄関口でしょうか。

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金網越しに覗くと、
建物の土台痕から枯草たちが上を目指していました。

タイルが貼られた部分は土台とか基礎並みに除去しにくいのか、他所でも痕跡的に散見されます。
「此処に在り続けるのだ」という意志や矜持のようなものを感じ取りました。

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金網の外。

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金網の中。
外と、内を行ったり来たり。
細かい目地のタイルが残っていました。

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この四角い空間はお風呂場の痕跡でしょうか?
強く、激しく惹きつけられました。

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完全に、感傷的になっている自分がいました(何に対してだ?)

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反対側から眺めると、銃弾痕のごとき穴が幾つか。
お隣の大きな庭石は元々この位置なのか、集約したのか。。
石舞台古墳を彷彿とさせませんか?


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遠景。広い空き地の中に、ぽつんと庭石?と浴槽?跡だけが残されている。

残置物があるので「更地」とは呼ばない。しっかりとした存在感を放っています。




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びっくり顔だったのに・・・



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表情が険しくなってる



この辺り、自分の作業用地図には水路跡も書き込まれていましたが、完全に飲み込まれた模様です。

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1997年撮影のグーグルアースより。



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飲み込まれた地点です。
すぐ脇がクリーニング屋さんでした。
飲み込んだのは、あの大蛇。

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「私は平和台薬局です。」
体温計のサインが気に入りました。水銀♪水銀♪


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馬頭観音さま脇の道も(歩路??)工事に伴って
閉鎖されていました(暗渠っぽくみえる。)




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かなり深い名称の塾に遭遇。


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名称が深い一方で、対照的にロックなキャラクター達。


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チェケラ!イエイ


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この日は六に縁のある一日だった気がします。
思わぬところで、人生至る所に分岐点在り。
まあ季節柄でもありますし。

あとは池袋の六つ又交差点などが揃えばコンプリート感が出るでしょうか。

余談乍ら、1km強離れた場所(場所は板橋区)に「六道の辻」という交差点名があり実際に変則的な六差路を呈した場所があるのですが、
地下で何か関係しているのか?などと邪推。
12差路のシャンゼリゼならぬ、ハーフ・シャンゼリゼ。
私はこういった、他所の方が聞いたらつまらぬであろう比喩比較をするのを、散策時の楽しみの一つに掲げています。
暗渠でも大河でも、中洲的な地に出逢えば、マンハッタンを思い浮かべて独り諧謔的な心持で満たされるのです・・


[参考]六道の辻
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道路工事現場の一角に、不思議なインフォメーションコーナーがありました。
(南北線の駅にある、謎の薄暗い空間:ふれあいコーナー思い出す。
看板にも「fu・ re ・a ・i corner」 と併記されている点が、いつも私の心を激しく波立てるのだ!!下に参考写真を掲載しています。)

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切り株がまだらにペイントされていたり、色々と不安や乱れを感じる一角になっていました。


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足元に注意しつつ、栓に忍び寄る魔の手。
何の示唆なのか。
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「みんなの休憩所 平和台名物 THE 憩い」

“労働 連帯 ”というようなイメージではなく、

みんなの和気あいあいとした休憩時間が目に浮かんできます。


【参考写真 南北線本駒込駅 ふれあいコーナー】

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平和台の駅から少し北西の地点にとても惹きつけられる一角があり、以前から気になっていました。
コインランドリーの痕跡と、石仏と。
銭湯があったのだろうなと調べてみたら、今車が置いてある場所にかつて「竹の湯センター」が在ったとか。


田柄方面に向けて更にさまよいます。

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途中にある民家軒先に置かれた蛇の置物。
大蛇の化身か子分かも。
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田柄川の谷に向かう時に一番気持ちが高まる箇所と云えば、この膨らみ。
湾曲するには、理由がある筈、でそれをあれこれ想像するのが楽しい。
(京都の清水五条辺りの鴨川が西へ湾曲しているのは、阿弥陀ヶ峰の裾野が張り出しているから・・・というお話も好き。)

この辺りには「下田柄の溜池」という池があったのだそうです。(池の位置大きさは適当に図示)

不意に、時にこの膨らみが、餌を飲み込んだ蛇にも見えてくるのです。
なんだか本当に蛇づいてきましたね。

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・・・
久しぶりに田柄川緑道に足を延ばしたところ、こちらも当該道路工事で通行止めとなり、緑道が一部区間分断されている現場に遭遇したのです。
こんな事態になっていたとは。

「田柄川の受難」
ポツリと独りつぶやいたの、警備員のおじさんは気づいていただろうな。




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反対側に廻り込みます。
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ちょちょちょっと、看板の差し込んである土台・・・(何なのだ、この余韻)


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暫く訪問しない間の、時の流れと展開の凄まじい事。


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ここも久しぶり。
「町」の字が外れそうな点に、時の経過を感じ取りました。
以前、憑りつかれたようにこのあたりの無間暗渠や(地下水の)水道組合について綴っていましたっけ。
(秩父系統の水と聞いたことがありますがどうやって判定するのでしょう~・・・?)

過去記事はこちらからどうぞ。


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(以前撮影した写真)


ここまで来たら、田柄のクレイジー(賛辞です)暗渠に挨拶するのが必然コースです。
準備は良いか。

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誰が置いたの?
潮騒的通過儀礼アイテムなのかもしれない、と暫し臆しておりました。

「このタライを、越えてゆけ。」
「否。到底越えられませぬ。」

インビジブルな物たちとの応酬が続きます。

※尚、タライに関しては以前から「暗渠サインの動産部門」として当ブログではビールケース同様に位置づけられています。
(下の方に喜楽沼近辺の貫井川暗渠における参考事例画像を貼っておきました・・・同区内ですし)



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初めて来たときは雨上がりで、どうしようもなく荒れた攻撃的暗渠でしたが、だいぶマシになった印象を受けました。
過去記事の写真と比較すると、溜まりまくった(今すぐにでも腐葉土になれそうな)落ち葉が取り除かれて、少しすっきりした見た目になっています。
赤い梯子は健在。
こちらの暗渠が本領を発揮するのは、間違いなく梅雨時~夏。

間違いないんだ。

定例ながら、過去、近過去、散策当日目の当たりにした変貌ぶり、今後予想される明らかな変化が頭を巡り
感傷で押しつぶされそうになってしばしの間、うずくまる。
大蛇が静かに動いている脇で。


【 参考画像 タライ on 暗渠 at 貫井川暗渠(喜楽沼跡地の近く)練馬区内での類似事例 3年ほど前の写真です。 】

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ハンギング物件且つ、此の整然ぶりたるや。
楽器のような楽しさと几帳面さ。

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# by onnbubatta | 2016-03-19 15:28 | 田柄川 | Trackback | Comments(3)

沢蔵司稲荷近辺の麗しい水路跡

遅くなりましたが、今年初の記事になります。
本年も宜しくお願い致します。
暫く記事を書いていなかったので、リハビリがてら綴ります。

丁度一年前、冷たい空気に包まれた曇天のある一日に小石川近辺を歩いていて、散策の最後の行程で流れ着いたのが沢蔵司稲荷でした。
(たくぞうす稲荷、変換にひと手間掛かる)

沢蔵司は伝通院の学寮(栴檀林)の修行僧で、僅か三年で浄土宗の奥義を極めたエリート。その正体は千代田城内の稲荷大明神だったのです。


一年前の様子です。
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長い事文の京に住処を置きながら、初訪問の沢蔵司稲荷。
「パワースポット」として知られているそうですが、そういった修飾語の予備知識に支配されないよう、身構えて中に入りました。
(意地っ張り。「お化けなんてないさ♪」を必要以上の音量で脳内で流す感じ??)
いつもだったら「窪地にダイブ」とか口走りそうですが、軽い気持ちで行ってはならぬと改めて心を整えたり。

道路からは全く見えない窪地地形。進入して初めて、そこに突然穴が開いているような感覚・・・
突発的且つ異質な窪地の形成史を知りたい気持ちが高まります。
曇天下、色が少ない中に、鳥居や献灯の色が妙に浮き出ています。

昼なお暗きスリバチ。やっぱり異様な雰囲気が充満していました。数歩先に親子連れが来ていて、「コワイ~コワイ~」と騒いでいてくれたのが返ってありがたかったです。。

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窪地の底、鳥居の先にあるのが狐棲の洞穴「霊窟」です。

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写りが良くない点が申し訳ないのですが、
バラバラっと置かれた小さな鳥居の数々、穴が塗り込められたような様には言葉を失います。


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↑↑献灯の足元のこういった件も、誰か説明して下さいな・・・(震震震)


沢蔵司稲荷、谷底に漂う妖気もさることながら、谷底に降りる前の際(キワ)の雑多な感じもまた、妖気の序章のような位置づけになっている気がします。

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台地の際に、色々なジャンルの物が置かれている
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こういう表情好き。

lotusさんが、「谷端川に架けられていた”ふじはし”の親柱がある」と教えて下さったのですが、この時は確認出来ませんでした。
(8月に再訪した際に見つけられました!)

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昔おうちにこの柄の風呂敷ありました。今では泥棒さんのアイテムの象徴のような扱われ方ですが・・
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なかなかどうして、この場所に渦巻く妖気によく似合っています。


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水が集まりやすいのでしょう。
ボブスレーの滑走路のような、瓦造りの溝。



沢蔵司稲荷の窪、うまく言えない乍ら、谷端川の支谷っぽくない雰囲気があって孤高の(狐高?)佇まいなんですよね。
谷端川(小石川)、大塚より下流は右岸とか特に大きな支流も交えないなかで。

 
お隣の善光寺にも興味深いものがありました。(ちょっと立ち寄っただけ)

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「昭和二年二月」と書かれた木箱・・・
相当年月を経た木箱が置かれていました。
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さて、表題の「沢蔵司稲荷近辺の水路跡」へ。。

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沢蔵司稲荷の前の道路を隔てた辺りに、溝がありそうな雰囲気を感じたので近づいてみました。
(完璧に私有地に取り囲まれています)

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この奥に水路を感じる・・・

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しかし行き止まり。右側の石組みの湾曲が何とも風情があります。
窪地に向かって行き止まりになるこの雰囲気、関口と目白台間辺りにも似たような場所があったっけ。

何とか確認できる場所を探して・・・一目だけでも見られたら。

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・・・何という美しい水路跡なのでしょう。
私有地に取り囲まれているゆえ、奇跡的にこの形状で残ったものかも知れません。

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こんな遺構が人知れず?眠っていたなんて。
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割と落差もありますね。架橋も確認できましたが、使われることはあるのでしょうか。

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足元には、下水道局のプレートも。


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この水路の下流部分で、痕跡が感じられるのはこの付近だけ。
あとは勝手に小石川へ落ちていくのだろうな、と。
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地割や擁壁マークなどから、このような流路と推測しました。

では、上流部分はどうなっているのでしょう・・?
地形から見て、礫川小学校(地学テイストの校名ナイス)の南東端付近が出発点と思われます。
(丁度その位置に学校のプールがあるので、それが水源か(笑))

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雰囲気が伝わるという点ではこれぐらいかな・・・

 
この時は目視と、下水道のプレートで「水路跡」と思ったものの、暫く胸に秘めていた状態でしたが、


を書くに当たって出会った地籍図にこの「沢蔵司稲荷そばの水路跡」が青線で明確に記されていたのです。

当該地籍図によると出発点は春日通り、富坂警察と礫川小の間くらい。終点は前掲の地図に私が記した青線辺りになっていました。
嗚呼・・・私の目に狂いは無かったよ。ありがとう地籍図。
地籍図には他にも、過去の銭湯として礫川小の北東辺りの「瀧の湯」、出発点付近の春日通りを渡った辺り「塩湯」が掲載されていました。

また過去の住宅地図を眺めていると、沢蔵司稲荷向かいの椋の樹(沢蔵司が宿っているとされる樹。伐採すると祟りがあるという事で今でも道が不整形)の所に交番が在ったり、沢蔵司稲荷児童遊園というのが在ったり。。と様々な発見がありました。
樹にまで宿るとは・・・沢蔵司様の超人的な力にはただ驚くばかりです。


上述の通り、大塚より下流の小石川、特に右岸には目立った支流が無かったような気がして。
ハイハイ、後は惰性で流れていくからね~、みたいな(酷い)。
なのでかなり意外な出会いとなりました。
小石川の支流で本当に合っているのか明言できないのですが、カテゴリは谷端川に交えてみました。
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グーグルアース’東京地形地図)様より拝借した地形図。
礫川小の方からうっすらとした谷が始まっているように見えます。谷頭が小学校近辺ですし、改変もあったのでしょうか。



小石川の谷は「蟹工船の暗い谷」のイメージが支配し過ぎていて、現在の拡幅された千川通りとの乖離幅が広すぎて
なかなかきちんと歩いていません。。



そのあと一度、昨年の夏(9月)に沢蔵司稲荷を再訪したものの、当該水路跡を訪れてはいないのです。。

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・・・以前にも増して凄みを増しておりました。


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谷底の霊窟脇の池跡?
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再訪時にやっと確認できた「ふじはし」橋跡。
初回訪問時は、独り異様な空気に包まれてそれどころではありませんでした。

真冬と真夏、苛酷な気候に何故か訪れる事になる沢蔵司稲荷。

暫くブログを書いていないと、なかなか取り掛かれないものですね。。

ちょっと自らに喝を入れてもらいましょうか。(礫川公園の春日局像です。大河ドラマでは千石出身の大原麗子さんが演じていました。
とにもかくにも礫川れきせん。じゃりじゃり)
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ていっ・・・!


一年過ぎてしまいましたが、小石川界隈を散策した時の写真などを又機会あれば綴っていきたいと考えています。

稲荷大明神の化身である沢蔵司、どんな姿だったのだろうと色々と思いを巡らせています。端正に着物を着こなした長身の姿、お顔は精悍な狐・・というイメージが浮かんでいます。

そんな過程で度々思い出されるのは、芥川龍之介の「点鬼簿」の一節。
心を病んだ母に、絵を描いてくれと頼む幼少期の芥川龍之介。母が描いた幾つかの絵の人物の顔は、狐だったという。

僕の母は如何にももの静かな狂人だった。僕や僕の姉などに画を描いてくれと迫られると、四つ折の半紙に画を描いてくれる。画は墨を使うばかりではない。僕の姉の水絵の具を行楽の子女の衣服だの草木の花だのになすってくれる。
唯それ等の画中の人物はいずれも狐の顔をしていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記。2016年4月、こちらで夜桜を鑑賞した際の写真です。ライトアップとかやっていなそうなイメージだったので、思わぬ景色に息をのみました。(牛天神と沢蔵司稲荷に夜詣してようかなと軽い気持ちで・・・)


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↑この写真が一番好きかな?右側に張り出した感じと、何色なのか描写が難しい闇の色。

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灯のアーチ部分の意匠が素敵でしょう~


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ライトの具合なのか、この一枚はほんのりアーティフィシアルな桜色の映りになっていますね。


「下に」降りてみようかと勇気を振り絞って階段を降り始めた途端にこけて左足を挫いて、あ~もう無理だ無理だとそそくさと引き返したのでした・・・







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# by onnbubatta | 2016-02-27 12:39 | 谷端川 | Trackback | Comments(9)

続・志茂の小水路跡~サウンド・オブ・西蓮寺

昨年、筋のような、函型水路跡特集と題した趣味の小部屋的な記事でご紹介した、北区志茂の風情ある水路跡。

ちなみに志茂の歴史についてwikiで引くと「正保期に天領となり、その後小石川伝通院・浅草幡随院・谷中南泉寺等にも分け与えられた」
とあります。古地図で見るとこんもりと集落が集まっていて、わくわくの微高地。

この水路跡周辺の接続関係のちょっとした判明(※まあこの辺りは水路跡だらけではありますが~と嬉しい注釈、というかことわり)と、新たな小水路跡の発見がありましたので綴ります。

旅の冒頭、隣駅の赤羽岩淵の駅出口、通りに出ると案内地図版があって便利なのですが、謎の亀裂が・・・
どうしたんだよーー
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製菓用のチョコペンで描いたような謎の線。
こんな道路計画でもあるというのか?・・ちなみに同様の案内地図が少し離れた場所にもあったのですが、同じような形状の亀裂入りだったので、作為によるのか、素材によるのか
悶々としました。いきなりの洗礼ではあります。

気を取り直して水路跡へ・・・

場所は志茂4丁目の西蓮寺さんというお寺さんの敷地西端。

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落ち葉が結構堆積しているなあ。
去年の方が猫ちゃも居て良い雰囲気だったかな・・・?
下は去年春の同じ場所。
この場所が素敵なのは、光の入り込み具合もあるのだろうな。


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去年も感じたのは、この辺りでは猫がたくさん見られるという事。それも再訪の一つの楽しみとしてやってきました。

公図で見た感じだと、こんな具合に接続しているようでした。
更に西蓮寺の北側の道を回って、最終的に隅田川に達していたようです。(後で示します。)
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芝生敷きの部分から、写真手前(西蓮寺の別院:福聚観音脇)までも水路跡の模様。
写真奥、芝生敷きの先が上の写真の水路跡に接続するようですが、確認は出来ません。
(芝生敷きの先、画像では左方向(北方向)に走る水路跡が、先程上げた猫のいる水路跡写真)

写真手前側の道へ抜けると、静かな商店街(跡?)というか、昔は商店が集積していたのだろうなという通りに出てきます。
(記事最後の方に出てくる、小柳川の案内地図にて「旧道」と記されていました。)



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オクヤミハナ・・・
何かの呪文のような響き・・・

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西蓮寺入口に向かう道の角に位置する庚申堂。
遠目から、猫がいるのかしら?と思ったら
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直接、バナナが置いてありました・・・結構熟していて食べ頃になっています。
何でバナナ?そんなバナナ。庚申堂でふと香る南国の風。


庚申堂の少し北に行くと、西蓮寺の別院:福聚観音(コンクリート造りなので、最初観音堂と認識できませんでした)があり、そこを折れると水路跡に接続する暗渠?になるようです。自動おみくじ機が設置されていたらしく、寄ればよかったと後悔。

西蓮寺さんは昨年同様、門が開いていないので中の様子は確認できませんでしたが、昔の地図を見ると池がある(庭園でしょうか)ようなので、見学の機会が有ればよいなあ。


そして今回新たに出会った水路跡。


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画像左側のマンホール具合、どうみても明示している。。何かが横切っている。
その方面の方々は、上の画像をみたらその匂いに敏感に反応すると思うのですが、


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囚われの身となった姫のような小溝が・・・!!


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姫よ!せめてそのお姿だけでも金網越しに拝ませて・・

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排水ホースを受け止めたり、様々な部材を差し向けられたり、プランターを乗せたブロックを橋さながらに渡されたり・・・
健気な姫は金網越しに見るに留まり、ペルセウスにはなれませんでした(あっさり。)
排水路なのか、元は用水路の末端なのか・・
姫は華やかなりし頃を想って憂いの表情を浮かべておりましたよ。

この奥は(南側方向)廻り込んだけれど痕跡無し。
ではマンホールの反対側は、どうなっていたかというと。。


恐る恐る入っていきます。

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最初は非常に素っ気ない姿。


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静寂に包まれながらも、艶やかな変化の予感を見せ始めます・・




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見よ。この妖艶な姿態を。潤っているねえ・・
はあ。。。ドキドキしてくる。


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あまりにドキドキし過ぎて、マンホールも若干浮き上がってきてて。石臼と化しているのですが・・

苔むす侘び寂び感と、妖艶な変化を目の当たりにして頭が混乱してくらくらしているので、茶葉でも引いて一服していきたい気もします。



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この奥は左方向に折れていくのですが、


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再び右方向へ折れていく模様。さらにその奥の踏査は断念。


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引き返すと、対岸に囚われている姫が再び見えてきます。


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グリーンのラインが苔むす石臼水路跡、ピンクの部分が金網に囲われた囚われの姫:水路跡。(ピーチ姫かアンドロメダか。)

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「小溝の周りを行ったり来たりしている、ちょっと様子の変なひとが来たよ」
「剣呑、剣呑」

鼻筋の白い部分が極細の仮面猫ちゃん。鼻筋が水路跡にも見えてくるね~。
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「やっと去ったよ。良かった良かった。」



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ほどなくして現われたのは木製のトレリスフェンスの上に、アンバランスな格好で寛いでいた猫ちゃ。再び黒白さん。
「お控えなすって~」


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左の前脚と後脚だけトレリスに載せるニヒルな猫ちゃ。
「この体勢、オリジナルなんだけど意外に落ち着くんだよね。」


参考:去年、この辺りに居た猫。志茂という街は曲がりくねった内臓のような温かさを持っているのと、可愛い猫ちゃんに会えるのがその印象の大部分を占めていて、水の匂い=猫、のつながりを強く感じさせる象徴的な街だと感じています。微高地LOVE。



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「・・・ご飯持ってないの?帰っていいよ。」

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気をつけ、ポーズで丁重なお見送り。可愛すぎ♡二匹間の微妙な距離も♡




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グリーンのラインがここまでご紹介してきた水路跡。
紫マーク(上)が西蓮寺の別院:福聚観音、紫(下)がバナナの庚申堂。
ピンクで囲ったのは、志茂七溜商店街。(素晴らしい名称)

古地図では、ブルーのライン、西蓮寺の北側を回って隅田川に落ちる水路跡も見られたのですが、明確な痕跡はなし。
落ち口周辺は日本化薬の工場や工場跡が広がっていました。


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日本化薬の銘入りプランター。
雑草が植わっておりました。
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何かのマンホール。


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巨大な工業用水タンクが目を引きます。
自分ではどうしようもできない巨大な物体を前に、被圧されそうです。

日本化薬で面白いのは、この北区側の工場~隅田川を挟んで対岸の足立区新田側の工場を渡す業務用の渡し船があるんですよね。




ここまで来ると、小柳川暗渠(オレンジライン)もすぐ近く。

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電柱プレートの「小ヤ洲」表記。
小柳川に架かっていた橋「小梛洲橋」、「小柳川」両方から来ているのでしょうか、漢字カナ混じりの表記にはゾわぞわする、皮膚をザラッと撫でられるような感覚があります。
「梛」はやはり熊野神社由来の地名なのかな?

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割と近年に整備された公園の一角に建てられた、小柳川に関する説明版。
古写真に拠る地点説明まで為されていて充実していました。




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# by onnbubatta | 2015-11-26 20:46 | 北区 | Trackback | Comments(0)

川崎の入江崎~観音川河口突端、海中に建っていた石碑

以前古地図でその存在に気づいてから、どうしても行ってみたかった場所。

それは、川崎の観音川河口、東京湾の海中に建っていたという石碑、「徳本上人碑」。
何故このような場所に・・・


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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成・加筆したものです。
(1927~1939年で表示)


はじめて見た時は、波打ち際というか陸地の際のような場所に立地しているのかと思っていましたが、調べてみるとかつては海中に建っていたものだという事。そして現在は埋め立て工事により、海面から入江崎公園に移転しているそうです。。

何だかドラマティックで心くすぐるこの石碑。
現地がどんな場所かよく把握していなかったのですが、先般の川崎酔いどれ舟旅の延長で改めて現地に行ってきました。
(観音川の暗渠も少し確認できればいいなという意識で。)

前回と同じく臨港バスに揺られて、JFE池上正門で下車。
二回目の乗車で気づいたのは、臨港バスの運転席右上のスペースに、川崎大師のお札を差し込むスロットみたいなものがちゃんと設置されている事。

さて、降りたのは良いのですが周囲は大工場ばかりで、ふらふら散策的に歩いている人などおりません・・・
公園にどこから入って行けばいいのかもわからず、暫く彷徨っていました。

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そんな時に現われたのが、この橋跡(?)。
「入江橋」と書いてあるものの、何らかの施設仕様で、今ひとつ橋跡らしい情感なし。


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これらの写真では見えませんが、水色の桁のような物体の下に「川崎市水道~~」の表記が確認できたり、昭和電工の何らかの流体が送られている設備があったり。

ここらはやはり昭和電工なのですな。大島に社宅や施設が控えていたしね。

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レシートの紙屑?がいい味。電話番号も併記の妙味。


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昭和電工 川崎工場マンホール。

お天気も良くて、昭和電工疑獄事件とか、そんな用語が似合わず吹き飛ばされてしまう。


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入江橋の対岸はこのような重厚なビジュアル&妖艶なアーチ。
観音川の現在のエンド一帯はJFEの工場に沿った形で、(地図上で確認すると工場にエンクロージャーされているように見える)ここから河口までは開渠になっている模様なのですが、確認は断念。

そもそも現地にいた際は、入江橋のあまりの情感の少なさに、観音川の橋だという認識すら薄かった(反省点)。


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貨物線(臨港鉄道水江線)に沿って行けば公園に辿り着けるはず。。
画像、線路の右側は入江崎水処理センターで、川崎市で最初に稼働した(昭和36年)下水処理施設。
ドイツ表現主義的な(様式違うかも)塔に目を奪われます。

 
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線路脇に様々な構造物が残置されていて、ちょっとフリーダムな様相。。

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線路の反対側は入江崎クリーンセンター。こちらにも、お化け煙突を彷彿とさせる年月を経た感じの煙突が空を目指していました。
繁茂した雑草と共に、伸びゆく象徴的な写真が撮れた事に満足です。

終末処理的な施設に囲まれつつ、そんなこんなで、掻き分けるようにようやく入江崎公園到着。
公園というよりは、空き地のような印象。


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これか・・・!

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江戸小石川一行院中興開祖!小石川関係の!

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「塩浜今昔会」・・・何て素敵な団体なんだ。

「川崎の町名」に拠ると、
この辺り(入江崎公園)付近は工場用地として埋め立てられる以前の昭和初期までは、観音川と塩浜川が出会う河口で、北ノ先と呼ばれていた地であったそうです。(冒頭の今昔マップ古地図の方にも当該地名が見てとれます。)
(アンダーラインを引いた「観音川・塩浜川」については後述します)
ここは海上で漁をしていた漁師が漁網にかかった大師像を船から陸に引き上げた所と云われ、現在塩浜二丁目の北ノ崎児童公園にその地名が残っています。

その北ノ先の突端海中に文化13年に建立されたのが「徳本上人碑」で、
江戸時代末期に遊行の僧として諸国を歩いた徳本上人が各地に念仏講と念仏碑を残し、独特の書体と花押の碑は「トッコン様」と呼ばれて、川崎市内にも六基存在する中、最大のものがこちらの場所にある石碑になるそうです。

この北ノ先の地、というかこの特異な場所に碑が建立された理由は、
  ①前述の大師像が引き上げられた地点に因む説の他、
  ②この観音川河口沖は船がよく難破して溺死体があがったことから、供養のために上人が巡錫の折に碑を建てた
ようなことが言われているそうです。



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この大きな石碑は、沖を通る船の目印となり、北ノ先の突端は「徳本鼻」と呼ばれていたそうです。
・・・ああ。姥ヶ森に次いで再び船の目印。そして鼻地名。突端。どうしてくれよう。シンボリック過ぎる。
「独特の書体」、カリグラフィーの如き流線美。
五感を突っついてくるなあ・・・
波に晒されていた過去を纏いながら、現在はこのような落ち着いたどっしりとした佇まい。

観音川のもう少し上流に弁天様があるのですが(今回探訪断念)、その弁天社で毎年行われた舟祭りでは海苔や漁業の豊漁を祈願して、五尺型十人乗りの新造船を華やかに飾り付け(化粧船)舟を三バイつないで囃し立てながら観音川を下り、「トッコン崎」へとくり出して、海上で神主が祝詞をあげて神酒をまいて帰るというもので、当日は早くから銭湯が開いて身を清めてから祭りに参加し、夜は弁天社で神楽が奉納されたということです。
銭湯の話が出てくるあたり、生活史との関わりがいきいきしてきます。

昭和12年頃の舟祭りの写真を見ると、華やかな旗が連なり、イナバの物置並みに船に大勢の人々が乗っている様子が映っていて、当時の祭りの盛大さが伝わってきます。



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  オレンジの丸で囲った場所が入江崎公園。その左を掠めている緑道表示部分が観音川の暗渠なのですが、ちょっと観察しにくい雰囲気の場所だったので断腸の思いで断念。(略してダンダン)
開渠と緑道表示?の境目が上述の「入江橋」、緑道表示?と東海道貨物線(画像上部を横断している)の交わる辺りが「川口橋」。

アンダーラインを引いた「川崎の町名」の「塩浜川」については、具体的にどの流れを指すのか、はっきりとはわからなかったのですが

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ピンクのラインの流れを指すので良いのではないでしょうか。
(ピンクのラインに沿った屈曲道は砂州だそうです。ここも歩きたかったな・・・)
水色が観音川、これが落ち合う辺りが入江崎(オレンジ)とすると。
このワラジヤさんの昭和41年地図で見ると(大雑把な図であるけど)、河口幅広いですね。

入江崎公園の周辺は広大な川崎化成の跡地等も拡がっていたり。
あまり人を見掛けないし(意外に民家も何軒かある)、何だか一人で歩いているのもの寂しい雰囲気だったので滞在時間は僅かでした。




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工場地帯に鮮烈な彩りを。安全工事体感訓練センター。


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JFE池上正門にある、鋼鉄製?のオブジェ。上へ!上へ!


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思い出したのは、一昨年学芸大学で見掛けた薬局のサイン。


ここから、大島・桜本方面へちょっとお買い物がてら歩こうかと思ったら、衝撃の物体に遭遇しました。


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自転車のかごに、お人形(ミルク飲み人形みたいなの)が!
場所は、川崎臨港警察署前信号交差点辺り。食堂の跡地のような場所・・・

川崎はいつだって俺たちの度肝を抜いてくれるのさ。
ぼうっと歩いていたからね。たぶんある種の目的を持って此処にザインしていたんだと思う、この子。。

河口で人形に話しかけられる経験も稀有なものでした。

池藤橋の信号まで真っ直ぐ歩いて行って、少し北に入って観音川の流れていた屈曲道をふらふらしつつ(弁天社を目指したのですが、少し疲れてしまった・・・この時点ではこの弁天社の縁起とか化粧船の話も知らなかったので)、桜本方面へ進みました。


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紫がお人形の居場所、ブルーの線が観音川の流れ。

観音川は元々は池上新田の開発によって作られた川で、石観音の前を通ることから「観音川」と呼ばれ、上流は「六百代川(むそしろ)」、藤崎辺りでは「サンゼム川(大島村の三左衛門に因む)」とも呼ばれ、五ヶ村の田に用いた水を排水する悪水路で池上新田を廻り込んで海へ達していたといいます。
明治~昭和30年代頃までは海苔業が盛んだったため、川筋の河岸には船溜まりが幾つもあり、弁天社と石観音付近には「観音河岸」があったということです。

石観音像は縁起が伝える所に拠ると、「正保年間に海中より出現の霊石」だそう・・・
弁天社に隣接するというこの石観音、あきらめずに行けば良かったな。改めて。


実際歩いた時は、池藤橋の信号を渡って桜本側に入った時点でぷっつりと観音川の事は忘却の彼方に流れていたのですが・・・
そんな不肖なわたくしめに喝を注入してくれたのは

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「くわっ!川コンシャスで行動せよ!」予期せぬ橋跡!。しかもかなり上等な一品。

・・・とこちらの案件は記憶の片隅にあったはず。徳本上人碑、大島劇場、姥ヶ森弁財天が紹介されている「川崎のたからものシート」で見たことがあったかも。。?
名前がよく解らないのが残念。


筋弛緩剤事件の舞台の病院前などを通り過ぎると、韓国料理のお店が現れてきて、ああ無事再訪できたなと実感できました。
この先の「さくら小学校」、元の桜本小学校で、昭和32年製作の東映の記録映画「煤煙の街の子供たち」の1シーンが撮影されたそうです。
「川崎の町名」でこの事に触れており、

「・・・煤煙の恐ろしさを強調するあまり、一部手を加えたため、のちに問題となったこの映画は川崎を公害の都市としてその名を全国に知れ渡らせました。しかし此の事を契機に煤煙防止の機運は高まり、三年後には市の公害防止条例が交付施行されました。」

どんな加工手法だったのか、気になります。。真っ黒のモックモクにしたのでしょうか・・・?

桜本界隈でキムチを購入した後は、前回の帰り道で気になった鶴見の本町通り商店街へ少しだけ寄り道をすることに
夜の帳が降りる頃、バスで通過したのですが車窓からの景色に心を奪われました。旧くからある道の匂いもするし。

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まずは、夕暮れの中でぼんやりと浮かび上がる赤いボンボリの灯が印象的だった三角形の地型の観音様へ。

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昼間はまた違った印象で、割とはっきりとした色彩。
お屋根の名乗りも明確で判り易いです。
どんな云われがあるのか、奥へ進んで確認しようとすると・・・



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由来以前に、右側の壁画は・・・?
隣接する店舗(クリーニング屋さん)とは関連付けが無いようだし・・・
確かにwonder land。バスから見えた時は気づかなかった・・・


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「・・かたじけなくも仏縁により再現され、当時潮田本町商工会はこれを奇とし、広大無辺の功徳をあまねく世人に及ぼそうと・・・」

  姥ヶ森もそうだったのだけど、由来を記した説明版の文体というか話の流れが独特で興味深い。

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どうしかものか・・
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お休みになっている人もいたのですが

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曰く、WONDER・・・


商店街は閉まってるお店も見られ、静かな雰囲気。スピーカーの割れた音から流れる嵐の曲が印象に残りました。
介護拠点や、マイバスケットのようなミニスーパーが店舗として目についたかな。

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こちらは吉永小百合さんでしょうか?(別人にも見えまする。私は浜木綿子さんに似ているかな~と。)
シャッター壁画だと、レポート用紙のような線が入って思わぬ効果を生み出すなあなどと。
一階店舗と上階の店舗が併記されているのか、二毛作のような業態なのか、気になります。


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「鶴見名物 亀の甲せんべい」と掲げられたお店。
海由来のアイテムだったので思わず撮影。こう、現在は陸なのにかつての海を感じさせてくれるものには反応強めなのです。


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こちらのお店も、バスから見えて感動したお店。
最高峰という看板も秀逸ですし、何より昔の日本鋼管鶴見造船の社名が残っているのに感銘を受けました。
工場の人の背広を請け負っていたのでしょうか?

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鶴見川の橋を渡る直前に見たお店だったので、より心に刻まれたお店でした。


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鶴見駅前。音楽の都でお蕎麦をすすれるらしい。
あ、でも擬音語の「うぃーん」かもしれない。決めつけちゃだめよね。うぃ~ん




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初回の、川崎舟旅の最後の行程でお世話になった横浜市営バス。(舟)

俺たちのソサエティに君臨する舟たちよ。

(横浜市営バス、で検索すると予測変換で「横浜市営バス プリキュア」が候補としてサジェストされたのも面白かったです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記:観音川の石観音と弁天社(11月下旬再訪)





青アイコンが石観音、斜め向かい赤いアイコンが弁天社。




石観音の門に掲げられた「潮音殿」の額。
波の音が聴こえるかい。

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門をくぐってすぐ右手にある「霊亀の助けによって海中から引き揚げられた」手水石。
石の中央部辺りに継ぎ目があったり、穿ち穴のようなものがあったり。

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こちらは弁天社。赤い方が弁天社、白い方は八海提頭羅神王を祀っているそうです。

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敷地が東西に長く、笹かまやなまこ餅のような形状で、社殿に対して空きスペースの割合が広いのが印象的。
舟祭りの際に人々が集って気勢をあげていたのでしょうか。
また、間口が広いわりに正式に出入り出来るのが北側の一角だけなのが面白かったです。単に管理上の措置かもしれませんが。

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付近には風呂屋さん(浴槽屋さん?)や床屋さん。
縞々が鮮やかでUSAっぽいな。
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カーブミラーまで縁取り。縞々が印象に残る一角でした。

川崎には曇天が実によく似あう。。と思いを新たにしたその時・・・


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「御自由にどうぞ!」と貼り紙をされて屋外の、しかもマンホールを台座に据えて置かれた胸像にまたしてもびっくり。
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背後のススキみたいな草とのコントラストが、少し険しい表情、、悲哀美を感じさせます。
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等々力~入江崎、と地名表記のあるマンホール。
行先が書かれているっていいね。












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# by onnbubatta | 2015-11-15 09:56 | 神奈川 | Trackback | Comments(8)

川崎にて、陸の舟旅を。

久しぶりの「神奈川」カテゴリ。←川の名称に見えてしまいますが。

秋のとある佳き一日、川崎の大島~桜本付近、浜川崎~浅野駅付近に遠征した記録を綴ります。
 
~その時から、大島・桜本はとくべつな響きを持つ土地となった。私の中では。~

予習としては、東西南北の概況の把握くらいで。重たい道路地図しか無かったので、家宝の和楽路屋さんの地図(昭和41年)をコピイ
して一枚ペラで持参。(和楽路屋さん→明治5年創業、平成14年事業停止-破産宣告。社名は歩測調査を行った際に用いた草鞋に由来するとのこと)

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観音川の屈曲がイキイキと輝きを添えている&もう町中日本鋼管(現JFE)マインド。
日本鋼管のバレー部に在籍していた井上譲選手に憧れていましたっけ・・・


strangerな土地に身を置いて、只感じ取る。受け取る。目に入るものが全て新鮮でした。。
未知に委ねてゆらゆら。ユラユラ帝国。

川崎駅からスタート。川崎駅周辺は、以前夢見ヶ崎の記事を書いた際に確認に来たぐらい。(夢見が崎地名の由来を求めて徘徊したのが契機)

(宜しければ・・リンクはこちらから↓)

その際にラゾーナに残る東芝時代の遺構と、至近に在る女体神社を訪れて以来の訪問になりました。
夢見ヶ崎の加瀬山を掘削した土が運ばれて、低湿地だった東芝堀川町工場(現在のラゾーナ)の礎となっているのです。。


改札を出ると、階段の方に川崎市の大きなビジョン看板?的なものが目に入ります。
内容は、環境対策を講じた結果、工場地帯から出ている煙は煤煙ではなく水蒸気であるということ。知っていたようで知らなかった。。
ちょっとしたパラダイム転換が上質なスパイスに。

さて、加瀬山に思いを馳せつつも、今回はラゾーナとは反対側の出口へ向かいます。
「臨港バス」という、港湾マインドに満ちた乗り物での移動に胸が躍ります。
臨港バス、行先やバス停名も興味津々。「日東亜鉛」とかマテリアル感が前面に出ていたり、「エリーパワー」「ゼロ・エミ工業団地」とか、インダストリアル感を帯びていて、都バスではなかなか味わうことの叶わない京浜工業地帯の空気。

バスターミナルに来ると、一等地にありながら、シャッターへの落書き・ネットに覆われた姿が何だか痛々しいさいか屋に目を奪われます。商業構造の転換を見せつけられるようで。
ここの展望レストランから加瀬山を臨んだ、というコメントを以前頂いていたこともあり、今後の動向が気掛かり。

臨港バスに乗車するとすぐ、左手側の植え込み?のような場所に「御成橋」という石柱がひっそり植わっているのを確認。
その後も通りを真っ直ぐ進んでゆくのですが、新川橋、さつき橋、とバス停名にも橋が散見され、嗚呼、この通りは堀だったのだなと。
(この堀について調べていくと、川崎駅付近にあった鷭沼(バン沼)という湿地の話が出てきて興味深い)

つまりこのバスは船でもあり、私たちは船旅をしていることに。


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舟から降りて、最初の訪問地、大島八幡神社にて。ここは微高地だと教えて頂く。
神社の奥の方に、そこはかとなく置かれていた橋桁と木製の立札。いきなりの出会いに動悸が。。
後日にもこの橋桁を撮ったけれど、曇天下で横たわるこの姿の方が影が出なくて、石の質感や重量感が伝わってくるような気がしました。


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木製の立札に手書きの説明が嬉しいし(何だかお触書みたいで気分が上がるのです)、最後の「年代不明」体言止めもCOOL。


神社至近には昭和電工の社宅や昭和電工大島クラブ(迎賓施設?福利厚生的な保養施設?)があり、京浜工業地帯の一端が住宅地の中に垣間見えてきます。



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初回訪問時に気になっていた緑濃い一角。その時は地主さんのお宅かな?と思っていたのですが、改めて別の日に来て確認すると


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昭和電工の施設でした。


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大島の住宅街を迷いつつ徘徊していると、海員会館という建物も。玄関側には錨のモニュメントもありました。
建物自体が舟の雰囲気あります。
ここで舟を乗り換えても良いかもしれないね。


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 色鮮やかな幟に惹かれて近づいたら、そこにあったのが大島劇場。
初回訪問時に、大衆演劇のポスターが街に貼られていたのはここの事だったのか。。!
住宅街にいきなり演芸場が現れたのには驚きました。
そこには異界への扉が。。。

「かわさき区の宝物シート」に拠ると、

●終戦の傷跡からようやく復興の兆しを見せはじめた昭和25年(1950)に創業。かつては川崎区内に18軒の演劇場があったが、住宅街の一画に唯一今も残る大衆劇場。
●代々女性館長が切り盛りしてきた歴史を持つ。現在は3代目。元々は新川通り沿いにあったが道路拡張のため今の場所に移ったという。
●館内はこじんまりとしていて役者との距離感は限りなくゼロに近く、舞台と客席の一体感を味わうことができる。
●かつては一世を風靡した「下町の玉三郎」梅沢富美男公演も行われるなど、有名芸人も多く出演する若者の人気スポットとなっている。
●東京大衆演劇劇場協会所属の劇場は、木馬館大衆劇場(浅草)、篠原演芸場(十条)、立川大衆劇場(立川)、そして大島劇場のわずか4軒という貴重な存在となった。

限りなくゼロに近い・・・限りなくゼロに近い・・・何という臨場感溢れる説明だろう!!
新川通りに面していたという事は、水路沿いの劇場だったのでしょうか?嗚呼、そんな目で眺めれば良かったあ~~
 


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大島の住宅街にて遭遇した、人の横顔にも見える造形のブロック塀。
これ作為???

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年中行事が盛り込まれた町内会のお知らせ。画鋲サビさび、楽しいぜ!というちょっとラフでカッコイイ呼び掛けにも引き寄せられます



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多分、粗大ごみの回収は申込制、という事を伝えたい看板だと思うのですが、字が消えかかっている&サザエさん風のヘアスタイルによって色々な解釈が出来るようになっています。
私には「通報スタイル」に見えるけどなあ。不思議な形の影が作用しているのかしら。闇電話。
児童公園にて。


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「水門通り商店街」や「水門ビル」がある一角。水の匂いが濃厚に。
(葛飾の古隅田川沿いに、水門の屋号(商号)の会社やお店有り。事例として挙げておきます。)

ここから、韓国料理や食材のお店が並ぶ商店街へ。
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店先やサインに見所が非常に多い。上のは象形文字を感じさせるのと、ステッキでリズムが生まれる躍動感を気に入って撮影。


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統治していそうな団体。まずはここに挨拶することから始まる、みたいな。

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コインパーキングの奥に残る廃タイル。
過去の建物の生活が、はみ出している。水と生活の痕跡が哀しく垣間見えて胸を打たれます。
恐らくお家の一番奥がお風呂場だった痕跡なのでは?

廃タイル事例のブログ記事はこちら→前谷津川 梶谷津源流。廃タイル哀タイル

別の場所の事例写真
文京区、板橋区
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大好きなタイル痕で脱線。川崎に戻ります

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席をあっためている猫。
猫ちゃにいっぱい会える街。優しい人達が多いあったかい土地。
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にゃおん

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かなりの別嬪さん。しなやかな姿態で媚態され、眼差しに完全KO。

初回訪問時に買いそびれたキムチを無事入手。(追い川崎訪問はキムチ購入がメイン目的にも据えられていた)
気に入ったのはキムチの塩辛♪

住宅街も、商店街も、時を経たものが随所に残されていて。


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そして予想外に訪れる事となった「姥ヶ森弁財天」。
川崎市のサイトで名前だけ目にした事があり、頭の片隅にそっとしまわれていた感じだったのですが
案内していただける運びに。こういう流れが本当に嬉しくって痺れてしまう!サプライズ漂着。

高速の至近&工業地帯のイメージが色濃い街区にこういった名所旧跡(しかも弁財天)が潜んでいる大いなる意外性。
その乖離になかなか追いつけないでもがいている状態。溺れそうになりました。

そんなこんなであまり写真も撮れなかったのですが、柵に護られた井戸を。

~潮香る街で辿り着いたREAL WATERで、各自思い思いに渇きを癒す。~
そんなまぼろしの感覚を抱いて。ん~ごっくん。

現在は町内会館の隣に小さく、圧縮されたような佇まいで平成の今に表出している形ですが、昔はこんもりとした森で(姥ヶ森)沖を航行する船の目印でもあったという話。
この点もなかなか理解が追い付かない。本牧十二天があったような、突出した断崖が航行の目印だったという話ならまだしも。。

曰く不可解。摩訶不思議な一角なり。おかしな感覚に陥ったのでした。。


そして、不動産会社「ユナイト」の物件などを歩きながら鑑賞して(会社サイトの代表挨拶のコーナーが類を見ない形式で面白い)
浜川崎方面へ。

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イカのお化けかと思いきや鉄塔の擬人化。凄い形相w 恐怖政治っぽいぞ。

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「明るい都市の建設は環境公害の防止から」神奈川県衛生会

スローガンに時代を感じる。公害が発生していたからこそこのような啓発に至ったのでしょう。
明るい都市という言葉と、参加して錆びついた現況の乖離をまた泳ぐ事になる。ああ忙しい。


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浅野駅構内でひっくり返っていたベビーカー、もとい乳母車。
天地がひっくり返るような事態にしたのは何だったのだろうか。。時空でも歪んだのだろうか。


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ねえ。


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浅野駅の線路。素敵な溝がある。



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浅野駅近くに残っていた立派な橋跡。欄干の間から草がはみ出している何とも言えない風景。
調べてみたら、地図中の運河がかつて左に(入船公園側に)折れていて、その部分の掘割に架かっていた「豊橋」の跡だという事が判明しました。




開渠となって残る運河部分と、暗渠となった川崎運河の形状に誰もがそそられますね。
川崎運河は京急が開削したものの、あまり使われず結局埋め立てられたという不遇な経過に同情を寄せてしまいます。悲しき運河。

そして川崎運河跡沿いにあった「ワイルドブルーヨコハマ」という一世を風靡したプールが忘れられない記憶。

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掘割跡付近に、気になる造作物(遺構?)が。
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「豊橋洞道」の表示。東京電力の設備が設置されていました。

~それぞれの鶴見線。知らぬ間に川崎から横浜へと境界を渡りつつ。~


続きはまた改めて綴ります。

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# by onnbubatta | 2015-10-25 16:02 | 神奈川 | Trackback | Comments(4)

煉瓦が導く小石川砲兵工廠の谷戸

春頃からこの界隈に足を運び始めて、歩く先々で煉瓦の遺構に出逢ったのでまとめて綴りがてら砲兵工廠内にあった窪地に関するお話など。

まずはご存知の方もいるとは思いますが、つい最近知った、礫川公園内の「小石川トンネル射撃場跡」。
現在の地形図では失われた「窪地」を利用して作られた可能性もあるそうで。。


後楽園の駅を出てすぐの礫川公園へ。小石川の台地のクライマックス的地勢下。

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礫川公園はその地形をいかんなく発揮した二段構造の公園です。
公園も含め、東京ドームや中央大学のキャンパス等一帯の土地は水戸藩邸→東京砲兵工廠という変遷を辿っています。

濃厚なバスクリンカラー。クロレラとか育っていそう・・・

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階段に近づくと丸ノ内線の音が響いてきます。
階段脇に、僅かに人が通行出来る程度の空間があり、石段のようなようなものが続いています


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最終警告の貼り紙と金網柵、繁茂する植物に阻まれます。


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トンネルのアーチと塗りこめられ封じされた入口が確認できます。


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アーチの上部に所々穴が開いているのが確認できます。

小石川トンネル射撃場(旧東京砲兵工廠射撃場)の歴史については文京区ライフル射撃協会の方が個人でまとめられているサイトに大変詳しく書かれているのですが、明治の初めに東京砲兵工廠が置かれて、この射撃場自体は明治16~18年ごろの完成と推定されるとのこと。陸軍の軍用小銃や機関銃の試射を行う場所として利用され、戦中~戦後はライフル射撃場として利用され、1999年に国・区へ返還され終焉を迎えています。(戦時下の食糧困難によりシイタケ栽培が行われていた時期もあったそう。薬莢とシイタケと。)
明治~平成にかけて発砲音を吸収していたであろうトンネル。

現在はこの煉瓦造りのトンネル入り口部分のみがひっそりと残っているようですが、地下のトンネルはどのような状態で残っているのでしょうか。。



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ピンクの○印がトンネル入り口。小石川トンネル射撃場のサイト様を参照させていただくと、中央大学の方にトンネルが続いているようです。

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帝都地形図(昭和5年補正 昭和22年補修)で同地点の地図を引用参照しながら説明をさせていただくと、上の方の地図のトンネル北端付近に謎の窪地が食い込んでるのが見て取れます。
こんなところに谷地形があったなんて・・・(牛天神の東側にもちょっとした谷地形が参加していますね)
いつものように谷に向かって尋問する。「どこの所属だ?」
ブログ記事のカテゴリーも取り敢えず「谷端川」としましたが「神田川支流」になるのかな??

こちらの谷地形、今まで認識の片隅にもありませんでした。

ですがそれより以前、明治時代の地図ではこの谷、もう少し控えめな食い込み方でしか描かれていないのです。
手前で終わっているというか。
現在の地図上に落とすと大体このようなイメージ。

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WEBで調べますと、射撃場を設置するにあたり、この窪地を利用応用+窪地の西端を更に造成して利用したのではないかという記載も拝見することができました。
窪地の拡張?延長?
利用する側、される側。

詳しい事は判りませんが、中央大学~戦没者墓苑~礫川公園にかけて谷戸が空洞で眠っているのかもしれません。
この辺りの古い地図、軍用地なので改描により空白になっていたり、ちょうどエリア的に地図の切れ目で。

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上述の、砲兵工廠敷地内の二つの谷戸の僅かな痕跡でしょうか?かつての窪地付近の等高線の揺らぎをオレンジ色で囲ってみました。
(東京地形地図さまのグーグルアースより引用作成)

後楽園周辺は古地図、昭和の航空写真、何を見ても楽しくて見る都度様々な発見があります。

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↑goo地図の明治期古地図より引用したもの。
現在のラクーアの敷地内に水路走ってます(古地図内の池の右側付近)


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goo地図の昭和22年航空写真より。
後楽園球場が卵のように。


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同じ画像で現在の後楽園駅周辺付近(ちょうど、射撃場のトンネル上部辺り)に不思議な円型がアーチを描いて配置されています。
高射砲陣地???

その他にも、都立中央図書館でマイクロフィルムの古い住宅地図を見ていたら、後楽園ゆうえんちの今のラクーア辺りに
「飛行塔」と表記されたアトラクションを見つけて、その表現が奥ゆかしいなと思いました。
(パラシュートの事?私は落下傘と呼んでいましたが。。)


公園の片隅、樹木の隙間にひっそりと残る赤煉瓦のトンネルアーチが、
今まで考えも及ばなかった細身の窪地へと導いてくれたのでした。まさに入口。
冒頭では「軍遺構」として見えていたトンネルアーチが、「谷戸・窪地の封じ口」として新たな姿を見せてくれた気がします。

永井荷風の「伝通院」の描写に
「・・・水戸藩邸の最後の面影を止めた砲兵工廠の赤い裏門は何処へやら取除けられ、古びた練塀は赤煉瓦に改装され・・・」
という一節がありますが、練塀ではなくても砲兵工廠時代の名残を伝え、隠れた窪地について示唆を与えてくれた赤煉瓦。

何故か、かつての砲兵工廠敷地から出ても、周囲には赤煉瓦が多いのです。

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中央大学敷地と道路を隔てて西側にある常泉院の外壁。
ここを歩いているときに軽トラの八百屋さんがちょうど停まっていて、近所の方がお買い物に来ていました。

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常泉院入口付近にあった「魚霊之墓」。
他には明治期の落語家「朝寝坊夢楽」という方のお墓があるそうです。荷風が「夢之助」の名前で通い弟子として一緒に寄席に通ったというのがこの師匠との事。脱力系の名前で良いな~。

一枚上の写真の煉瓦塀の道(二回くらい鍵型に曲がる)を道なりに歩いて行くと、牛天神のある牛坂に差し掛かります。
江戸~明治期の古地図などをみると当該地に「龍門寺」と記されている寺がありますが、廃仏毀釈の折に廃寺となった、牛天神の別当寺の事を指しており、江幡潤「文京の散歩道」に拠ると安藤坂にほぼ平行している通りは龍門寺門前町を形成していたとの事です。

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人が吸い込まれていっているような坂


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坂の北側、石組みの美にしばし酔いしれる。石組みの内側は文京三中。文京区立中学校には原則として旧小石川区のものは奇数番号が付されているというが(例外もあり)、三は元々この地にあった「三井邸」に因んで付けられたと帝都地形図の説明文には書かれています。


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牛坂から牛天神の敷地に入ると、左手に駐車場があります。表面はコンクリートで塗り込められているけれど、所々に元あった煉瓦が見え隠れしているのが判ります。
壁際辺りに水路があったかな?と推測してやってきたのですが、裏付けるようなはっきりとした痕跡は見当たらず。。
ちょうど牛天神敷地の直下は丸ノ内線が通っているんだよなあ~

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牛天神の石段脇には南側へ向かって降りて行くこんな側溝があり、
水面は少し動きがあって揺らいでいました。


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牛坂に戻って牛天神敷地の西北端辺り、牛天神を支えている煉瓦塀。
写真右奥辺りに牛天神の載っている台地を支える堅牢な擁壁が少しだけ見えます。

牛天神の東端と西端に残る煉瓦。
何か私に囁いてくれないだろうか。。牛天神と水の関わりなど。

牛天神&牛天神周辺についてはまた改めて書きます~。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記。2016年4月にこちらで夜桜を鑑賞した際の写真です。


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こちらでは、境内に一本のみという桜の樹を、妖しいほどのピンク色のライトで照らしているのです。
それが旧い空間とアーティフィシアルな光源、虚実ないまぜな光景を生み出していて、不可思議さに包まれていました。

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牛さんの背後にも光源が置いてあったかな・・・?ほんのり妖艶。
夜桜お七が登場しても何の疑問も抱きますまい。いわんや八百屋お七をや。

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この晩は、東京ドームで何かのコンサートが開かれていたらしく、この辺りにまでぼわんぼわんとした重く不思議な音が鳴り響いて、届いていました。

近いようで、遠くの音が丘の上まで響いてくる。










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# by onnbubatta | 2015-09-02 13:19 | 谷端川 | Trackback | Comments(7)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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