夢見ヶ崎周辺を歩く~加瀬山掘削地点・水権現・加瀬堀暗渠・谷戸地名ほか。

暗渠を辿りつつ、夢見ヶ崎周辺を前回より迫って歩いてみたいと思います。
「加瀬堀」暗渠と「谷戸」地名については、後半の登場となります。

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新川崎駅を出て左(西)、鹿島田跨線橋脇の水路跡。
新鶴見操車場跡地に建ったマンション群によって、さらに窪に深みが増しているようです。

刻んでもないのに、刻まれているという。→ポエム

此処を出て、前回少し触れました「テニスコート脇」も抜けると
(テニスコートも暗渠と仲良しだと思う・・・ゴルフ練習場のように)








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川崎市立の日吉小学校脇を片側ガードレールに隔てられて展開していきます。




























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こういう所には必ずいらっしゃいます。

















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お姿はこんな感じ。
つやつやした御榊が供えてありました

この先暫く、小倉用水の暗渠道と寄り添う形で進みます。
























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加瀬山の山裾エリアに足を踏み入れてきています。
夢見ヶ崎目前で道がこんもりと盛り上がってきました。(気持ちも)


麓感が高まるのですが、このこんもりは一瞬で盛り下がるのです。
地形をいじった痕跡かも・・

同様のこんもり体験はさらに南麓のほうでも体感できました。


ガラスの建物は日吉庁舎。







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加瀬山の山裾を物語る何かかもしれない。
このあからさまな盛り上がりは。

信じている。






























濃い青線が今歩いてきた水路跡、明るい水色は小倉用水跡(後述)、
オレンジの囲みは大まかに加瀬山の削り取られた南東部分であり、加瀬山の最も高かった地点
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・・・地図に水路線を加えてて改めて思い出したのですが
今歩いてきた水路跡(上の地図濃い青線)、「横浜水道跡」の通ってた辺りと近似しているのです。
「横浜水道跡」が示された元地図(幸区まちカルテの中の、大正時代の二ヶ領用水のすがた)の複写が
ちょっと広域で見づらいのでアレなんですが)

横浜水道は、横浜に送水するために明治初年二ヶ領用水(鹿島田の堰付近)から分水して、
夢見ヶ崎~江ヶ崎~鶴見~子安のルートで水路建設工事が始まったものの、木樋菅の継ぎ目から水が漏れてしまい、横浜まで水を届ける事なく工事が中止となった。現在の操車場内に当たる土地には横浜水道建設
の過程でつくられた「砂溜池」とよばれる池があったという。

三菱ふそうの工場内を線路に平行するような形で南下し、日吉小を貫通してその先で少し曲り、
小倉小の東を通って鶴見川に達するまでの線で上記の資料には示されています。

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資料を参考にざっくり示すとこのような感じ。
歩いてきた水路跡と広域でみるとほぼ重なるけれど
感覚的にはう~ん・・・




横浜水道と何か関連のある道なのかな?
よくわかりませんでした





ここから、西にグイッと曲り昇って加瀬山に再度アタックします。

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片隅に、水に関係のありそうな石造りの何か?を見つけました。
これは何なのでしょう?枡のような?




















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おしみず坂。右が加瀬山の山部分、左は削られて急激な崖地様を呈しています。
削られる前までは山上に通じる鞍部のような登り坂でした。
























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坂を昇る途中の右手にお地蔵さまと南加瀬貝塚の碑。
加瀬山が海にぽっかり浮かぶ小島であった時代の名残か、貝殻の9割がはまぐりであったとの事。
縄文人、焼き蛤でも食べていたのでしょうか・・・

お供えのぬいぐるみが色を添えてなお可愛い。
人面花瓶も。












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ちょっとした階段を降りて行くと小さな祠が。






























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水の権現様。
「尾」の次の字は何だろう・・・「眥」→この字で「し」と読むようなので
「尾眥水」これで「おしみず」?

おしみず坂というくらいなので
清水が湧いていて、その水の畔にいらした神様なのかなとも。
















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庁舎の駐車場、この一角も削られたような匂いはあります。
(水が湧いてそうな感じも)

この場から眺めると、長さ750m余りという加瀬山の東の端っこ感が
伝わってくる気がします。






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削られた部分がよくわかる場所。
ここの土が大量に切り崩されて川崎駅前に運ばれ土盛りされて東芝堀川工場の礎となりました。
削られた山肌側には防空壕が作られた時期もあったのだそうです。

跡地には国鉄新鶴見球場。

此処に立つと球音が響いていた時もあったとは。


現在は公園・高齢者施設・マンション・社宅等が建っています。




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削り取られた跡を埋めるように建つ官舎






























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前回のブログ記事にもあった夢見ヶ崎稲荷神社手前まで、結構鋭角的に(躊躇なく)削られています。











次に大々的に掘削された加瀬山北西部に向かう前に、冒頭のほうで触れた小倉用水跡をご紹介します。
夢見ヶ崎の南辺り、地形は平坦な場所にあります。



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現在の姿はこのようなサッパリとした緑道。
今の小倉小学校近辺には「小倉池」というため池があり、江戸享保年間に当地に二ヶ領用水が分流され
元々あったこのため池とつながり小倉用水の一部のような形に。

近くに鶴見川の大河を見ながら、河床が低く水を引けなかった土地。小倉用水がこの地の水田を潤し、
幸区一番の石高を示した。
また桃やビワ、イチジクの栽培も盛んであったという。

しかし近隣の宅地化の進行に伴い、戦後の昭和27年に埋め立てられたという。

小倉池の伝説として「禁断の玉手箱」というものがある。
鉈を池に落としてしまったヨンキおじいさんが自らも池に落ちてしまい、行方不明に。
三年後、本人の法事中に池の竜宮城から玉手箱を携えて元気に帰還。

ここからは展開が容易に想像つきます。玉手箱を開けてしまい、帰らぬ人に。
「見ちゃダメ、開けちゃダメ・・・」で悶々としたのでしょう。箱には龍の鱗と小さな観音様が入っており、
近くの無量院にはその伝承に因んだ竜燈観音が祀られているのだそうです。

また近隣の小倉神社では水神様として河童が祀られているため、毎年7月にキュウリをお供えする「きゅうり祭り」が行われているそうです。

今は年間通してキュウリが手に入る時代・・・キュウリの盛りの時期に改めて気づくし面白いですね


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いつもお世話になっている街の地図看板には、小倉用水がまだ水色の水路線で示されていました。
(町界のところ)

池附、という字名も見えます。






加瀬山の北側へ向かいます。

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北加瀬の「山崎」バス停そばにあった庚申塔

この看板、他の場所でも見ましたがお堂を守護しているような目つきが
気に入っています






















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山崎、も加瀬山につながる字名でしょうか。






























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近くにあった地図看板、旧字名が記されているのが有り難いです。













 そして、加瀬山北西部へ。

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更地の奥がJRのマンション。順番に建替えしているのか、この更地はどう利用されるのでしょうか。

かつては左の加瀬山はここの更地部分にも山裾を拡げていたことでしょう。
今は分断されて階段が見えています。


新鶴見操車場で働く従業員の社宅「北加瀬国鉄官舎」のために切り崩された箇所です。
ケーキの断面を見ているような心境。

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上空からの画像で見るとこのような感じ。
加瀬山南東部よりも更にスパっと切り込んだ印象を受けます。








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現在の北西山裾

加瀬山は北鹿・南麓とも本当に際キワの箇所は、広い地所を有する旧家?が張り付くような形で囲んでいる
のでなかなか裾部分を視認することが難しいなか、この周辺は麓や断面を見ることが出来ます。


続いて、ここの西に隣接した掘削地点、現在の白山幼稚園辺り(水色)
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水色エリア周辺は白山古墳や第六天古墳が存在した場所ですが、民家が建て込んでいたりして
様子を確認することが出来ていません。





白山古墳の裾、白山幼稚園西辺りから出土した秋草文壺(国宝)は国立科学博物館東京国立博物館に収められています。

また、矢上川に面した辺りまで延びていた山裾を掘削した箇所(紫色)、
ここもはっきりとは痕跡を感じ取ることは出来ませんでしたが、昔の地図と重ねてみると
二区画程、周囲とずれて斜めに配置されて家が立ち並ぶブロックがあるので
そのあたりなのかな、と推測します。

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ただ水色掘削地点に関して、この南北に通る道が途中マドレーヌのてっぺんみたいに盛り上がっていて、私の足裏は山の痕跡を感じて小躍りしていました。
写真では判りづらいかもしれませんが・・


ここの土砂(古墳があった場所・・・)は昭和12~13年、三菱重工業の埋め立て等に使われたとの事、
すぐ近くにある加瀬山北の現三菱ふそう、(ここは元々三菱重工業)のことを指すのでしょうか?
道路を隔ててお隣の埋め立て用に供されたのでしょうか。

「川崎の地名」の南加瀬村の項に拠ると、「昭和12年頃から、加瀬山を切り崩してその土を売る事が行われた」とあります。
「埋土に困っているなら、削ってもいいさ」・・・世を人を救うアンパンマンみたいに思えてきました。
身を削り、血を(地を)売る、みたいな。

同時期、矢上川の両岸に土地を持っていた日吉村は、川を境として横浜市・川崎市へと分かつ事になったそうです。(これには双方の水の利用が大きく関わってくる)

前回ご紹介した「史蹟 夢見ヶ崎」の手描き地図には、更にその西隣の「帝國発條用地埋め立て中」
の記載があります。(現在はマンション他)




オレンジアイコンが、道路の盛り上がり場所。


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その近くにあった庚申塔。

庚申塔、やっぱり多いな~。













そして、面白いのが、この近くに「谷戸」という古い地名があって、バス停や商店街名として残っています。でも周囲には歩いていて全く谷戸っぽい風景はありません。劇的な地形変化を以てしても、何かずっと心に引っ掛かっていました。言葉巧みに惑わすなあ・・・

「川崎の地名」に拠れば、当地における「谷戸」地名は通称地名だとし
沖積低地なのに谷戸と呼ばれる理由は不明。加瀬山の西北に連なる丘陵が削られる以前は、JRアパート辺は加瀬山と末端丘陵との間で、谷戸地形を呈していたという。恐らくそれによる地名か。」

なのに」と口語で示される辺りに凄い親近感。
古地図を眺めたりしても今一つ谷戸のイメージが湧いてこなかったのですが、大正15年内務省の地図というのをみさきさん(ありがとうございます。)に教えていただいて観察していたら

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矢印の辺りがこんな感じで食い込んで示されていたんです。
これは自分には腑に落ちる谷戸感。






谷戸商店街で「里芋のコロッケ」を一つ買って栄養補給していたら、気になる箇所がありました。

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いかにも水路跡。谷戸バス停がある場所からは暗くてよく見えないので、南に回り込んで追跡しています。















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歩道端部分に沿う一角がいかにも怪しいです。






























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越路バス停そば。
この摩耗して碑が読めない祠を最後に、この辺りの痕跡は消えるのですが、
先程の水色アイコンより北側も追ってみます。
しかしこの祠の囲まれ方が頑丈。ただならぬ気配を感じるのだけど。
















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今見てきた暗渠、街の地図看板にも水路線が残っていました!画面中央辺り。




























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そして谷戸バス停の通りの北側にワープすると。
思いがけない場所に野生の暗渠がありました。
この中を歩行するのはちょっとためらわれるので、見える位置まで回り込んで行きます。



















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家々の間のグリーンベルトのような未利用地となっています。
今にも水が流れてきそうな光景。

























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回り込んで道路と交差する場所。ここから先(北)は歩道の一部になっていました。



























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暗渠跡が明瞭になる最後の出口地点には庚申塔がありました。
写真左のどっしりとした覆屋です。












前述の「大正時代の二ヶ領用水のすがた」という図でこの水路跡について調べると、「加瀬堀」という用水かその系統として示されていました。

上の写真の場所はちょうど古くからの道(鎌倉街道・小杉道)が交差する出会いの辻であったようで、

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江戸~明治時代まで高札場(命令・伝言などを伝える告知板)があり、
現在は二対のお地蔵様と庚申塔が祀られています。

すぐ脇を流れるこの用水に関する札も出されたのでしょうか。




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目深にキャップを被った様が、ファンキー&クールでもあり、
近隣の人々の優しく温かい気持ちを感じます。






















道の「叉」具合、旧い道の出会いを感じて萌えます。
はたして道灌さんは通ったでしょうか。
野生の加瀬堀暗渠?、画面左斜め下辺りにグリーンの帯状の連なりを示していて綺麗ですね・・

右の広い空間は日吉中学のグラウンド。


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前述の「大正時代の二ヶ領用水のすがた」図を参考に、大まかに加瀬堀の流れを地図で示してみました。
どのあたりがメインの加瀬堀なのかまだ調べがついていないのですが。


以前、猫またぎさんが川崎の暗渠を連載されていた時から「暗渠溢れる川崎」のイメージを持っていたのですが、当初はあまり暗渠らしい道に出会うことが無かったものの、終盤になって好みの暗渠に遭遇することが
叶いました。加瀬堀は歩き回った後の「ご褒美暗渠」、としての位置づけが強い(個人的に)水路で、ほんの短い区間の追跡にも関わらず旧い祠などに遭遇する確率の多かった流れでした。


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ここもはずせない、矢上川と矢上橋。
奪衣婆伝説があるそうです。
古地図を見ると現在よりずっと曲流しており、蛇行跡が点々としている様子が描かれていて
興味深いです。




元々は両岸とも日吉村でしたが現在はこの水面を以て、川崎市と横浜市の境を成しています。

右岸(現在の横浜市)側は、元々東の川崎側とは異なる灌漑用水を利用しているうえ、電鉄が慶応大学誘致を契機に横浜市側の水道を大学に給水するように要請したのに対し、一方で左岸(川崎側)は二ヶ領用水の恩恵を受けている、といったように、それぞれの土地利用・水の利用方法の方針の違いが明らかになったことが日吉村が分かれた要因だったようです。



おまけ。
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鹿島田の方にあったハーモニカ状の橋跡。
すぐお隣の堀跡(親水緑道となっている)には橋名がついていたようですが、こちらはいまなお判明せず。







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三菱ふそうのカッコいい部位。
ここの道も水路跡。





























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組み合わせの妙が非常にそそられるお店でした
















寄せていただいたコメントで「海を見ていた道灌さん」という視点を改めて頂戴し、春の夢見ヶ崎周辺再訪&矢上川を渡って「元はつながっていた?加瀬山と日吉台地体感」の日々が待ち遠しいです。


・・・いったいどんな岬だったんでしょう。英語でもcliff 、cape、 point、って色々呼び方が違うし。。
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by onnbubatta | 2014-02-20 14:15 | 神奈川 | Comments(8)
Commented by 猫またぎ at 2014-02-20 19:30 x
おお、二ヶ領用水の領域に入ってきましたね!

前半の暗渠は「小倉堀」の支堀かな、くらいに思ってました。

後半の暗渠は、「苅宿堀(かりやどぼり)」の一部だと思っていました。
手元の資料「二ヶ領用水環境マップ」の地図ではそんな感じに見えます。
あとでツイッターに画像アップしときましょうか。

二ヶ領用水はほとんど歩いたつもりですが、途中で報告をやめ、大量にお蔵入りさせちゃいました。
Commented by onnbubatta at 2014-02-21 09:26
>猫またぎさん
はい、皆さんが記事にされたり歩かれたりしている「二ヶ領用水」系統、入口に立ったばかりで、まだ仮免中という感じです。
用水図もありがとうございました。図をどんどん上にスクロールしてしまいそうな衝動に駆られました。圧倒される用水網ですね。
私は主に幸区の資料を見ていて、それには加瀬堀とあったのですが
上流の方に行くと苅宿堀だったのですね。

これだけの用水網、歩かれただけでも偉業だと思います。
次々に行きたいところが出てきて、編集が後回しになり気づくと時が経過してしまう・・事が私にもよくあります。
蔵出し待っております~。
Commented by 秋草文壺 at 2015-08-02 19:50 x
すごくワクワクする記事ですね!
地元以外の意地でも自分が探検しているみたいで面白いです。
一点修正。
秋草文壺が収蔵されているのは、国立科学博物館ではなく、東京国立博物館です。
重箱の隅をつつくようですが、ご助言申し上げます。
Commented by onnbubatta at 2015-08-02 22:26
>秋草文壺様
はじめまして、コメントを寄せていただきありがとうございます。
秋草文壺の件教えて下さりありがとうございます。確かに東京国立博物館でしたね。上野というだけで混同していて長い間このような状態になっていたようです。。
是非夢見ヶ崎の岬にお出掛けになってみて下さい。今後とも宜しくお願い致します。
Commented by こおり at 2015-08-15 22:55 x
匿名あらため「こおり」と各地で称しておるものでございます。

「ガラスの建物は日吉庁舎」の写真の前の小道に、かつて川崎市役所日吉出張所がありました。(昭和20から40年代)
その後、加瀬山の山腹、今の駐車場の左側部分に新築移転して、現在は山を少し下った道路の左(加瀬山に向かって)に移転しましたね。

加瀬山西部の崖は当時もこの坂道が土の坂道で山の上につながっていました。団地が建て込んでいましたが、今はこんなに更地なんですね。
白山古墳だったらしいところは、漫画の二十世紀少年の秘密基地のような笹が茂った高台がありました。もちろん、罠を作ったりして遊んでました。(笑)

谷戸については、北加瀬側の地名なんで詳しくないですが、やはりあっちから切通しみたいになった部分を抜けて南加瀬側の村落にに至るのが、昔は人通りがあった往来だったんでしょう。
旧家は加瀬山の山腹に屋敷を連ねていて、大昔は南加瀬の低地はほとんど田畑だったはず。
昭和30年代は、まだ田畑がかなり残り、鶴見川の氾濫原も残っていました。(現・処理場や河畔のマンション)

「池付」という名称も自治会(町内会)であったはず。越路、国鉄官舎、東前、原、辻、岩瀬、等々、今の6自治会に統合される前には、数十軒の自治会なんてのもいくつかありました。
こういう近過去の情報は、今のネット上には古地図ほどにも残っていませんねぇ。(嘆息)
Commented by onnbubatta at 2015-08-16 12:11
>こおりさま
日吉出張所、割と場所を移動しているのですね。出張所自体が動いているかのような。幸区の庁舎も今年になって新庁舎になったようですね。
土の坂道とは驚きました。山道そのものですね。先日頂いたコメントで加瀬山で遊んでいらしたとの事でしたので、探検ごっこ等を想像していたのですがそんな秘密めいた場所があったんですね。落とし穴とかでしょうか(笑)南関東最大級の前方後円墳跡地付近で遊んだ経験、とても貴重だと感じます。
「谷戸」に近接して「越路」の地名も見られるので南北に抜ける為に人通りのあった、谷戸を利用した重要な路だったのではと考えています。ここの通りと、一本矢上川よりのバス通りくらいしか加瀬山を南北に通過できる道が無かったように見えます(古い地図で確認)。
自治会や町内会の名称は地名歴史の宝庫だと思いますので、その変遷を伺える事が出来てありがたく思います。近過去情報、地図や町の歴史等々は大きな図書館で資料に当たるか地元に詳しい方から聞き書きした資料を参考にするか等の手段になるので、すぐに調べられなくてもどかしい時も多いですよね、本当に。
Commented by こおり at 2015-08-18 14:39 x
その後、ほかのコメントにもありました航空写真などを見てみると、秘密基地の小山は、
> 上空からの画像で見るとこのような感じ。
> 加瀬山南東部よりも更にスパっと切り込んだ印象を受けます。
の写真で囲んだ旧官舎のエリアに見える不自然な卵型の空き地にあったことが、ほぼ判明しました。
1960年代の写真では卵型の茂みのある高台ですが、1970年の写真だとかなり削られたようで、それ以降では敷地と同じ平面の空き地になったようです。
天照皇大神は、南加瀬中からまっすぐ一本道を北に走って階段を登るという部活動のランニングコースでしたが、その後「夢小」ができて分断されてしまいましたが、もうそんな遠くまで走っては行かないんでしょうね。
Commented by onnbubatta at 2015-08-19 11:56
>こおりさま
今の「北加瀬熊野台公園」の敷地に該当する箇所でしょうか?私が通った際は新しい感じの公園で何も考えずに通過していた場所です(ネットで調べるとこの公園に白山古墳の碑が設置されているとの事:白山古墳の位置自体は白山幼稚園の西側でこの場所ではないらしい)。私も気になって、航空写真や地形図で変遷を追ってみましたら、(私は船or空母のような形に見えました)
まず航空写真→1966年の段階では、こおりさまのお話と同様に官舎の西脇(それ以前の年代と比較するとこの時期に官舎が一度建替えられている)に不自然な小山が残り、70年代に入ると地型は残っているような印象ですが高さは相当削平された印象ですね。
地形図では、横浜市が公開している地形図(s38)の綱島エリアhttp://www.city.yokohama.jp/me/machi/kikaku/cityplan/gis/map30s/82-5.htmlにて不自然な高まりが図示されていますね。
どういった経緯でこの小山がポッコリと残されていたのか、昨日からとても気になっています。谷戸地名の記述でも触れたように、白山幼稚園辺りを谷頭として北側から小規模な谷戸が開析しているので、小山の辺りはちょうど山と崖の境界地点に相当するようなのですが。。
米軍空中写真の閲覧、のめり込んでしまいますね。三菱自動車のテストコースらしきものも見られて興奮してしまいました。
部活動のランニングコース、「登山」が組み込まれているかなり本格的なコースで鍛えられそうですね。


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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