新河岸川旧流路遊歩~取り残されし蛇行を見に行く

三日月湖。それは誰しもがふと気になるところ。
あなたの心や記憶にも、今なお水を湛える三日月湖はありますか。。

各地の「暗渠」に光が当てられつつある昨今。
三日月湖旋風も巻き起こりそうな。



前回、志木市と朝霞市を行きつ戻りつする「野火止用水分流跡」をご紹介しましたが、

そもそも志木市に来たいと思ったのは、ふと地図を眺めていて

新河岸川左岸に展開する激しくも狂おしい蛇行の跡を一度見てみたい」と

強く思ったからなのです。

しかもその周辺では「和光富士見バイパス」道路事業が進行しつつある現状。


旧流路の蛇行は数か所ありますが、蛇行の際に位置する「下の宮氷川神社」にも興味があったので
志木市の宗岡第二中学辺りから歩き始めることに決めました。
(携帯で「宗岡」と入力すると「宗男か」と推測調になってしまう我が機種・・)

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流路の変遷を経て、市境界も入り組んでいます。
天狗の鼻のようなポイントも。

新河岸川の「九十九曲り」と呼ばれる蛇行。蛇行している事で流れが緩慢になり水深も確保できて、舟運には都合が良かったそうです。










でもそうなると水害の危険性も当然増しますが
この地域の歴史資料を拝見していると、
「川は氾濫するもの」
という前提で、村を囲う堤防や、水塚を作って備えたり。

また、もう一方の大河である荒川が氾濫すると、「えぐみ」と呼ばれる肥えた土が入るため、宗岡では大変美味しいお米が出来たとの事。

川は自由に流れさせる。

達観しているような、深い深い言葉です。


志木市の低地エリア、こちら側が「志木市探索」にはまった原動力となる魅惑のエリア。

「ゲール(蛙)のションベンでも水が出る」(蛙の小便ほどの雨量でも水害になる)と云われた志木・朝霞低地エリアを歩いて行きます。


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武蔵野線「北朝霞」駅で下車してバスに乗り、宮戸橋で降ります。
余り歴史的な下調べはせず、体当たりで。

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とぼとぼ歩いていると、土手のような形状の路に出て、そこには釣堀の看板が。
「つりぼり ひのつめ園」











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離れた場所からの撮影


















しゃもじのような形の先が市境界を成す旧流路。
その上辺が釣堀として残されていました。

しゃもじの左辺に当たる旧流路(西側・宗岡三小と接する箇所)も釣堀でしたが、平成9年以降に埋め立てられて小学校の校庭敷地となったそうです。

しゃもじの中は朝霞市宮戸。ふるい地名では北井房中袋。

隣の気になる水面は「朝霞水路沈砂池」。
管轄の水資源機構の説明によると、「荒川」の秋ヶ瀬取水堰から取水した「利根川」の水を
ここへ導いて、東京の都市用水の供給・はたまた隅田川の浄化に使用するための施設です。

何だか不思議な説明・・・荒川の水面を使いながら、流れているのは利根川の水だなんて・・・


さて、つりぼりひのつめ園。ここの近くの別の場所にも「樋の詰」という地名があります。
以前、川口市で「芝樋ノ爪」という興味深い響きの地名に出会ってからずっと気になっていました。
用水の「樋」が勿論一番意味として通るのですが、樋、はたたら製鉄関連の地名として伝わる地方もあるとか。川口には「金山」もあるし鋳物とつながる可能性もあるのかな、と推測していました。

当地域における「樋の詰」の解釈として、「郷土志木の地名」に依拠するに、

「いろは樋によって宗岡に注がれた野火止用水が、中宗岡を経て中堤(※現在消滅)
へと流入し、その末尾は新河岸川に落ち込む訳だが、この地はその寸前の灌漑地であり、最も樋の詰(尽きるところ)にあることから、この名が生じたと・・・

ツメ、は先端の意。また市内で見られる資料に日詰、樋爪などの文字も見られるが、日が詰まる→月末の
意であり、廿九日(ひづめ)、つまり毎月二十九日に定期市を開く土地にこの名が多いようである。

また「ひずめ」で馬に関係のある地名とも考えられる。(隣接する地域の内間木=内牧との関連)」


「中堤」や「樋詰」については後々また登場します。

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冒頭で「土手のような路」と書いたのですが
その後調べてみたら、「新田場堤」と呼ばれ、村一帯を水害から守る輪中のような堤防の一環で
江戸時代に築かれたものだそうです。




すぐ上の地図では、真ん中より少し上に横断する道。荒川の土手まで弧を描くように続いています。
この道を歩いてほどなくして、

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建設中のバイパスが堤を斜めに横断していました。
ここは工事事業の「モデル区間」とされている箇所。












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赤いアイコンの辺り。
斜めに道路計画があり、用地が確保されている区間がある事がわかります。





和光富士見バイパスは川越街道(254号線)の混雑解消の為に昭和50年代に計画され、
当初は二層式の合計8車線の予定だったものの、その後の経済社会情勢を勘案して
2008年に新たに平面4車線の構造を採用したとの事。
(見直し理由の一つとして、宗岡地区の地盤が軟弱であり地下水位が高い事、流域下水道管の本管等大規模埋設施設の存在が判明した、との資料有。。最初から判りそうな気も・・)



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ピンクのマル囲み区間までが既に開通していて(オレンジの道路)
その間の区間が現在工事中や収用中という事でいいのかな?















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予定ルートの別地点で見かけた反対看板。(おそらく計画改定以前)
立体構造の上段高架が自動車専用の4車線、下が国道4車線。
この絵柄のトーンもちょっとホラー入ってるかも・・・












この道路が整備される事で国道254号線川越街道の混雑が解消され、周辺の生活道路への
車両の流入を防ぐ事が可能になる等々。
それに関係あるのか、この辺りでは車に対するヘビーな「速度抑制物」が見られます。
これはその中の「狭さく」タイプ。近くの荒川沿いにはハンプと呼ばれる段差もあります。

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これとか。
エルグランドは一旦停止してから徐行して通過していきました。













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ああ・・・






























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????・・・!





















相当のダメージを受けています。







宗岡第二中の所まで歩いてくると、江戸時代の堤を歩いているわけで、真ん中(道路)は盛り上がって
両端は低くなっています。

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新田場堤。堤の両斜面に沿って木が植えられています。
右側が中学校。


























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あらあら・・・
ちょっとネグレクトされている感じ・・・
「応急処置」がいつしか「本処置」になってしまった感。


























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ミミズのようなポンプが突っ込まれていました。




























堤下の水路に、石造りの思わぬものを発見!

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「篭島門扉」。
石造りのアーチ型樋門として県内唯一のもの・・・
そんな水遺構に偶然出会うことが出来ました!感動。
「明治28年5月」と刻まれているそうです。字が刻まれているのはわかりました。

こちらは堤内側。


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旧堤防を挟んで、堤外側に当たる中学校入口にこんなお知らせが。













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覗いたけれど、残念ながら見えませんでした(泣)












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後で調べると、「堤外側の水位が上がると水圧で自動的に閉鎖する観音開きの門扉が設けられていましたが、現在はその前面に昇降式の扉(金属製)が取り付けられており著しく原型を損ねています」





河川の堤防には所々に水路(雨水・農業用水・生活排水・悪水)が貫通しており、これら堤内水を川へ流し出す働きをします。普段は開放され、川が増水した際は扉を閉めて逆流を防いでいます。

こうした「堤防内を貫通する構造物」はかつては圦または圦樋と呼ばれていましたが、近代に入り
門扉・樋門・樋管等の呼称も加わりました。(志木市の宗岡周辺ではあちこちで見られます。前回記事の
田子山樋管もその一つ)現代では樋門・樋管が一般的で、より大規模で堤防を切り、上部が開放されている
ものを水門と呼ぶそうです。

さて、新田場堤の北側の水路はいつしか蓋暗渠に変わっていました。

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土手に沿って植えられているのは桜?
また来てみたいなあ・・・




























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土手際に小さな祠と鳥居がありました。
場所は「新田治水広場」という小公園脇。













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ここを右に入っていくと、中学校に沿った水路も見えるし氷川神社にも行けるはず。














ちなみに・・・
左向きに天狗の鼻のように突出している市境界の箇所は水路跡の溝としては残っていましたが、
訪問時は水の流れは無し。奥が社有地に面しているので辿れません。
また周りは杭が立てられており、道路の収用地となっている様子でした。


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水路跡の境目がわかりにくいですが、現状このような感じ。
天狗の鼻の上下とも似たような状態です。
こんな近距離で蛇行するなんてもうどうにかしてるね。
























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すみません、話戻ります。紫アイコンの地点を入ったところです。
おお、うねるように中学校に沿う水路です。
ここも新河岸川の旧流路にあたるのかな・・・?
古地図の時期によって、微妙に流路が変わっているので正確な所はよくわかりませんが。





ある時期では、宗岡二中の敷地北辺をホールドするような形で川が巻いている地図も
ありました。

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川床の半分以上に土が堆積して草が生えています。





























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下の宮氷川神社の入口にあった四本の柱のようなもの。
その全てに長方形の穴が開いています。









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珍しい「北面の神社」との事。
宗岡は、上から下へ向かって村が開けていき、観応二年(1351年)に鎮守も上から下へ分祀され創建されたのがここ下の宮氷川神社。
上の氷川神社に対して「下の宮」と云われる由縁で、当社が北を向いているのは上の氷川神社を向いているのであり、このような配置からは、向かい合った神社の恩恵を受けて村内が守られるという、当時の人々の願いが感じられるそうです。


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一堂に会す水の神様。
水天宮は確認していませんが、他の水神様は背面に天保・明治・嘉永期の銘が刻まれています。










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神社の背後、写真左奥の道なきところの行きつく先に地図では池のような水溜まりが見て取れるのですが
手前が山のように盛り上がっていることもあり確認できません。




googleの航空写真でも水面には見えなかったので、通常は水が無く、雨の時にできる池なのでしょうか。

その池のような沼のような地点も、バイパス用地にかかっているようですが(朝霞市に属する)
現状歩いた範囲では明確な変化は確認できませんでした

そして先程の石の柱には「昭和拾年」の銘がありました。


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あれあれ、護岸に何か引っ掛かってるよ!?














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まさかの・・・
大八車!?

収納場所なのか、「見せるインテリア」か、微妙な均衡で滑落しかかっているのが寸止めされている状況なのか。憶測が広がります。



そもそも学校の備品なのかどうかも。
技術家庭の時間に皆で力を合わせて作成した大作とか!?・・・
大八車、若い方はご存知ないかも。。。?


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いても何ら不思議ではありません。
ぐらいの境地に至ってきました。












新田場堤に戻って、東の方へ歩いて行きます。











↓そして次に堤防上で見かけたのがこれです。最初は通り過ぎたのですが、気になって引き返しました。
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竹藪の脇にハンドルみたいなものが。
水門かな?





























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これは、先程見た、篭島門扉のような施設では?と思い、堤防を挟んで反対側(堤内側)を見ると。。

こんな場所で煉瓦造りの歴史的遺構を目にするとは思ってもみませんでした。
(静かな農村、という感じでしたし)

「明治33年6月」の銘が見えます(写真では判りづらいかも)

残念なことに、現役で稼働しているものではないようで、ごみ袋(かな?)が堆積しています。


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ハンドルの真下は畑地になっていて、遺構の姿も確認しづらくなっていました。

明治時代の煉瓦造り樋門遺構がこういった現況・・・






こちらの遺構についても調べてみました。
名称は、「新田圦樋」。ハンドル操作による上下昇降式門扉が設置されているとの事。
ハンドルは新しいものに見えたから、もしかして動かす時もあるのかな?と淡い期待。

場所は篭島門扉の東300m程の新田場堤。

ここからは内間木通りという古くからある道を南下するのですが、付近には残土の処理場のような施設が
多く大型トラックが頻繁に行き交い、人の歩く所ではないかも、というのが正直な感想。
土埃も凄くてマスクが必要です。


一気にご紹介しようと考えていましたが、画像量が多くなり全体の分量もきつくなってきたので
次回に続きます・・・
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by onnbubatta | 2014-03-13 17:05 | 新河岸川 | Comments(0)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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