川崎の入江崎~観音川河口突端、海中に建っていた石碑

以前古地図でその存在に気づいてから、どうしても行ってみたかった場所。

それは、川崎の観音川河口、東京湾の海中に建っていたという石碑、「徳本上人碑」。
何故このような場所に・・・


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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成・加筆したものです。
(1927~1939年で表示)


はじめて見た時は、波打ち際というか陸地の際のような場所に立地しているのかと思っていましたが、調べてみるとかつては海中に建っていたものだという事。そして現在は埋め立て工事により、海面から入江崎公園に移転しているそうです。。

何だかドラマティックで心くすぐるこの石碑。
現地がどんな場所かよく把握していなかったのですが、先般の川崎酔いどれ舟旅の延長で改めて現地に行ってきました。
(観音川の暗渠も少し確認できればいいなという意識で。)

前回と同じく臨港バスに揺られて、JFE池上正門で下車。
二回目の乗車で気づいたのは、臨港バスの運転席右上のスペースに、川崎大師のお札を差し込むスロットみたいなものがちゃんと設置されている事。

さて、降りたのは良いのですが周囲は大工場ばかりで、ふらふら散策的に歩いている人などおりません・・・
公園にどこから入って行けばいいのかもわからず、暫く彷徨っていました。

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そんな時に現われたのが、この橋跡(?)。
「入江橋」と書いてあるものの、何らかの施設仕様で、今ひとつ橋跡らしい情感なし。


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これらの写真では見えませんが、水色の桁のような物体の下に「川崎市水道~~」の表記が確認できたり、昭和電工の何らかの流体が送られている設備があったり。

ここらはやはり昭和電工なのですな。大島に社宅や施設が控えていたしね。

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レシートの紙屑?がいい味。電話番号も併記の妙味。


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昭和電工 川崎工場マンホール。

お天気も良くて、昭和電工疑獄事件とか、そんな用語が似合わず吹き飛ばされてしまう。


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入江橋の対岸はこのような重厚なビジュアル&妖艶なアーチ。
観音川の現在のエンド一帯はJFEの工場に沿った形で、(地図上で確認すると工場にエンクロージャーされているように見える)ここから河口までは開渠になっている模様なのですが、確認は断念。

そもそも現地にいた際は、入江橋のあまりの情感の少なさに、観音川の橋だという認識すら薄かった(反省点)。


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貨物線(臨港鉄道水江線)に沿って行けば公園に辿り着けるはず。。
画像、線路の右側は入江崎水処理センターで、川崎市で最初に稼働した(昭和36年)下水処理施設。
ドイツ表現主義的な(様式違うかも)塔に目を奪われます。

 
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線路脇に様々な構造物が残置されていて、ちょっとフリーダムな様相。。

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線路の反対側は入江崎クリーンセンター。こちらにも、お化け煙突を彷彿とさせる年月を経た感じの煙突が空を目指していました。
繁茂した雑草と共に、伸びゆく象徴的な写真が撮れた事に満足です。

終末処理的な施設に囲まれつつ、そんなこんなで、掻き分けるようにようやく入江崎公園到着。
公園というよりは、空き地のような印象。


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これか・・・!

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江戸小石川一行院中興開祖!小石川関係の!

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「塩浜今昔会」・・・何て素敵な団体なんだ。

「川崎の町名」に拠ると、
この辺り(入江崎公園)付近は工場用地として埋め立てられる以前の昭和初期までは、観音川と塩浜川が出会う河口で、北ノ先と呼ばれていた地であったそうです。(冒頭の今昔マップ古地図の方にも当該地名が見てとれます。)
(アンダーラインを引いた「観音川・塩浜川」については後述します)
ここは海上で漁をしていた漁師が漁網にかかった大師像を船から陸に引き上げた所と云われ、現在塩浜二丁目の北ノ崎児童公園にその地名が残っています。

その北ノ先の突端海中に文化13年に建立されたのが「徳本上人碑」で、
江戸時代末期に遊行の僧として諸国を歩いた徳本上人が各地に念仏講と念仏碑を残し、独特の書体と花押の碑は「トッコン様」と呼ばれて、川崎市内にも六基存在する中、最大のものがこちらの場所にある石碑になるそうです。

この北ノ先の地、というかこの特異な場所に碑が建立された理由は、
  ①前述の大師像が引き上げられた地点に因む説の他、
  ②この観音川河口沖は船がよく難破して溺死体があがったことから、供養のために上人が巡錫の折に碑を建てた
ようなことが言われているそうです。



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この大きな石碑は、沖を通る船の目印となり、北ノ先の突端は「徳本鼻」と呼ばれていたそうです。
・・・ああ。姥ヶ森に次いで再び船の目印。そして鼻地名。突端。どうしてくれよう。シンボリック過ぎる。
「独特の書体」、カリグラフィーの如き流線美。
五感を突っついてくるなあ・・・
波に晒されていた過去を纏いながら、現在はこのような落ち着いたどっしりとした佇まい。

観音川のもう少し上流に弁天様があるのですが(今回探訪断念)、その弁天社で毎年行われた舟祭りでは海苔や漁業の豊漁を祈願して、五尺型十人乗りの新造船を華やかに飾り付け(化粧船)舟を三バイつないで囃し立てながら観音川を下り、「トッコン崎」へとくり出して、海上で神主が祝詞をあげて神酒をまいて帰るというもので、当日は早くから銭湯が開いて身を清めてから祭りに参加し、夜は弁天社で神楽が奉納されたということです。
銭湯の話が出てくるあたり、生活史との関わりがいきいきしてきます。

昭和12年頃の舟祭りの写真を見ると、華やかな旗が連なり、イナバの物置並みに船に大勢の人々が乗っている様子が映っていて、当時の祭りの盛大さが伝わってきます。



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  オレンジの丸で囲った場所が入江崎公園。その左を掠めている緑道表示部分が観音川の暗渠なのですが、ちょっと観察しにくい雰囲気の場所だったので断腸の思いで断念。(略してダンダン)
開渠と緑道表示?の境目が上述の「入江橋」、緑道表示?と東海道貨物線(画像上部を横断している)の交わる辺りが「川口橋」。

アンダーラインを引いた「川崎の町名」の「塩浜川」については、具体的にどの流れを指すのか、はっきりとはわからなかったのですが

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ピンクのラインの流れを指すので良いのではないでしょうか。
(ピンクのラインに沿った屈曲道は砂州だそうです。ここも歩きたかったな・・・)
水色が観音川、これが落ち合う辺りが入江崎(オレンジ)とすると。
このワラジヤさんの昭和41年地図で見ると(大雑把な図であるけど)、河口幅広いですね。

入江崎公園の周辺は広大な川崎化成の跡地等も拡がっていたり。
あまり人を見掛けないし(意外に民家も何軒かある)、何だか一人で歩いているのもの寂しい雰囲気だったので滞在時間は僅かでした。




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工場地帯に鮮烈な彩りを。安全工事体感訓練センター。


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JFE池上正門にある、鋼鉄製?のオブジェ。上へ!上へ!


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思い出したのは、一昨年学芸大学で見掛けた薬局のサイン。


ここから、大島・桜本方面へちょっとお買い物がてら歩こうかと思ったら、衝撃の物体に遭遇しました。


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自転車のかごに、お人形(ミルク飲み人形みたいなの)が!
場所は、川崎臨港警察署前信号交差点辺り。食堂の跡地のような場所・・・

川崎はいつだって俺たちの度肝を抜いてくれるのさ。
ぼうっと歩いていたからね。たぶんある種の目的を持って此処にザインしていたんだと思う、この子。。

河口で人形に話しかけられる経験も稀有なものでした。

池藤橋の信号まで真っ直ぐ歩いて行って、少し北に入って観音川の流れていた屈曲道をふらふらしつつ(弁天社を目指したのですが、少し疲れてしまった・・・この時点ではこの弁天社の縁起とか化粧船の話も知らなかったので)、桜本方面へ進みました。


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紫がお人形の居場所、ブルーの線が観音川の流れ。

観音川は元々は池上新田の開発によって作られた川で、石観音の前を通ることから「観音川」と呼ばれ、上流は「六百代川(むそしろ)」、藤崎辺りでは「サンゼム川(大島村の三左衛門に因む)」とも呼ばれ、五ヶ村の田に用いた水を排水する悪水路で池上新田を廻り込んで海へ達していたといいます。
明治~昭和30年代頃までは海苔業が盛んだったため、川筋の河岸には船溜まりが幾つもあり、弁天社と石観音付近には「観音河岸」があったということです。

石観音像は縁起が伝える所に拠ると、「正保年間に海中より出現の霊石」だそう・・・
弁天社に隣接するというこの石観音、あきらめずに行けば良かったな。改めて。


実際歩いた時は、池藤橋の信号を渡って桜本側に入った時点でぷっつりと観音川の事は忘却の彼方に流れていたのですが・・・
そんな不肖なわたくしめに喝を注入してくれたのは

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「くわっ!川コンシャスで行動せよ!」予期せぬ橋跡!。しかもかなり上等な一品。

・・・とこちらの案件は記憶の片隅にあったはず。徳本上人碑、大島劇場、姥ヶ森弁財天が紹介されている「川崎のたからものシート」で見たことがあったかも。。?
名前がよく解らないのが残念。


筋弛緩剤事件の舞台の病院前などを通り過ぎると、韓国料理のお店が現れてきて、ああ無事再訪できたなと実感できました。
この先の「さくら小学校」、元の桜本小学校で、昭和32年製作の東映の記録映画「煤煙の街の子供たち」の1シーンが撮影されたそうです。
「川崎の町名」でこの事に触れており、

「・・・煤煙の恐ろしさを強調するあまり、一部手を加えたため、のちに問題となったこの映画は川崎を公害の都市としてその名を全国に知れ渡らせました。しかし此の事を契機に煤煙防止の機運は高まり、三年後には市の公害防止条例が交付施行されました。」

どんな加工手法だったのか、気になります。。真っ黒のモックモクにしたのでしょうか・・・?

桜本界隈でキムチを購入した後は、前回の帰り道で気になった鶴見の本町通り商店街へ少しだけ寄り道をすることに
夜の帳が降りる頃、バスで通過したのですが車窓からの景色に心を奪われました。旧くからある道の匂いもするし。

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まずは、夕暮れの中でぼんやりと浮かび上がる赤いボンボリの灯が印象的だった三角形の地型の観音様へ。

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昼間はまた違った印象で、割とはっきりとした色彩。
お屋根の名乗りも明確で判り易いです。
どんな云われがあるのか、奥へ進んで確認しようとすると・・・



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由来以前に、右側の壁画は・・・?
隣接する店舗(クリーニング屋さん)とは関連付けが無いようだし・・・
確かにwonder land。バスから見えた時は気づかなかった・・・


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「・・かたじけなくも仏縁により再現され、当時潮田本町商工会はこれを奇とし、広大無辺の功徳をあまねく世人に及ぼそうと・・・」

  姥ヶ森もそうだったのだけど、由来を記した説明版の文体というか話の流れが独特で興味深い。

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どうしかものか・・
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お休みになっている人もいたのですが

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曰く、WONDER・・・


商店街は閉まってるお店も見られ、静かな雰囲気。スピーカーの割れた音から流れる嵐の曲が印象に残りました。
介護拠点や、マイバスケットのようなミニスーパーが店舗として目についたかな。

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こちらは吉永小百合さんでしょうか?(別人にも見えまする。私は浜木綿子さんに似ているかな~と。)
シャッター壁画だと、レポート用紙のような線が入って思わぬ効果を生み出すなあなどと。
一階店舗と上階の店舗が併記されているのか、二毛作のような業態なのか、気になります。


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「鶴見名物 亀の甲せんべい」と掲げられたお店。
海由来のアイテムだったので思わず撮影。こう、現在は陸なのにかつての海を感じさせてくれるものには反応強めなのです。


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こちらのお店も、バスから見えて感動したお店。
最高峰という看板も秀逸ですし、何より昔の日本鋼管鶴見造船の社名が残っているのに感銘を受けました。
工場の人の背広を請け負っていたのでしょうか?

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鶴見川の橋を渡る直前に見たお店だったので、より心に刻まれたお店でした。


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鶴見駅前。音楽の都でお蕎麦をすすれるらしい。
あ、でも擬音語の「うぃーん」かもしれない。決めつけちゃだめよね。うぃ~ん




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初回の、川崎舟旅の最後の行程でお世話になった横浜市営バス。(舟)

俺たちのソサエティに君臨する舟たちよ。

(横浜市営バス、で検索すると予測変換で「横浜市営バス プリキュア」が候補としてサジェストされたのも面白かったです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記:観音川の石観音と弁天社(11月下旬再訪)





青アイコンが石観音、斜め向かい赤いアイコンが弁天社。




石観音の門に掲げられた「潮音殿」の額。
波の音が聴こえるかい。

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門をくぐってすぐ右手にある「霊亀の助けによって海中から引き揚げられた」手水石。
石の中央部辺りに継ぎ目があったり、穿ち穴のようなものがあったり。

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こちらは弁天社。赤い方が弁天社、白い方は八海提頭羅神王を祀っているそうです。

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敷地が東西に長く、笹かまやなまこ餅のような形状で、社殿に対して空きスペースの割合が広いのが印象的。
舟祭りの際に人々が集って気勢をあげていたのでしょうか。
また、間口が広いわりに正式に出入り出来るのが北側の一角だけなのが面白かったです。単に管理上の措置かもしれませんが。

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付近には風呂屋さん(浴槽屋さん?)や床屋さん。
縞々が鮮やかでUSAっぽいな。
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カーブミラーまで縁取り。縞々が印象に残る一角でした。

川崎には曇天が実によく似あう。。と思いを新たにしたその時・・・


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「御自由にどうぞ!」と貼り紙をされて屋外の、しかもマンホールを台座に据えて置かれた胸像にまたしてもびっくり。
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背後のススキみたいな草とのコントラストが、少し険しい表情、、悲哀美を感じさせます。
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等々力~入江崎、と地名表記のあるマンホール。
行先が書かれているっていいね。












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by onnbubatta | 2015-11-15 09:56 | 神奈川 | Comments(8)
Commented by sumizome_sakura at 2015-11-21 19:09 x
ああ、そうか! 徳本上人は文京区ローカルな枝垂桜の名所、一行院の開祖の人か。
両方で知ってはいたのですが、同じ人だと意識してませんでした(^^;;。

「かわさき区の宝物シート」は味がありますよね。石観音のは特に好きです。少し前ですが、あれをもって、石観音川の跡を歩いたことがあります。川や岸の感じがまだよく残っていて、人や物が頻りに往き来してた様子が偲べました。
さらに昔、多摩川下流部だった頃は、また全く別の景色だったのでしょうが。

あの一帯は水辺だけでなく、石も目立つ場所で。上人碑も、石といえば石ですが。
水と石の組合せの霊力は、ヨーロッパだと大天使ミカエルの名がつくことが多く(Mont Saint-MichelとかSkellig Michaelとか)、アジア東部だと観世音菩薩になります。

そういう意味では「石観音」は実は大変濃い地名なんですが、その水と石が、海中の岩山や滝の岩壁じゃなくて、亀みたいに、水面すれすれとか、水中に沈んでたりする石なのが、なんともいえず、いいですね。
垂直の高さに集まるのではなく、水平に薄く広がる「霊地」を象徴する感じで。このあたりでは「シマ」も「ミサキ」も、そんな風にプカプカしてたんじゃないでしょうかww。
Commented by onnbubatta at 2015-11-23 11:37
>sumizome_sakuraさま
小石川の一行院、と聞いて伝通院付近の伝通院グループのお寺・・?と思い込んでいたら、千石のお寺なんですね!馴染みの界隈にも関わらず全くノーマークでした。まさか上人様が眠っておいでだったとは。。奇縁を感じます。今度行ってみますね。
(不思議な事に小石川、千石で文章中にも石がごろごろしていますが、)今回の旅というか観音川に通底している存在が海中から陸に上がった石なんですよね。平間寺の縁起とも共通する漂着神~よりくる神への信仰を強く感じます。
水と石の霊力のお話、大変興味深いです。当たり前のように耳にしていたモンサンミッシェルもそういった力を宿していたのですね。石観音とはたった三文字なのになんてストレートで強力な存在なんでしょうか。。今更乍ら打ちのめされそうです。

。。と衝動的に昨日石観音に行ってきました。西方の阿弥陀浄土を向いて建てられ、額には「潮音殿」と表されていて、中に入ると石だらけ。海から上がったという不思議な形状の手水(平安貴族の靴のような、なだらかな傾斜の形)が安置され、コンパクトな敷地内で石に囲まれてきました。こちらまで海水に浸ってしっとりと潤い、石と同化してきましたよ。
観音川、川崎区の中であれだけ鮮やかに、これ見よがしに湾曲した道で、人工の排水路と云われて理解が出来ない部分もあったのですが、多摩川の一部だったのですね。つくづく、たからものシート最高。PDF形式なのも小袋に収められたものを開封するかのようで好感が持てます~。

敢えて海中に建立されし石碑に惹かれて導かれ、今やっと観音川のベカ舟に乗れた気分です。観音川は、意識しようとしたり近づこうとしたりすると遠ざかっていくような間柄だったので・・

亀みたいに水面すれすれ、こちらの語をいただけて何かがつながるようで至福です。なだらかな形で浮かんだり沈んだり。石観音の霊亀石から鶴見名物の亀の甲せんべいまで、自分がたまたま目にしたものが点々と符合しながら繫がっていくような感覚を覚えました。
Commented by sumizome_sakura at 2015-11-29 03:34 x
すみません、新しい記事がでたのに(笑)。

石観音に行かれたんですね。素晴らしい……。
なんで石があの辺にごろごろしているかは、式正英さんの『風土紀行』(之潮)に説明してありました。石観音の霊亀石は安山岩で、真鶴の小松石と同じ種類。たぶん伊豆半島から運搬途中に、事故で放棄されたのだろうと。
江戸城をつくるなど、江戸で使われた石材の多くは伊豆半島から運んだようですが、他の石も座礁や遭難で捨てられたものでは。船の往来が頻繁で、かつ事故もおきやすい。あらためて、この一帯が多摩川の河口デルタなんだなあ、と思いました。
まさに「よりくる神」の土地ですね。

川崎大師(平間寺)があるところの旧地名も「川中島」ですから、大師の南側にも流路があったはずで。「中島」や「渡田」も流路にちなんだ地名みたいです。

http://www.city.kawasaki.jp/250/cmsfiles/contents/0000005/5013/kawasakiku.pdf
「川崎区のなりたち」

http://www.tamagawa-kisui.jp/ref/ref35/ref-35.html
「多摩川の旧流路」

などに少し詳しく載っていました。

河口デルタや潟lagoonの神さまって、川の蛇行や合流点、湖沼の開水面の神さまと同じだと思うのですが。水平方向の異界の神さまはなかなか正体を見せてくれません。
Commented by onnbubatta at 2015-12-02 10:51
> sumizome_sakuraさま
とんでもない(笑)、ありがとうございます。
伊豆由来の石をやむなく投棄!捨てる神あれば拾う神あり・・・って大好きな詞なのですが、あまり大量になると更なる座礁の要因になりそうですよね。川崎デルタ一帯は、伊豆の石が沈んでたり、扇島の埋立に供するために千葉富津の浅間山を崩した土が土台になっていたり、異なる産地の土砂や石が交錯しているんだなあ・・

風土紀行、面白そうですね。川、神、更に石・・抱いた疑問にいつもスッと情報を下さる墨染桜さん、知の宝庫として拝ませて頂きたいです。

河口デルタの古地図もあらためて素晴らしいですね。何だか日頃からうっすらと認識はしていたけれど、多摩川のやりたい放題ぶりが鮮烈に地図に表されていて。かつてここまでの事を起こした多摩川が、元の記憶を秘めて今に至って何食わぬ顔して流れていると思うと怖れを感じずにはいられません。

”水平方向の異界の神さまの正体”・・・神様も生息環境の違いで役割が決まっていて、棲み分けが細分化されているのでしょうか。
例えば河口デルタの場合、汽水域の水面の神様、汽水域の泥の中の神様、葦のあいまの神様(笑)とか。
水平方向というのは河川や水路の中央部付近の神様・・・?
正体は、墨染桜さんではないかという声も一部で取り沙汰されているようです(笑)

今年は暗渠地形大ブレイクの年でしたが、来年辺りは「河口デルタ」や「石」が来そうな予感がしています。
Commented by sumizome_sakura at 2015-12-07 01:27 x
まあ、武蔵野台地の大きな谷筋は、黒目川も石神井川も神田川も渋谷川も目黒川も、結局、多摩川の川跡ですから。「スリバチ」も「暗渠」も「河口」も多摩川の川跡をうろちょろしているのかもしれません(^^

多摩川はもともと東北方向へ流れて荒川に合流していたのが、だんだん南の方向に遷ってきたそうです。だとすれば、現在の本来の多摩川の姿は、実は鶴見川と合流して一大デルタをつくっている状態なのではないか、と。
それがいくつもの堤防工事や干拓が重なって、今の流路に固定されているとすれば、川崎のこの一帯が妙に水っぽいのもわかる気がします。土地の低さ以上に、そういう「見えない」水っぽさに浸されている場所なんじゃないでしょうか。

そういう意味で、文京区後楽園の低地帯に通じるものがありそうですね。

水平/垂直方向の異界というのは民俗学の折口信夫の着想で、例えば「琉球の宗教」では、神が来る方向に「空から」と「海から」と二種類あることを述べています。同じような発想は他の分野にもあるようで、来訪神/降臨神という分類もあるそうです。
低地を歩くようになって、二つのちがいが気になり始めました。同じ異なるものでも、「空から」=垂直方向だと、地上との水準のちがいが明瞭ですが、「海から」=水平方向では、地上とのちがいはたんなる遠さ近さになる。だから、水平方向のは同水準にある異界だといえるかもしれません。

そういう異界の神さまって、親しいとともにとても怖い存在であるように思います。自分との違いが絶対的でない分、いつのまにか侵されたり、交じりあったりするので。垂直の神さまは「おりる」、水平の神さまは「つく」そうですが、「つく」は「憑く」でもありますよね。

開水面の女神さまは、そういう神格のような気がします。その先は……まだ考えられていません(^^;;。
Commented by onnbubatta at 2015-12-10 00:19
>sumizome_sakuraさま
そうか・・・所詮は多摩川の掌の上で転がされている我々の自己位置を再認識しました。堀跡や橋跡等の名残痕跡を追い求めて一喜一憂している日常が、可笑しく愉快になってきます。河口近くの低地を歩く際には「所詮はデルタ・・・」と口に出していまいそうです。(何故か肥沃な感じがしませんね)
東北方向に流れて荒川に合流、ですとまさに今埼玉を流れる荒川支流群と同じようスタイルになるんですね。まさかの荒川組、どちらが本支か主従が想像しづらいです。

水平方向の異界からの神様、兆しも薄くツツ―・・・と忍び寄るような感じで隣に居そうですね。海面からいらしてるのだとすると、干満の差が大きい干潟なんかではどんな働きをしているのでしょうか。

水平の神様について教えて頂いて以降は、「船憑き場」とか「辿り憑く」のような読み替えを無意識に、且つ過剰にしてしまいそうで少し震えています。

確かに地勢面の違いはあれど、川崎駅の南側方面、後楽付近の発している湿気に似ている所がある気がします。うまく表現できないのですが。

書ければですが、今年度lastの記事は文京区で行こうかと画策中です。
今年は何処を散策しても、自己を各地に放っても結局何らかの力が働いて、ブーメランの如く文京区返ってくるような一年でした。
Commented by sumizome_sakura at 2015-12-13 00:10 x
>海面からいらしてるのだとすると、干満の差が大きい干潟なんかではどんな働きをしているのでしょうか。

ああ、「海の彼方」から来る、というより、むしろ開水面にある島に出現して、それから水面をすうっと渡って来る感じですね。

神が降りる島、あるいは神が(そこから)来る島は、Mont Saint-MichelやSkellig Michaelや宗像の沖ノ島みたいな岩山が多いんですが、沖縄の久高島みたいな平坦な島もあります。
干潟はその極端な姿じゃないかと思っています。いわば干潮時に姿をみせる、水面すれずれの超平たい島。もう少し島っぽくなると砂州になります。

そういう場所に出現する神さまは、水平方向の性格が強いように思います。時おり出現する島に、時おり出現する神として。それに対して、垂直方向の神さまは天空と結びつくので、常にそこにある=遍在する神になりやすいようです。
Commented by onnbubatta at 2015-12-16 15:17
>sumizome_sakuraさま
干潟は島の一つの姿と捉えることもできるんですね。見えないけれど、時折見える島。見えている部分。
時間によって橋が渡ったような状態になる、そのこと自体が神の出現の条件として「揃う」感じがします。神秘と未知(でも全く知らない訳ではない)の世界ですね。
どうしても視覚的には須弥山のような山がちの島とかに目が行ってしまうのですが、均されたような形状の島にも惹かれるようになってきました。そういった地理的環境の神様、何をもたらしたり見守ったりしているのでしょうね。神とは、みたいな定義を改めて考えたりして。。
あと「時折出現」っていいですね。ぼんやりとしていて、定まっていない所。

「心の中の暗渠」と対峙する思想家を知っていますがw、「心の中の干潟」に気づき始めたかも知れない2015年末を迎えています。これは何だかヤバそうです。。


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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