薬師の泉からの流れ・・・?板橋区東坂下に僅かに遺る蓋暗渠

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冒頭から、この取り込み中みたいな画像であれなのですが・・・
ずっと地図にも記している水路跡で、かつ2回ほど過去に確認にも来ているはずなのですが、今回初めて蓋が3~4枚残っているのを現地で確認できました。



ブルーの金網とオレンジの金網、グループ化されているのかな。






場所はこちら。中山道と環八が交差する辺り。セブンタウン小豆沢という商業施設の近くです。
セブンタウン小豆沢は、かつての小豆沢ガーデン(ゴルフ・プールなどの運動施設)、更に遡ると大日本セルロイドという工場が立地していた場所です。近くに区立の小豆沢体育館のプールもあり、水とは深い関係のある土地のようです。
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過去の住宅地図において確認できた水路跡は上の地図の通り。
どこからか端を発して、新河岸川に注いでいた流れになります。ちょうど水路跡の表記の始点が「薬師の泉」(地図黄色い丸)に近いので、水源もそうなのかなと推測しますが、周囲が崖線なのでどこも水が出てきそうな地勢です。


過去記事~ここから東にある「小豆沢公園の鍵付き蓋暗渠」の記事はこちらです。宜しければお読みください。


薬師の泉は、「いたばしの河川」という昭和50年代に出された板橋の河川バイブル的な書において「現状荒れているのが惜しまれる」的な叙述があったのを鮮明に記憶しています。そうなった経緯はよくわかりませんが、平成初頭の住宅地図では「復元工事中」の表記が見てとれ、現在は「薬師の泉庭園」となっています。だいぶ前に中に入ったことがあり、酔芙容の花が艶やかに咲いていたのが印象に残っています。

追記:薬師の泉は現在区が管理する庭園ですが、昔は曹洞宗の「大善寺」という寺があった場所で、現在は台地上の「総泉寺」に吸収合併されています。板橋区教育委員会発行の「文化財シリーズ第75集・まち博ガイドブック」に拠れば「薬師の泉」の説明に於いて、
「・・・昭和の初めに造られた”亀山荘庭園”は戦後は荒れるに任せていたが、板橋区は復元を行い薬師の泉庭園として開園」との記載がありました。また、北豊島郡の地図を見るとこの辺り「大善寺谷津」という字名が飛び飛びに見られます。

崖下の寺が崖上の寺に吸収合併・・・寺の跡地の泉・・・荒れた庭園・・・ああ、心を寄せずにいられようか。。
心をかき乱されるしどうしようもなく惹かれていきます。

吸収された先の「総泉寺」も浅草からこの志村の台地上に移ってきた寺で、かつては芝の青松寺・高輪の泉岳寺とともに曹洞宗の江戸三ヶ寺の筆頭として栄えていたとの事。

総泉寺については記事の最後の方でも触れます。


何か、心をぐいぐいと寄せられる要素がどんどん出現してきました。


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当該水路跡、赤い丸で囲った所が水路跡の雰囲気を今でも残している箇所で、水路跡の南側は大日本印刷の敷地として利用されています。

大日本印刷、いつも良好な場所にあるイメージ・・・

その他の箇所は歩道になっています。

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赤丸部分の左側(西側)から。大日本印刷と駐車場の間に細い側溝が残されていました。
勇気を振り絞って一段下に降りてみると、服に沢山植物の種が付着しました。私が運び屋になります・・・
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護岸の石のようなものも確認できました。

コの字周りで、東側を確認しに行きます。

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赤丸右上辺り、水路跡が歩道に化けている箇所です。どきどきする瞬間。
君はどのようにして達するのか。
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あのさ、こういう土嚢の置かれ方って実にドラマティックだよね。
舞台装置、小道具みたい・・・ドゥ ユウ ノウ ドノウ・・・?

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土嚢スタスィオン



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公道に達する目前、僅かに蓋が残っていたのです!
都会?に残るこういう僅かな空白・隙間、みたいなものを探し続けている身にとって何よりの宝物。

こんな隙間に立って、私は何をしているのだろうか・・・

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大きさの若干違う蓋どうしが余生を静かに過ごしておりました。。。

 
至近(小豆沢3-12地内)に在る水路跡の写真も載せておきます。
マセラティ板橋の隣という、素晴らしいロケーション。
この辺りは清水坂という地名もありますし、色々な場所から水が流れて来たのでしょう。

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土木部・土木課のガードやコーンが置かれている場所は大抵我々にとって好ましい場所です。
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近くに着流した感じがイケてるお地蔵様がおられます。

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このかくかくした道、旧い道の匂いがする・・・

文中で触れた「総泉寺」、中山道沿いに葬儀会館「妙亀会館」を有しているのですが、そちらが不思議な状態なのです。
車で通過するときなど時折目にしていたのですが。

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平成14年完成予定につき閉館とあるのですが、今現在も閉鎖状態が継続しているのです。。

お寺の本体の方を訪問すると、

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がらん、としています。崖線上にあるので、背後の景色が抜けています。
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本堂もこのような状態・・

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山門のお向かいが工場なので、独特の光景を造り出しています。

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鉄の杭のロープが張られたりしていて、境内のすべてを再整備する予定ではあったようなのですが
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・・・常に普請中、ではなくて整備を計画したまま時が止まっている様子。

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事情を知るのは・・・黒猫ちゃのみ

おまけ・・・「いたばしの昔ばなし」に、以仁王がこの近くに流れてきて葬られたというお話が伝わっているとか。
貴種流離譚でしょうか・・・

追記。昔の住宅地図を見ていたら、今回ご紹介した水路跡の河口近く、水路を跨ぐ形で「トロッコ線路」という面白い表記を発見したので、地図上で示しておきます。

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緑の線で示した辺りに二条の表記がありました。
おそらく昭和40年代後半の住宅地図で、「秋木工業」という事業所が水路を挟んで東西に立地しており、資材の運搬などに利用されていたのでしょうか。

何度も地図を見ていても、気づかないことってありますね。


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by onnbubatta | 2017-07-26 16:04 | 新河岸川 | Comments(9)
Commented by sumizome_sakura at 2017-07-31 06:21 x
うーむ、同じ武蔵野台地の果てでも、赤羽の東側の低地だと海につながっていく感じがしますが、西側だとそのまま大きな沼へ降りていく感じがありますね。

お地蔵さんの土俗の匂いも、こちらの方がだいぶ濃い気がします。そのまま地面にずぶずぶと沈んでいくような……。
Commented by onnbubatta at 2017-08-02 08:25
> sumizome_sakura さま
土俗の香り高い土地からレポートしました・・・w
この界隈の土地は、荒川の出水の度に流路が移り変わった低湿地で、少し北西に離れた場所には道生沼をはじめいくつかの沼が出来ていたようです。荒川もだいぶ湾曲していますね。
赤羽の方と比高はそんなに変わらないのに沼を感じられるのはこんな地勢によるものなのか、はたまた心理的な影響なのか気になります。墨染桜さん、小豆沢の台地上に立たれても「溺れてみても良いかも・・」とか僅かでも思われたら危険ですから気を付けて下さいね。引き入れられて、深く深く沈む可能性がありますw

頂戴したコメントを読み返して、お地蔵さんを調べたら
「坂下の地蔵尊」で安永4(1775)年の造立で、昔はここから赤羽に行く古い道があったそうです。
中山道そばだし、旅の安全祈願とか子育地蔵系かと思っていましたが、「沼への注意喚起地蔵」にも思えてきました。

赤羽の海感はやはり以前教えて頂いた「東京湾制覇の野望by道灌」を思い出してしまいました。赤羽側は稲付城とか赤羽台団地とか際に立てる場所がいっぱいあって良いなあ・・台地の際ではないですが私のお勧めは北赤羽寄りの残丘「堂山阿弥陀堂」です。http://www.ukima.info/meisho/kaiwai/hukuro/doyama.htm

Commented by sumizome_sakura at 2017-08-04 03:13 x
堂山阿弥陀堂ですか。これもなかなか濃い感じですね。

そういえば、志村坂上の、一つの西の大きな尾根、西台は戦国期の文書に「志村西代」として出てくる旧い地名の一つなんですが。そこの五反田遺跡には地下を段上に掘った遺構があり、坑も多数あって、「葬地だったのでは」とも考えられているそうです。

「志村坂上」も、あちらとこちらの境が走っていそうな良い地名ですが。「浮間」なんてきくと、暝い水面にぷかぷか浮いている何かが見えてくるようで……。あ、八百比丘尼かも……(^^
Commented by onnbubatta at 2017-08-07 09:21
> sumizome_sakuraさん
五段田遺跡の報告書やら読んでいてはまってしまい、お返事が遅れて申し訳ありません。
はっとしました・・・遺跡跡地に建てられた西台図書館には以前何度か行っていたのに、都営団地・図書館という公共施設機能を目の前にして「極めて宗教色の濃い葬送の地」などと考えた事も無かったのです。「段切り状遺構」を模型やCGで立体的に理解したいな~と思いを強くしています。
航空写真で見ると円福寺の墓域と北で接していて、浅い谷を挟んで法蔵庵墓地がまた見えてくる展開なのですね。浅い谷かと思いきや、円福寺墓域裏の擁壁は昔から圧倒されて、何故か重く気になっている場所です。円福寺との有機的関係が報告書でも言及されていましたが、ここでも道灌さんが絡んでくるんですね。

遺跡の南西側の谷は昭和初期からごみ処理場として埋め立てられてしまいましたが、古地図で見るとかなり深い谷を形成していたようです。

留まらず、浮かんでいる何かは引き込まれそうですよね・・・比丘尼さんに救命胴衣投げておいた方が良いのでしょうか。形だけでも。
Commented by onnbubatta at 2017-08-07 14:34
> sumizome_sakuraさん
円福寺の墓域北側の擁壁はこんな感じの所です。
https://www.google.co.jp/maps/@35.7748044,139.668935,3a,75y,111.8h,98.15t/data=!3m6!1e1!3m4!1syDybhJoGkOk9wceEYpVfCA!2e0!7i13312!8i6656
一帯は、東京の中でも、旧家とか農の香りが残る魅力的な土地です。
五段田遺跡の乗っかってる台地の北側開析谷
→http://yatolove.exblog.jp/15439707/
同じく、東方向、蓮根川グループに流れ込む谷
→http://yatolove.exblog.jp/14555897/

昔の記事ですが、ご参考までに・・・
Commented by sumizome_sakura at 2017-08-08 04:21 x
なるほど、円福寺の南西の谷はもともとはずっと深かったんですね。『時層地図』でも確認できました。
昔は浅い谷にしか住めなかったことを考えると、円福寺がある谷の方が水田だった可能性が高そう……ああ、それで円福寺の墓域の南隣に葬地らしき遺跡があるわけですか。

むしろ小さな凹地にいろいろ歴史がつまっている場所なんですね。小豆沢もそんな谷なのかもしれません。あるいは、志村坂上も。
そして尾根尾根が深い谷に隔てられて、まるで雲海に浮かぶ島のように点在している……。

五段田遺跡のところは、以前、スリバチ学会のFWで通ったことがあります。ちょうど夕暮れどきで、茜色の陽光が周りに溢れかえる感じでした。何かの声が聞こえてきそうでした。今から思えば、よくもまあ、そんな誰彼刻にいあわせたものです(^^;;。
Commented by onnbubatta at 2017-08-09 10:16
> sumizome_sakuraさん
所謂「起伏の激しい土地」は生活していく上で、また取引上プラスにはならない事もありますが、「島巡り」の視点を取り入れることでQOLが向上しそうですね。
墨染桜さんのコメントを読ませていただくと、今迄土地に対して受けた印象・定着させたイメージをがらがらと廻して・掘り進めて・照射&風を吹かせてくれるような境地になってきます。

スリバチ巡検でこの界隈もいらしてるんですね!私も参加したかったです・・
訪問された時間帯は、よりによってというか或は最適過ぎて、誰か舞台回しがいらしたんではないかと邪推(^^)/

夕暮れ時に、ひとり谷中墓地に居た際に一転にわかにかき曇り、風が起こって視界が黄色くなった事を思い出してしまいました・・・
Commented by nama at 2017-08-15 12:45 x
ご無沙汰してます。きょう、全く予測していない状態でこの蓋暗渠に出会い、かなり盛り上がりました(独りで)!良いですねこれ。宝物のごとし。
明治の地図を見ると、出井川下流部(の分流)がこの辺までウロウロやってきてるようで、そういう可能性もあるのかも、と思ったり。まだあの蓋見ただけで辿っていないので、なんとも言えませんが。。。
Commented by onnbubatta at 2017-08-15 20:57
>namaさん
namaさん、こんにちは~。こちらではお久しぶりです(^^)/

住宅地図の水路線では、崖の直下から始まっていたのでorこの水路跡の東側には同様の短い水路~小豆沢の崖線から出て一気に新河岸川の張り出しに向かっていくものが何本かあり、泉からの流れだと思って突っ走ってました~。

出井川G(グループ)の可能性も考えられるんですね。
確かに、この水路跡の近くにも出井川から志村城山の下をぐるっと廻って、中山道と環八の交差点を越えて旧中山道に沿って流れて、出井川Gに合わさっているような流れがありますね!この付近の中山道が昭和初期に拡幅整備、志村坂の勾配も均されているので、今では感覚的にわかりにくいですけれど。

予習なしにこの蓋に巡り会えたとは、やはりnamaさんの嗅覚凄い。興奮されたでしょう??また何か判ったら、教えて下さい~。


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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