カテゴリ:神奈川( 8 )

川崎の入江崎~観音川河口突端、海中に建っていた石碑

以前古地図でその存在に気づいてから、どうしても行ってみたかった場所。

それは、川崎の観音川河口、東京湾の海中に建っていたという石碑、「徳本上人碑」。
何故このような場所に・・・


d0250051_10292019.png
この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成・加筆したものです。
(1927~1939年で表示)


はじめて見た時は、波打ち際というか陸地の際のような場所に立地しているのかと思っていましたが、調べてみるとかつては海中に建っていたものだという事。そして現在は埋め立て工事により、海面から入江崎公園に移転しているそうです。。

何だかドラマティックで心くすぐるこの石碑。
現地がどんな場所かよく把握していなかったのですが、先般の川崎酔いどれ舟旅の延長で改めて現地に行ってきました。
(観音川の暗渠も少し確認できればいいなという意識で。)

前回と同じく臨港バスに揺られて、JFE池上正門で下車。
二回目の乗車で気づいたのは、臨港バスの運転席右上のスペースに、川崎大師のお札を差し込むスロットみたいなものがちゃんと設置されている事。

さて、降りたのは良いのですが周囲は大工場ばかりで、ふらふら散策的に歩いている人などおりません・・・
公園にどこから入って行けばいいのかもわからず、暫く彷徨っていました。

d0250051_10544913.jpg
そんな時に現われたのが、この橋跡(?)。
「入江橋」と書いてあるものの、何らかの施設仕様で、今ひとつ橋跡らしい情感なし。


d0250051_10591671.jpg
これらの写真では見えませんが、水色の桁のような物体の下に「川崎市水道~~」の表記が確認できたり、昭和電工の何らかの流体が送られている設備があったり。

ここらはやはり昭和電工なのですな。大島に社宅や施設が控えていたしね。

d0250051_11033375.jpg
レシートの紙屑?がいい味。電話番号も併記の妙味。


d0250051_11051067.jpg

昭和電工 川崎工場マンホール。

お天気も良くて、昭和電工疑獄事件とか、そんな用語が似合わず吹き飛ばされてしまう。


d0250051_11084443.jpg

入江橋の対岸はこのような重厚なビジュアル&妖艶なアーチ。
観音川の現在のエンド一帯はJFEの工場に沿った形で、(地図上で確認すると工場にエンクロージャーされているように見える)ここから河口までは開渠になっている模様なのですが、確認は断念。

そもそも現地にいた際は、入江橋のあまりの情感の少なさに、観音川の橋だという認識すら薄かった(反省点)。


d0250051_11175864.jpg

貨物線(臨港鉄道水江線)に沿って行けば公園に辿り着けるはず。。
画像、線路の右側は入江崎水処理センターで、川崎市で最初に稼働した(昭和36年)下水処理施設。
ドイツ表現主義的な(様式違うかも)塔に目を奪われます。

 
d0250051_11271785.jpg

線路脇に様々な構造物が残置されていて、ちょっとフリーダムな様相。。

d0250051_11293808.jpg

線路の反対側は入江崎クリーンセンター。こちらにも、お化け煙突を彷彿とさせる年月を経た感じの煙突が空を目指していました。
繁茂した雑草と共に、伸びゆく象徴的な写真が撮れた事に満足です。

終末処理的な施設に囲まれつつ、そんなこんなで、掻き分けるようにようやく入江崎公園到着。
公園というよりは、空き地のような印象。


d0250051_11380736.jpg
これか・・・!

d0250051_11393947.jpg

江戸小石川一行院中興開祖!小石川関係の!

d0250051_11404616.jpg
「塩浜今昔会」・・・何て素敵な団体なんだ。

「川崎の町名」に拠ると、
この辺り(入江崎公園)付近は工場用地として埋め立てられる以前の昭和初期までは、観音川と塩浜川が出会う河口で、北ノ先と呼ばれていた地であったそうです。(冒頭の今昔マップ古地図の方にも当該地名が見てとれます。)
(アンダーラインを引いた「観音川・塩浜川」については後述します)
ここは海上で漁をしていた漁師が漁網にかかった大師像を船から陸に引き上げた所と云われ、現在塩浜二丁目の北ノ崎児童公園にその地名が残っています。

その北ノ先の突端海中に文化13年に建立されたのが「徳本上人碑」で、
江戸時代末期に遊行の僧として諸国を歩いた徳本上人が各地に念仏講と念仏碑を残し、独特の書体と花押の碑は「トッコン様」と呼ばれて、川崎市内にも六基存在する中、最大のものがこちらの場所にある石碑になるそうです。

この北ノ先の地、というかこの特異な場所に碑が建立された理由は、
  ①前述の大師像が引き上げられた地点に因む説の他、
  ②この観音川河口沖は船がよく難破して溺死体があがったことから、供養のために上人が巡錫の折に碑を建てた
ようなことが言われているそうです。



d0250051_12060655.jpg
この大きな石碑は、沖を通る船の目印となり、北ノ先の突端は「徳本鼻」と呼ばれていたそうです。
・・・ああ。姥ヶ森に次いで再び船の目印。そして鼻地名。突端。どうしてくれよう。シンボリック過ぎる。
「独特の書体」、カリグラフィーの如き流線美。
五感を突っついてくるなあ・・・
波に晒されていた過去を纏いながら、現在はこのような落ち着いたどっしりとした佇まい。

観音川のもう少し上流に弁天様があるのですが(今回探訪断念)、その弁天社で毎年行われた舟祭りでは海苔や漁業の豊漁を祈願して、五尺型十人乗りの新造船を華やかに飾り付け(化粧船)舟を三バイつないで囃し立てながら観音川を下り、「トッコン崎」へとくり出して、海上で神主が祝詞をあげて神酒をまいて帰るというもので、当日は早くから銭湯が開いて身を清めてから祭りに参加し、夜は弁天社で神楽が奉納されたということです。
銭湯の話が出てくるあたり、生活史との関わりがいきいきしてきます。

昭和12年頃の舟祭りの写真を見ると、華やかな旗が連なり、イナバの物置並みに船に大勢の人々が乗っている様子が映っていて、当時の祭りの盛大さが伝わってきます。



d0250051_12261186.png
  オレンジの丸で囲った場所が入江崎公園。その左を掠めている緑道表示部分が観音川の暗渠なのですが、ちょっと観察しにくい雰囲気の場所だったので断腸の思いで断念。(略してダンダン)
開渠と緑道表示?の境目が上述の「入江橋」、緑道表示?と東海道貨物線(画像上部を横断している)の交わる辺りが「川口橋」。

アンダーラインを引いた「川崎の町名」の「塩浜川」については、具体的にどの流れを指すのか、はっきりとはわからなかったのですが

d0250051_12354344.jpg
ピンクのラインの流れを指すので良いのではないでしょうか。
(ピンクのラインに沿った屈曲道は砂州だそうです。ここも歩きたかったな・・・)
水色が観音川、これが落ち合う辺りが入江崎(オレンジ)とすると。
このワラジヤさんの昭和41年地図で見ると(大雑把な図であるけど)、河口幅広いですね。

入江崎公園の周辺は広大な川崎化成の跡地等も拡がっていたり。
あまり人を見掛けないし(意外に民家も何軒かある)、何だか一人で歩いているのもの寂しい雰囲気だったので滞在時間は僅かでした。




d0250051_12342870.jpg
工場地帯に鮮烈な彩りを。安全工事体感訓練センター。


d0250051_12531035.jpg
JFE池上正門にある、鋼鉄製?のオブジェ。上へ!上へ!


d0250051_12543567.jpg
思い出したのは、一昨年学芸大学で見掛けた薬局のサイン。


ここから、大島・桜本方面へちょっとお買い物がてら歩こうかと思ったら、衝撃の物体に遭遇しました。


d0250051_12584288.jpg
自転車のかごに、お人形(ミルク飲み人形みたいなの)が!
場所は、川崎臨港警察署前信号交差点辺り。食堂の跡地のような場所・・・

川崎はいつだって俺たちの度肝を抜いてくれるのさ。
ぼうっと歩いていたからね。たぶんある種の目的を持って此処にザインしていたんだと思う、この子。。

河口で人形に話しかけられる経験も稀有なものでした。

池藤橋の信号まで真っ直ぐ歩いて行って、少し北に入って観音川の流れていた屈曲道をふらふらしつつ(弁天社を目指したのですが、少し疲れてしまった・・・この時点ではこの弁天社の縁起とか化粧船の話も知らなかったので)、桜本方面へ進みました。


d0250051_11155266.png
紫がお人形の居場所、ブルーの線が観音川の流れ。

観音川は元々は池上新田の開発によって作られた川で、石観音の前を通ることから「観音川」と呼ばれ、上流は「六百代川(むそしろ)」、藤崎辺りでは「サンゼム川(大島村の三左衛門に因む)」とも呼ばれ、五ヶ村の田に用いた水を排水する悪水路で池上新田を廻り込んで海へ達していたといいます。
明治~昭和30年代頃までは海苔業が盛んだったため、川筋の河岸には船溜まりが幾つもあり、弁天社と石観音付近には「観音河岸」があったということです。

石観音像は縁起が伝える所に拠ると、「正保年間に海中より出現の霊石」だそう・・・
弁天社に隣接するというこの石観音、あきらめずに行けば良かったな。改めて。


実際歩いた時は、池藤橋の信号を渡って桜本側に入った時点でぷっつりと観音川の事は忘却の彼方に流れていたのですが・・・
そんな不肖なわたくしめに喝を注入してくれたのは

d0250051_12132150.jpg
「くわっ!川コンシャスで行動せよ!」予期せぬ橋跡!。しかもかなり上等な一品。

・・・とこちらの案件は記憶の片隅にあったはず。徳本上人碑、大島劇場、姥ヶ森弁財天が紹介されている「川崎のたからものシート」で見たことがあったかも。。?
名前がよく解らないのが残念。


筋弛緩剤事件の舞台の病院前などを通り過ぎると、韓国料理のお店が現れてきて、ああ無事再訪できたなと実感できました。
この先の「さくら小学校」、元の桜本小学校で、昭和32年製作の東映の記録映画「煤煙の街の子供たち」の1シーンが撮影されたそうです。
「川崎の町名」でこの事に触れており、

「・・・煤煙の恐ろしさを強調するあまり、一部手を加えたため、のちに問題となったこの映画は川崎を公害の都市としてその名を全国に知れ渡らせました。しかし此の事を契機に煤煙防止の機運は高まり、三年後には市の公害防止条例が交付施行されました。」

どんな加工手法だったのか、気になります。。真っ黒のモックモクにしたのでしょうか・・・?

桜本界隈でキムチを購入した後は、前回の帰り道で気になった鶴見の本町通り商店街へ少しだけ寄り道をすることに
夜の帳が降りる頃、バスで通過したのですが車窓からの景色に心を奪われました。旧くからある道の匂いもするし。

d0250051_13154025.png
まずは、夕暮れの中でぼんやりと浮かび上がる赤いボンボリの灯が印象的だった三角形の地型の観音様へ。

d0250051_13192827.jpg
昼間はまた違った印象で、割とはっきりとした色彩。
お屋根の名乗りも明確で判り易いです。
どんな云われがあるのか、奥へ進んで確認しようとすると・・・



d0250051_09125530.jpg

由来以前に、右側の壁画は・・・?
隣接する店舗(クリーニング屋さん)とは関連付けが無いようだし・・・
確かにwonder land。バスから見えた時は気づかなかった・・・


d0250051_09111681.jpg
「・・かたじけなくも仏縁により再現され、当時潮田本町商工会はこれを奇とし、広大無辺の功徳をあまねく世人に及ぼそうと・・・」

  姥ヶ森もそうだったのだけど、由来を記した説明版の文体というか話の流れが独特で興味深い。

d0250051_09223796.jpg
どうしかものか・・
d0250051_09234730.jpg
お休みになっている人もいたのですが

d0250051_09273651.jpg
曰く、WONDER・・・


商店街は閉まってるお店も見られ、静かな雰囲気。スピーカーの割れた音から流れる嵐の曲が印象に残りました。
介護拠点や、マイバスケットのようなミニスーパーが店舗として目についたかな。

d0250051_09094841.jpg

こちらは吉永小百合さんでしょうか?(別人にも見えまする。私は浜木綿子さんに似ているかな~と。)
シャッター壁画だと、レポート用紙のような線が入って思わぬ効果を生み出すなあなどと。
一階店舗と上階の店舗が併記されているのか、二毛作のような業態なのか、気になります。


d0250051_09334288.jpg

「鶴見名物 亀の甲せんべい」と掲げられたお店。
海由来のアイテムだったので思わず撮影。こう、現在は陸なのにかつての海を感じさせてくれるものには反応強めなのです。


d0250051_09363795.jpg

こちらのお店も、バスから見えて感動したお店。
最高峰という看板も秀逸ですし、何より昔の日本鋼管鶴見造船の社名が残っているのに感銘を受けました。
工場の人の背広を請け負っていたのでしょうか?

d0250051_09360604.jpg
鶴見川の橋を渡る直前に見たお店だったので、より心に刻まれたお店でした。


d0250051_09411782.jpg
鶴見駅前。音楽の都でお蕎麦をすすれるらしい。
あ、でも擬音語の「うぃーん」かもしれない。決めつけちゃだめよね。うぃ~ん




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

d0250051_09441823.jpg
初回の、川崎舟旅の最後の行程でお世話になった横浜市営バス。(舟)

俺たちのソサエティに君臨する舟たちよ。

(横浜市営バス、で検索すると予測変換で「横浜市営バス プリキュア」が候補としてサジェストされたのも面白かったです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記:観音川の石観音と弁天社(11月下旬再訪)





青アイコンが石観音、斜め向かい赤いアイコンが弁天社。




石観音の門に掲げられた「潮音殿」の額。
波の音が聴こえるかい。

d0250051_12365382.jpg


門をくぐってすぐ右手にある「霊亀の助けによって海中から引き揚げられた」手水石。
石の中央部辺りに継ぎ目があったり、穿ち穴のようなものがあったり。

d0250051_12371113.jpg

こちらは弁天社。赤い方が弁天社、白い方は八海提頭羅神王を祀っているそうです。

d0250051_12385506.jpg
敷地が東西に長く、笹かまやなまこ餅のような形状で、社殿に対して空きスペースの割合が広いのが印象的。
舟祭りの際に人々が集って気勢をあげていたのでしょうか。
また、間口が広いわりに正式に出入り出来るのが北側の一角だけなのが面白かったです。単に管理上の措置かもしれませんが。

d0250051_12373590.jpg
付近には風呂屋さん(浴槽屋さん?)や床屋さん。
縞々が鮮やかでUSAっぽいな。
d0250051_12375149.jpg
カーブミラーまで縁取り。縞々が印象に残る一角でした。

川崎には曇天が実によく似あう。。と思いを新たにしたその時・・・


d0250051_12394516.jpg
「御自由にどうぞ!」と貼り紙をされて屋外の、しかもマンホールを台座に据えて置かれた胸像にまたしてもびっくり。
d0250051_12392650.jpg
背後のススキみたいな草とのコントラストが、少し険しい表情、、悲哀美を感じさせます。
d0250051_12400774.jpg
等々力~入江崎、と地名表記のあるマンホール。
行先が書かれているっていいね。












[PR]
by onnbubatta | 2015-11-15 09:56 | 神奈川 | Comments(8)

川崎にて、陸の舟旅を。

久しぶりの「神奈川」カテゴリ。←川の名称に見えてしまいますが。

秋のとある佳き一日、川崎の大島~桜本付近、浜川崎~浅野駅付近に遠征した記録を綴ります。
 
~その時から、大島・桜本はとくべつな響きを持つ土地となった。私の中では。~

予習としては、東西南北の概況の把握くらいで。重たい道路地図しか無かったので、家宝の和楽路屋さんの地図(昭和41年)をコピイ
して一枚ペラで持参。(和楽路屋さん→明治5年創業、平成14年事業停止-破産宣告。社名は歩測調査を行った際に用いた草鞋に由来するとのこと)

d0250051_11032204.jpg
観音川の屈曲がイキイキと輝きを添えている&もう町中日本鋼管(現JFE)マインド。
日本鋼管のバレー部に在籍していた井上譲選手に憧れていましたっけ・・・


strangerな土地に身を置いて、只感じ取る。受け取る。目に入るものが全て新鮮でした。。
未知に委ねてゆらゆら。ユラユラ帝国。

川崎駅からスタート。川崎駅周辺は、以前夢見ヶ崎の記事を書いた際に確認に来たぐらい。(夢見が崎地名の由来を求めて徘徊したのが契機)

(宜しければ・・リンクはこちらから↓)

その際にラゾーナに残る東芝時代の遺構と、至近に在る女体神社を訪れて以来の訪問になりました。
夢見ヶ崎の加瀬山を掘削した土が運ばれて、低湿地だった東芝堀川町工場(現在のラゾーナ)の礎となっているのです。。


改札を出ると、階段の方に川崎市の大きなビジョン看板?的なものが目に入ります。
内容は、環境対策を講じた結果、工場地帯から出ている煙は煤煙ではなく水蒸気であるということ。知っていたようで知らなかった。。
ちょっとしたパラダイム転換が上質なスパイスに。

さて、加瀬山に思いを馳せつつも、今回はラゾーナとは反対側の出口へ向かいます。
「臨港バス」という、港湾マインドに満ちた乗り物での移動に胸が躍ります。
臨港バス、行先やバス停名も興味津々。「日東亜鉛」とかマテリアル感が前面に出ていたり、「エリーパワー」「ゼロ・エミ工業団地」とか、インダストリアル感を帯びていて、都バスではなかなか味わうことの叶わない京浜工業地帯の空気。

バスターミナルに来ると、一等地にありながら、シャッターへの落書き・ネットに覆われた姿が何だか痛々しいさいか屋に目を奪われます。商業構造の転換を見せつけられるようで。
ここの展望レストランから加瀬山を臨んだ、というコメントを以前頂いていたこともあり、今後の動向が気掛かり。

臨港バスに乗車するとすぐ、左手側の植え込み?のような場所に「御成橋」という石柱がひっそり植わっているのを確認。
その後も通りを真っ直ぐ進んでゆくのですが、新川橋、さつき橋、とバス停名にも橋が散見され、嗚呼、この通りは堀だったのだなと。
(この堀について調べていくと、川崎駅付近にあった鷭沼(バン沼)という湿地の話が出てきて興味深い)

つまりこのバスは船でもあり、私たちは船旅をしていることに。


d0250051_15135703.jpg

舟から降りて、最初の訪問地、大島八幡神社にて。ここは微高地だと教えて頂く。
神社の奥の方に、そこはかとなく置かれていた橋桁と木製の立札。いきなりの出会いに動悸が。。
後日にもこの橋桁を撮ったけれど、曇天下で横たわるこの姿の方が影が出なくて、石の質感や重量感が伝わってくるような気がしました。


d0250051_15232299.jpg
木製の立札に手書きの説明が嬉しいし(何だかお触書みたいで気分が上がるのです)、最後の「年代不明」体言止めもCOOL。


神社至近には昭和電工の社宅や昭和電工大島クラブ(迎賓施設?福利厚生的な保養施設?)があり、京浜工業地帯の一端が住宅地の中に垣間見えてきます。



d0250051_15330878.jpg
初回訪問時に気になっていた緑濃い一角。その時は地主さんのお宅かな?と思っていたのですが、改めて別の日に来て確認すると


d0250051_15325001.jpg
昭和電工の施設でした。


d0250051_15335498.jpg
大島の住宅街を迷いつつ徘徊していると、海員会館という建物も。玄関側には錨のモニュメントもありました。
建物自体が舟の雰囲気あります。
ここで舟を乗り換えても良いかもしれないね。


d0250051_15355537.jpg
 色鮮やかな幟に惹かれて近づいたら、そこにあったのが大島劇場。
初回訪問時に、大衆演劇のポスターが街に貼られていたのはここの事だったのか。。!
住宅街にいきなり演芸場が現れたのには驚きました。
そこには異界への扉が。。。

「かわさき区の宝物シート」に拠ると、

●終戦の傷跡からようやく復興の兆しを見せはじめた昭和25年(1950)に創業。かつては川崎区内に18軒の演劇場があったが、住宅街の一画に唯一今も残る大衆劇場。
●代々女性館長が切り盛りしてきた歴史を持つ。現在は3代目。元々は新川通り沿いにあったが道路拡張のため今の場所に移ったという。
●館内はこじんまりとしていて役者との距離感は限りなくゼロに近く、舞台と客席の一体感を味わうことができる。
●かつては一世を風靡した「下町の玉三郎」梅沢富美男公演も行われるなど、有名芸人も多く出演する若者の人気スポットとなっている。
●東京大衆演劇劇場協会所属の劇場は、木馬館大衆劇場(浅草)、篠原演芸場(十条)、立川大衆劇場(立川)、そして大島劇場のわずか4軒という貴重な存在となった。

限りなくゼロに近い・・・限りなくゼロに近い・・・何という臨場感溢れる説明だろう!!
新川通りに面していたという事は、水路沿いの劇場だったのでしょうか?嗚呼、そんな目で眺めれば良かったあ~~
 


d0250051_15341690.jpg
大島の住宅街にて遭遇した、人の横顔にも見える造形のブロック塀。
これ作為???

d0250051_15141459.jpg
年中行事が盛り込まれた町内会のお知らせ。画鋲サビさび、楽しいぜ!というちょっとラフでカッコイイ呼び掛けにも引き寄せられます



d0250051_09582564.jpg
多分、粗大ごみの回収は申込制、という事を伝えたい看板だと思うのですが、字が消えかかっている&サザエさん風のヘアスタイルによって色々な解釈が出来るようになっています。
私には「通報スタイル」に見えるけどなあ。不思議な形の影が作用しているのかしら。闇電話。
児童公園にて。


d0250051_10070025.jpg
「水門通り商店街」や「水門ビル」がある一角。水の匂いが濃厚に。
(葛飾の古隅田川沿いに、水門の屋号(商号)の会社やお店有り。事例として挙げておきます。)

ここから、韓国料理や食材のお店が並ぶ商店街へ。
d0250051_10161840.jpg
店先やサインに見所が非常に多い。上のは象形文字を感じさせるのと、ステッキでリズムが生まれる躍動感を気に入って撮影。


d0250051_10203664.jpg
統治していそうな団体。まずはここに挨拶することから始まる、みたいな。

d0250051_10183222.jpg
コインパーキングの奥に残る廃タイル。
過去の建物の生活が、はみ出している。水と生活の痕跡が哀しく垣間見えて胸を打たれます。
恐らくお家の一番奥がお風呂場だった痕跡なのでは?

廃タイル事例のブログ記事はこちら→前谷津川 梶谷津源流。廃タイル哀タイル

別の場所の事例写真
文京区、板橋区
d0250051_10355226.jpg
d0250051_10360825.jpg
d0250051_18234098.jpg

d0250051_18293592.jpg
渋谷区、港区


大好きなタイル痕で脱線。川崎に戻ります

d0250051_10151737.jpg

席をあっためている猫。
猫ちゃにいっぱい会える街。優しい人達が多いあったかい土地。
d0250051_10155053.jpg
にゃおん

d0250051_10173857.jpg
かなりの別嬪さん。しなやかな姿態で媚態され、眼差しに完全KO。

初回訪問時に買いそびれたキムチを無事入手。(追い川崎訪問はキムチ購入がメイン目的にも据えられていた)
気に入ったのはキムチの塩辛♪

住宅街も、商店街も、時を経たものが随所に残されていて。


d0250051_14194601.jpg
そして予想外に訪れる事となった「姥ヶ森弁財天」。
川崎市のサイトで名前だけ目にした事があり、頭の片隅にそっとしまわれていた感じだったのですが
案内していただける運びに。こういう流れが本当に嬉しくって痺れてしまう!サプライズ漂着。

高速の至近&工業地帯のイメージが色濃い街区にこういった名所旧跡(しかも弁財天)が潜んでいる大いなる意外性。
その乖離になかなか追いつけないでもがいている状態。溺れそうになりました。

そんなこんなであまり写真も撮れなかったのですが、柵に護られた井戸を。
秘めたる小窓に想像力を掻き立てられます。

~潮香る街で辿り着いたREAL WATERで、各自思い思いに渇きを癒す。~
そんなまぼろしの感覚を抱いて。ん~ごっくん。

現在は町内会館の隣に小さく、圧縮されたような佇まいで平成の今に表出している形ですが、昔はこんもりとした森で(姥ヶ森)沖を航行する船の目印でもあったという話。
この点もなかなか理解が追い付かない。本牧十二天があったような、突出した断崖が航行の目印だったという話ならまだしも。。

曰く不可解。摩訶不思議な一角なり。おかしな感覚に陥ったのでした。。


そして、不動産会社「ユナイト」の物件などを歩きながら鑑賞して(会社サイトの代表挨拶のコーナーが類を見ない形式で面白い)
浜川崎方面へ。

d0250051_14471043.jpg
イカのお化けかと思いきや鉄塔の擬人化。凄い形相w 恐怖政治っぽいぞ。

d0250051_14474060.jpg
「明るい都市の建設は環境公害の防止から」神奈川県衛生会

スローガンに時代を感じる。公害が発生していたからこそこのような啓発に至ったのでしょう。
明るい都市という言葉と、参加して錆びついた現況の乖離をまた泳ぐ事になる。ああ忙しい。


d0250051_14513297.jpg
浅野駅構内でひっくり返っていたベビーカー、もとい乳母車。
天地がひっくり返るような事態にしたのは何だったのだろうか。。時空でも歪んだのだろうか。


d0250051_14544958.jpg
ねえ。


d0250051_14562888.jpg
浅野駅の線路。素敵な溝がある。



d0250051_14593215.jpg
浅野駅近くに残っていた立派な橋跡。欄干の間から草がはみ出している何とも言えない風景。
調べてみたら、地図中の運河がかつて左に(入船公園側に)折れていて、その部分の掘割に架かっていた「豊橋」の跡だという事が判明しました。




開渠となって残る運河部分と、暗渠となった川崎運河の形状に誰もがそそられますね。
川崎運河は京急が開削したものの、あまり使われず結局埋め立てられたという不遇な経過に同情を寄せてしまいます。悲しき運河。

そして川崎運河跡沿いにあった「ワイルドブルーヨコハマ」という一世を風靡したプールが忘れられない記憶。

d0250051_14595109.jpg
掘割跡付近に、気になる造作物(遺構?)が。
d0250051_15103770.jpg
「豊橋洞道」の表示。東京電力の設備が設置されていました。

~それぞれの鶴見線。知らぬ間に川崎から横浜へと境界を渡りつつ。~


続きはまた改めて綴ります。

[PR]
by onnbubatta | 2015-10-25 16:02 | 神奈川 | Comments(4)

夢見ヶ崎周辺を歩く~加瀬山掘削地点・水権現・加瀬堀暗渠・谷戸地名ほか。

暗渠を辿りつつ、夢見ヶ崎周辺を前回より迫って歩いてみたいと思います。
「加瀬堀」暗渠と「谷戸」地名については、後半の登場となります。

d0250051_1405572.jpg

新川崎駅を出て左(西)、鹿島田跨線橋脇の水路跡。
新鶴見操車場跡地に建ったマンション群によって、さらに窪に深みが増しているようです。

刻んでもないのに、刻まれているという。→ポエム

此処を出て、前回少し触れました「テニスコート脇」も抜けると
(テニスコートも暗渠と仲良しだと思う・・・ゴルフ練習場のように)








d0250051_14897.jpg

川崎市立の日吉小学校脇を片側ガードレールに隔てられて展開していきます。




























d0250051_14111536.jpg

こういう所には必ずいらっしゃいます。

















d0250051_14154913.jpg

お姿はこんな感じ。
つやつやした御榊が供えてありました

この先暫く、小倉用水の暗渠道と寄り添う形で進みます。
























d0250051_15222338.jpg

加瀬山の山裾エリアに足を踏み入れてきています。
夢見ヶ崎目前で道がこんもりと盛り上がってきました。(気持ちも)


麓感が高まるのですが、このこんもりは一瞬で盛り下がるのです。
地形をいじった痕跡かも・・

同様のこんもり体験はさらに南麓のほうでも体感できました。


ガラスの建物は日吉庁舎。







d0250051_15274228.jpg

加瀬山の山裾を物語る何かかもしれない。
このあからさまな盛り上がりは。

信じている。






























濃い青線が今歩いてきた水路跡、明るい水色は小倉用水跡(後述)、
オレンジの囲みは大まかに加瀬山の削り取られた南東部分であり、加瀬山の最も高かった地点
d0250051_15291198.jpg

















・・・地図に水路線を加えてて改めて思い出したのですが
今歩いてきた水路跡(上の地図濃い青線)、「横浜水道跡」の通ってた辺りと近似しているのです。
「横浜水道跡」が示された元地図(幸区まちカルテの中の、大正時代の二ヶ領用水のすがた)の複写が
ちょっと広域で見づらいのでアレなんですが)

横浜水道は、横浜に送水するために明治初年二ヶ領用水(鹿島田の堰付近)から分水して、
夢見ヶ崎~江ヶ崎~鶴見~子安のルートで水路建設工事が始まったものの、木樋菅の継ぎ目から水が漏れてしまい、横浜まで水を届ける事なく工事が中止となった。現在の操車場内に当たる土地には横浜水道建設
の過程でつくられた「砂溜池」とよばれる池があったという。

三菱ふそうの工場内を線路に平行するような形で南下し、日吉小を貫通してその先で少し曲り、
小倉小の東を通って鶴見川に達するまでの線で上記の資料には示されています。

d0250051_11521210.jpg

資料を参考にざっくり示すとこのような感じ。
歩いてきた水路跡と広域でみるとほぼ重なるけれど
感覚的にはう~ん・・・




横浜水道と何か関連のある道なのかな?
よくわかりませんでした





ここから、西にグイッと曲り昇って加瀬山に再度アタックします。

d0250051_15424789.jpg
片隅に、水に関係のありそうな石造りの何か?を見つけました。
これは何なのでしょう?枡のような?




















d0250051_15463231.jpg

おしみず坂。右が加瀬山の山部分、左は削られて急激な崖地様を呈しています。
削られる前までは山上に通じる鞍部のような登り坂でした。
























d0250051_15515843.jpg

坂を昇る途中の右手にお地蔵さまと南加瀬貝塚の碑。
加瀬山が海にぽっかり浮かぶ小島であった時代の名残か、貝殻の9割がはまぐりであったとの事。
縄文人、焼き蛤でも食べていたのでしょうか・・・

お供えのぬいぐるみが色を添えてなお可愛い。
人面花瓶も。












d0250051_15532436.jpg

ちょっとした階段を降りて行くと小さな祠が。






























d0250051_1554687.jpg

水の権現様。
「尾」の次の字は何だろう・・・「眥」→この字で「し」と読むようなので
「尾眥水」これで「おしみず」?

おしみず坂というくらいなので
清水が湧いていて、その水の畔にいらした神様なのかなとも。
















d0250051_1604610.jpg
庁舎の駐車場、この一角も削られたような匂いはあります。
(水が湧いてそうな感じも)

この場から眺めると、長さ750m余りという加瀬山の東の端っこ感が
伝わってくる気がします。






d0250051_16303.jpg

削られた部分がよくわかる場所。
ここの土が大量に切り崩されて川崎駅前に運ばれ土盛りされて東芝堀川工場の礎となりました。
削られた山肌側には防空壕が作られた時期もあったのだそうです。

跡地には国鉄新鶴見球場。

此処に立つと球音が響いていた時もあったとは。


現在は公園・高齢者施設・マンション・社宅等が建っています。




d0250051_1692171.jpg

削り取られた跡を埋めるように建つ官舎






























d0250051_16112370.jpg

前回のブログ記事にもあった夢見ヶ崎稲荷神社手前まで、結構鋭角的に(躊躇なく)削られています。











次に大々的に掘削された加瀬山北西部に向かう前に、冒頭のほうで触れた小倉用水跡をご紹介します。
夢見ヶ崎の南辺り、地形は平坦な場所にあります。



d0250051_1302834.jpg

現在の姿はこのようなサッパリとした緑道。
今の小倉小学校近辺には「小倉池」というため池があり、江戸享保年間に当地に二ヶ領用水が分流され
元々あったこのため池とつながり小倉用水の一部のような形に。

近くに鶴見川の大河を見ながら、河床が低く水を引けなかった土地。小倉用水がこの地の水田を潤し、
幸区一番の石高を示した。
また桃やビワ、イチジクの栽培も盛んであったという。

しかし近隣の宅地化の進行に伴い、戦後の昭和27年に埋め立てられたという。

小倉池の伝説として「禁断の玉手箱」というものがある。
鉈を池に落としてしまったヨンキおじいさんが自らも池に落ちてしまい、行方不明に。
三年後、本人の法事中に池の竜宮城から玉手箱を携えて元気に帰還。

ここからは展開が容易に想像つきます。玉手箱を開けてしまい、帰らぬ人に。
「見ちゃダメ、開けちゃダメ・・・」で悶々としたのでしょう。箱には龍の鱗と小さな観音様が入っており、
近くの無量院にはその伝承に因んだ竜燈観音が祀られているのだそうです。

また近隣の小倉神社では水神様として河童が祀られているため、毎年7月にキュウリをお供えする「きゅうり祭り」が行われているそうです。

今は年間通してキュウリが手に入る時代・・・キュウリの盛りの時期に改めて気づくし面白いですね


d0250051_15204294.jpg

いつもお世話になっている街の地図看板には、小倉用水がまだ水色の水路線で示されていました。
(町界のところ)

池附、という字名も見えます。






加瀬山の北側へ向かいます。

d0250051_1545523.jpg

北加瀬の「山崎」バス停そばにあった庚申塔

この看板、他の場所でも見ましたがお堂を守護しているような目つきが
気に入っています






















d0250051_1564747.jpg

山崎、も加瀬山につながる字名でしょうか。






























d0250051_15184251.jpg

近くにあった地図看板、旧字名が記されているのが有り難いです。













 そして、加瀬山北西部へ。

d0250051_153435.jpg

更地の奥がJRのマンション。順番に建替えしているのか、この更地はどう利用されるのでしょうか。

かつては左の加瀬山はここの更地部分にも山裾を拡げていたことでしょう。
今は分断されて階段が見えています。


新鶴見操車場で働く従業員の社宅「北加瀬国鉄官舎」のために切り崩された箇所です。
ケーキの断面を見ているような心境。

d0250051_15222582.jpg
上空からの画像で見るとこのような感じ。
加瀬山南東部よりも更にスパっと切り込んだ印象を受けます。








d0250051_1544761.jpg
現在の北西山裾

加瀬山は北鹿・南麓とも本当に際キワの箇所は、広い地所を有する旧家?が張り付くような形で囲んでいる
のでなかなか裾部分を視認することが難しいなか、この周辺は麓や断面を見ることが出来ます。


続いて、ここの西に隣接した掘削地点、現在の白山幼稚園辺り(水色)
d0250051_15385353.jpg

水色エリア周辺は白山古墳や第六天古墳が存在した場所ですが、民家が建て込んでいたりして
様子を確認することが出来ていません。





白山古墳の裾、白山幼稚園西辺りから出土した秋草文壺(国宝)は国立科学博物館東京国立博物館に収められています。

また、矢上川に面した辺りまで延びていた山裾を掘削した箇所(紫色)、
ここもはっきりとは痕跡を感じ取ることは出来ませんでしたが、昔の地図と重ねてみると
二区画程、周囲とずれて斜めに配置されて家が立ち並ぶブロックがあるので
そのあたりなのかな、と推測します。

d0250051_15451294.jpg

ただ水色掘削地点に関して、この南北に通る道が途中マドレーヌのてっぺんみたいに盛り上がっていて、私の足裏は山の痕跡を感じて小躍りしていました。
写真では判りづらいかもしれませんが・・


ここの土砂(古墳があった場所・・・)は昭和12~13年、三菱重工業の埋め立て等に使われたとの事、
すぐ近くにある加瀬山北の現三菱ふそう、(ここは元々三菱重工業)のことを指すのでしょうか?
道路を隔ててお隣の埋め立て用に供されたのでしょうか。

「川崎の地名」の南加瀬村の項に拠ると、「昭和12年頃から、加瀬山を切り崩してその土を売る事が行われた」とあります。
「埋土に困っているなら、削ってもいいさ」・・・世を人を救うアンパンマンみたいに思えてきました。
身を削り、血を(地を)売る、みたいな。

同時期、矢上川の両岸に土地を持っていた日吉村は、川を境として横浜市・川崎市へと分かつ事になったそうです。(これには双方の水の利用が大きく関わってくる)

前回ご紹介した「史蹟 夢見ヶ崎」の手描き地図には、更にその西隣の「帝國発條用地埋め立て中」
の記載があります。(現在はマンション他)




オレンジアイコンが、道路の盛り上がり場所。


d0250051_1553275.jpg

その近くにあった庚申塔。

庚申塔、やっぱり多いな~。













そして、面白いのが、この近くに「谷戸」という古い地名があって、バス停や商店街名として残っています。でも周囲には歩いていて全く谷戸っぽい風景はありません。劇的な地形変化を以てしても、何かずっと心に引っ掛かっていました。言葉巧みに惑わすなあ・・・

「川崎の地名」に拠れば、当地における「谷戸」地名は通称地名だとし
沖積低地なのに谷戸と呼ばれる理由は不明。加瀬山の西北に連なる丘陵が削られる以前は、JRアパート辺は加瀬山と末端丘陵との間で、谷戸地形を呈していたという。恐らくそれによる地名か。」

なのに」と口語で示される辺りに凄い親近感。
古地図を眺めたりしても今一つ谷戸のイメージが湧いてこなかったのですが、大正15年内務省の地図というのをみさきさん(ありがとうございます。)に教えていただいて観察していたら

d0250051_1131379.jpg

矢印の辺りがこんな感じで食い込んで示されていたんです。
これは自分には腑に落ちる谷戸感。






谷戸商店街で「里芋のコロッケ」を一つ買って栄養補給していたら、気になる箇所がありました。

d0250051_11133063.jpg
いかにも水路跡。谷戸バス停がある場所からは暗くてよく見えないので、南に回り込んで追跡しています。















d0250051_1122953.jpg
歩道端部分に沿う一角がいかにも怪しいです。






























d0250051_1123462.jpg

越路バス停そば。
この摩耗して碑が読めない祠を最後に、この辺りの痕跡は消えるのですが、
先程の水色アイコンより北側も追ってみます。
しかしこの祠の囲まれ方が頑丈。ただならぬ気配を感じるのだけど。
















d0250051_11572713.jpg

今見てきた暗渠、街の地図看板にも水路線が残っていました!画面中央辺り。




























d0250051_11315922.jpg

そして谷戸バス停の通りの北側にワープすると。
思いがけない場所に野生の暗渠がありました。
この中を歩行するのはちょっとためらわれるので、見える位置まで回り込んで行きます。



















d0250051_11352622.jpg

家々の間のグリーンベルトのような未利用地となっています。
今にも水が流れてきそうな光景。

























d0250051_11493878.jpg

回り込んで道路と交差する場所。ここから先(北)は歩道の一部になっていました。



























d0250051_1152119.jpg

暗渠跡が明瞭になる最後の出口地点には庚申塔がありました。
写真左のどっしりとした覆屋です。












前述の「大正時代の二ヶ領用水のすがた」という図でこの水路跡について調べると、「加瀬堀」という用水かその系統として示されていました。

上の写真の場所はちょうど古くからの道(鎌倉街道・小杉道)が交差する出会いの辻であったようで、

d0250051_1212613.jpg

江戸~明治時代まで高札場(命令・伝言などを伝える告知板)があり、
現在は二対のお地蔵様と庚申塔が祀られています。

すぐ脇を流れるこの用水に関する札も出されたのでしょうか。




d0250051_12174418.jpg

目深にキャップを被った様が、ファンキー&クールでもあり、
近隣の人々の優しく温かい気持ちを感じます。






















道の「叉」具合、旧い道の出会いを感じて萌えます。
はたして道灌さんは通ったでしょうか。
野生の加瀬堀暗渠?、画面左斜め下辺りにグリーンの帯状の連なりを示していて綺麗ですね・・

右の広い空間は日吉中学のグラウンド。


d0250051_13193599.jpg

前述の「大正時代の二ヶ領用水のすがた」図を参考に、大まかに加瀬堀の流れを地図で示してみました。
どのあたりがメインの加瀬堀なのかまだ調べがついていないのですが。


以前、猫またぎさんが川崎の暗渠を連載されていた時から「暗渠溢れる川崎」のイメージを持っていたのですが、当初はあまり暗渠らしい道に出会うことが無かったものの、終盤になって好みの暗渠に遭遇することが
叶いました。加瀬堀は歩き回った後の「ご褒美暗渠」、としての位置づけが強い(個人的に)水路で、ほんの短い区間の追跡にも関わらず旧い祠などに遭遇する確率の多かった流れでした。


d0250051_13285442.jpg

ここもはずせない、矢上川と矢上橋。
奪衣婆伝説があるそうです。
古地図を見ると現在よりずっと曲流しており、蛇行跡が点々としている様子が描かれていて
興味深いです。




元々は両岸とも日吉村でしたが現在はこの水面を以て、川崎市と横浜市の境を成しています。

右岸(現在の横浜市)側は、元々東の川崎側とは異なる灌漑用水を利用しているうえ、電鉄が慶応大学誘致を契機に横浜市側の水道を大学に給水するように要請したのに対し、一方で左岸(川崎側)は二ヶ領用水の恩恵を受けている、といったように、それぞれの土地利用・水の利用方法の方針の違いが明らかになったことが日吉村が分かれた要因だったようです。



おまけ。
d0250051_13452378.jpg

鹿島田の方にあったハーモニカ状の橋跡。
すぐお隣の堀跡(親水緑道となっている)には橋名がついていたようですが、こちらはいまなお判明せず。







d0250051_1442137.jpg

三菱ふそうのカッコいい部位。
ここの道も水路跡。





























d0250051_1462680.jpg
組み合わせの妙が非常にそそられるお店でした
















寄せていただいたコメントで「海を見ていた道灌さん」という視点を改めて頂戴し、春の夢見ヶ崎周辺再訪&矢上川を渡って「元はつながっていた?加瀬山と日吉台地体感」の日々が待ち遠しいです。


・・・いったいどんな岬だったんでしょう。英語でもcliff 、cape、 point、って色々呼び方が違うし。。
[PR]
by onnbubatta | 2014-02-20 14:15 | 神奈川 | Comments(8)

夢見ヶ崎~崩された加瀬山と「東京電氣(東芝)境界杭。夢見ヶ崎地名考など

「崎」のついた面白そうな地名に惹かれ訪ねてみました。


初めて聞く地名では無く、pcのお気に入りページ最下段にずっと「夢見ヶ崎」を冠したサイトがあったのです。

以前,日吉のまむし谷と「松の川」に繫る暗渠を歩いたあとに
周辺の地歴なんかを色々調べている際に出会ったサイトだと思うのですが

今見ようとすると検出出来ない・・・残念。


夢見ヶ崎地名を擁する「加瀬山」の独立丘の形も異彩を放っています。
孤高のお姿でもあり神々しい。絶対沢山の籠もったものを内包していそう。

現代目に見えている姿は独立丘ですが、時代によっては海に浮かぶ島だったり
横浜の日吉から連なる台地の末端だったりしたのかもしれませんね。


d0250051_10472054.jpg

左が鶴見川支流の矢上川。
最寄駅は横須賀線の新川崎駅。S55年開業の比較的若い停車場です。











そもそも「夢見が崎」というのが現代風のキラキラネームのような印象を受けるのですが
そうではなく、この地を訪れた太田道灌の故事に因んでいるという事で、
ならばいつ頃からそう呼ばれるようになったのか、また地形の変遷など机上で調べているうちに

やはり現場に行かねば・・・と。

道灌さん。
子供の頃近所に「道灌山」という地名があり深く考えることもなくごく普通に接してきました。
ここ川崎の地でも(いや、関東一円に)足跡や伝承を残していて
改めて不思議な響きを与えてくれるのです・・・


夢見る頃はとうに過ぎましたが、初めての新川崎へ。



d0250051_1054987.jpg

新川崎駅を左に出るとすぐに見える加瀬山のお姿。
手前の工事地帯は新鶴見操車場跡地の一角。

新鶴見操車場跡地は一部が開発されています。





私は「小倉跨線橋」からの荒涼とした風景~広大な空き地の一面のススキ野原とポツンとした箱のようなモデルルーム・・・も気に入っています。



さて加瀬山に登るルートは複数あれど、最初は北麓から登頂する予定。

山には川崎市「夢見が崎動物公園」があり、そこまでの道程にはアライグマのしっぽマークの
サインが路面に貼られているので忠実に辿ります。


d0250051_112428.jpg

テニスコート沿いの暗渠。
(後々追ってご紹介するかもしれません)




























d0250051_1142356.jpg

長毛種の夢見・キャット・見返り。

「いい夢見ろよ」













d0250051_119426.jpg

「夢見が崎公園」脇の階段を昇ります。
標高30m余にアタック














d0250051_11111565.jpg

蓋的なものが
































d0250051_11114658.jpg

当然といえば当然・・・

















d0250051_11184781.jpg

一気に登る感じなので息が・・・
















d0250051_1124568.jpg

昇った先は了源寺という寺社や墓地。
いきなり墓地があったので少しの驚きが。

そして山の中に元々は11基(それ以上あったという説も)はあったという5~6世紀にかけての古墳の跡を示す標が幾つかあります。
















d0250051_1130753.jpg

西端の方にあった白山古墳(4世紀後半築造、南関東では最も古い古墳)、第六天古墳は消滅しています。
(白山社・第六天社と弁天社もかつては存在しましたが、大正4年に天照大神に合祀されて現存せず、社地のあった丘も崩されて消滅)



d0250051_1139610.jpg

こんもりした高まりの頂に祠が載っているのが見えますが、蜂がタムロしているとかで見学不可能でした。
(9号古墳&道灌の碑があったらしい・・・です)























d0250051_11404144.jpg

意外に広い空間の山頂には、古墳跡や神社・お寺・墓地・動物園と実にいろいろなものがのっかっています。
東山麓付近には貝塚も。







子供たちの学習用の「日吉のタカラモノ探検」の様々な看板が設置されていて、それを眺め歩くのも楽し。


 「加瀬山は海にぽっかり浮かぶ島だった」 

そんなわくわくするイラスト入りの説明版もありました。
縄文海進の頃(約6000年前)・・・に思いを馳せると何とも言えない場所に立っているのだと感慨も深いのですが、
「夢見が崎」という健康的で、華やかな明るい地名の音をイメージして臨んだなか、偶々かもしれませんが気づくと山頂公園には思ったより人も少ない感じ。小さい子も遊んでいなかったし。

急に風が起こり、何だか寂寥とした空気が流れていて、「早く下山したいな~」という気分に支配されてしまったのです。

そっち方面の感受性は鈍かったはずなんですがね・


折角昇ったのに・・・山頂の神社群や富士山が見えるポイントもあったようなのですが
早々と等高線の筋を横切って下界へと。


d0250051_124130.jpg

室町時代の武将太田道灌が見晴らしの良いこの地に陣を敷き、築城を計画した晩に
自分の兜を一羽の鷲に持ち去られたという夢を見、築城を断念したという故事も記されています。




もののふにとって大事な兜。それを持ち去られたのは良くないお告げというか夢占ととらえたのでしょう。

その兜が南の鶴見川対岸の山に埋められているという言い伝えもあるそうです。
(行ってきました。また後ほど)


d0250051_12124032.jpg

地形みたいな雲が出ていました















d0250051_12133269.jpg

トーテムポール、子供のころから好きなんですよねえ。
箱根小涌園に昔あったやつとか。

























南山頂から下界へ降りて行きます

d0250051_12194977.jpg

またすごい張り出した位置にお稲荷さんの鳥居が。
横に階段があるのでそこから降りていきます。












d0250051_12213773.jpg

階段を降りて山の中腹あたり。
下アングルから眺めるのもいいな。上部がすっきりするから



























d0250051_12253054.jpg

道祖神が二体

















そして目に入ってきたのは・・・


d0250051_12271072.jpg

これ。
東京電氣
最初全く何のことか解さなかったのですが、「氣」という「気」の旧字を使用しているので面白いな、旧い
ものなんだろうな~くらいにしか思っていませんでした。

















調べてみると
「東京電気」とは東芝の前身。


明治41年、現在の川崎駅前に「東京電気堀川町工場」(現ラゾーナ川崎)が創業、白熱球等の生産を開始する。工場建設に辺り、大量の土砂が必要となり目を付けられたのがこんもりした加瀬山の豊富な土であった。


①東京電気は加瀬山の南東部分一帯(真下のyahoo地図黄緑アイコン周囲)を買収、
夢見が崎から約4km離れた堀川町工場は非常な低湿地に立地しており、その造成や多摩川洪水被害による工場復旧の為に、トロッコで加瀬山の南東部分(境界杭のある地帯)の土が運ばれ続けたのだという。

山が切り崩された時期、土砂が運ばれた時期については資料で幅があるので、長い期間をかけて順次
山の南東部は形を変えていったということなのだろう。

(マルで囲んだ番号は三枚下の地形地図に対応しています)

土砂が運ばれた跡地は国鉄が買い取り、官舎や球場として整備されたのち、現在は特養施設や庁舎、JR社宅が建っている。

山の南東部は加瀬山の中でも一番の高まり・ピークを有し、現在の日吉交番辺りまで山裾が延びていたという。(真下の地図では夢見ヶ崎公園入口の交差点辺り)

「夢見が崎」の小字名が付けられていたのはこの辺りのようなので(現在は小学校名や公園名、商店街などには残る)、往時の突端だったのだと想像して感慨が深くなります。

(夢見が崎地名については後程綴ります・・・)





d0250051_11195665.jpg

いつもお世話になっている現地の地図看板に小字名が薄字カッコ書きで表示されています(天地が逆)












d0250051_11231232.jpg

これはまたインパクトのある字名・・・字ドブ。古地図では「土浮」とか「土腐」の表示。
低湿地に付けられる呼称として、全国的に分布しているようです。
こちらの近隣では「長ドブ」などの活用形も。





加瀬山の切り崩しはその後も地点を変えて続行されていくこととなります。

①上述の南東部の切り崩しに続いて

②大正15年(1926)には天照皇大神の西側の山が切り崩され、新鶴見操車場の鉄道用地の埋め立て用に運び去られ、その跡には新鶴見操車場で働く人々の住まいになる鉄道官舎が建設された。


③昭和13年(1924)、現在の白山幼稚園辺り、前述の白山古墳があった辺りも、北加瀬地区の軍需工場(三菱自動車)建設用や小倉・木月近辺の住宅地建設の用途の為に使用された。

④矢上川に続くこの丘も北方の埋め立て用に掘られた。
(番号は下の地図に対応)

d0250051_12513362.jpg

図は川崎市のサイトを引用・参考にさせていただきました。
ありがとうございます。








切り崩された場所の現況写真等々、次回以降ご紹介致します。

この地域で稀な「丘」は、豊富な土砂の産出先として近代工業の礎になったということでしょう。


d0250051_12581851.jpg

加瀬山の土が運ばれた、東京電気(東芝)堀川町工場跡地に開発されたラゾーナ川崎にある工場の遺構。
掘ったら加瀬山の土の成分とか検出されるのかな。

事件捜査とかで土の産出先とか鑑定するみたいに。



d0250051_1315754.jpg

「東芝ブラウン管発祥の地」


















d0250051_11224386.jpg

加瀬山から川崎駅前まで土が運ばれていったのですね・・・











************************************

「夢見ヶ崎」という地名について。

文献で出てくるのは江戸後期に編まれた「新編武蔵國風土記稿」の
「加瀬山」の項に、

「(加瀬山の)東方はづれを夢見崎と云。其ゆゑんを尋るに昔太田道灌この地へ城を築んと思ひしに、
其夜道灌己がかぶとを鷲の来て抓み郡内駒岡村と云所に飛去りしと夢見しかば、此事不吉なりとて
其企をやめけりと、其跡を夢見ヶ崎とは唱るよし土人伝ふれども、
外により所なし


「外により所なし」が気に留まる。。。

土地の人たちの間でこういう話が伝わっているけれども、確かな事は明らかになっていない、という意味でしょうか?

また「加瀬山」そのものに関して、北加瀬村の記述に

南加瀬と当村(北加瀬村)の間に突出し、山の中央を両村の境となせり、高さ八九丈、山上は畑を開けり、
其畑の中に四五坪の小高き芝地あり、松樹二三株立り天守台とよべり。相伝ふ往昔太田道灌この所
に城を築かんとせしかど、故ありてそのことやみしなど土民の口碑にのこれるは前村にも戴する山の
条下にあり、さあらんには天守台の唱へは後人の名付しこと論を待たず。」


山頂には、道灌の故事に因んだ天守台と称えられるさらに小高い地があったようです。


太田道灌は室町時代の武将、なので夢見ヶ崎の地名は1400年代半ばから1800年代半ばの間には
いつしか言い習わされるようになっていったのか・・・と随分ざっくりとではありますが考えるに至りました。


調べる過程で、非常に参考になる貴重な御本との出会いがありました。
場所は武蔵小杉の図書館。地価上昇率ランキングトップ・槌音響く武蔵小杉で降りたのはじめてかも。。!
(武蔵小杉と聞くといつもケイン・コスギさんのお顔が浮かんでしまうのです)


慣れない書棚で何気無く手にした小さな古い本「史蹟名勝夢見ヶ崎」。
高橋東秀さんという地元にお住まいの方が書かれた、昭和12年発行された本です。
年月を経ているので、大事大事にそっとめくりながら読みました。

夢見ヶ崎への愛が溢れていて、この地の事をよく知らない私にもその熱い思いが突き刺さるような冒頭から引用、ご紹介をさせていただきました。


夢見ヶ崎の崗の麓に生れて育つた私は、實に明けても暮れてもこの丘の風情を身にしみて来たものです。
それゆゑ、世間からは、やれ夢見ヶ崎狂だの、道灌狂だのと半ば冷嘲的にさへいはれて来たのです。
私は只、夢見ヶ崎の歴史を瞭らかにし、又、この美しい風光を出来るだけ世に紹介して、久しい間の
念願を成就したいとのみ考へたのでしたが、時運は繞って(めぐって)遂にこの丘のある土地が川崎
市と併合しさうして大きな近代工業都市としてはどうしてもこの崗をわれらが安息の場所として考へね
ばならぬやうになって来たのです。そこで兼々考へてゐたことを記念するために、去る九年以来の計画
を実行しようとする其の一のあらはれとして、この小冊子をまとめ上げたわけなのです。・・・中略
唯、少しでもこの丘の面白さ、ゆかしさ、美しさが胸に落ればそれで満足です
。」


いやいやいや。
「夢見ヶ崎狂」ユメミガサキ・フリーク・・それは最上級の褒め言葉です。。。その道を突き進んでこそ。
この丘が好きで好きでたまらない方が、戦争前夜の9年来著そうとあたためてしたためた本、絶対に面白いにきまってる。


川崎の駅から南武蔵の平野を横切るやうに走る南部鉄道に乗つて、鹿嶋田といふ駅近くなる頃、
間もなく車窓に緩やかな形をした翠の深い丘陵の横はるのが眼に映るであらう。それが夢見ヶ崎だ。

夢見ヶ崎、斯う呼ぶと、その名稱(称)の響きからして、人の胸に何ごとか追走のさゞなみを湧かすであろう。
あれは、夢を懐く丘だ。なつかしい夢を抱く崗だ。

此の夢は、誰あらう太田道灌の夢だ。夢と伝えられて居るのだ。太田道灌は、武蔵の平野を縦横に馳驅
して、白雨の滴より数多くの物語を残した熱血漢だ。好もしいきびきびした男だ。
この好漢の夢であった、夢を抱くあの大きな崗よ、誰か、追懐の心を露の如く注がずに居られようぞ。

元の日吉村字北加瀬、同南加瀬の二つの大字に跨る丘なのだ。

試みにこの丘崗に立ち、佇み、膝を組み、雲の去来する彼方を眺めてみよ。
東に、多摩川の清く美しい波が、川原の小石に白く小さな泡を吹きながら羽田の海へすべって行く。
南に、鶴見川の静かな流れがある。
あらゆる木立の茂みから四季不断の武蔵野の風が湧き、丘を渉るいくつかの斜めな路が串通して、
そこに寺と社の風致を見ることが出来る。

・・・丘に立てば、追想の糸はどこまでも続いて行く。」


東秀翁が何歳くらいの時に書かれたのでしょうか。
旧漢字や文語調の言い回しが難しく、字体から想像して読む楽しさを与えていただきました。
反語が含まれる箇所なんて、こちらが興奮してしまいます。

新川崎駅がまだ存在しない頃の、鹿島田駅付近からの車窓風景の描写が貴重です。
そして山上に立つと、多摩川まで望む事が出来たのでしょうか?

私がふと不安に駆られた突然の風は、武蔵野の風が吹き抜けたに過ぎないのかも。
次にまたここに登る機会があれば、もう少しの間山上に留まって、色々思いを巡らせてみよう。

 
そして、上述の「風土記稿」にある山上の”天守台”について、東秀さんの文でも以下のように触れられている

「兎も角、土人の口碑といふ一事が先づ以て光って居る。里伝の発端が、この道灌懸慮に在るとした。
或はさういふ計画であったかも知れぬ。今、天守台といはれる所に、八幡宮の小祠と記念の石碑が
建って居る。」



加瀬山山上に現在立地する了源寺、ここは妙法寺と呼ばれていた時期もあり、ここの当時の住職と道灌は
親しい間柄であったという。

《太田道灌の夢》という小見出しから、風土記の説を引きつつ、夢見ヶ崎という地名が伝わった経緯が記されている。

「・・・さて、道灌はしばしば此処に来ては、丘上に屯営したといふ事である。即ち、想ふに、戦場の
往き還りか、又は時として四辺の状態を探る為の往来か、或は単なる風光を探ってこの物外の交
りを暖める為か、必ずその何れかであったらう。
斯うして土地の相貌に親しみ、馴れ、眤んでは、勢ひ、軍略上の要害地としても充分に考へられた
ことは相違ない。やがて築城せんとして改めて地相を見直すに至ったとの里伝が生まれるやうに
なったのである。」


古墳時代から人々が住み続けてきた丘の良さを道灌も肌で感じ取っていたのでしょう。

ここから先の話は、「夢見ヶ崎」地名の由来として伝わっている部分が含まれているが、本書には
より詳細な評伝も記されている。

「ある夜の屯営の夢に、忽然として羽音を博つ(広げる)一羽の白鷲、陣営に風を起こすよと見る間に、
其所に措いてあつた道灌の兜をいきなり咬へて飛び去った。凄まじく飛び去るなと見送ると、ここから
九町ほどの距離にある駒岡山に、咬へし兜を放し置くと見て、夢は醒めた。

吉か凶か、瑞兆か凶兆か、道灌としては、まことに気にかかる夢である。思ひ迷うて此の夢のさまを
妙法寺の住職に物語り、且つ其の判断を聞いた。
 
言下に答へていふやう、夢は極めて凶である。此の地の築城思ひ止まり給へ。
東の方、大川のあなたに良き地相の所あれば、そこに落着し玉ふべしとある。」


懇意にしていた住職に夢の判断を仰いだ道灌、「大川のあなたに良き地相の所」=江戸方面への
築城がお勧めされたのですね。
未開の地であった江戸になぜ城を築こうとしたのか・・・という古来からの疑問に対しては諸説存在
しますが、その背景としてこのような逸話が伝わっていたことは初めて聞き及びました。

「・・・ここに恨みを呑んで築城を思ひ止まることとした。江戸城が出来上がったのは之から間もない
長禄元年彌生の頃であつた。

加瀬山の夢あつたればこそ、彼の雄渾なる江戸城に着手したものともいへる。

しかし、道灌は、心を悉く此の丘陵から離すことは出来なかった。それほど愛着が強かったのだ。
寛正六年には、八幡宮の祠を、此の頃の天守台に建立したと伝えられる。
天守台といふ名は、前にも述べたやうに、恐らく築城配置の縄張り当初に考えられた場所なので
あつたらう。加之、ここに和歌一首を詩吟せられたのであつた。


さまゞの 眺めも果てずよしや世の 夢見が崎の春のあけぼの

和歌の題に、夢見ヶ崎とあると伝えられるから、いはば、文明五年の彌生の頃にあつて、己れ夢
の不可思議を思って崎の名になしたものか、或は又、此の吟詠ある以前、既に夢見の話が著名
となつて、誰称ふるとなく、加瀬の丘陵を夢見ヶ崎といふやうになつたのを、道灌も亦ほほゑみ
うなずきしつつ、柔らかな春のあけぼのを詠んだものか、何れにしても、夢見ヶ崎の夢は、正しく
大なる覇業の根本を、底から覆がへしたものとなつた。
成らざりし昔の事から、夢見ヶ崎の名に表われる物語を以てその解説の妥当としたものか。
そこに星霜(年月)久しき里伝成長の妙があつて、白銀の如き滴歴を下して居るのである。」
 


東秀翁による夢見ヶ崎地名考、佳境から一気にクライマックスに突入した感じです。
最後の一文の後半あたりは私はよく解りません・・・

道灌が詠んだとされる歌はやがて了源寺の住職に与えられ、色紙一筆がとある家に宝として伝わっている
との事です。

登場する年号:長禄元年(1457)、寛正六年(1465)、文明五年(1473)だけでも16年間に渡り、道灌と当地との深い関わりが推測されます。それ以前に幾度となく道灌は夢見ヶ崎を訪れているとされており、各地を駆け回った太田道灌(1432~1486)の人生の於いても、この場所は思い入れの強い特別な地のひとつだったのでしょう。
(しかし年号が頻繁に変わる)

道灌が生きている間に夢見ヶ崎の地名が既に定着し、離れた場所にいても聞き及んでいたのでしょうか。
それとも時間の経過をみたのち、道灌の故事を引いて呼ぶようになったのか・・・

また、夢見ヶ崎には昔より「二十六夜会」というものが伝わっていたそうです。
道灌の死後、道灌を敬慕する土地の人々が年々二十六夜に月を鑑賞する集いであり、天守台の観月地で
昔語りなどに興じたというもの。

加瀬山~夢見ヶ崎の夜の闇には人々の心や歴史までも動かす摩訶不思議な力が宿っているのかもしれません。昼間でも不思議な風を感じたので到底夜になど近づく気がしないのですが・・・


結局「地名考」と言いつつ殆どが引用になってしまいました。。
この素晴らしい本を目の当たりにして、耽溺しています。



d0250051_12255386.jpg
持ち去られた道灌の兜が着地したという、駒岡。
ここもまた山の上(丘ってかいてあるけど)にあります。












d0250051_12272010.jpg

道灌さんの「灌」の字が金へんになってて面白い~。
史蹟の説明版には、江戸城を構成する支城の候補地を選定すべく、加瀬山を訪れたという
史実の記載になっています。









紫アイコン、上末吉小学校辺りが兜塚。
鷲は夢見ヶ崎からほぼ真南の方向に飛んでいき、鶴見川を渡った辺りで兜を落としたようです
(重さに耐えかねたのか)


*****************************

次回以降、夢見ヶ崎周辺の細かい散策、暗渠探しも綴っていきます。
あとは、道灌さんの通った道はここかな~とか。

最初に来た時は右も左もわからず、完全に異端者というか。この土地の香りが思うように把握出来ず。
二回目くらいからでしょうか。やっと「日吉に近いんだ・・・というよりここも日吉と呼ばれていたんだ」みたいな
基本的な地勢が見えてきて(普通の人には当然に見えても自分には何故かこの点が欠落していたのです)。

そうなってくると感じ取る事も見えてくるものも不思議と多くなっていきますね。

旧いものが集中的に点在していて、本当に興味の尽きない土地でした・・・!

最後に「夢見ヶ崎音頭」というのがあるそうなので、抜粋してご紹介させていただきます。

「〽ハア~ 春は桜の夢見ヶ崎よ(ソレ) 中略
太田道灌 日吉の里に 日本一と 折り紙付けて
お城を築く事 決めたとさ
・・・・・」


伝道灌さんの和歌もゆかしくて良いですが
こちらは盆踊りでしょうか。体を動かし移動しながら夢見ヶ崎の地名を口ずさみ踊れるのが
いいですね。
[PR]
by onnbubatta | 2014-01-29 12:45 | 神奈川 | Comments(14)

横須賀・田浦の引込線痕跡と倉庫群を探訪

久しぶりにカテゴリー「神奈川」をチョイスする時が到来しました。

(葛飾の暗渠を巡礼しているさなかですが一回神奈川を挟みます)

タモリ俱楽部で紹介されていた「平面クロスの線路跡」を見てみたい欲望にかられ
「横須賀軍港めぐり」クルーズと合わせて遠征してきた次第です。

私の軍港めぐりの主目的は「新井堀割水路を航行する」。

元は三浦半島と陸続きでそこから突き出た「箱崎半島」、ここを水運の便に供するために
掘削し切り離され、今では吾妻島と呼ばれた島がそこにあります。



d0250051_1234799.jpg

激しすぎ、険しすぎ・・・

行きの京急の車窓からもう萌え死寸前、酸欠状態でした











次の用事までの間をりようして降りたので、田浦には30分くらいの滞在
(あまり電車も来ない)




d0250051_1263834.jpg

JR田浦駅下り側にあるトンネル3兄弟のうちの二つ。
草ぼうぼうなのが、これから見に行く線路へと続いているようです。



階段を昇り跨線橋を渡り再び階段を降りていきます。







d0250051_12211213.jpg


唯一見かけたお店。「夜城」
駅からすぐの左手崖直下、岬の聖なる力が宿ったお店かもしれません

魅力的なお店です・・・
(上の地図黄色のピンの左辺り)

















駅を出て車道を右に進むと、相模運輸倉庫という会社の倉庫群に目を奪われます。


d0250051_12254317.jpg

秋晴れの青空に鋭角際立つ、のこぎり屋根。
ネットの記述に拠れば、軍の兵器修理庫であったとのこと。

しかし・・・金網で囲まれ「国有地」の関東財務局看板・・・
公売の物件なのでしょうか・・?
(詳細に看板をチェックするのを失念しました。また財務局の入札予定表にも見当たらず)





d0250051_12304012.jpg

のこぎり屋根の隣の倉庫。

造りがそれぞれ違って、飽く事無し。














d0250051_9542322.jpg

比与宇隧道方面に向かい東へ歩いていきます。

そして表れた 軌道跡。
白い建物は地図上で合同庁舎とされています。
庁舎内にはゆるキャラっぽい人形がありました。

庁舎よりにもう一組の軌道跡があります。
















d0250051_12362336.jpg

来た方向に向けて戻り撮影。(西向いてます)

背後は上述の二つの倉庫。


分岐していますが、どちらもその先がよく分かりませんでした。






この西向きアングルのまま少し後ずさり状態になると、
その軌道跡状態に驚きました

d0250051_1074483.jpg

まさに線路が交わる地点が
水没・・・?した状態。

ストリートビューを見る限り、草むしてはいるものの
水は溜まっていないように見えましたが・・・時限的な風景なのでしょうか。

何だか水田の一角にも見えるし、何とも不思議な眺めです。















d0250051_10111516.jpg

この区間だけの、湿地然とした水景。

太い釘も見えています。






















最後に載せた地図の、ピンクの印の地点。


d0250051_1018259.jpg

比与宇隧道方面に進んでいきます。
































d0250051_10202672.jpg

再び振り返る。

草むした箇所、のっぺりレール跡だけの箇所・・・と次々と状態が変わっていくのも面白い。

しかし現地はストリートビューや、他の方のブログ写真とは違う箇所があちこちに散見され
段々と痕跡は消されているように感じます。

この界隈で起きている変化を感じ取らずにはいられません・・・何だかざわざわ。










d0250051_10274538.jpg

この後、一旦川でレール跡が遮られます。

川の手前の地点はレールの間から草がたくましく線状に生えていて
独特の光景を見ることが出来ました。

草たちよ、鉄路に挟まれながら何を思う。

「もう俺たちレールを敷かれた人生、はみ出しちゃわないか?」















吾妻川という川を渡ります。

普段なら水路の方に反応するのに、この日はこれを辿ろうという気も起きない程
レール跡に没頭しておりました。


d0250051_10255214.jpg

振り返ったアングル。
真新しい綺麗な橋だったので最近架け替えられた模様です。
SVでもそんな感じの普請中画像でした。


しかし・・・線路が川を渡るガーター橋の土台のような工作物?が見える!








地図の黄色い印地点







d0250051_1040718.jpg

これ絶対そうじゃないかなあ!?
キャー。





























d0250051_1041523.jpg

残念ながら、渡った側(比与宇隧道に近い側)には痕跡はあるものの
上の写真程の明白さは無い。

(お隣の合流口が寄り添ってるのが 何か可愛いです。)
(橋のあからさまな痕跡なくてゴメン・・・でもアタシも並んでるよ)

川の水深は浅く、水は穏やかに透き通ってゆらゆら。
河口に近い小河川の雰囲気が漂います。






(何だか沖縄の川を思い出します・・・吾妻川の事は詳しく調べていませんが、
山の水を集めて短い距離を海まで流れるような感じ~平地が少ないから)




d0250051_10454110.jpg

その先は、路面が砂利敷になり、レール跡もあったり無かったり。





























d0250051_10483732.jpg

この辺りは砂利より土が勝った状態。

先に停まっている軽自動車がレールのちょうど上くらいに位置しているのが
面白かったです
(意識しているのかな・・・?)





















d0250051_10535522.jpg

いよいよ平面交差地点が見えてきました。































d0250051_1058596.jpg

二か所ある平面交差部のうち、西側の交差部。






























d0250051_1104383.jpg

港の方向に向かい北へ続いて延びているようです。




























d0250051_1141295.jpg

道路を横断して山側(駅へ向かって延びる線路)は草がぼうぼうで様子を判別しづらかったです。
(草の根元にはレールが確かに見えますが)


























d0250051_117280.jpg

隣接するもう一組の平面交差跡。

こちらの方がレールの露出?が明瞭です。


























d0250051_1191898.jpg

先程の平面交差跡と同様に、港の方へ続いていきます
(金網の内側、草が生い茂っている箇所)

港の方に線路が続き、また別の線路もあるようですがここから港方向へは確認していません。

倉庫を囲むグリーンのフェンスはSVでは見られないもの。













d0250051_11142835.jpg

道路を渡って、駅方向に向かう線路跡。
曙機械という会社の脇。


























地図の黄緑印の地点。

d0250051_11165987.jpg

巨大化したサボテンと、杭の残骸のようなものがありました。





























d0250051_11175690.jpg

































d0250051_11182835.jpg

今回見た中では、水没レールの地点と同じくらいレール痕跡が明瞭だった地点です。
(レールの脇の木の部分~正式名称解らず~も残っていますし)
























d0250051_11202053.jpg

道路を横断していた地点。倉庫側を臨んで。

この線路跡を訪れた方のブログ写真で多く目にする象徴的な踏切機が
ここに在ったはずなのですが・・・






車道脇の歩道部分も境目の舗装が白くきれいに見えますし
道路整備と一緒に消えた可能性も・・・


このアングルの倉庫、威圧的でドイツ権威主義的な(何だよそれ)立ち姿・・・

d0250051_1157251.jpg



















d0250051_1213019.jpg

私が辿ったのはこの辺り、相模運輸倉庫の印象的なサイロと倉庫がある地点まで。

写真奥に迫る山を貫くのが比与宇トンネルです。

ここの地点、SVの画像では道路を華麗に斜め横断する分岐線跡が確認できるのですが・・・

現地では気づきませんでした。写真にも写っていない様子ですし、既に撤去?









d0250051_1245899.jpg

レールに挟まれた箇所の痕跡が化石化していて、もはや遺跡のような様相。



























d0250051_126979.jpg

相模運輸倉庫のサイロと倉庫。地図水色の印地点。

ここも、以前には見られなかったフェンスに現状取り囲まれています。

ネットで情報を集めると、前述の「斜め横断する分岐線」がこの倉庫内に延びている貴重な写真や
記述を拝見することが出来ました。











そこで合点がいった事は、

◎その当該分岐線や上で少し触れた踏切跡等々、今年の始め辺りに撤去されていったとの事。

◎戦前の倉庫群が経緯は不明ですが、やはり幾つか売りに出されていること・・・・




奇跡的に残されている線路跡や倉庫群も迫りくる変貌の時を迎えているのかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

d0250051_9404671.jpg

パックマンに登場しそうな消火栓






























d0250051_941477.jpg

宇宙人的なキャラクターを冠する消火栓マンホール
















d0250051_946659.jpg

元は陸続きの半島だった場所を開削した、新井掘割水路。

半島の中でもかなり険しい地点を開削したのでは・・・
今では何事も無かったかのような表情で両岸が対峙しているのが面白い。






d0250051_9471457.jpg

小籠包みたいなのが付着しているタイプの擁壁

















d0250051_9494291.jpg

立入禁止の吾妻島。黄色いトンネルが口を開けていました。














d0250051_9522158.jpg

軍港クルーズチケット売り場内の天井にあるのは
海軍将校クラブ時代のシャンデリア。














d0250051_9533465.jpg

「JR横須賀駅」。
名前に比してとても静かで落ち着いたレトロな駅舎。

入るとホールのような造りになっていて、階段がなくスーッとホームが広がります。









d0250051_10135428.jpg

ホームに入って右手側の線路は車止めがあるけれどどういう使われ方をしているのだろう・・・

上下線とも左の番線から発着していたように記憶しているのですが。



















d0250051_10145154.jpg


線路の行き止まり地点。
何か詰まった感じや達成感もあって、その時間的雰囲気が何とも言えません。

線路間ににょっきりと、赤い消火栓







田浦駅も横須賀駅も、梁や屋根裏が水色に彩色されているのが印象的でした。

レトロで、上品かつ明るく健康的な海のイメージ。


d0250051_10425117.jpg

おそらく、これ以上に多様に分岐し物資を運搬していた事と思います。
今回目視で確認した以外にどれだけどのような状態で残っているのか、興味は尽きません。


↑比与宇トンネルの所、何だかモヤモヤしています・・?


[PR]
by onnbubatta | 2013-11-18 11:56 | 神奈川 | Comments(2)

横浜千代崎川支流~幻の江吾田川?滝不動、射撃場跡

久しぶりのレポートです。
さいたまの記事を綴っている途中でしたが、横浜の千代崎川支流をひとつはさみます。

遅くなりましたが本年も宜しくお願い申し上げます。


以前、横浜の千代崎川の事を書いていて出会ったWEBページの中で心に残っていた
江吾田川という支流の事。

以前の千代崎川の記事

現在の地図・地形図を見ても川筋が判然としない(特に上流)のですが、ひょっとしてこれかな?
という痕跡らしきものがありました。






山元小学校、旧い地図では「江吾田小」の表記になっています。



d0250051_11172180.jpg
小さな青果店の向かいの私的な空気が濃い未舗装路地を入る。
未舗装路地前の車道を渡った奥は簑沢の支流。
そちらにも匂う路が沢山ありました。























d0250051_11182927.jpg
しかし、程なくして青い門扉=小学校敷地、が立ちはだかる。
川筋を追っている過程で小学校に分断されてしまうのは、しばしば起こる出来事。

側壁の石組みがしっかりしています。




















d0250051_11201925.jpg
行き止まりの階段から、下流方向を眺めた所。

















昭和初期の古地図でも合流地点までのごく短い水路線しか描かれていない。
別の地図を凝視すると、変電所敷地の西側にもにょろにょろした線が一区画描かれているが・・・


江吾田川の谷頭は根岸森林公園内の窪みだと考えられるのですが
地形が改変された可能性があり、判然としません。

これらいくつかの、丘陵地から流れ出した水が合わさって、
河口の本牧十二天の脇まで注ぐのですね。

どこの川を歩いても想いますが、川は物語だとつくづく感慨深いです。
大手術を受けた川。取り残された川、過去の川。

時々昔の流れを川自体も想い出し、本能で流れ下っちゃう時もあるのでしょうね・・・
(詩人タイム終わり)

広大な根岸森林公園、地図で見るとそら豆のような形がユニーク。
競馬場だった頃の名残、一等馬見席が孤高の異形を見せ付けて今も圧倒的な存在です。

20年以上前に見に来た際はガラスも割られていて荒れた様相でした。
現状ガラスは割れていませんが、徹底的に修復した姿ではなくそのままの感じで残っていたのが
何だか嬉しくてホッとしたのが感想です。

東京駅のように大々的にリニューアルされない感じで、かつ過度に痛々しくない感じが、好み。



d0250051_16553284.jpg

以前も引用させていただいた、長崎大学幕末明治期古写真データベースより、
造成中の競馬場。
ここは敷地北側の外周の孤の部分にあたるそうです








~次に白滝不動尊へ。ここのことはよく判らないし調べてもいませんでした。
アポ無し感に満ちています・・

d0250051_10303078.jpg
各地の階段を歩いてきましたが、ここは斜度が半端無い。
足がマジすくみます。
遠景は「京浜工業地帯!」と大声でシャウトしたくなる、
根岸湾の石油関連施設と高速道路。

海へ一気一直線の益荒男石段という雰囲気。
緩勾配で迂回しない潔さを感じます。

際のキワを実感。









d0250051_1702587.jpg
上記と同じく明治期の周辺古写真。
俯瞰して、当時の光景・立地に思いを馳せる事が出来ます。










d0250051_1763145.jpg
石段脇の地肌が露出しているのが今と違う感じ。













d0250051_10333871.jpg
社殿の西側の崖から瀑布とは言い難いものの、滝が流れ落ちています。
くり抜かれた壁の小さなスペースに神様が。

神様サイドの視点から滝を眺めてみたいです。。
傍らに小屋が建っており、修行が行われたのでしょうか。

崖の上は住宅地が迫っている立地。














d0250051_10382496.jpg
こちらは崖の上から見守る神様。?
後背部の彫刻の文様が流れる感じで、思わず凝視していまいます。


























d0250051_1040353.jpg
「磯??滝二業??組合」と彫られた石柱が横たわっていました。













元々は地元根岸の人々の信仰厚い祠だったのが、明治期の神仏分離を経て
現在は宝績寺の境外仏堂扱いになっているとの事。



d0250051_10411925.jpg
擁壁面からの染み出し。
ここにある柄杓は全部柄が長いタイプ、新鮮でした。




























d0250051_10425351.jpg
滝至近の邸宅跡?現駐車場。
石組みの門柱と、上段が赤煉瓦ベースの上に丸石が組み配されている外壁。下段は四角い石組み。
丸石はかなり剥落していたけれど、崖上の眺望抜群の邸宅だったのではと想像します。


外壁のアーチのような空間??は何の役割を果たしていたのでしょう。

穴っぽいものは気になります。

土地の管理地がこの辺りの「共有地組合」的な名前だったのが印象深かったです。
また、封鎖されていますが滝不動へ降りる階段もついていました。
物語のありそうな、跡でした。

このあたり、ついてくる猫もいて、おばさんに
「この猫貴方の事気に入ってるみたいよ。」
と言われたのが嬉しかったです~

毛だらけになっちゃったけど・・・


d0250051_10544134.jpg
ここも滝の近くの坂+階段。
「崩落危険急傾斜地」の看板が降り口に立っています。

どっかに吸い込まれてしまいそうな空間だ・・・

子供を後部座席に乗せたお母さんがきて
このまま自転車で下っていくのかとびっくりしていたら
お子さんを片手でひょいっと降ろして
自転車から降りて引いて、下界へと消えていきました。。。
この辺の方は子供連れのままこんな急坂を降り下っちゃうのかと
一瞬ドキドキしました。


先の見通せない九十九折の石段坂。(坂の名前がわからない)
一歩降り下るたびに景色が変わっていくのがたまりません。



このあたりの高台までくると時折、坂の間の隙間とかから工場地帯の煙突が見えてきてハッと我に帰る感じ。上の写真も判りにくいですが、根岸湾の煙突を望めて、海とのつながりが開いた感覚です。




明治期古写真を見ていると何度も出てくるタイトルが
「不動坂からの本牧岬」というもの。
不動坂、というのは不動下の大きく迂回する車道かな?

その当時の人々を惹きつけてやまなかった景勝の地だった事でしょう。

d0250051_10182969.jpg
淡い彩色が美しい写真。
本牧の一の谷、二の谷、三の谷が刻まれている姿がよく判ります。
車夫さんさぞかし大変だったでしょうね。
















d0250051_10231287.jpg
世界一美しいと外国人からも絶賛された根岸湾と
綺麗に耕作された畑。






微妙にアングルが違う地点を見比べながら、美しい写真の数々に見惚れてしまいます。





そして古写真を見ていて目に留まったのが
「ライフル射撃場」。
以前の記事内で「山手の大和商店街も谷だった。。。」の件に触れましたが
まさにその細長い谷地形(下の地図で緑ラインで示した辺り)を利用した「外国人のライフル射撃場」だった事を改めて、知りました。

d0250051_11154613.jpg
タイトルは「スイス祭りの射撃大会」

文京区の弥生町・大久保・大森等々、銃声が響いた谷たち。
横浜山手にもかつて存在しました。








d0250051_1137394.jpg


相変わらず激しい谷たちです。
写真右下の孤立丘のような形状がまたまた気になります。














家宝の「和楽路屋地図」S41発行(¥400!)で横浜主要部のページを見ていたら
今回のエリアの西・現磯子区丸山辺りに
「餓鬼谷」という気になる旧名がありました。
[PR]
by onnbubatta | 2013-02-13 11:45 | 神奈川 | Comments(0)

千代崎川の周辺で崖に挟まれる

横浜・山手の千代崎川・・・を目指した訳では無かったのに、結果的に千代崎川跡に来ていました。

千代崎川は根岸の丘陵地帯から流れ出す三本の流れ:北から、猿田川・簔沢川・江呉田川が山元小
付近で合わさり、東へ流れ東京湾に注ぎます。
合流地点付近を除き暗渠化されています。蓋がされたのは大分前ですが、一昨年くらいに蓋を外して再整備を行った箇所もあるようで・・・見学したかったです・・・


前半は山手周辺の崖に沿ってうろうろ。
d0250051_10123961.jpg
「西之谷」に面する急崖。一斗缶が湧き水を受けとめています。




























d0250051_10142043.jpg
波紋が。

これが「赤道を越えても腐らない横浜の水」・・・?

あれは井戸水だったか。











d0250051_10162868.jpg
至る所階段だらけ。
石材置き場脇の階段。十字架が、ここが横浜だという事を再確認させてくれています。

























d0250051_10191222.jpg
崖の突端部にさしかかると、駐車場の一角に非常に印象的な崖下稲荷。






























d0250051_10202012.jpg
先っぽには神性がありますね。
いや、崖下側の下界から見たら凹みか。
中の上くらいの広さを有する駐車場とこの祠、どうかこのままで。
本当神秘的な場所です。




















d0250051_10262486.jpg
遠景。
後ろ髪引かれ、名残惜しい。

こういう場所に限って、次来た時には必ず跡形も無くなっている確率が高い。。






















いつまでも あると思うな 好きな場所



~ふと気が付くと、自然と千代崎川のエリアに入っていました。

d0250051_10301980.jpg

この辺りは結構幅広の暗渠です。

テープで消されてる箇所は何て書いてあるんでしょう・・・?
とにかく2t以上の車は入らないで下さいね。






















d0250051_10322670.jpg

早速橋跡も。名前はわかりませんでした。
この辺はこういう形状のゴミネットなんですね。
場所毎に違ってて興味が湧きます。





















d0250051_10364497.jpg
はす向かいの橋跡。
この秋葉原っぽい小さな電気屋さんの出店みたいなのが可愛かった。

























私が気に入ったのはここ。
暗渠本体は左筋で、このガードレールで囲われた半円状の中州みたいな空間。
d0250051_10412064.jpg

こちらも千代崎川の看板にテープしてありますね。

冒頭でも触れましたが
>横浜市三千分の一地形図を見ると、千代崎川は山元小学校の付近で三方からの流れを合わせて下っていくようです。

私の歩いたのはほんの一区間ですから、全て辿ってみたいですね。












「中洲」の周りの素敵な風景
d0250051_10485058.jpg




















d0250051_10512232.jpg
何でしょこの半月みたいな、エンクロージャーされた一角は。。。




























d0250051_10561879.jpg
あとで別角度の写真も載せますが、ここも雰囲気の或る一角。
右の壊れそうなバルコニー(物干しか)、鷺山を背後に抱く銭湯のさくら湯、防火水槽、暗渠上の車止めに干されたマット。





d0250051_10595361.jpg
舗装がシマシマ。
















d0250051_1101763.jpg
鷲山の崖が綺麗。

空耳ストの安斎さん曰く「最近、横断歩道の舗装でも躓く」と。
シマシマ舗装で私もコケました。つっかかるんですよね。















 

 





→学生注目~!脱線タイム、縞々と言えば、水玉も出合った事あります。
こちらは埼玉ですが~~~
d0250051_1173012.jpg
手前が水玉。
ここは異素材mixも優れモノ。甘辛mixみたいな言い草だな。

連続する蓋世界の中で、悔しいほど魅せてくれますなあ。






















******

商店街に出てきました。
d0250051_11162310.jpg
すっかりスケルトンで駐車場に転用されているストア。
江古田の富士の湯さんと同様です。

ここの奥に第六天のお稲荷さんがあります。
傍らで商い繁盛を見守っていたのでしょうね




何で鶏肉屋さんって別なのでしょう。。

d0250051_11201189.jpg
ちょっとびっくりした

















d0250051_11205269.jpg
稲荷脇のリアカーに干されていたのは
































d0250051_112229.jpg
銀杏と、隣の物体は何だろ。切干大根?
切干大根食べられないんだけど、今なら食べられる気がしてきた。
年取るってこういう事なのかも。









d0250051_11255079.jpg
近接する稲荷湯さん。

昔、番台から三助さんを呼ぶ時
男湯は拍子木を一回、
女湯は二回打っていたんだそうです。









テレビでよく目にする「都内最後の三助さん(日暮里の銭湯にいらっしゃる)」を思い出しました。
以前の上司にそっくりなんです・・・

頼んでみたいけれど、死ぬほど垢が取れそうで一応恥ずかしい。
あと、うちの親は「出歯亀」とかそういう語を今でも使います。

猫が風呂場に水飲みにくるのですが、そういう際に。



ここまで来たら三渓園の海食崖の地層を見たかったな。
手持ちの地図では埋め立て以前で、本当に海に面した団子鼻みたいな形でね。
今は湾岸線がぐわあん~と孤を描いている所。
それに、ドルフィンでソーダ注文して「貨物船こいやー」って血眼で待ちたかったけど。
ワシン坂の湧水も見たかったし。
でも暑かった・・・

追記~「本牧十二天の茶屋」という素敵な写真を長崎大学付属図書館幕末・明治期日本古写真データベース~で見せていただきました
d0250051_1021172.jpg

綺麗で丁寧な着色写真。
同じアングルの他の貴重なお写真も多数見せて頂く事が出来ます。
ありがとうございます。



不動坂かた見た本牧岬、というタイトルの写真も素晴らしいです。
今では眺む事叶わぬ風景が広がっています。


根岸湾=ミシシッピ・ベイ
本牧岬=マンダリン・ブラフ

外国人が絶賛する風景で、船舶からの目印にもされていたとの事。


本牧十二天社の沿革はこちら。

d0250051_1233330.jpg
あの~・・・何だか凄いんですが・・・
強烈に刻んでて・・・
















しゃこ貝みたいな地形です。↓
d0250051_12435819.jpg













************
また足に水ぶくれが出来て疲弊しましたが、帰りがけ、車窓から京急平沼駅の廃ホームが見えて俄然元気を回復しました。目がギラギラしちゃったようだ~。

************

私の敬愛する富田均さん。

傾いた家・古い商店・アパート・古木等々あらゆるジャンルの「惹かれ物」の地番や表札名、防火用水の形状等、都内各地のデータが全部頭に入っているような方。

流石だなあ・・・
[PR]
by onnbubatta | 2012-10-19 11:55 | 神奈川 | Comments(8)

慶応(日吉)まむし谷[暗渠早慶戦]&日吉の蓋暗渠等

新しいカテゴリ[神奈川]です。
早稲田に続く記事になるので早慶戦のタイトルを付したのみで・・・

日吉方面に用事があったので、水を求めて歩いてみました。
慶応日吉校舎と言えば、「新幹線でいっつもくぐってる所」の印象。

d0250051_17215742.jpg
学内の案内地図。
図中央部分左寄りの灰色の途切れた線路が新幹線☆です。













d0250051_17244942.jpg
パンチのある名前の施設が?。
最初は人名だと思っていました。教授とか、中興の祖とか・・・
進んでいくと結構規模の大きな深い谷への入り口が見えてきました。
若人もハーハー言いながら休みつつ昇ってきています。


d0250051_17285072.jpg
わかりにくいですが、ガガっと削られた谷です。
和光市の「大坂ふれあいの森」に侵食具合が似ています。此方の方がもっと規模が大きいですが

降りても降りても、底に辿り着かない・・・








d0250051_1734692.jpg
底が見えてきました
白いのは建物の屋根部分、ブルーは谷底のテニスコート















d0250051_17381231.jpg
谷が広いです。
そういえば戦時中の壕があった筈・・・このテニスコートの近くだったようです。確認はできずじまいでした。残念。新幹線のトンネルもわからなかった・・・
谷底から上界を望む。
心なしか、潜在意識がそうさせるのか、校舎が掩体壕に見えてきます。



d0250051_17395939.jpg
唯一あった水。
排水溝のようなものはあれど、少し歩いた中では暗渠様の物体はありませんでした。












横浜の山地形はスケール大きいのが実感できます。
(高校生の時、菊名の友人宅に行く折「凄い山だね~ずっと登りじゃん」と言ったら
「山じゃない。だよ(怒)と返されました)

d0250051_17502112.jpg
エンタシス様の校舎を眺めていたら、野太い声が・・・
「陸の王者~けいお~」をメガホンで歌っている若人達。
弓なりに反って応援する姿っていいよね~。学ラン着て「これでもか」っていうくらいに。
現役の慶応ボーイ★を拝ませていただきました。


アプローチや建物の配置が関西学院大学に似ていました。
ああ~関係無いけど、今年こそ「大根踊り」を肉眼で観覧したい!

d0250051_17525028.jpg
撮影で使われそうなくらい、洗練されています。素敵~














d0250051_17542087.jpg
余談ですが、「福沢諭吉事典」っていうのがあるんですね。すごっ。















..........................................................................................................
日吉駅の反対側に赴いて低地へ・・・
この辺りの地理に全く明るくない。アイムストレンジャーヒアー。

d0250051_17472948.jpg
崖下涌水がありそうな雰囲気。























d0250051_17482124.jpg
あったあった。
お風呂場のバリアフリー的な手すり?いや、管を守護しているのでしょう。






















d0250051_17515055.jpg
こんな傾斜のきつい暗渠も。
アリ地獄みたい・・・
横入りする枡が気に入りました。
暗渠の柵って、ゴミネット置き場の定位置・・・

この中を歩きたかったのですが、無理でした。残念。












d0250051_17552898.jpg
傾斜もですが、屈曲具合も結構派手な感じ。
このなりふり構わず曲がる様に、だんじり的勢いを感じてしまいます。


















d0250051_1759545.jpg
各家庭へ渡る橋。
橋と蓋の隙間に動物がいそう。。






















d0250051_180160.jpg
こちらでは緑のネットが掛けられています~。
橋跡の真ん中に杭が。















d0250051_1861690.jpg


























d0250051_1871395.jpg
橋と蓋の狭間で。
























d0250051_1885592.jpg
先程の家橋を反対方向から。
橋自体も角度ついています。
















d0250051_1810181.jpg
散策中、こんな「目やにキャット」の視線を感じました。
「おいら見ちゃいないよ~」













これらの流れに名前はあったのでしょうか。
「松ノ川」の暗渠緑道が傍にあったところまでしか判明してません。
しっとりとした、「雨音はショパンの調べ」な散策でした。楽しかった~
まともな格好、靴だったので次回は「マジ」モードで訪れたいです。

当然の事ながら、今回散策中にずっと脳内を行き来していたのは毒蝮三太夫さんのお顔でした。
もう彼=慶応、みたいな。

徹底した放射状。無計画な散策者とはえらい違いだ・・・cool!

[PR]
by onnbubatta | 2012-07-04 17:03 | 神奈川 | Comments(8)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


by onnbubatta

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
前谷津川
出井川
蓮根川
石神井川系
田柄川
千川上水
専用水道
渋谷川系
立会川
神田川支流
白子川
藍染川
足立区
地方
石神井川
水窪川
えんが堀
百々向川
蟹川
神奈川
内川
新河岸川
谷中川
さいたま
谷端川
荒川区
葛飾区
千葉
世田谷
江戸川区
中野区
北区
未分類

最新の記事

江戸川区葛西沖残照~旧海岸線..
at 2016-10-19 14:34
谷端川暗渠。北池袋~下板橋間..
at 2016-06-25 10:21
江戸川区松島3丁目、青の世界..
at 2016-06-15 15:42
旗の台:昭和大学そば。野の花..
at 2016-05-11 12:34
鮮やかに艶やかに散るらむ・・..
at 2016-04-01 14:58
道路計画(大蛇)に飲み込まれ..
at 2016-03-19 15:28
沢蔵司稲荷近辺の麗しい水路跡
at 2016-02-27 12:39
続・志茂の小水路跡~サウンド..
at 2015-11-26 20:46
川崎の入江崎~観音川河口突端..
at 2015-11-15 09:56
川崎にて、陸の舟旅を。
at 2015-10-25 16:02

以前の記事

2016年 10月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月

フォロー中のブログ

東京の水 2009 fr...
暗渠徘徊の日々

お気に入り(お邪魔しています)

最新のコメント

> 猫またぎさん ご無..
by onnbubatta at 22:06
onnbubatta さ..
by 猫またぎ at 13:23
>非公開コメント様 コ..
by onnbubatta at 15:33
>バス停の名前、正しくは..
by onnbubatta at 09:58
>sumizome_sa..
by onnbubatta at 09:46
日曜日に妙見島の方を歩い..
by sumizome_sakura at 03:17
>sumizome_sa..
by onnbubatta at 10:01
おや、また濃い場所にでか..
by sumizome_sakura at 21:05
>nori-p様 コメ..
by onnbubatta at 08:11
礫川小の水路は私も行った..
by nori-p at 17:21

検索

アクセス

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧