カテゴリ:新河岸川( 8 )

薬師の泉からの流れ・・・?板橋区東坂下に僅かに遺る蓋暗渠

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冒頭から、この取り込み中みたいな画像であれなのですが・・・
ずっと地図にも記している水路跡で、かつ2回ほど過去に確認にも来ているはずなのですが、今回初めて蓋が3~4枚残っているのを現地で確認できました。



ブルーの金網とオレンジの金網、グループ化されているのかな。






場所はこちら。中山道と環八が交差する辺り。セブンタウン小豆沢という商業施設の近くです。
セブンタウン小豆沢は、かつての小豆沢ガーデン(ゴルフ・プールなどの運動施設)、更に遡ると大日本セルロイドという工場が立地していた場所です。近くに区立の小豆沢体育館のプールもあり、水とは深い関係のある土地のようです。
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過去の住宅地図において確認できた水路跡は上の地図の通り。
どこからか端を発して、新河岸川に注いでいた流れになります。ちょうど水路跡の表記の始点が「薬師の泉」(地図黄色い丸)に近いので、水源もそうなのかなと推測しますが、周囲が崖線なのでどこも水が出てきそうな地勢です。


過去記事~ここから東にある「小豆沢公園の鍵付き蓋暗渠」の記事はこちらです。宜しければお読みください。


薬師の泉は、「いたばしの河川」という昭和50年代に出された板橋の河川バイブル的な書において「現状荒れているのが惜しまれる」的な叙述があったのを鮮明に記憶しています。そうなった経緯はよくわかりませんが、平成初頭の住宅地図では「復元工事中」の表記が見てとれ、現在は「薬師の泉庭園」となっています。だいぶ前に中に入ったことがあり、酔芙容の花が艶やかに咲いていたのが印象に残っています。

追記:薬師の泉は現在区が管理する庭園ですが、昔は曹洞宗の「大善寺」という寺があった場所で、現在は台地上の「総泉寺」に吸収合併されています。板橋区教育委員会発行の「文化財シリーズ第75集・まち博ガイドブック」に拠れば「薬師の泉」の説明に於いて、
「・・・昭和の初めに造られた”亀山荘庭園”は戦後は荒れるに任せていたが、板橋区は復元を行い薬師の泉庭園として開園」との記載がありました。また、北豊島郡の地図を見るとこの辺り「大善寺谷津」という字名が飛び飛びに見られます。

崖下の寺が崖上の寺に吸収合併・・・寺の跡地の泉・・・荒れた庭園・・・ああ、心を寄せずにいられようか。。
心をかき乱されるしどうしようもなく惹かれていきます。

吸収された先の「総泉寺」も浅草からこの志村の台地上に移ってきた寺で、かつては芝の青松寺・高輪の泉岳寺とともに曹洞宗の江戸三ヶ寺の筆頭として栄えていたとの事。

総泉寺については記事の最後の方でも触れます。


何か、心をぐいぐいと寄せられる要素がどんどん出現してきました。


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当該水路跡、赤い丸で囲った所が水路跡の雰囲気を今でも残している箇所で、水路跡の南側は大日本印刷の敷地として利用されています。

大日本印刷、いつも良好な場所にあるイメージ・・・

その他の箇所は歩道になっています。

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赤丸部分の左側(西側)から。大日本印刷と駐車場の間に細い側溝が残されていました。
勇気を振り絞って一段下に降りてみると、服に沢山植物の種が付着しました。私が運び屋になります・・・
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護岸の石のようなものも確認できました。

コの字周りで、東側を確認しに行きます。

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赤丸右上辺り、水路跡が歩道に化けている箇所です。どきどきする瞬間。
君はどのようにして達するのか。
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あのさ、こういう土嚢の置かれ方って実にドラマティックだよね。
舞台装置、小道具みたい・・・ドゥ ユウ ノウ ドノウ・・・?

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土嚢スタスィオン



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公道に達する目前、僅かに蓋が残っていたのです!
都会?に残るこういう僅かな空白・隙間、みたいなものを探し続けている身にとって何よりの宝物。

こんな隙間に立って、私は何をしているのだろうか・・・

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大きさの若干違う蓋どうしが余生を静かに過ごしておりました。。。

 
至近(小豆沢3-12地内)に在る水路跡の写真も載せておきます。
マセラティ板橋の隣という、素晴らしいロケーション。
この辺りは清水坂という地名もありますし、色々な場所から水が流れて来たのでしょう。

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土木部・土木課のガードやコーンが置かれている場所は大抵我々にとって好ましい場所です。
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近くに着流した感じがイケてるお地蔵様がおられます。

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このかくかくした道、旧い道の匂いがする・・・

文中で触れた「総泉寺」、中山道沿いに葬儀会館「妙亀会館」を有しているのですが、そちらが不思議な状態なのです。
車で通過するときなど時折目にしていたのですが。

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平成14年完成予定につき閉館とあるのですが、今現在も閉鎖状態が継続しているのです。。

お寺の本体の方を訪問すると、

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がらん、としています。崖線上にあるので、背後の景色が抜けています。
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本堂もこのような状態・・

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山門のお向かいが工場なので、独特の光景を造り出しています。

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鉄の杭のロープが張られたりしていて、境内のすべてを再整備する予定ではあったようなのですが
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・・・常に普請中、ではなくて整備を計画したまま時が止まっている様子。

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事情を知るのは・・・黒猫ちゃのみ

おまけ・・・「いたばしの昔ばなし」に、以仁王がこの近くに流れてきて葬られたというお話が伝わっているとか。
貴種流離譚でしょうか・・・


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by onnbubatta | 2017-07-26 16:04 | 新河岸川 | Comments(9)

新河岸川蛇行跡(旧字名振袖)に佇む水天王の石碑

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新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

いきなりではありますが、冒頭の写真、新河岸川の蛇行跡で、画像右側が蛇行跡、左側は昔の堤跡です。
流れるような曲線に吸い込まれてしまいそうになります。
場所は埼玉県志木市中宗岡、旧字名を振袖、通称名で摺鉢と呼ばれていたのだそうです。
昨年2月から何回か足を運んだのですがご報告が遅くなりました。


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新河岸川の富士見橋~宮戸橋の中間辺りになります。


そして堤に刺さるような状態の、手前の碑は・・・

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「水天王」の碑文が読めます。水天宮ならよく見るけれど、水天王は初めて目にしたかもしれません。
側面には願主のお名前、反対側には天明九 己酉 等の文字が刻まれています。
堤の斜面(結構な斜度)に、しかもこの石碑もかなり傾いた状態で建っていました。

この石碑にすごく惹きつけられて、堤の斜面を転がり落ちそうになりながら暫くの間あらゆる角度から眺めていました・・・
もう本当に滑落寸前。


冒頭でも少し触れましたが、この石碑が立っている場所は今こそ乾いているものの、その昔は新河岸川が蛇行して流れていた土地でした。
(近隣流域には同様の箇所が複数残っています。以前の記事でも一部をご紹介しました)

以前の記事:新河岸川旧流路遊歩~取り残された蛇行跡を歩く
      地中に伏せられ失われた新河岸川蛇行跡



旧小字名は「振袖」。
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グーグルアースで確認すると湾曲の弧の中がグラウンドのように見えますが、私が訪れた時期は冒頭のように何らかの耕地?でありました。「弧の中」「内側」と表現したくなりますが、実際には弧の部分が江戸時代の堤だったので、なんか感覚が狂います。

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陰影が判る図ではこのような感じ。
黄色が江戸時代の堤、水色で示した線が今回ご紹介した蛇行跡(大まかなもの)。
繰り返しになりますが、朝霞市~志木市~富士見市辺りの新河岸川流域はこういった蛇行跡がいくつか残っています。

ミシンの下糸と上糸のテンションが合わなくて、糸がつれちゃった時みたいな形状・・・

確かに「振袖」に見えなくもないですね。ここで志木市の地名の本から、「振袖」地名の解説を引いてみます。

「振袖」~新河岸川の古川に囲まれた土地で、明治初年の地租調査の時、その面積三九四七平方米(三反九畝二四歩)筆数二筆、所有者引又宿持ちと記された土地であった。この土地は、引又飛地字振袖と呼ばれた。川の流れにより志木地区から古くに分離された土地で、振袖の形をしているところから名付けられたものであろう。

また、当該箇所の通称名として「摺鉢」とも呼ばれていたようでした。

「摺鉢」~新河岸川の旧堤外に字振袖を取り巻くように古川があった。いつの頃よりか古川も次第に埋まり、いろいろの形をした沼ができ、中でも一番新河岸川に近い所に、丸い摺鉢の形をした深い沼ができ、広さはおよそ150平方メートルであったが、戦後自然と埋まり、今では新堤敷になってしまったがその姿から誰とはなく摺鉢と呼び、釣り人に親しまれたという。

↑「摺鉢」の方の解説の、成り行きまかせっぽい経過が何とも好ましい。

「いつの頃よりか・・」「いろいろの」「誰とはなく・・


源氏物語か!?みたいな感じで甚だほわ~ん。川の蛇行跡でどういう訳か王朝文学の香りを勝手に感じた一瞬。

解説を読むに、「摺鉢」の方が年次が新しい感じなのかな・・・


とりとめのない感じになってしまいましたが、丁度一月も半分過ぎて成人式も終わった折、振袖に因んだ小さなお話をお届けしました。

近隣の蛇行跡の旧字名として「中袋」「女巻目(おんなまきめ)」「姥袋(うばぶくろ・ばあぶくろ)」などもあります。

志木市の古い地名のイラスト入りのサイトがとっても楽しい(絵に凄みがある)ので是非ご覧になってみて下さい。
例として「女巻目」(志木市役所の辺り)のページをご紹介として貼らせていただきます。

女巻目


新河岸川沿いにあった水神宮の石碑

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志木市のイメージキャラクターにも据えられ、街のあちこちで見られる河童像。
「遠い記憶ー波動」というタイトルが付され、川を見つめている姿にぐっときます。




江戸時代の堤の脇にある神社
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by onnbubatta | 2015-01-15 11:02 | 新河岸川 | Comments(2)

志木市の宗岡地区を歩く~荒川の不思議な築堤横堤・菖蒲沼の馬頭観音・固められる水路等

志木市~朝霞市の新河岸川沿い歩きの記事に戻ります。

志木市に戻り、新河岸川と荒川に挟まれた水に縁の深い土地を歩いて行きます

まず目指しているのは、荒川の土手というか河川敷にある馬頭観音群。何度か近くまできていたけれど
未確認でした。

そして、こちらは何度も訪れていて、何の意味のある物体なのかず~っと不思議に思っていた、
「荒川の横堤」。通常河川と並行して築かれる堤が、ここでは河川に対して垂直に入り込んでいるのです。


低地をぶらぶら彷徨います

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以前の記事で取り上げた速度抑制物(ここから至近距離の朝霞沈殿池前にある)より
強烈な外観。
鬼の形相です












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こちらは幅員制限が目的で設置されています。
ここか、ここのすぐそばの道路下を旧朝霞水路(秋ヶ瀬取水堰から朝霞沈殿池へ導水するための水路で、
地盤沈下により通水に懸念が生じた為現在は別の水路が設置されている)が通っている理由で幅員制限が
必要なのかな・・・?

背後のお店もなかなか気になります







ここの前の道路は、おそらくはかつての「中堤」。この道に沿って「中堤用水」も存在したそうですが
秋ヶ瀬取水堰が完成し、東京都への送水管が埋設される際の工事で「中堤」は消滅したようです。
(幾つかの圦樋もそれに伴って姿を消したとの事)


またこの辺り(セブンイレブン近辺)には「落合」という旧い字名や屋号も存在し、もともとは旧入間川と新河岸川が落ち合う所から生じた地名のようですが、また一方で中堤用水と野火止用水の落ち合う場所でもあったそうで、その事との関連も考えられるそうです。(野火止用水は宗岡の上中下に行き渡っていたとの事)

電柱の支線名で「落合」を見掛けました。


付随する屋号として、「小っちゃい落合」というものもあったそうです。
「ちっちゃいおっさん(尼崎の非公認ゆるキャラ)」を思い出してしまう、口語調のいい響きの屋号ですね。


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ちっちゃいおっさん公式サイト

おっさんへの質問コーナーとか、「small middle aged man」と添えられた注釈が面白いです






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華やかな看板。結構激しく本格的なダンスの絵が描いてあります。残念ながら営業していないように見えました。
夜の部の男性料金が不明朗ではあります。









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樋之詰児童遊園で、またこのパイレーツブランコに遭遇。
葛飾の鎌倉の記事で一度ご紹介しましたが、その後足立区の古隅田川沿いにもおはしました。























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以前の記事で触れた、宗岡二中前の「篭島圦樋」からずっと続いている水路と平行して歩いてきましたが
(古い地図では赤野毛幹線と表記あり)、この辺りで水路はぱったり途絶えます。






















赤アイコンが鬼の幅員制限の位置。ここから斜め左下に延びていく、二連の道路は水資源機構の管理道路であり、赤アイコンより斜め右上に延びる道路下に旧朝霞水路が暗渠で存在しています。

地図の北の方で水路が途切れる地点から先、斜め右上に伸びる太い道路の下にあるのが現行の朝霞水路です。
(構造:コンクリート矩形二連暗渠)
18番16番地を横切る水路(画像左下付近)が中堤用水と関連があるのか微かな名残なのか気になっています。



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水資源機構のマンホール

















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ついていきたくなるよね































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東京都の水需要をまかなう、地中の朝霞水路を足裏で意識しつつ歩きます(大義)

古くからあるお宅の外壁が、恐らく剥がれ落ちている過程なのかもしれませんが素敵です







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宗岡樋管。
秋ヶ瀬取水堰で採水した水を堤防を通過させます

ここの近くから土手を登っていけば馬頭観音群に会えるはず









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土手から見えた、おそらく水塚のあるお宅。
左が母屋で、右は屋敷神様と、貴重品を置く蔵でしょうか。











土手に上がって見えたもの もう一つ。。。
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ここここれは、水路を現代的に改修している過程・・・?
手前にはコンパネみたいなものが等間隔に積まれています。
























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奥の方は、固める施工をしたばかりなのかシートのようなもので塞がれているのかよくわかりません。
ここからどういう状態に変化していくのでしょう。
凄く気になります。



















先程水塚に少し触れましたが、水塚を盛る為に家の周囲を掘った跡が「構え堀」のような形状で残っているお宅も昔はあったとの事。近年「蚊がわく」という理由でコンクリートで固めたりしているお宅もあると、志木の水塚を紹介している本に書かれていました。



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そしてありました。荒川の横堤。
上流方からの洪水を食い止める為に、河川に対して垂直に築かれているそうです。

いつも荒川左岸の河川敷から眺めていて、「今にも電車が走ってきそうな、臨場感や疾走感のある不思議な築堤」とかねてから思っていたのですが、右岸から眺めるのは初めてです。

いつも新緑のころや夏場に来ていたので、青々とした築堤が印象に残っていましたが、

冬のこの枯れ感もぐっとくる景色です。ツチノコを彷彿とさせる形状と動物色もいいなあ・・・



そしてそして、かなり年季の入ったポンプ小屋の脇に・・・
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いらっしゃいました!
ずっとお会いしたかった、「菖蒲沼の馬頭観音」













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この付近の小名・通俗名として、「馬捨場」「観音塚」がかつて存在し、耕地整理がされる以前の現河川敷にあたる場所に菖蒲沼という沼(近接して大明神沼・中三在沼という通俗名も伝わる)が横たわっていたようです。



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ロケーションも群を抜いていますけれど、とにかくお顔が魅力的でした。
見る角度によっても全く違ってくるし、年月風雨を経てもなお、挑んでくるようなこの強い眼差しが。





















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今にも声が聞こえてきそうな・・・





























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「てめえどこの中学だよ!?」

・・・私とした事が、言葉遣いが荒々しくなってしまいました
不謹慎で申し訳ありません



更に土手を北に向かって歩いて行くと

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またまた興味を惹かれる小山が土手下に見えました。














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冨士塚?

ここは産在氷川神社(中の宮氷川神社)のなかの「御嶽山」で、この地域が浸水被害にあった際この山に登って難を逃れた方がいたと「水害と志木」の中の記載で読んだ気がします。



















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下の宮氷川神社にあったようなものと同様、上部に空洞部分のある石柱が建っていました。

大分歩いてきたので、神社内のブランコに五分ほど座って一休み。





また、ここのすぐ近くに、お庭に池と太鼓橋のようなものが見えるお宅があって、地図上では神社の表記になっているので気になっています。
(鳥居と、菅原道真風の銅像も建つ)



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河川敷の耕地が、変則的な短冊状に組み合わさって何とも芸術的ですね。
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by onnbubatta | 2014-05-15 12:00 | 新河岸川 | Comments(4)

板橋区舟渡のワンブロック・蓋暗渠

連休のちょっとしたお楽しみ企画。前回の筋状の水路跡特集に続いて
ここでドルチェ的な記事を。


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場所はこんな辺り。板橋区舟渡
新河岸川に架かる「蓮根橋」の近くです。














いきなり遭遇した蓋暗渠です。

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お行儀良く並べられた煉瓦ブロックが、この奥へと続く世界を明示しているようで。
始まりは黄色いガードレールから。

























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続いて水色のガードレールへと変化






























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君はどこの子?
































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ガードレールは白地に赤へと変化。

端の処理は結構大雑把に仕上がっています。


























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横から、亀裂を鑑賞

















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更に奥へ歩を進めると、ガードレールがふたたび水色に変わり、周りの状況も野生児たる感じがより一層増していきます。
しかもガードレールが派手に傾き始めるし・・・




















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反対の角度から検証すると、台風直後のような様相。
なぎ倒されているかのような。



























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冒頭で「君はどこの子?」と問いかけましたが、置手紙のように「サイ」とありました。














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奥は工場の敷地でしょうか。少し小高くなって行き止まりになりました。
一角のみ残った蓋暗渠。何とも不思議な感じがして、帰って地図を確認すると、舟渡の荒川の蛇行跡(置いてけ堀)に接続していたようです。




















おまけにもうひとつ、こちらは前谷津川系?、去年の秋に見つけたもの。
蓋が白く、両脇も綺麗に舗装されているので、従来はもう少し違った姿で存在していたのかもしれません。。

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板橋区西台2丁目。
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by onnbubatta | 2014-05-05 14:20 | 新河岸川 | Comments(2)

地中に伏せられ、失われた新河岸川蛇行の名残

大分間があいてしまいましたが、新河岸川の旧流路と思われる蛇行を追い求めて、内間木通りに入っていきます。(2014年2月初旬の訪問記です)
前回の記事では、ピンクのマークの少し上あたり、下の宮氷川神社と宗岡二中の間の蛇行辺りを
彷徨いました。

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地図中の高齢者施設の前を南北に走る道が内間木通りで、周囲には墓地計画があるようでした。
また、「やつるぎ遊園地」という興味を惹かれる小公園が隣接していました











ここから武蔵野線との交差部辺りまでは大型トラックの走行が頻繁で、人が歩行するのはかなり厳しいもの
が実感としてありました・・・



黄色マーク辺りも相当そそられる蛇行の様子が地図では描かれているのですが、前回の記事でも触れたように、道があったとしてもちょっと近付けないような場所が多いのです

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小橋まで架かっている。。。!これは見てみたいなあ。





















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グーグルアースで見るとこのような感じで、ちょっとロマンティックな気分になります。
武蔵野線と旧流路が交わるところなどは満々と水を湛えたような表現となっていますが、(住宅地図では年代によっては湿地の表記がされているものも。)武蔵野線の車窓から眺めた感じではオレンジ色をした不思議な色の細流が垣間見えたのみでした。
大雨が降った後などは全く違う景色が見られるのかもしれませんね。


黄色マークの地点と、黄緑の武蔵野線を取り囲む地点は近付けなさそうなので、紫マークのポイントを目指します。ここには公園があるようなので何とか様子がわかるかも。。。と。



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武蔵野線をくぐって、間もなく見えてくるホテルのような外観の建物。
朝霞市民の憩いの湯「湯~ぐうじょう」。営業はしておらず、路線バスのバス停として現在は機能しているようです。
もう少し階数を高くして、「蛇行跡を眺める展望ラウンジ」とかに転用するのはどうでしょう。。




内間木通りの先には「わくわくどーむ」経由、と書かれたバス停にも遭遇、朝霞市の施設はネーミングが楽し気。



そんなに古い建物には見えませんが、工事に欠陥による大量の漏水を起こした経緯があり、
修復にも費用が掛かるとの事でこのような状態に至っているようです。。。


憩いの湯を過ぎると蛇行した旧流路が見えてくるはず。。大きな窪地にはなっていますが
生い茂った枯草のなかに細流が見えるのみ。



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流れ沿いに不思議な光景がありました。
川に突き出した形で、かつての憩いの湯の駐車場があったようですが、それが金網で仕切られていて
どうやっても道路側から停められないような恰好になっているのです。
駐車場の字の先が窪地です

左の干し草地帯が流路、右の金網内側が道路。

前回も触れた、和光富士見バイパスの収用にかかっているものと思われます。






もう少し先に歩くと、流路に掛かる橋に差し掛かるはずです


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蛇行流路に架かる橋から北方面(武蔵野線方面)を望む。
時折通る貨物車を眺めていると飽きません。
武蔵野線はずっと高架ですが、ここは湿地帯にかかるから橋梁になるのでしょうか・・・
ふとした疑問。




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若干気味の悪い枝の垂れ方






























橋の反対側・南方面を眺めると

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橋の北側とは打って変わって、護岸は綺麗に草が刈り取られて整備されています。
画面左側に並ぶ木々は、内間木公園の南西端にあたります。










蛇行具合が最もきつい辺りを確認するべく、内間木公園の中から(二つの流れが合流する地点付近)
流路を眺めてみると(画面左下辺りの水路は内間木公園東側を流れる流路です)

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流路の先は金属製の管と無数の土嚢を境に失われ、地上部分は整地されています。
そして背後には重機と残土の山、並んだ工事用の衝立。

胸騒ぎがします・・・

下の拡大地図の緑ポイント付近



この先の流路の接続を確かめなくては。
一旦内間木公園から出て、先程の車道に戻り、現在新河岸川が流れている方面に向かいます


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すると、先程の地点と同様にこちら側も管と土嚢が現れました。
当該区間の水路は管の中・地中に伏せられてトンネル状態となっています。

下の拡大地図、ピンクのポイント付近





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地図中の矢印は大体の撮影方向。
紫で囲んだ辺りが、流路が消された大体の区間


















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再びグーグルアースで見ると、実験装置のような流路跡が浮かび上がってきて面白いです









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梯子開渠が再開していました。
この辺り朝霞市のクリーンセンターが隣接しており、空き缶が一斉に回収される音が鳴り響いています。









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葉も花もない時期だから様子が良く見えました・・・





























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地上部分は等間隔に杭が打たれて、更なる工事を待っているかのよう。





























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新河岸川の堤防沿いの水門のような施設を経て、新河岸川と合わさります。













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流路が地中に伏せられた区間を航空写真で確認すると、和光富士見バイパスの計画地がひたひたと
背後に迫っていました。やはり。




黄色いラインより南、新盛橋信号以南は既開通区間となっています。



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冒頭の地図に、大まかな道路計画予定地を書き込むと(正確ではありません)
蛇行跡を狙い撃ちにしたような軌跡が・・・















久保純子先生が、1966年のこの地域の地図を読図され、「・・・新河岸川沿いには、蛇行する旧河道があちこちに残され、竹藪や水田と錯綜している。」と書かれています。

前に記事にした、釣堀として残っている「ひのつめ園」の他、下流にも旧河道を利用した「朝霞ガーデン」という大きな釣堀があります。(ここはまだ行っていないので、今年中に行きたいなあ・・・)



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新盛橋の信号付近から見えた残土のお山。先程の流路が地中に伏せられた工事をしていた箇所の反対側にあたります


















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上内間木の変則的な差路に、小さな屋根に守られて佇む庚申塔とお地蔵様。
古くからの道らしく、すぐ近くには神社や阿弥陀堂があります









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お地蔵様たちと同じ場所(道に挟まれた三角地帯)にやぐらがそびえていました








































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本格的な鐘も付いています。非常時には鳴らすことがあるのでしょうか














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沿道にて、イラストが描かれたブロック塀が印象的な作業場が目に飛び込んできました














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二人の対照的な表情が、見る者の想像力を掻き立てます。
まずもってひげ濃い目の親方風の人物に目が行きますね。

ちょっと能天気な感じの部下の仕事ぶりに不満気な表情・・・?
描かれた背景に思いを馳せます


可愛らしいブロック塀で、一目で気に入ってしまいました。




そして最後にもう一度。

胸が痛まないか。

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潜伏中
昔の流れを忘れた訳ではないのだ・・・


















二か月以上経ってしまいましたが、現地の状況はどうなっているのか気がかりです
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by onnbubatta | 2014-04-21 12:28 | 新河岸川 | Comments(2)

新河岸川旧流路遊歩~取り残されし蛇行を見に行く

三日月湖。それは誰しもがふと気になるところ。
あなたの心や記憶にも、今なお水を湛える三日月湖はありますか。。

各地の「暗渠」に光が当てられつつある昨今。
三日月湖旋風も巻き起こりそうな。



前回、志木市と朝霞市を行きつ戻りつする「野火止用水分流跡」をご紹介しましたが、

そもそも志木市に来たいと思ったのは、ふと地図を眺めていて

新河岸川左岸に展開する激しくも狂おしい蛇行の跡を一度見てみたい」と

強く思ったからなのです。

しかもその周辺では「和光富士見バイパス」道路事業が進行しつつある現状。


旧流路の蛇行は数か所ありますが、蛇行の際に位置する「下の宮氷川神社」にも興味があったので
志木市の宗岡第二中学辺りから歩き始めることに決めました。
(携帯で「宗岡」と入力すると「宗男か」と推測調になってしまう我が機種・・)

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流路の変遷を経て、市境界も入り組んでいます。
天狗の鼻のようなポイントも。

新河岸川の「九十九曲り」と呼ばれる蛇行。蛇行している事で流れが緩慢になり水深も確保できて、舟運には都合が良かったそうです。










でもそうなると水害の危険性も当然増しますが
この地域の歴史資料を拝見していると、
「川は氾濫するもの」
という前提で、村を囲う堤防や、水塚を作って備えたり。

また、もう一方の大河である荒川が氾濫すると、「えぐみ」と呼ばれる肥えた土が入るため、宗岡では大変美味しいお米が出来たとの事。

川は自由に流れさせる。

達観しているような、深い深い言葉です。


志木市の低地エリア、こちら側が「志木市探索」にはまった原動力となる魅惑のエリア。

「ゲール(蛙)のションベンでも水が出る」(蛙の小便ほどの雨量でも水害になる)と云われた志木・朝霞低地エリアを歩いて行きます。


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武蔵野線「北朝霞」駅で下車してバスに乗り、宮戸橋で降ります。
余り歴史的な下調べはせず、体当たりで。

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とぼとぼ歩いていると、土手のような形状の路に出て、そこには釣堀の看板が。
「つりぼり ひのつめ園」











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離れた場所からの撮影


















しゃもじのような形の先が市境界を成す旧流路。
その上辺が釣堀として残されていました。

しゃもじの左辺に当たる旧流路(西側・宗岡三小と接する箇所)も釣堀でしたが、平成9年以降に埋め立てられて小学校の校庭敷地となったそうです。

しゃもじの中は朝霞市宮戸。ふるい地名では北井房中袋。

隣の気になる水面は「朝霞水路沈砂池」。
管轄の水資源機構の説明によると、「荒川」の秋ヶ瀬取水堰から取水した「利根川」の水を
ここへ導いて、東京の都市用水の供給・はたまた隅田川の浄化に使用するための施設です。

何だか不思議な説明・・・荒川の水面を使いながら、流れているのは利根川の水だなんて・・・


さて、つりぼりひのつめ園。ここの近くの別の場所にも「樋の詰」という地名があります。
以前、川口市で「芝樋ノ爪」という興味深い響きの地名に出会ってからずっと気になっていました。
用水の「樋」が勿論一番意味として通るのですが、樋、はたたら製鉄関連の地名として伝わる地方もあるとか。川口には「金山」もあるし鋳物とつながる可能性もあるのかな、と推測していました。

当地域における「樋の詰」の解釈として、「郷土志木の地名」に依拠するに、

「いろは樋によって宗岡に注がれた野火止用水が、中宗岡を経て中堤(※現在消滅)
へと流入し、その末尾は新河岸川に落ち込む訳だが、この地はその寸前の灌漑地であり、最も樋の詰(尽きるところ)にあることから、この名が生じたと・・・

ツメ、は先端の意。また市内で見られる資料に日詰、樋爪などの文字も見られるが、日が詰まる→月末の
意であり、廿九日(ひづめ)、つまり毎月二十九日に定期市を開く土地にこの名が多いようである。

また「ひずめ」で馬に関係のある地名とも考えられる。(隣接する地域の内間木=内牧との関連)」


「中堤」や「樋詰」については後々また登場します。

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冒頭で「土手のような路」と書いたのですが
その後調べてみたら、「新田場堤」と呼ばれ、村一帯を水害から守る輪中のような堤防の一環で
江戸時代に築かれたものだそうです。




すぐ上の地図では、真ん中より少し上に横断する道。荒川の土手まで弧を描くように続いています。
この道を歩いてほどなくして、

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建設中のバイパスが堤を斜めに横断していました。
ここは工事事業の「モデル区間」とされている箇所。












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赤いアイコンの辺り。
斜めに道路計画があり、用地が確保されている区間がある事がわかります。





和光富士見バイパスは川越街道(254号線)の混雑解消の為に昭和50年代に計画され、
当初は二層式の合計8車線の予定だったものの、その後の経済社会情勢を勘案して
2008年に新たに平面4車線の構造を採用したとの事。
(見直し理由の一つとして、宗岡地区の地盤が軟弱であり地下水位が高い事、流域下水道管の本管等大規模埋設施設の存在が判明した、との資料有。。最初から判りそうな気も・・)



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ピンクのマル囲み区間までが既に開通していて(オレンジの道路)
その間の区間が現在工事中や収用中という事でいいのかな?















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予定ルートの別地点で見かけた反対看板。(おそらく計画改定以前)
立体構造の上段高架が自動車専用の4車線、下が国道4車線。
この絵柄のトーンもちょっとホラー入ってるかも・・・












この道路が整備される事で国道254号線川越街道の混雑が解消され、周辺の生活道路への
車両の流入を防ぐ事が可能になる等々。
それに関係あるのか、この辺りでは車に対するヘビーな「速度抑制物」が見られます。
これはその中の「狭さく」タイプ。近くの荒川沿いにはハンプと呼ばれる段差もあります。

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これとか。
エルグランドは一旦停止してから徐行して通過していきました。













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ああ・・・






























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????・・・!





















相当のダメージを受けています。







宗岡第二中の所まで歩いてくると、江戸時代の堤を歩いているわけで、真ん中(道路)は盛り上がって
両端は低くなっています。

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新田場堤。堤の両斜面に沿って木が植えられています。
右側が中学校。


























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あらあら・・・
ちょっとネグレクトされている感じ・・・
「応急処置」がいつしか「本処置」になってしまった感。


























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ミミズのようなポンプが突っ込まれていました。




























堤下の水路に、石造りの思わぬものを発見!

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「篭島門扉」。
石造りのアーチ型樋門として県内唯一のもの・・・
そんな水遺構に偶然出会うことが出来ました!感動。
「明治28年5月」と刻まれているそうです。字が刻まれているのはわかりました。

こちらは堤内側。


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旧堤防を挟んで、堤外側に当たる中学校入口にこんなお知らせが。













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覗いたけれど、残念ながら見えませんでした(泣)












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後で調べると、「堤外側の水位が上がると水圧で自動的に閉鎖する観音開きの門扉が設けられていましたが、現在はその前面に昇降式の扉(金属製)が取り付けられており著しく原型を損ねています」





河川の堤防には所々に水路(雨水・農業用水・生活排水・悪水)が貫通しており、これら堤内水を川へ流し出す働きをします。普段は開放され、川が増水した際は扉を閉めて逆流を防いでいます。

こうした「堤防内を貫通する構造物」はかつては圦または圦樋と呼ばれていましたが、近代に入り
門扉・樋門・樋管等の呼称も加わりました。(志木市の宗岡周辺ではあちこちで見られます。前回記事の
田子山樋管もその一つ)現代では樋門・樋管が一般的で、より大規模で堤防を切り、上部が開放されている
ものを水門と呼ぶそうです。

さて、新田場堤の北側の水路はいつしか蓋暗渠に変わっていました。

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土手に沿って植えられているのは桜?
また来てみたいなあ・・・




























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土手際に小さな祠と鳥居がありました。
場所は「新田治水広場」という小公園脇。













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ここを右に入っていくと、中学校に沿った水路も見えるし氷川神社にも行けるはず。














ちなみに・・・
左向きに天狗の鼻のように突出している市境界の箇所は水路跡の溝としては残っていましたが、
訪問時は水の流れは無し。奥が社有地に面しているので辿れません。
また周りは杭が立てられており、道路の収用地となっている様子でした。


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水路跡の境目がわかりにくいですが、現状このような感じ。
天狗の鼻の上下とも似たような状態です。
こんな近距離で蛇行するなんてもうどうにかしてるね。
























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すみません、話戻ります。紫アイコンの地点を入ったところです。
おお、うねるように中学校に沿う水路です。
ここも新河岸川の旧流路にあたるのかな・・・?
古地図の時期によって、微妙に流路が変わっているので正確な所はよくわかりませんが。





ある時期では、宗岡二中の敷地北辺をホールドするような形で川が巻いている地図も
ありました。

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川床の半分以上に土が堆積して草が生えています。





























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下の宮氷川神社の入口にあった四本の柱のようなもの。
その全てに長方形の穴が開いています。









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珍しい「北面の神社」との事。
宗岡は、上から下へ向かって村が開けていき、観応二年(1351年)に鎮守も上から下へ分祀され創建されたのがここ下の宮氷川神社。
上の氷川神社に対して「下の宮」と云われる由縁で、当社が北を向いているのは上の氷川神社を向いているのであり、このような配置からは、向かい合った神社の恩恵を受けて村内が守られるという、当時の人々の願いが感じられるそうです。


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一堂に会す水の神様。
水天宮は確認していませんが、他の水神様は背面に天保・明治・嘉永期の銘が刻まれています。










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神社の背後、写真左奥の道なきところの行きつく先に地図では池のような水溜まりが見て取れるのですが
手前が山のように盛り上がっていることもあり確認できません。




googleの航空写真でも水面には見えなかったので、通常は水が無く、雨の時にできる池なのでしょうか。

その池のような沼のような地点も、バイパス用地にかかっているようですが(朝霞市に属する)
現状歩いた範囲では明確な変化は確認できませんでした

そして先程の石の柱には「昭和拾年」の銘がありました。


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あれあれ、護岸に何か引っ掛かってるよ!?














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まさかの・・・
大八車!?

収納場所なのか、「見せるインテリア」か、微妙な均衡で滑落しかかっているのが寸止めされている状況なのか。憶測が広がります。



そもそも学校の備品なのかどうかも。
技術家庭の時間に皆で力を合わせて作成した大作とか!?・・・
大八車、若い方はご存知ないかも。。。?


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いても何ら不思議ではありません。
ぐらいの境地に至ってきました。












新田場堤に戻って、東の方へ歩いて行きます。











↓そして次に堤防上で見かけたのがこれです。最初は通り過ぎたのですが、気になって引き返しました。
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竹藪の脇にハンドルみたいなものが。
水門かな?





























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これは、先程見た、篭島門扉のような施設では?と思い、堤防を挟んで反対側(堤内側)を見ると。。

こんな場所で煉瓦造りの歴史的遺構を目にするとは思ってもみませんでした。
(静かな農村、という感じでしたし)

「明治33年6月」の銘が見えます(写真では判りづらいかも)

残念なことに、現役で稼働しているものではないようで、ごみ袋(かな?)が堆積しています。


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ハンドルの真下は畑地になっていて、遺構の姿も確認しづらくなっていました。

明治時代の煉瓦造り樋門遺構がこういった現況・・・






こちらの遺構についても調べてみました。
名称は、「新田圦樋」。ハンドル操作による上下昇降式門扉が設置されているとの事。
ハンドルは新しいものに見えたから、もしかして動かす時もあるのかな?と淡い期待。

場所は篭島門扉の東300m程の新田場堤。

ここからは内間木通りという古くからある道を南下するのですが、付近には残土の処理場のような施設が
多く大型トラックが頻繁に行き交い、人の歩く所ではないかも、というのが正直な感想。
土埃も凄くてマスクが必要です。


一気にご紹介しようと考えていましたが、画像量が多くなり全体の分量もきつくなってきたので
次回に続きます・・・
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by onnbubatta | 2014-03-13 17:05 | 新河岸川 | Comments(0)

慶応志木高校北側から始まる野火止用水分流(浜崎流末)の蓋暗渠(ヒューム管露出地点有)

慶応志木高校の北側から、谷戸地形を利用されて流されていた
野火止用水分流跡暗渠(浜崎流末~名称は「郷土の地名」の地図ページに拠りました)を歩いてきました。

暗渠の好きな方なら必ずハマるであろうエレメンツが充満していました。
ここ数年の中では最も興奮した行程。

d0250051_13312727.jpgあ、ちょっと違う所に赤いフラッグ立っちゃった。
慶応高校左上の箇所がスタート地点です。






















d0250051_1693841.jpg慶応志木高校から新河岸川にかけて切り込まれる谷戸を利用して、野火止用水が通っていました。
野火止用水は玉川上水から、飲み水にさえ事欠いたといわれる当地へいくつかの分流を経てはるばる引いてきた水。





「貯水池」は後程、かなり後の方で目印として登場します。



慶応志木高校敷地内にもこの野火止用水分流が素掘りの水路の形で残されているとの事。中に入って見学したかったです。(どう見ても慶応の保護者には見えないと自覚)
塀に沿って歩いて行きましたが、敷地の広大なこと。武蔵野の森の面影を今に伝える貴重な空間という印象を受けました。
ちらっと騎馬像みたいなのが見えて「誰かしら?」と気になったのですが
帰って調べてみると「牧童像」でした。更に沿革として、慶應義塾獣医畜産学校・慶応義塾農業高校を経て
今に至っていることを知りました。納得。


慶応志木高校の高翔寮・友隣寮・跡地に建つマンション脇の緑地「慶応ふれあいの森」から
歩いて行きます。「慶応高校前」バス停至近。

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右方向が高くなっていて、たぬきが生息していた事から「大原ぽんぽこ緑地」と名付けられています。
左側は更に低く谷戸地形になっており、元々あった谷戸を利用して水を引いていたのでしょう。
古い地図で確認すると「宮戸境久保」と呼ばれる朝霞・志木の市境を成す谷戸になっており、
現在でも「谷津地児童公園」等としてその名を残しています。






↑舗装してあるけれど、山の土が流れてきちゃったのかな。



d0250051_1628281.jpg橋跡を連想させる



































d0250051_1603536.jpg道路と最初に交差する地点で、今まで歩いてきた水路跡を振り返ったところ。(北・上流を向いて。)
コンクリート造りの四角い構造物の上に、微妙に盛り上がったマンホールが乗っかっています。
水を想起させる構築物。


















次の交差部までは通常の側溝のようなさらっとした蓋が展開します。
それに続いて表れるのがこんなタイプの遺構。
d0250051_1624527.jpg片側コンクリート蓋に縁石が沿っていきます。
色々途切れがちな意匠も味のうち。


























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続く交差部にて、我らを導く芳香が。
コンクリート敷石に鎮座するマンホールが、座布団に座っている遣り手婆さんの如く。
そしてその奥にある水路を明示しているのです。



















d0250051_1675027.jpg魅惑の小蓋の始まり。はあはあ。
ちょっと息も絶え絶え。倒れそうになります。
わかっているくせに。。とつぶやいてみたくなります。


















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蓋の上を歩くとかぽかぽと音が響きます・・・
なので脇の土の方を歩いてみたり




























d0250051_16124572.jpg少し歩き進めると、左側(西側)との間が再び明瞭になってきます。
前述のように、元々あった谷戸を利用しているのですが
水路は一段高い所を通っているらしいのです。



これが私を惑わせるもので、初めて来たときは新河岸川への落ち口、つまり下流から
遡上したのですがそのまま谷戸の底を歩き通してしまい、この野火止用水分流跡には出会えませんでした。










d0250051_16151583.jpg民家の車庫部分が張り出している箇所に差し掛かり、一区間蓋暗渠が途切れて
階段を降りることになります。
これは上流側を振り返ったところ。






















d0250051_16173645.jpg数メートル民家の車庫部分を歩いて、短い階段を昇り再び中腹の用水路跡に戻ります。
素敵な保育園ライフが約束されているんだろうな。
























d0250051_16222191.jpg上流側を向いて。
この辺りから崖側の管が目立ってきます。
右側の蓋脇には護岸のような構造物も。




























d0250051_16231231.jpg護岸?カーブのついた外枠の名残のようなものも恰好いい・・・
次から次へと変化があり、歩いていて気分が高揚してきます。

























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千手観音がくねくね踊っていました。





































d0250051_16265615.jpg先程の階段以来、久方ぶりの外部と連絡地点。
崖上に通じているのは多分この地点のみ。
ここでは崖下にも降りる事が可能です。

此処から先は、隔絶された水路跡を究めていく感じ。
修行僧の心境に至ってます・・・

この階段地点を境に、蓋脇の状況が土→石混じりの土、と
変わっていきます。










d0250051_17132062.jpg砂利砂利している中、周囲は家々のベランダが向いて裏手感が漂ってきますので
真っ直ぐ真っ直ぐ早足で進みます。
























d0250051_17153838.jpg犬とか連れて歩いたら怪しくないのかも。犬欲しい・・・
でもここはれっきとした野火止用水分流跡!歴史散歩しているんだ~
























d0250051_17193257.jpg艶めかしい屈曲の凹み部分には、崖にひっつく「サルノコシカケ」のような構造物(自然物?)とグリーンの桶。


























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d0250051_17301912.jpg継ぎ目の蓋、交換してありました。
真ん中に挟まれし新入り、いつしか両隣のようなグレーに染まっていくのでしょう
























d0250051_145942100.jpg曲線美をとくと堪能。
ここの駐車場、ずっと残っていてほしい。






「崖下にはやはり駐車場だよね」。と独りつぶやきたくなる。



d0250051_1445353.jpg再び、蓋に沿う外枠が姿を表してきました。
飽きさせないなあ。

こういう細かい造りの観察が楽しくて、歩き疲れを一切感じません。
脳内から麻酔みたいなのが放出されているのかも。

ハイテンションで進んでいきます。














d0250051_17363890.jpg擁壁やや崩壊箇所































d0250051_14464438.jpg崖下が駐車場なので、視界が開けている場所。
中でもこの場所は日も当たるのか、植物が生えています。

現在地水路敷きながら、擁壁が白に変わると、地中海の島のような明るい雰囲気が漂ってきます。

















d0250051_16185771.jpgこの箇所は航空写真から見てもうっとりするうねり具合。
竜やら蛇やらが優美に、自在にしなっているみたいですね。
画像がちょうど雪化粧していて、カーブが引き立ちます。






d0250051_1554434.jpg壁面から管が斜めに差し込んでくる地点。
蓋と土との境目が曖昧になって埋もれかけています。


























d0250051_1511042.jpg擁壁壁面が幾何学模様になり、接地面には崩れかけの枡のような構造物がありました。
蓋もやや乱れ気味に連続しています。
そして、写真でもわかりますが蓋脇が未舗装→舗装面へと一瞬切り替わります。
(ここも境目は曖昧。)















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先程までは水路敷きより一段低い場所に貼り付くように駐車場が伸びていたのですが
この辺りから戸建街になり、谷戸に面しては貯水池も見られます。

この先が、この暗渠のクライマックスとなっていきます。
突如としてヒューム管が露出している!

d0250051_15232598.jpg蓋がいきなりコンクリート製のヒューム管へと変貌したのです。
行きつく先には四角い排水溝が待ち受けて。
起承転結のまさに「転」。
聞いてないよ!






















d0250051_15274892.jpg冷めやらぬ興奮をなんとか抑えて排水溝までくると、これまでにはほぼ感じなかった勾配ぶり!
ヒューム管ごと急坂を下るとは。(僅かな区間ですが)























d0250051_15354368.jpgほぼ平らに置かれたヒューム管と斜面に置かれたヒューム管が、排水溝で中継しあっているさま。



























d0250051_15385275.jpgヒューム管上部の継ぎ目観察に浸ります。

ここまで斜面の中腹をほぼ平坦に歩いてきたのに
最後にこんな形で高低差を体感するとは。























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ヒューム管を過ぎると、蓋暗渠に戻って両側には家々が建ち並びます。
上流側を向いて撮影。緩い傾斜の暗渠風景になります。

ここは日当たり良くて明るい。























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更に下って、再び上流側を振り返った所。ここまでくると完全に平坦な低地で
ゴール間近。大分長くなりましたがもう少しお付き合い下さい。






















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ここで二手に分かれていました。右が下流方向。
初回訪れた時はこのT字路のTを進んで遡上してしまいました。
そうすると谷戸の底だからなのですが・・・





















d0250051_1534598.jpg上流側に続くこの蓋暗渠を辿ると、






























d0250051_1534880.jpg路面がコンクリート蓋から、インターロッキングブロックに変わって、先程話題にした貯水池の所に出てきます。
ここで蓋暗渠は終焉。(始まりでもあるけれど)
ちょっとした緑道のようなスペースとなっています。





緑アイコンが分かれ道のT字路、赤アイコンが貯水池。
地図右方向が下流で、右下のうねっている道がずっと辿ってきた(ヒューム管などがある)水路敷。



引き返して、新河岸川の合流点まで歩いて行きましょう。

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ボートが立てかけられていました。
暗渠が好きなのは、本体もそうだけど、傍らのこういう無造作感。
前後の文脈を超越した唐突感。








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公園の遊具のようにタイヤが縦に並ぶ。
現代の護岸よろしくと言わんばかりに。
ここは今回の暗渠道で一番広い空間。
























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蓋暗渠は、しばらくハイスピードで屈曲を繰り返して行き
ちょっとした混沌空間に差し掛かります。


























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蓋の上にフリルのような影が連続して落ちていますが、
なぜか脇に洗濯槽(鉢として転用されている)が陳列されていた事によるものでした。


























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ようやくゴール地点です。
突き当たった先は富士道という古い道?
富士道はここから登り坂になるのですが、ちょうど登りはじめに焼き団子屋さんがあって
旅の始まり感が盛り上がります。
峠の力餅みたいな。

















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マンホールだらけ。
原子核のモデルを思い出します。














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田子山樋管という施設に接続されて、新河岸川への落ち口となります。
さらに新河岸川を樋管で横断して渡っていた箇所(市役所の方)もあるのですが、ここは違うかな?
対岸にちょうど水門も見えますが・・・







玉川上水の水がここまで届いているって・・・
私は玉川上水の取水口から歩いたわけではありませんが、改めて昔の人が築いた大いなる遺産を
目の当たりにし、足裏で感じ取り、感動に震えそうになりました。


d0250051_1714972.jpg谷戸の縁にあたる部分(雪が残っている南側斜面・崖の中腹のような箇所)に用水が流されています。
谷戸の中央辺りの市境線付近が谷戸自体の底であり、現在は道路になっています。



ちょっとこの点で惑わされたりして、翻弄されたファムファタルのよな小悪魔暗渠でした。


・・・余談ですが、慶應義塾獣医畜産学校、ルーツは神奈川の蟹ヶ谷だとか。
蟹ヶ谷行ってみたかったので、このご縁で歩いてみようかな・・・とそわそわ。


当分の間、この辺りを彷徨う事になります。



~~~追記:初回訪問時は前日の雪で別世界でした

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by onnbubatta | 2014-02-28 17:19 | 新河岸川

小豆沢(あずさわ)井戸谷津~で鍵付きの蓋暗渠、等

この辺りの崖線は結構迫力があり見上げて圧倒されるのと、足元では湧き水がジュクジュク滲みだしていて「際」を実感できる界隈でした。

大分前にこの辺りの涌水を案内してもらった事があります。(薬師の泉等)なので各メジャー所を割愛しているかもしれません。

崖線から新河岸川方面に何筋も水が落ちていたようですが、蓋暗渠は偶然に見つけました。


d0250051_17543188.jpg路面に向かって斜めの鉄板。段差があります。
(ここに雰囲気が似通っている蓋暗渠を大泉の比丘尼橋そばで見かけたことがある)
柵の奥にはどんな世界が展開しているのでしょう。
引き込まれます。












d0250051_17591783.jpg鉄板に南京錠が!
湘南平か。
直下から水音が途切れる事無く響いて、私の水琴窟。


























柵があるので中には入れません。サイドから観察を続けます。
d0250051_1851320.jpg出口のコンクリート蓋が少し不規則なのも良いですね



























d0250051_1865877.jpgこの角度からの様子も気に入っています。
蓋の間隔幅は比較的広い。
横から見られると確認できる、蓋上部の横穴群が好きなんです。













d0250051_18121362.jpg反対側の出口から回って眺めた所。
蓋の合間に正方形の格子状排水溝が。




























d0250051_18142221.jpg覗くと、ハシゴのパーツが一本横切っているのが見えました。





























d0250051_18442472.jpg出口の方から撮った写真。
どこからか水が湧き出しているのか滲み出しているのか。



























d0250051_18471791.jpg車道と交差する出口付近には四連のマンホール。



























d0250051_1848146.jpg車道の向かいには規則的に花壇がハンギングしている擁壁。
市松模様にも見えます。
市松模様のクッキーってハイカラだったよな~。
どうやって作るのだろうと。













d0250051_1854861.jpgかたわらの路地にあったもの。
パンチしてみたい!

昔、空気を入れて膨らます「バーバーパパの起き上がりこぼし」(子供の背の高さ位)
が無性に欲しかった・・・その頃からのパンチ願望がここにきて甦りました。





















d0250051_18591353.jpg北赤羽の袋小付近の崖線に似ています(延長線上だし)
















d0250051_1914766.jpg電撃殺虫機」びりびり。




























d0250051_1965080.jpg御手洗不動尊の御手洗池。
眼病に霊験ありとか。現在は眼に入れるには難ありの水質との事。














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覆屋の緑青が雨で落ちたのでしょうか、路面も緑がかっています。















別な季節に訪れた別の暗渠さん達の写真が闇鍋ファイルに埋もれてしまい、出てきません・・・
発掘次第、ここに綴ります~。(薬師の泉そばの大善寺谷津周辺。)

この辺り、井戸谷津という古名が付いており、至近の遺跡調査の本に「小豆沢体育館の東の
ノッチ部分には現在は認められないが涌水があったと考えられる」と触れています。
ノッチ部分って何用語?機械系の用語でも使うみたいです。まあ調べたら「U字・V字の切れ込み」だと。ここでは谷津の事で良いのかな。


あとコメント中の七子崎→七七子崎、です。奥東京湾の入り江だとか・・・



97年の航空写真
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by onnbubatta | 2012-08-24 16:05 | 新河岸川 | Comments(4)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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