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慶応志木高校北側から始まる野火止用水分流(浜崎流末)の蓋暗渠(ヒューム管露出地点有)

慶応志木高校の北側から、谷戸地形を利用されて流されていた
野火止用水分流跡暗渠(浜崎流末~名称は「郷土の地名」の地図ページに拠りました)を歩いてきました。

暗渠の好きな方なら必ずハマるであろうエレメンツが充満していました。
ここ数年の中では最も興奮した行程。

d0250051_13312727.jpgあ、ちょっと違う所に赤いフラッグ立っちゃった。
慶応高校左上の箇所がスタート地点です。






















d0250051_1693841.jpg慶応志木高校から新河岸川にかけて切り込まれる谷戸を利用して、野火止用水が通っていました。
野火止用水は玉川上水から、飲み水にさえ事欠いたといわれる当地へいくつかの分流を経てはるばる引いてきた水。





「貯水池」は後程、かなり後の方で目印として登場します。



慶応志木高校敷地内にもこの野火止用水分流が素掘りの水路の形で残されているとの事。中に入って見学したかったです。(どう見ても慶応の保護者には見えないと自覚)
塀に沿って歩いて行きましたが、敷地の広大なこと。武蔵野の森の面影を今に伝える貴重な空間という印象を受けました。
ちらっと騎馬像みたいなのが見えて「誰かしら?」と気になったのですが
帰って調べてみると「牧童像」でした。更に沿革として、慶應義塾獣医畜産学校・慶応義塾農業高校を経て
今に至っていることを知りました。納得。


慶応志木高校の高翔寮・友隣寮・跡地に建つマンション脇の緑地「慶応ふれあいの森」から
歩いて行きます。「慶応高校前」バス停至近。

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右方向が高くなっていて、たぬきが生息していた事から「大原ぽんぽこ緑地」と名付けられています。
左側は更に低く谷戸地形になっており、元々あった谷戸を利用して水を引いていたのでしょう。
古い地図で確認すると「宮戸境久保」と呼ばれる朝霞・志木の市境を成す谷戸になっており、
現在でも「谷津地児童公園」等としてその名を残しています。






↑舗装してあるけれど、山の土が流れてきちゃったのかな。



d0250051_1628281.jpg橋跡を連想させる



































d0250051_1603536.jpg道路と最初に交差する地点で、今まで歩いてきた水路跡を振り返ったところ。(北・上流を向いて。)
コンクリート造りの四角い構造物の上に、微妙に盛り上がったマンホールが乗っかっています。
水を想起させる構築物。


















次の交差部までは通常の側溝のようなさらっとした蓋が展開します。
それに続いて表れるのがこんなタイプの遺構。
d0250051_1624527.jpg片側コンクリート蓋に縁石が沿っていきます。
色々途切れがちな意匠も味のうち。


























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続く交差部にて、我らを導く芳香が。
コンクリート敷石に鎮座するマンホールが、座布団に座っている遣り手婆さんの如く。
そしてその奥にある水路を明示しているのです。



















d0250051_1675027.jpg魅惑の小蓋の始まり。はあはあ。
ちょっと息も絶え絶え。倒れそうになります。
わかっているくせに。。とつぶやいてみたくなります。


















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蓋の上を歩くとかぽかぽと音が響きます・・・
なので脇の土の方を歩いてみたり




























d0250051_16124572.jpg少し歩き進めると、左側(西側)との間が再び明瞭になってきます。
前述のように、元々あった谷戸を利用しているのですが
水路は一段高い所を通っているらしいのです。



これが私を惑わせるもので、初めて来たときは新河岸川への落ち口、つまり下流から
遡上したのですがそのまま谷戸の底を歩き通してしまい、この野火止用水分流跡には出会えませんでした。










d0250051_16151583.jpg民家の車庫部分が張り出している箇所に差し掛かり、一区間蓋暗渠が途切れて
階段を降りることになります。
これは上流側を振り返ったところ。






















d0250051_16173645.jpg数メートル民家の車庫部分を歩いて、短い階段を昇り再び中腹の用水路跡に戻ります。
素敵な保育園ライフが約束されているんだろうな。
























d0250051_16222191.jpg上流側を向いて。
この辺りから崖側の管が目立ってきます。
右側の蓋脇には護岸のような構造物も。




























d0250051_16231231.jpg護岸?カーブのついた外枠の名残のようなものも恰好いい・・・
次から次へと変化があり、歩いていて気分が高揚してきます。

























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千手観音がくねくね踊っていました。





































d0250051_16265615.jpg先程の階段以来、久方ぶりの外部と連絡地点。
崖上に通じているのは多分この地点のみ。
ここでは崖下にも降りる事が可能です。

此処から先は、隔絶された水路跡を究めていく感じ。
修行僧の心境に至ってます・・・

この階段地点を境に、蓋脇の状況が土→石混じりの土、と
変わっていきます。










d0250051_17132062.jpg砂利砂利している中、周囲は家々のベランダが向いて裏手感が漂ってきますので
真っ直ぐ真っ直ぐ早足で進みます。
























d0250051_17153838.jpg犬とか連れて歩いたら怪しくないのかも。犬欲しい・・・
でもここはれっきとした野火止用水分流跡!歴史散歩しているんだ~
























d0250051_17193257.jpg艶めかしい屈曲の凹み部分には、崖にひっつく「サルノコシカケ」のような構造物(自然物?)とグリーンの桶。


























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d0250051_17301912.jpg継ぎ目の蓋、交換してありました。
真ん中に挟まれし新入り、いつしか両隣のようなグレーに染まっていくのでしょう
























d0250051_145942100.jpg曲線美をとくと堪能。
ここの駐車場、ずっと残っていてほしい。






「崖下にはやはり駐車場だよね」。と独りつぶやきたくなる。



d0250051_1445353.jpg再び、蓋に沿う外枠が姿を表してきました。
飽きさせないなあ。

こういう細かい造りの観察が楽しくて、歩き疲れを一切感じません。
脳内から麻酔みたいなのが放出されているのかも。

ハイテンションで進んでいきます。














d0250051_17363890.jpg擁壁やや崩壊箇所































d0250051_14464438.jpg崖下が駐車場なので、視界が開けている場所。
中でもこの場所は日も当たるのか、植物が生えています。

現在地水路敷きながら、擁壁が白に変わると、地中海の島のような明るい雰囲気が漂ってきます。

















d0250051_16185771.jpgこの箇所は航空写真から見てもうっとりするうねり具合。
竜やら蛇やらが優美に、自在にしなっているみたいですね。
画像がちょうど雪化粧していて、カーブが引き立ちます。






d0250051_1554434.jpg壁面から管が斜めに差し込んでくる地点。
蓋と土との境目が曖昧になって埋もれかけています。


























d0250051_1511042.jpg擁壁壁面が幾何学模様になり、接地面には崩れかけの枡のような構造物がありました。
蓋もやや乱れ気味に連続しています。
そして、写真でもわかりますが蓋脇が未舗装→舗装面へと一瞬切り替わります。
(ここも境目は曖昧。)















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先程までは水路敷きより一段低い場所に貼り付くように駐車場が伸びていたのですが
この辺りから戸建街になり、谷戸に面しては貯水池も見られます。

この先が、この暗渠のクライマックスとなっていきます。
突如としてヒューム管が露出している!

d0250051_15232598.jpg蓋がいきなりコンクリート製のヒューム管へと変貌したのです。
行きつく先には四角い排水溝が待ち受けて。
起承転結のまさに「転」。
聞いてないよ!






















d0250051_15274892.jpg冷めやらぬ興奮をなんとか抑えて排水溝までくると、これまでにはほぼ感じなかった勾配ぶり!
ヒューム管ごと急坂を下るとは。(僅かな区間ですが)























d0250051_15354368.jpgほぼ平らに置かれたヒューム管と斜面に置かれたヒューム管が、排水溝で中継しあっているさま。



























d0250051_15385275.jpgヒューム管上部の継ぎ目観察に浸ります。

ここまで斜面の中腹をほぼ平坦に歩いてきたのに
最後にこんな形で高低差を体感するとは。























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ヒューム管を過ぎると、蓋暗渠に戻って両側には家々が建ち並びます。
上流側を向いて撮影。緩い傾斜の暗渠風景になります。

ここは日当たり良くて明るい。























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更に下って、再び上流側を振り返った所。ここまでくると完全に平坦な低地で
ゴール間近。大分長くなりましたがもう少しお付き合い下さい。






















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ここで二手に分かれていました。右が下流方向。
初回訪れた時はこのT字路のTを進んで遡上してしまいました。
そうすると谷戸の底だからなのですが・・・





















d0250051_1534598.jpg上流側に続くこの蓋暗渠を辿ると、






























d0250051_1534880.jpg路面がコンクリート蓋から、インターロッキングブロックに変わって、先程話題にした貯水池の所に出てきます。
ここで蓋暗渠は終焉。(始まりでもあるけれど)
ちょっとした緑道のようなスペースとなっています。





緑アイコンが分かれ道のT字路、赤アイコンが貯水池。
地図右方向が下流で、右下のうねっている道がずっと辿ってきた(ヒューム管などがある)水路敷。



引き返して、新河岸川の合流点まで歩いて行きましょう。

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ボートが立てかけられていました。
暗渠が好きなのは、本体もそうだけど、傍らのこういう無造作感。
前後の文脈を超越した唐突感。








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公園の遊具のようにタイヤが縦に並ぶ。
現代の護岸よろしくと言わんばかりに。
ここは今回の暗渠道で一番広い空間。
























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蓋暗渠は、しばらくハイスピードで屈曲を繰り返して行き
ちょっとした混沌空間に差し掛かります。


























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蓋の上にフリルのような影が連続して落ちていますが、
なぜか脇に洗濯槽(鉢として転用されている)が陳列されていた事によるものでした。


























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ようやくゴール地点です。
突き当たった先は富士道という古い道?
富士道はここから登り坂になるのですが、ちょうど登りはじめに焼き団子屋さんがあって
旅の始まり感が盛り上がります。
峠の力餅みたいな。

















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マンホールだらけ。
原子核のモデルを思い出します。














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田子山樋管という施設に接続されて、新河岸川への落ち口となります。
さらに新河岸川を樋管で横断して渡っていた箇所(市役所の方)もあるのですが、ここは違うかな?
対岸にちょうど水門も見えますが・・・







玉川上水の水がここまで届いているって・・・
私は玉川上水の取水口から歩いたわけではありませんが、改めて昔の人が築いた大いなる遺産を
目の当たりにし、足裏で感じ取り、感動に震えそうになりました。


d0250051_1714972.jpg谷戸の縁にあたる部分(雪が残っている南側斜面・崖の中腹のような箇所)に用水が流されています。
谷戸の中央辺りの市境線付近が谷戸自体の底であり、現在は道路になっています。



ちょっとこの点で惑わされたりして、翻弄されたファムファタルのよな小悪魔暗渠でした。


・・・余談ですが、慶應義塾獣医畜産学校、ルーツは神奈川の蟹ヶ谷だとか。
蟹ヶ谷行ってみたかったので、このご縁で歩いてみようかな・・・とそわそわ。


当分の間、この辺りを彷徨う事になります。



~~~追記:初回訪問時は前日の雪で別世界でした

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by onnbubatta | 2014-02-28 17:19 | 新河岸川

夢見ヶ崎周辺を歩く~加瀬山掘削地点・水権現・加瀬堀暗渠・谷戸地名ほか。

暗渠を辿りつつ、夢見ヶ崎周辺を前回より迫って歩いてみたいと思います。
「加瀬堀」暗渠と「谷戸」地名については、後半の登場となります。

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新川崎駅を出て左(西)、鹿島田跨線橋脇の水路跡。
新鶴見操車場跡地に建ったマンション群によって、さらに窪に深みが増しているようです。

刻んでもないのに、刻まれているという。→ポエム

此処を出て、前回少し触れました「テニスコート脇」も抜けると
(テニスコートも暗渠と仲良しだと思う・・・ゴルフ練習場のように)








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川崎市立の日吉小学校脇を片側ガードレールに隔てられて展開していきます。




























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こういう所には必ずいらっしゃいます。

















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お姿はこんな感じ。
つやつやした御榊が供えてありました

この先暫く、小倉用水の暗渠道と寄り添う形で進みます。
























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加瀬山の山裾エリアに足を踏み入れてきています。
夢見ヶ崎目前で道がこんもりと盛り上がってきました。(気持ちも)


麓感が高まるのですが、このこんもりは一瞬で盛り下がるのです。
地形をいじった痕跡かも・・

同様のこんもり体験はさらに南麓のほうでも体感できました。


ガラスの建物は日吉庁舎。







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加瀬山の山裾を物語る何かかもしれない。
このあからさまな盛り上がりは。

信じている。






























濃い青線が今歩いてきた水路跡、明るい水色は小倉用水跡(後述)、
オレンジの囲みは大まかに加瀬山の削り取られた南東部分であり、加瀬山の最も高かった地点
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・・・地図に水路線を加えてて改めて思い出したのですが
今歩いてきた水路跡(上の地図濃い青線)、「横浜水道跡」の通ってた辺りと近似しているのです。
「横浜水道跡」が示された元地図(幸区まちカルテの中の、大正時代の二ヶ領用水のすがた)の複写が
ちょっと広域で見づらいのでアレなんですが)

横浜水道は、横浜に送水するために明治初年二ヶ領用水(鹿島田の堰付近)から分水して、
夢見ヶ崎~江ヶ崎~鶴見~子安のルートで水路建設工事が始まったものの、木樋菅の継ぎ目から水が漏れてしまい、横浜まで水を届ける事なく工事が中止となった。現在の操車場内に当たる土地には横浜水道建設
の過程でつくられた「砂溜池」とよばれる池があったという。

三菱ふそうの工場内を線路に平行するような形で南下し、日吉小を貫通してその先で少し曲り、
小倉小の東を通って鶴見川に達するまでの線で上記の資料には示されています。

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資料を参考にざっくり示すとこのような感じ。
歩いてきた水路跡と広域でみるとほぼ重なるけれど
感覚的にはう~ん・・・




横浜水道と何か関連のある道なのかな?
よくわかりませんでした





ここから、西にグイッと曲り昇って加瀬山に再度アタックします。

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片隅に、水に関係のありそうな石造りの何か?を見つけました。
これは何なのでしょう?枡のような?




















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おしみず坂。右が加瀬山の山部分、左は削られて急激な崖地様を呈しています。
削られる前までは山上に通じる鞍部のような登り坂でした。
























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坂を昇る途中の右手にお地蔵さまと南加瀬貝塚の碑。
加瀬山が海にぽっかり浮かぶ小島であった時代の名残か、貝殻の9割がはまぐりであったとの事。
縄文人、焼き蛤でも食べていたのでしょうか・・・

お供えのぬいぐるみが色を添えてなお可愛い。
人面花瓶も。












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ちょっとした階段を降りて行くと小さな祠が。






























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水の権現様。
「尾」の次の字は何だろう・・・「眥」→この字で「し」と読むようなので
「尾眥水」これで「おしみず」?

おしみず坂というくらいなので
清水が湧いていて、その水の畔にいらした神様なのかなとも。
















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庁舎の駐車場、この一角も削られたような匂いはあります。
(水が湧いてそうな感じも)

この場から眺めると、長さ750m余りという加瀬山の東の端っこ感が
伝わってくる気がします。






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削られた部分がよくわかる場所。
ここの土が大量に切り崩されて川崎駅前に運ばれ土盛りされて東芝堀川工場の礎となりました。
削られた山肌側には防空壕が作られた時期もあったのだそうです。

跡地には国鉄新鶴見球場。

此処に立つと球音が響いていた時もあったとは。


現在は公園・高齢者施設・マンション・社宅等が建っています。




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削り取られた跡を埋めるように建つ官舎






























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前回のブログ記事にもあった夢見ヶ崎稲荷神社手前まで、結構鋭角的に(躊躇なく)削られています。











次に大々的に掘削された加瀬山北西部に向かう前に、冒頭のほうで触れた小倉用水跡をご紹介します。
夢見ヶ崎の南辺り、地形は平坦な場所にあります。



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現在の姿はこのようなサッパリとした緑道。
今の小倉小学校近辺には「小倉池」というため池があり、江戸享保年間に当地に二ヶ領用水が分流され
元々あったこのため池とつながり小倉用水の一部のような形に。

近くに鶴見川の大河を見ながら、河床が低く水を引けなかった土地。小倉用水がこの地の水田を潤し、
幸区一番の石高を示した。
また桃やビワ、イチジクの栽培も盛んであったという。

しかし近隣の宅地化の進行に伴い、戦後の昭和27年に埋め立てられたという。

小倉池の伝説として「禁断の玉手箱」というものがある。
鉈を池に落としてしまったヨンキおじいさんが自らも池に落ちてしまい、行方不明に。
三年後、本人の法事中に池の竜宮城から玉手箱を携えて元気に帰還。

ここからは展開が容易に想像つきます。玉手箱を開けてしまい、帰らぬ人に。
「見ちゃダメ、開けちゃダメ・・・」で悶々としたのでしょう。箱には龍の鱗と小さな観音様が入っており、
近くの無量院にはその伝承に因んだ竜燈観音が祀られているのだそうです。

また近隣の小倉神社では水神様として河童が祀られているため、毎年7月にキュウリをお供えする「きゅうり祭り」が行われているそうです。

今は年間通してキュウリが手に入る時代・・・キュウリの盛りの時期に改めて気づくし面白いですね


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いつもお世話になっている街の地図看板には、小倉用水がまだ水色の水路線で示されていました。
(町界のところ)

池附、という字名も見えます。






加瀬山の北側へ向かいます。

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北加瀬の「山崎」バス停そばにあった庚申塔

この看板、他の場所でも見ましたがお堂を守護しているような目つきが
気に入っています






















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山崎、も加瀬山につながる字名でしょうか。






























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近くにあった地図看板、旧字名が記されているのが有り難いです。













 そして、加瀬山北西部へ。

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更地の奥がJRのマンション。順番に建替えしているのか、この更地はどう利用されるのでしょうか。

かつては左の加瀬山はここの更地部分にも山裾を拡げていたことでしょう。
今は分断されて階段が見えています。


新鶴見操車場で働く従業員の社宅「北加瀬国鉄官舎」のために切り崩された箇所です。
ケーキの断面を見ているような心境。

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上空からの画像で見るとこのような感じ。
加瀬山南東部よりも更にスパっと切り込んだ印象を受けます。








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現在の北西山裾

加瀬山は北鹿・南麓とも本当に際キワの箇所は、広い地所を有する旧家?が張り付くような形で囲んでいる
のでなかなか裾部分を視認することが難しいなか、この周辺は麓や断面を見ることが出来ます。


続いて、ここの西に隣接した掘削地点、現在の白山幼稚園辺り(水色)
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水色エリア周辺は白山古墳や第六天古墳が存在した場所ですが、民家が建て込んでいたりして
様子を確認することが出来ていません。





白山古墳の裾、白山幼稚園西辺りから出土した秋草文壺(国宝)は国立科学博物館東京国立博物館に収められています。

また、矢上川に面した辺りまで延びていた山裾を掘削した箇所(紫色)、
ここもはっきりとは痕跡を感じ取ることは出来ませんでしたが、昔の地図と重ねてみると
二区画程、周囲とずれて斜めに配置されて家が立ち並ぶブロックがあるので
そのあたりなのかな、と推測します。

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ただ水色掘削地点に関して、この南北に通る道が途中マドレーヌのてっぺんみたいに盛り上がっていて、私の足裏は山の痕跡を感じて小躍りしていました。
写真では判りづらいかもしれませんが・・


ここの土砂(古墳があった場所・・・)は昭和12~13年、三菱重工業の埋め立て等に使われたとの事、
すぐ近くにある加瀬山北の現三菱ふそう、(ここは元々三菱重工業)のことを指すのでしょうか?
道路を隔ててお隣の埋め立て用に供されたのでしょうか。

「川崎の地名」の南加瀬村の項に拠ると、「昭和12年頃から、加瀬山を切り崩してその土を売る事が行われた」とあります。
「埋土に困っているなら、削ってもいいさ」・・・世を人を救うアンパンマンみたいに思えてきました。
身を削り、血を(地を)売る、みたいな。

同時期、矢上川の両岸に土地を持っていた日吉村は、川を境として横浜市・川崎市へと分かつ事になったそうです。(これには双方の水の利用が大きく関わってくる)

前回ご紹介した「史蹟 夢見ヶ崎」の手描き地図には、更にその西隣の「帝國発條用地埋め立て中」
の記載があります。(現在はマンション他)




オレンジアイコンが、道路の盛り上がり場所。


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その近くにあった庚申塔。

庚申塔、やっぱり多いな~。













そして、面白いのが、この近くに「谷戸」という古い地名があって、バス停や商店街名として残っています。でも周囲には歩いていて全く谷戸っぽい風景はありません。劇的な地形変化を以てしても、何かずっと心に引っ掛かっていました。言葉巧みに惑わすなあ・・・

「川崎の地名」に拠れば、当地における「谷戸」地名は通称地名だとし
沖積低地なのに谷戸と呼ばれる理由は不明。加瀬山の西北に連なる丘陵が削られる以前は、JRアパート辺は加瀬山と末端丘陵との間で、谷戸地形を呈していたという。恐らくそれによる地名か。」

なのに」と口語で示される辺りに凄い親近感。
古地図を眺めたりしても今一つ谷戸のイメージが湧いてこなかったのですが、大正15年内務省の地図というのをみさきさん(ありがとうございます。)に教えていただいて観察していたら

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矢印の辺りがこんな感じで食い込んで示されていたんです。
これは自分には腑に落ちる谷戸感。






谷戸商店街で「里芋のコロッケ」を一つ買って栄養補給していたら、気になる箇所がありました。

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いかにも水路跡。谷戸バス停がある場所からは暗くてよく見えないので、南に回り込んで追跡しています。















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歩道端部分に沿う一角がいかにも怪しいです。






























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越路バス停そば。
この摩耗して碑が読めない祠を最後に、この辺りの痕跡は消えるのですが、
先程の水色アイコンより北側も追ってみます。
しかしこの祠の囲まれ方が頑丈。ただならぬ気配を感じるのだけど。
















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今見てきた暗渠、街の地図看板にも水路線が残っていました!画面中央辺り。




























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そして谷戸バス停の通りの北側にワープすると。
思いがけない場所に野生の暗渠がありました。
この中を歩行するのはちょっとためらわれるので、見える位置まで回り込んで行きます。



















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家々の間のグリーンベルトのような未利用地となっています。
今にも水が流れてきそうな光景。

























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回り込んで道路と交差する場所。ここから先(北)は歩道の一部になっていました。



























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暗渠跡が明瞭になる最後の出口地点には庚申塔がありました。
写真左のどっしりとした覆屋です。












前述の「大正時代の二ヶ領用水のすがた」という図でこの水路跡について調べると、「加瀬堀」という用水かその系統として示されていました。

上の写真の場所はちょうど古くからの道(鎌倉街道・小杉道)が交差する出会いの辻であったようで、

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江戸~明治時代まで高札場(命令・伝言などを伝える告知板)があり、
現在は二対のお地蔵様と庚申塔が祀られています。

すぐ脇を流れるこの用水に関する札も出されたのでしょうか。




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目深にキャップを被った様が、ファンキー&クールでもあり、
近隣の人々の優しく温かい気持ちを感じます。






















道の「叉」具合、旧い道の出会いを感じて萌えます。
はたして道灌さんは通ったでしょうか。
野生の加瀬堀暗渠?、画面左斜め下辺りにグリーンの帯状の連なりを示していて綺麗ですね・・

右の広い空間は日吉中学のグラウンド。


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前述の「大正時代の二ヶ領用水のすがた」図を参考に、大まかに加瀬堀の流れを地図で示してみました。
どのあたりがメインの加瀬堀なのかまだ調べがついていないのですが。


以前、猫またぎさんが川崎の暗渠を連載されていた時から「暗渠溢れる川崎」のイメージを持っていたのですが、当初はあまり暗渠らしい道に出会うことが無かったものの、終盤になって好みの暗渠に遭遇することが
叶いました。加瀬堀は歩き回った後の「ご褒美暗渠」、としての位置づけが強い(個人的に)水路で、ほんの短い区間の追跡にも関わらず旧い祠などに遭遇する確率の多かった流れでした。


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ここもはずせない、矢上川と矢上橋。
奪衣婆伝説があるそうです。
古地図を見ると現在よりずっと曲流しており、蛇行跡が点々としている様子が描かれていて
興味深いです。




元々は両岸とも日吉村でしたが現在はこの水面を以て、川崎市と横浜市の境を成しています。

右岸(現在の横浜市)側は、元々東の川崎側とは異なる灌漑用水を利用しているうえ、電鉄が慶応大学誘致を契機に横浜市側の水道を大学に給水するように要請したのに対し、一方で左岸(川崎側)は二ヶ領用水の恩恵を受けている、といったように、それぞれの土地利用・水の利用方法の方針の違いが明らかになったことが日吉村が分かれた要因だったようです。



おまけ。
d0250051_13452378.jpg

鹿島田の方にあったハーモニカ状の橋跡。
すぐお隣の堀跡(親水緑道となっている)には橋名がついていたようですが、こちらはいまなお判明せず。







d0250051_1442137.jpg

三菱ふそうのカッコいい部位。
ここの道も水路跡。





























d0250051_1462680.jpg
組み合わせの妙が非常にそそられるお店でした
















寄せていただいたコメントで「海を見ていた道灌さん」という視点を改めて頂戴し、春の夢見ヶ崎周辺再訪&矢上川を渡って「元はつながっていた?加瀬山と日吉台地体感」の日々が待ち遠しいです。


・・・いったいどんな岬だったんでしょう。英語でもcliff 、cape、 point、って色々呼び方が違うし。。
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by onnbubatta | 2014-02-20 14:15 | 神奈川 | Comments(10)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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