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高輪の樹木谷を歩く~翁池の幻影を求めて

相変わらず、順序等々錯綜しています・・・


先般、どういう訳か江東区の図書館で久しぶりに読んだ「港区近代沿革図集」。

江戸期・明治・大正・昭和と何代かの地図がエリア別に収録されており、巻末には古い地名や俗地名の
解説があって大層楽しめる内容のもの。

合言葉は「里俗」です。(通称、こう呼び慣らされていた、的なニュアンス)。

タイトルにもある「樹木谷」は江戸期地図中には「ジュ木谷」とカナ漢字交じりで表記されている所が
おどろおどろしいというか。凄みを感じます。

樹木谷、は元々地獄谷であり、斬罪場があったとの説もありますが
その場所はどこを指すのか今一つ理解できていませんでした。
解説を読むと「樹木谷の道から右に覚林寺がある」「松秀寺(日限地蔵)近傍」「白金丹波町の窪地を樹木谷といった」等の記載があり、玉名川の谷頭の二カ所を両方ともそう呼ぶのでしょうか・・・

そして「翁池」、これは初めて接した池名なので心躍りました。これも解説に拠ると
 
翁池(翁池用水) 翁池は豊島郡麻布二本榎、徳明寺境内にある。この池から水を引いて
白金東名光の耕地に注ぎ、末流は老増町の溝に流れ、新堀川(古川)に入る。(新編武蔵風土記稿)


徳明寺というお寺は現在この地にはありませんが、解説注では
 
徳明寺は上行寺の裏通りを覚林寺に向かう右側にあった。~文化8年(1807年)には正満寺と寺号を改めたという。」
また、正満寺様のホームページに拠ると、1811年徳明寺を正満寺と改め、築地より移転 とあります。

1800年代初頭には徳明寺は現在の正満寺に改められたということでしょうか。

うーん。。絵図・地図によって変遷を追うと、弘化3年(1846年)と明治9年の地図では一帯が上行寺として描かれているものの、
明治初年~20年の内務省地理局東京実測図では地図中に、徳明寺の名が現在の正満寺の南辺り・谷低地部に復活して?表示されています。正満寺の位置は現在とほぼ同様に描かれています。
(徳明寺、が表示されているのは桜田通り沿い、現在タワーマンションが立地している辺り・ちなみに上行寺跡も今は同マンションの敷地下。上行寺自体は昭和37年に神奈川へ移転とのこと。同年この地に明治学院大の体育館が建てられる)

消えては現れる謎の存在、徳明寺・・・地図の色んなタイムラグなのか。

徳明寺=正満寺の敷地、ということなら判り易いのですが、明治期の地図において正行寺の敷地内の一画に徳明寺の表記がされているのが頭を攪乱させるのです。

古地図で川跡を辿る時には神社やお寺が指標になってくるので、これは悩ましい事・・・
寺が隣り合っているので、見た地図ではどこまでが徳明寺の社地に当たるのかもはっきりとはわからず。

また、マンション建設に先立って行われたという遺跡調査(上行寺跡遺跡調査)によると、まず地勢面の説明があり
・・・敷地東側三分の二が平坦面、西側部分は斜面部と北東面に開口すると推定される谷低地部となっている。台地斜面部と谷低地部との比高差は4mを測り、標高は28~19mである。
・・・明治28年の東京実測図第5図ではほぼ現況地形通りの状況が窺え、また同図には谷低地部に徳明寺の記載がある

版を改めてもなお徳明寺の記載は続いてた事になるのでしょうか。
 
上行寺の遺跡調査報告書では更に

・・・正行寺の明治期における境内縮小が何によるものか明らかではない。また徳明寺についても詳細は未調査で、上行寺との関係も明瞭ではないが、この時期の寺地縮小には多分に廃仏毀釈の影響があったものと予想される。」

・・・検出遺構の種別は、石垣、段切り、礎石群、堀、溝、地下室、ゴミ杭、採土坑、墓杭、井戸、雪隠、
池、水琴窟・・・


これは、徳明寺の翁池に関連があるのか、上行寺にも池があったのか・・・?

斜面部の盛り土層は北東に向けて開口する谷地形を埋めるように最大で3m程度施されている
発掘調査の内容分析により、湿潤な環境にあった低地部分は上行寺の起立(1668年)とともに寺院建物造営に伴う平坦面を作出する目的で大規模な斜面部造成(埋立)が長い間に渡って繰り返された事がわかっているそうです。

そして報告書の中で興味深いのは、上行寺には宝井其角という俳人の墓があり、その墓地には宝井と呼ばれる井戸の石組みが存在し、そこから大量の水が湧き出していて、井戸から溢れる程の水量だったという事です。(新選東京名所図会にも描かれている)

名前が先なのか、お墓が先なのか。。


また境内図なども掲載されていましたが、画像が荒くて残念ながらよく判別できませんでした。

上行寺の遺跡調査エリアでは、特に北端辺り(愛星保育園南東辺り)の湧水が激しく調査が行えなかったとあり、そこはまさしく明治期の地図で玉名川の支流の始まりとほぼ同一地点。また西側も崖を隔てて低くなっており、発掘調査の際にも少し地面を掘るとすぐに水が出てきたと報告書に記載されています。

いずれにしても低湿地帯で、溢れるほどの水が上行寺にも存在した事実があったのですね。

マンション建設に伴う遺跡調査ということは、いずれ埋め戻されて二度と戻らないという事。
玉名川の樹木谷源流域の地質環境について実に多くの事~時の重なり、を知ることが出来たのですが、何だかシニカルな感じがします。

報告書の2ページ目にある文章を転記します。

本遺跡周辺では、高輪台の尾根筋沿いについては大規模開発や大型の建物等の建設が行われた形跡が殆ど無く、本遺跡地についても昭和37年に明治学院大学の体育館が建てられた他に、特に堅牢な建物が存在した形跡はない。遺跡地の大半は、江戸時代の土地改変を最後に今日まで、殆ど攪乱を受けなかった場所であった。

過去形の語尾「・・・であった。」がいつも以上に重く感じます。


結局、「徳明寺の翁池」の場所や大きさ、形状が判然としません。数々の地図の存在により、そもそもの徳明寺の位置が更にわからなくなって翻弄されてしまいました。


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アイコンの色に統一性が無くて申し訳ありません

そそり立つ明治学院を中心に、玉名川の二つの谷が合わさっています
今回は明治学院の東の谷にあったという翁池の幻影を求めて彷徨います



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青アイコンと黄緑アイコンのタワーマンションの落とす影が印象的な画像になっています











谷エリアにタワーマンションが林立しているってことは。地形も変わっていると覚悟の上です・・

90年代半ば以降だったと思いますが、桜田通りに面したこの谷頭辺りの何とも言えない不思議な光景が強く印象に残っています。
写真を撮っていないことが悔やまれますが、開発前の虫食い状態のような取り残された建物が、高低差のある土地に漂っているような風景だったと記憶しています。

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グーグルアースより、97年時点の航空写真。
オレンジ線はいずれも大規模マンションへ。下のオレンジ線の中のピンクで囲んだ辺りが
東京実測図で「徳明寺」記載のあるあたりで、ピンク右の短い樹木地帯が実測図の示す崖線とほぼ同様
の形状で画像に残されていたことに驚きました。
今は全く確認する事はかないません。。

二箇所示したオレンジ線エリアのうちの下の方(南)は97年の画像ですと駐車場のようですが、
それ以前は明治学院のグランドや体育館、トレーニングセンター、そして北端の谷部分(パズルの端のように変則的な形状の箇所)はテニスコートとして使われていた土地のようです。
(谷をテニスコートに転用している例として、近隣の聖心女子学院や慶応日吉の蝮谷テニスコートがあります)

南北線の開通を前に、街が変わっていく前夜のような表情を浮かべているように感じます。
明治学院出身の大スター・アルフィーの歌声「激しい風が今 心に舞う~」
が聴こえてくるような姿です。


何はともあれ、まず谷に降りてみたいと思います。赤い矢印の所から下っていきました

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濃い青のマークが明治期の地図で見られる、玉名川支流が流れ始める大体のポイント、青線が
大体の流路跡。
ピンクの辺りが明治の東京実測図で徳明寺の表示がなされている大体の場所。
水色と黄緑の区域が上行寺を示すもので、時代や地図によって上行寺を示す範囲が異なります。



神奈川に移転された正行寺の住職様の述懐によれば、愛星保育園のあたりも寺の敷地であったとの事。



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手前のお寺に掲示されていた絵地図。玉名川の流れが描かれている
(今回辿る谷の水流は描かれていない)











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すごく狭そうな道。これを辿ると谷に降りられそうです





























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路面の材質も変わっていよいよ望んで吸い込まれていく感じ。
いったいどこから何がどれだけ流れ込んだりしたらこんな谷を刻めるんだろう~






















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階段を降り切ってそのまま真っ直ぐ行くとこんな感じの行き止まり。でもその先にも何かありそう。


























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左へ曲がると、松光寺の墓域。谷底感に満ち満ちています。
割と新しい墓域。最近お墓の事を考える年代に差し掛かってきたので色々参考になりました。
松光寺墓域の南側にあたる場所が今は無き上行寺の北端で、遺跡調査時に湧水量が多く調査が出来なかったとされる辺り。













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右へ曲がると川跡風の小道と、年月を感じさせるアパートと、高輪CT



























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水が流れ出ていった流路と思われる道付近は道らしい道はこの一本。
しかも下流を向いているのに、少々土地が高くなっていくように見えます。
この先の流路は消されてしまいました。70年代、80年代の住宅地図を見ると60戸程の家々が立ち並び、また丹波児童遊園という小公園もありました(廃止)。そのあたりから源昌寺に向かって桜田通りに出るくねっとした道がかつては存在したので、そこなのかな、と推測するだけです・・

では肝心の池はどの辺だったのでしょう。


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左へ曲がる所にある(桜田通りに出る方)不思議な三角コーナー。
パーテイションで仕切られており、数段降りられるようになっている妙な空間。
パーティーション内側にはキックボードが置かれていて、マンホールも据えられています
















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行き止まりの木戸の先は正満寺の墓域。木々が闇を作っています。
木戸から出入りするお坊さんが、そこからはキックボードで移動するとか?





















暗渠やスリバチのご本では、玉名川の東側の水源について「正満寺の湿地帯・・・」と書かれていましたっけ。

正満寺様の中でお参りし、お墓に入らせていただきましたら本堂の裏手に抱えるように池がありましたが
その池の事なのでしょうか・・・?また、それが翁池と同じ位置辺りに当たるのでしょうか。

なんて考えていましたら、ちょうど亀が水面にダイブする瞬間を見ました。
地図を見てもグーグル航空写真を見ても、正満寺にお池があるようには見えなかったのですが・・・

しかしこの近隣の泉岳寺や東禅寺もお池は非公開なのでこの辺の慣習かと思い、眺めるにとどまりました。

(御住職様と大仁田厚さんの正満寺で行われた異色対談?にて、お池のお写真がネットで拝見できました)

以前座禅で参加させていただいた別のお寺ですが、そこも地図には無くても中庭庭園のような位置に美しいお池があったりしましたね。


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東から西(桜田通り)に向けて谷を横切る、新しく作られた道(というか公開空地の中の路)



























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こちらも、東から西へ谷を横切る、再開発後に新しく作られた道。
暗渠道のような表情を浮かべていますが・・・?
西向き下り傾斜になっています。
両脇の真白い素材が、先程の三角コーナーの衝立素材と近似しています。

区切りたい時にはこれよ!みたいな推奨素材なのかな










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桜田通りに出るとこんな姿。































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翁池からの水はこの辺りに出てきていたのではないかと思われますが
今の所、どの地図を眺めてもここから先の界隈の水の流れを追うことが難しいです
(桜田通りが拡幅されていったりしているので)


源昌寺前。周囲の景色が激変する中、こちらも建替えの予定があるようです。
面白い形式の門。禅宗のお寺はこういう門なのかな。
白金の瑞聖寺さんの門も同じようなスタイルでした。

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何の文様?

















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高低差が露わになる、ちょっとお気に入りの場所。
こちらでは崖上が墓地。ずっと谷を埋める墓地を見て来たので、視点や心持が切り換わります






















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斜めに編まれたような煉瓦がこちらに視線を送っていました。
この界隈は隠れ煉瓦(表面は塗り物が施されており、それが一部剥落して中の煉瓦が露出している)
や石垣が多くて、石好きには出会いが多い。

















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清正公交差点手前の信号。写真左辺りで、玉名川の本流と合わさっていたと思うのですが。

ちなみに青いネットが掛かっている辺り、三角地帯になっていて引き寄せられます
(デルタ好き)




此処から先、玉名川下流も見どころが多くてわくわくしましたが、またの機会に綴ります。




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玉名川の大体の流路跡を図で示してみました。
青い線が今回探求した支流(樹木谷の支流?翁池の支流?)

緑の線が玉名池(今は失われている)から流れ出す本流。桜田通りが拡幅されているため、合流地点はうやむやです。


水路跡が好きとはいえ実は「玉名川」、と言われても何処を指すのかいまいちよく理解していなかったのです・・・
(仏所護念会のとこに在りし池からの流れ、と自分流に記憶していたので。)
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by onnbubatta | 2014-06-28 17:37 | 渋谷川系 | Comments(0)

神領堀東堀の支堀~高野堀を辿る

一応まだ埼玉の新河岸川蛇行歩きの記事は続行しているつもりなのですが、ちょっと足立区の神領堀東堀系統の事を綴ります。

神領堀東堀の支流の工事現場、というか蓋暗渠撤去現場に遭遇したのは随分前の事で、その後の検証はずっと放置していました。
あれほど衝撃的だったのに。

今年になってlotus62様から現地の現状をコメントしていただいたりしているうちに、重い腰が徐々に上がり「足立区暗渠再訪」の運びとなった次第です。

その時点でもまだ様々な水路網(メイン以外の)の名称がわからず、作業がはかどらない日々でした。

そんな折、ふととある「橋跡?」を見つけた事もあり、そこから導かれるように流路や資料とのご縁が進んで
また新たに開かれた視点での水路歩きとなりました。

予想はしていたけれど、10年前の地図持参で歩いてみてより一層の変化の大きさを改めて実感しました


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江北2-4辺り。
木のすのこパレットの下にある石造りの物体が目に留まりました








これは橋の跡では?

反対側を確認します















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向かいは吉野石膏工場の壁なのですが、ここだけ石が露出。

吉野石膏東京工場は1935年(昭和10年)に下沼田町(現在の江北)に開かれた、江北2丁目工業エリアの草分け存在。耐火ボードや遮音壁と一緒にイメージキャラクターのトラさんが登場するCMでもお馴染みです。













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こんな感じで水路が流れていたのかも・・・














と思って、改めて手持ちの古地図資料などを眺めていたら、六阿弥陀第二番の恵明寺の北側を流れる水路が記されていました。
(六阿弥陀詣とか東都六地蔵とか、色々頭の中が錯綜しています)

地図で見ると恵明寺の敷地に池が描かれていて本当はこちらを見てみたくてこの辺りを訪れたのですが(門が閉まっていた)、予想外の小さな発見?に感激。

過去の水たちの声に耳を傾ける事が出来たのかも


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黄色い丸で囲んだ地点が、橋跡らしき物体の残っていた場所。
ちなみに帝都地形図では、周辺の橋として

紫の丸(上の方)の位置には「橋本橋」
紫の丸(下の方)には「恵地橋」
 が記されています。



紫の丸印に示した橋の下を流れていた高速沿いの用水は、神領堀に属するのか、または荒川沿いをずっと囲むように流れていた
「綾瀬川以西悪水大落とし堀」(何だか凄いインパクトの名称。“大どんでん返し”みたいなリズム・・・)の一環なのか、ちょっとよく判りません。

一方で、恵明寺の北側を流れ、橋跡らしきものを残す用水堀ですが、地図上で辿ってみると
以前の記事で綴った「神領堀東堀支線(高野堀)~剥がされる蓋」の流末のひとつに当たる可能性が出てきました。

全ての流路を歩いたわけではありませんが、現状を記しておきます

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江北4-25付近。高野堀が流れていたと思しき場所は公園やピカピカの歩道となっていました













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上流方向(足立西高方面)を臨む。

ちなみに足立西高付近の旧小字名が「松葉」。湧水池のマツバをふと思い出します。

2年前と比べてもう何が何だかよくわからないまでに変わっているのですが、左側の駐車場部分の膨らみが
かろうじて水の流れていた軌跡を伝えるものとなっている気がします。
少し先へ進むと、吉野石膏の社宅が見えてきます。




冒頭の橋跡?隣接の吉野石膏東京工場勤務の方の為の住宅でしょうか。
(世が世なら、高野堀を伝わって水上通勤が出来たのかも・・・)

足立西高の南側の道路も真っ直ぐになり、随分奥に行ってしまったかのような印象を受けました



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こちらは初めて歩く事となった「江北緑道」。
マンション内銭湯の「光浴場」煙突がそびえています。

江北緑道=何となく暗渠でしょ、ぐらいの印象しか無かったのに、『神領堀東堀から分けた「高野堀」の流路跡』と認識して歩くことで水系感覚を足裏がキャッチしてくれそうです。

神領堀自体、見沼代用水系でさらに辿ると利根川ですし・・・




「前略 利根川の(水の)上より」とか独りごちてしまいそうな。


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緑道が途切れて車道と交差する地点。

車道の先の道路、新しい道路と、建替えられた団地のようです。

攪乱されているかもな・・・






















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果たしてその先には。
新旧対照的な光景と。そして途中感の漂う、まだ杭の残る草の生えた空地。
一枚の写真にいろいろな境目があるみたい。





上流方向を臨んで。
















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お肉屋さんの脇(右)に差し掛かります。
ここを出て右へ






























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深緑のガードレールが明示する流れに沿って、商店街が連坦と続きます。
この道は「江北大師道」という古くからの路であるようです。























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歯医者さんの所で左側へ流れ下ります。
古地図によると「前沼橋」の表記あり。数種類の地図を見た中で、いまのところ高野堀で確認できた
唯一の橋名。(もっとでできますように~)

暗渠の香りは少な目ですが


















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夏だ!暗渠だ!ビールケースだ!
・・・という訳で、「暗渠にしばしば連れ添っている物体の中で最も似合うもの」の
ビールケースが彩を添えてくれました。

中でもこれは「積み物件」です


















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吉野石膏工場の脇を通って、左に大きく曲流したのちに、
江北2-1辺りで冒頭で触れた恵明寺の方へと西に流れる一方で、
扇の方へ向かって更に南下していった模様です。








d0250051_16122256.png

付近の神領堀東堀系統の、主な水系図。(正確ではないかも・・・)
実際にはさらなる網の目のごとき分化した水路網が。

今回綴ったのは、真ん中あたりの「江北緑道」を通る「高野堀」でした。





◎一番左(西)の緑ライン、立派な緑道として整備されていて(全国の桜の木が植えてありました)、
谷在家の方から綺麗に斜め真っ直ぐに降りてくる水路、こちらは
「中堰悪水落」と「足立区旧町村古道図」には示されていましたが、いまひとつピンとこない・・・
「○○用水」とか「○○堀」としてほしい気が。
手持ちの10年くらい前の地図では開渠で描かれていましたし、こちらの方が本流?よりも地図上における水路としての印象が強く残っています。

◎お隣の薄い水色が「下堰堀」

◎そして一番右が本流らしき流れで、扇2-13辺りまで辿って最後荒川の河川敷にぶつかります。
(旧い地図では「薄本圦」という施設で最後となっている)
その地点も現在はマンションになっていますが、かつては吉野石膏の工場がありました。


これらの水路も点々とではありますが歩いてみましたので、又の機会にご紹介できればと思っています。

と幾つかの水路の名前を書いてみたものの、近隣の方にとっては単に「用水」とか「どぶっ川」だったのかもしれません。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おまけ。

d0250051_16392731.jpg
やっぱりビールケース。
(厳密にいえばビールじゃないか・・)
真相は良く分かりませんが水路の上にスナックが乗っかっているような印象。
堀切菖蒲園駅そばの光景に似ている気がしました。

江北氷川神社参道そば。
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by onnbubatta | 2014-06-06 17:06 | 足立区 | Comments(2)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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