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続・志茂の小水路跡~サウンド・オブ・西蓮寺

昨年、筋のような、函型水路跡特集と題した趣味の小部屋的な記事でご紹介した、北区志茂の風情ある水路跡。

ちなみに志茂の歴史についてwikiで引くと「正保期に天領となり、その後小石川伝通院・浅草幡随院・谷中南泉寺等にも分け与えられた」
とあります。古地図で見るとこんもりと集落が集まっていて、わくわくの微高地。

この水路跡周辺の接続関係のちょっとした判明(※まあこの辺りは水路跡だらけではありますが~と嬉しい注釈、というかことわり)と、新たな小水路跡の発見がありましたので綴ります。

旅の冒頭、隣駅の赤羽岩淵の駅出口、通りに出ると案内地図版があって便利なのですが、謎の亀裂が・・・
どうしたんだよーー
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製菓用のチョコペンで描いたような謎の線。
こんな道路計画でもあるというのか?・・ちなみに同様の案内地図が少し離れた場所にもあったのですが、同じような形状の亀裂入りだったので、作為によるのか、素材によるのか
悶々としました。いきなりの洗礼ではあります。

気を取り直して水路跡へ・・・

場所は志茂4丁目の西蓮寺さんというお寺さんの敷地西端。

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落ち葉が結構堆積しているなあ。
去年の方が猫ちゃも居て良い雰囲気だったかな・・・?
下は去年春の同じ場所。
この場所が素敵なのは、光の入り込み具合もあるのだろうな。


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去年も感じたのは、この辺りでは猫がたくさん見られるという事。それも再訪の一つの楽しみとしてやってきました。

公図で見た感じだと、こんな具合に接続しているようでした。
更に西蓮寺の北側の道を回って、最終的に隅田川に達していたようです。(後で示します。)
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芝生敷きの部分から、写真手前(西蓮寺の別院:福聚観音脇)までも水路跡の模様。
写真奥、芝生敷きの先が上の写真の水路跡に接続するようですが、確認は出来ません。
(芝生敷きの先、画像では左方向(北方向)に走る水路跡が、先程上げた猫のいる水路跡写真)

写真手前側の道へ抜けると、静かな商店街(跡?)というか、昔は商店が集積していたのだろうなという通りに出てきます。
(記事最後の方に出てくる、小柳川の案内地図にて「旧道」と記されていました。)



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オクヤミハナ・・・
何かの呪文のような響き・・・

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西蓮寺入口に向かう道の角に位置する庚申堂。
遠目から、猫がいるのかしら?と思ったら
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直接、バナナが置いてありました・・・結構熟していて食べ頃になっています。
何でバナナ?そんなバナナ。庚申堂でふと香る南国の風。


庚申堂の少し北に行くと、西蓮寺の別院:福聚観音(コンクリート造りなので、最初観音堂と認識できませんでした)があり、そこを折れると水路跡に接続する暗渠?になるようです。自動おみくじ機が設置されていたらしく、寄ればよかったと後悔。

西蓮寺さんは昨年同様、門が開いていないので中の様子は確認できませんでしたが、昔の地図を見ると池がある(庭園でしょうか)ようなので、見学の機会が有ればよいなあ。


そして今回新たに出会った水路跡。


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画像左側のマンホール具合、どうみても明示している。。何かが横切っている。
その方面の方々は、上の画像をみたらその匂いに敏感に反応すると思うのですが、


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囚われの身となった姫のような小溝が・・・!!


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姫よ!せめてそのお姿だけでも金網越しに拝ませて・・

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排水ホースを受け止めたり、様々な部材を差し向けられたり、プランターを乗せたブロックを橋さながらに渡されたり・・・
健気な姫は金網越しに見るに留まり、ペルセウスにはなれませんでした(あっさり。)
排水路なのか、元は用水路の末端なのか・・
姫は華やかなりし頃を想って憂いの表情を浮かべておりましたよ。

この奥は(南側方向)廻り込んだけれど痕跡無し。
ではマンホールの反対側は、どうなっていたかというと。。


恐る恐る入っていきます。

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最初は非常に素っ気ない姿。


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静寂に包まれながらも、艶やかな変化の予感を見せ始めます・・




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見よ。この妖艶な姿態を。潤っているねえ・・
はあ。。。ドキドキしてくる。


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あまりにドキドキし過ぎて、マンホールも若干浮き上がってきてて。石臼と化しているのですが・・

苔むす侘び寂び感と、妖艶な変化を目の当たりにして頭が混乱してくらくらしているので、茶葉でも引いて一服していきたい気もします。



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この奥は左方向に折れていくのですが、


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再び右方向へ折れていく模様。さらにその奥の踏査は断念。


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引き返すと、対岸に囚われている姫が再び見えてきます。


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グリーンのラインが苔むす石臼水路跡、ピンクの部分が金網に囲われた囚われの姫:水路跡。(ピーチ姫かアンドロメダか。)

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「小溝の周りを行ったり来たりしている、ちょっと様子の変なひとが来たよ」
「剣呑、剣呑」

鼻筋の白い部分が極細の仮面猫ちゃん。鼻筋が水路跡にも見えてくるね~。
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「やっと去ったよ。良かった良かった。」



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ほどなくして現われたのは木製のトレリスフェンスの上に、アンバランスな格好で寛いでいた猫ちゃ。再び黒白さん。
「お控えなすって~」


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左の前脚と後脚だけトレリスに載せるニヒルな猫ちゃ。
「この体勢、オリジナルなんだけど意外に落ち着くんだよね。」


参考:去年、この辺りに居た猫。志茂という街は曲がりくねった内臓のような温かさを持っているのと、可愛い猫ちゃんに会えるのがその印象の大部分を占めていて、水の匂い=猫、のつながりを強く感じさせる象徴的な街だと感じています。微高地LOVE。



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「・・・ご飯持ってないの?帰っていいよ。」

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気をつけ、ポーズで丁重なお見送り。可愛すぎ♡二匹間の微妙な距離も♡




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グリーンのラインがここまでご紹介してきた水路跡。
紫マーク(上)が西蓮寺の別院:福聚観音、紫(下)がバナナの庚申堂。
ピンクで囲ったのは、志茂七溜商店街。(素晴らしい名称)

古地図では、ブルーのライン、西蓮寺の北側を回って隅田川に落ちる水路跡も見られたのですが、明確な痕跡はなし。
落ち口周辺は日本化薬の工場や工場跡が広がっていました。


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日本化薬の銘入りプランター。
雑草が植わっておりました。
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何かのマンホール。


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巨大な工業用水タンクが目を引きます。
自分ではどうしようもできない巨大な物体を前に、被圧されそうです。

日本化薬で面白いのは、この北区側の工場~隅田川を挟んで対岸の足立区新田側の工場を渡す業務用の渡し船があるんですよね。




ここまで来ると、小柳川暗渠(オレンジライン)もすぐ近く。

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電柱プレートの「小ヤ洲」表記。
小柳川に架かっていた橋「小梛洲橋」、「小柳川」両方から来ているのでしょうか、漢字カナ混じりの表記にはゾわぞわする、皮膚をザラッと撫でられるような感覚があります。
「梛」はやはり熊野神社由来の地名なのかな?

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割と近年に整備された公園の一角に建てられた、小柳川に関する説明版。
古写真に拠る地点説明まで為されていて充実していました。




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by onnbubatta | 2015-11-26 20:46 | 北区 | Comments(2)

川崎の入江崎~観音川河口突端、海中に建っていた石碑

以前古地図でその存在に気づいてから、どうしても行ってみたかった場所。

それは、川崎の観音川河口、東京湾の海中に建っていたという石碑、「徳本上人碑」。
何故このような場所に・・・


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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成・加筆したものです。
(1927~1939年で表示)


はじめて見た時は、波打ち際というか陸地の際のような場所に立地しているのかと思っていましたが、調べてみるとかつては海中に建っていたものだという事。そして現在は埋め立て工事により、海面から入江崎公園に移転しているそうです。。

何だかドラマティックで心くすぐるこの石碑。
現地がどんな場所かよく把握していなかったのですが、先般の川崎酔いどれ舟旅の延長で改めて現地に行ってきました。
(観音川の暗渠も少し確認できればいいなという意識で。)

前回と同じく臨港バスに揺られて、JFE池上正門で下車。
二回目の乗車で気づいたのは、臨港バスの運転席右上のスペースに、川崎大師のお札を差し込むスロットみたいなものがちゃんと設置されている事。

さて、降りたのは良いのですが周囲は大工場ばかりで、ふらふら散策的に歩いている人などおりません・・・
公園にどこから入って行けばいいのかもわからず、暫く彷徨っていました。

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そんな時に現われたのが、この橋跡(?)。
「入江橋」と書いてあるものの、何らかの施設仕様で、今ひとつ橋跡らしい情感なし。


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これらの写真では見えませんが、水色の桁のような物体の下に「川崎市水道~~」の表記が確認できたり、昭和電工の何らかの流体が送られている設備があったり。

ここらはやはり昭和電工なのですな。大島に社宅や施設が控えていたしね。

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レシートの紙屑?がいい味。電話番号も併記の妙味。


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昭和電工 川崎工場マンホール。

お天気も良くて、昭和電工疑獄事件とか、そんな用語が似合わず吹き飛ばされてしまう。


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入江橋の対岸はこのような重厚なビジュアル&妖艶なアーチ。
観音川の現在のエンド一帯はJFEの工場に沿った形で、(地図上で確認すると工場にエンクロージャーされているように見える)ここから河口までは開渠になっている模様なのですが、確認は断念。

そもそも現地にいた際は、入江橋のあまりの情感の少なさに、観音川の橋だという認識すら薄かった(反省点)。


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貨物線(臨港鉄道水江線)に沿って行けば公園に辿り着けるはず。。
画像、線路の右側は入江崎水処理センターで、川崎市で最初に稼働した(昭和36年)下水処理施設。
ドイツ表現主義的な(様式違うかも)塔に目を奪われます。

 
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線路脇に様々な構造物が残置されていて、ちょっとフリーダムな様相。。

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線路の反対側は入江崎クリーンセンター。こちらにも、お化け煙突を彷彿とさせる年月を経た感じの煙突が空を目指していました。
繁茂した雑草と共に、伸びゆく象徴的な写真が撮れた事に満足です。

終末処理的な施設に囲まれつつ、そんなこんなで、掻き分けるようにようやく入江崎公園到着。
公園というよりは、空き地のような印象。


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これか・・・!

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江戸小石川一行院中興開祖!小石川関係の!

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「塩浜今昔会」・・・何て素敵な団体なんだ。

「川崎の町名」に拠ると、
この辺り(入江崎公園)付近は工場用地として埋め立てられる以前の昭和初期までは、観音川と塩浜川が出会う河口で、北ノ先と呼ばれていた地であったそうです。(冒頭の今昔マップ古地図の方にも当該地名が見てとれます。)
(アンダーラインを引いた「観音川・塩浜川」については後述します)
ここは海上で漁をしていた漁師が漁網にかかった大師像を船から陸に引き上げた所と云われ、現在塩浜二丁目の北ノ崎児童公園にその地名が残っています。

その北ノ先の突端海中に文化13年に建立されたのが「徳本上人碑」で、
江戸時代末期に遊行の僧として諸国を歩いた徳本上人が各地に念仏講と念仏碑を残し、独特の書体と花押の碑は「トッコン様」と呼ばれて、川崎市内にも六基存在する中、最大のものがこちらの場所にある石碑になるそうです。

この北ノ先の地、というかこの特異な場所に碑が建立された理由は、
  ①前述の大師像が引き上げられた地点に因む説の他、
  ②この観音川河口沖は船がよく難破して溺死体があがったことから、供養のために上人が巡錫の折に碑を建てた
ようなことが言われているそうです。



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この大きな石碑は、沖を通る船の目印となり、北ノ先の突端は「徳本鼻」と呼ばれていたそうです。
・・・ああ。姥ヶ森に次いで再び船の目印。そして鼻地名。突端。どうしてくれよう。シンボリック過ぎる。
「独特の書体」、カリグラフィーの如き流線美。
五感を突っついてくるなあ・・・
波に晒されていた過去を纏いながら、現在はこのような落ち着いたどっしりとした佇まい。

観音川のもう少し上流に弁天様があるのですが(今回探訪断念)、その弁天社で毎年行われた舟祭りでは海苔や漁業の豊漁を祈願して、五尺型十人乗りの新造船を華やかに飾り付け(化粧船)舟を三バイつないで囃し立てながら観音川を下り、「トッコン崎」へとくり出して、海上で神主が祝詞をあげて神酒をまいて帰るというもので、当日は早くから銭湯が開いて身を清めてから祭りに参加し、夜は弁天社で神楽が奉納されたということです。
銭湯の話が出てくるあたり、生活史との関わりがいきいきしてきます。

昭和12年頃の舟祭りの写真を見ると、華やかな旗が連なり、イナバの物置並みに船に大勢の人々が乗っている様子が映っていて、当時の祭りの盛大さが伝わってきます。



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  オレンジの丸で囲った場所が入江崎公園。その左を掠めている緑道表示部分が観音川の暗渠なのですが、ちょっと観察しにくい雰囲気の場所だったので断腸の思いで断念。(略してダンダン)
開渠と緑道表示?の境目が上述の「入江橋」、緑道表示?と東海道貨物線(画像上部を横断している)の交わる辺りが「川口橋」。

アンダーラインを引いた「川崎の町名」の「塩浜川」については、具体的にどの流れを指すのか、はっきりとはわからなかったのですが

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ピンクのラインの流れを指すので良いのではないでしょうか。
(ピンクのラインに沿った屈曲道は砂州だそうです。ここも歩きたかったな・・・)
水色が観音川、これが落ち合う辺りが入江崎(オレンジ)とすると。
このワラジヤさんの昭和41年地図で見ると(大雑把な図であるけど)、河口幅広いですね。

入江崎公園の周辺は広大な川崎化成の跡地等も拡がっていたり。
あまり人を見掛けないし(意外に民家も何軒かある)、何だか一人で歩いているのもの寂しい雰囲気だったので滞在時間は僅かでした。




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工場地帯に鮮烈な彩りを。安全工事体感訓練センター。


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JFE池上正門にある、鋼鉄製?のオブジェ。上へ!上へ!


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思い出したのは、一昨年学芸大学で見掛けた薬局のサイン。


ここから、大島・桜本方面へちょっとお買い物がてら歩こうかと思ったら、衝撃の物体に遭遇しました。


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自転車のかごに、お人形(ミルク飲み人形みたいなの)が!
場所は、川崎臨港警察署前信号交差点辺り。食堂の跡地のような場所・・・

川崎はいつだって俺たちの度肝を抜いてくれるのさ。
ぼうっと歩いていたからね。たぶんある種の目的を持って此処にザインしていたんだと思う、この子。。

河口で人形に話しかけられる経験も稀有なものでした。

池藤橋の信号まで真っ直ぐ歩いて行って、少し北に入って観音川の流れていた屈曲道をふらふらしつつ(弁天社を目指したのですが、少し疲れてしまった・・・この時点ではこの弁天社の縁起とか化粧船の話も知らなかったので)、桜本方面へ進みました。


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紫がお人形の居場所、ブルーの線が観音川の流れ。

観音川は元々は池上新田の開発によって作られた川で、石観音の前を通ることから「観音川」と呼ばれ、上流は「六百代川(むそしろ)」、藤崎辺りでは「サンゼム川(大島村の三左衛門に因む)」とも呼ばれ、五ヶ村の田に用いた水を排水する悪水路で池上新田を廻り込んで海へ達していたといいます。
明治~昭和30年代頃までは海苔業が盛んだったため、川筋の河岸には船溜まりが幾つもあり、弁天社と石観音付近には「観音河岸」があったということです。

石観音像は縁起が伝える所に拠ると、「正保年間に海中より出現の霊石」だそう・・・
弁天社に隣接するというこの石観音、あきらめずに行けば良かったな。改めて。


実際歩いた時は、池藤橋の信号を渡って桜本側に入った時点でぷっつりと観音川の事は忘却の彼方に流れていたのですが・・・
そんな不肖なわたくしめに喝を注入してくれたのは

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「くわっ!川コンシャスで行動せよ!」予期せぬ橋跡!。しかもかなり上等な一品。

・・・とこちらの案件は記憶の片隅にあったはず。徳本上人碑、大島劇場、姥ヶ森弁財天が紹介されている「川崎のたからものシート」で見たことがあったかも。。?
名前がよく解らないのが残念。


筋弛緩剤事件の舞台の病院前などを通り過ぎると、韓国料理のお店が現れてきて、ああ無事再訪できたなと実感できました。
この先の「さくら小学校」、元の桜本小学校で、昭和32年製作の東映の記録映画「煤煙の街の子供たち」の1シーンが撮影されたそうです。
「川崎の町名」でこの事に触れており、

「・・・煤煙の恐ろしさを強調するあまり、一部手を加えたため、のちに問題となったこの映画は川崎を公害の都市としてその名を全国に知れ渡らせました。しかし此の事を契機に煤煙防止の機運は高まり、三年後には市の公害防止条例が交付施行されました。」

どんな加工手法だったのか、気になります。。真っ黒のモックモクにしたのでしょうか・・・?

桜本界隈でキムチを購入した後は、前回の帰り道で気になった鶴見の本町通り商店街へ少しだけ寄り道をすることに
夜の帳が降りる頃、バスで通過したのですが車窓からの景色に心を奪われました。旧くからある道の匂いもするし。

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まずは、夕暮れの中でぼんやりと浮かび上がる赤いボンボリの灯が印象的だった三角形の地型の観音様へ。

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昼間はまた違った印象で、割とはっきりとした色彩。
お屋根の名乗りも明確で判り易いです。
どんな云われがあるのか、奥へ進んで確認しようとすると・・・



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由来以前に、右側の壁画は・・・?
隣接する店舗(クリーニング屋さん)とは関連付けが無いようだし・・・
確かにwonder land。バスから見えた時は気づかなかった・・・


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「・・かたじけなくも仏縁により再現され、当時潮田本町商工会はこれを奇とし、広大無辺の功徳をあまねく世人に及ぼそうと・・・」

  姥ヶ森もそうだったのだけど、由来を記した説明版の文体というか話の流れが独特で興味深い。

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どうしかものか・・
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お休みになっている人もいたのですが

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曰く、WONDER・・・


商店街は閉まってるお店も見られ、静かな雰囲気。スピーカーの割れた音から流れる嵐の曲が印象に残りました。
介護拠点や、マイバスケットのようなミニスーパーが店舗として目についたかな。

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こちらは吉永小百合さんでしょうか?(別人にも見えまする。私は浜木綿子さんに似ているかな~と。)
シャッター壁画だと、レポート用紙のような線が入って思わぬ効果を生み出すなあなどと。
一階店舗と上階の店舗が併記されているのか、二毛作のような業態なのか、気になります。


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「鶴見名物 亀の甲せんべい」と掲げられたお店。
海由来のアイテムだったので思わず撮影。こう、現在は陸なのにかつての海を感じさせてくれるものには反応強めなのです。


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こちらのお店も、バスから見えて感動したお店。
最高峰という看板も秀逸ですし、何より昔の日本鋼管鶴見造船の社名が残っているのに感銘を受けました。
工場の人の背広を請け負っていたのでしょうか?

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鶴見川の橋を渡る直前に見たお店だったので、より心に刻まれたお店でした。


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鶴見駅前。音楽の都でお蕎麦をすすれるらしい。
あ、でも擬音語の「うぃーん」かもしれない。決めつけちゃだめよね。うぃ~ん




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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初回の、川崎舟旅の最後の行程でお世話になった横浜市営バス。(舟)

俺たちのソサエティに君臨する舟たちよ。

(横浜市営バス、で検索すると予測変換で「横浜市営バス プリキュア」が候補としてサジェストされたのも面白かったです。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記:観音川の石観音と弁天社(11月下旬再訪)





青アイコンが石観音、斜め向かい赤いアイコンが弁天社。




石観音の門に掲げられた「潮音殿」の額。
波の音が聴こえるかい。

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門をくぐってすぐ右手にある「霊亀の助けによって海中から引き揚げられた」手水石。
石の中央部辺りに継ぎ目があったり、穿ち穴のようなものがあったり。

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こちらは弁天社。赤い方が弁天社、白い方は八海提頭羅神王を祀っているそうです。

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敷地が東西に長く、笹かまやなまこ餅のような形状で、社殿に対して空きスペースの割合が広いのが印象的。
舟祭りの際に人々が集って気勢をあげていたのでしょうか。
また、間口が広いわりに正式に出入り出来るのが北側の一角だけなのが面白かったです。単に管理上の措置かもしれませんが。

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付近には風呂屋さん(浴槽屋さん?)や床屋さん。
縞々が鮮やかでUSAっぽいな。
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カーブミラーまで縁取り。縞々が印象に残る一角でした。

川崎には曇天が実によく似あう。。と思いを新たにしたその時・・・


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「御自由にどうぞ!」と貼り紙をされて屋外の、しかもマンホールを台座に据えて置かれた胸像にまたしてもびっくり。
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背後のススキみたいな草とのコントラストが、少し険しい表情、、悲哀美を感じさせます。
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等々力~入江崎、と地名表記のあるマンホール。
行先が書かれているっていいね。












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by onnbubatta | 2015-11-15 09:56 | 神奈川 | Comments(8)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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