沢蔵司稲荷近辺の麗しい水路跡

遅くなりましたが、今年初の記事になります。
本年も宜しくお願い致します。
暫く記事を書いていなかったので、リハビリがてら綴ります。

丁度一年前、冷たい空気に包まれた曇天のある一日に小石川近辺を歩いていて、散策の最後の行程で流れ着いたのが沢蔵司稲荷でした。
(たくぞうす稲荷、変換にひと手間掛かる)

沢蔵司は伝通院の学寮(栴檀林)の修行僧で、僅か三年で浄土宗の奥義を極めたエリート。その正体は千代田城内の稲荷大明神だったのです。


一年前の様子です。
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長い事文の京に住処を置きながら、初訪問の沢蔵司稲荷。
「パワースポット」として知られているそうですが、そういった修飾語の予備知識に支配されないよう、身構えて中に入りました。
(意地っ張り。「お化けなんてないさ♪」を必要以上の音量で脳内で流す感じ??)
いつもだったら「窪地にダイブ」とか口走りそうですが、軽い気持ちで行ってはならぬと改めて心を整えたり。

道路からは全く見えない窪地地形。進入して初めて、そこに突然穴が開いているような感覚・・・
突発的且つ異質な窪地の形成史を知りたい気持ちが高まります。
曇天下、色が少ない中に、鳥居や献灯の色が妙に浮き出ています。

昼なお暗きスリバチ。やっぱり異様な雰囲気が充満していました。数歩先に親子連れが来ていて、「コワイ~コワイ~」と騒いでいてくれたのが返ってありがたかったです。。

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窪地の底、鳥居の先にあるのが狐棲の洞穴「霊窟」です。

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写りが良くない点が申し訳ないのですが、
バラバラっと置かれた小さな鳥居の数々、穴が塗り込められたような様には言葉を失います。


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↑↑献灯の足元のこういった件も、誰か説明して下さいな・・・(震震震)


沢蔵司稲荷、谷底に漂う妖気もさることながら、谷底に降りる前の際(キワ)の雑多な感じもまた、妖気の序章のような位置づけになっている気がします。

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台地の際に、色々なジャンルの物が置かれている
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こういう表情好き。

lotusさんが、「谷端川に架けられていた”ふじはし”の親柱がある」と教えて下さったのですが、この時は確認出来ませんでした。
(8月に再訪した際に見つけられました!)

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昔おうちにこの柄の風呂敷ありました。今では泥棒さんのアイテムの象徴のような扱われ方ですが・・
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なかなかどうして、この場所に渦巻く妖気によく似合っています。


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水が集まりやすいのでしょう。
ボブスレーの滑走路のような、瓦造りの溝。



沢蔵司稲荷の窪、うまく言えない乍ら、谷端川の支谷っぽくない雰囲気があって孤高の(狐高?)佇まいなんですよね。
谷端川(小石川)、大塚より下流は右岸とか特に大きな支流も交えないなかで。

 
お隣の善光寺にも興味深いものがありました。(ちょっと立ち寄っただけ)

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「昭和二年二月」と書かれた木箱・・・
相当年月を経た木箱が置かれていました。
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さて、表題の「沢蔵司稲荷近辺の水路跡」へ。。

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沢蔵司稲荷の前の道路を隔てた辺りに、溝がありそうな雰囲気を感じたので近づいてみました。
(完璧に私有地に取り囲まれています)

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この奥に水路を感じる・・・

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しかし行き止まり。右側の石組みの湾曲が何とも風情があります。
窪地に向かって行き止まりになるこの雰囲気、関口と目白台間辺りにも似たような場所があったっけ。

何とか確認できる場所を探して・・・一目だけでも見られたら。

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・・・何という美しい水路跡なのでしょう。
私有地に取り囲まれているゆえ、奇跡的にこの形状で残ったものかも知れません。

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こんな遺構が人知れず?眠っていたなんて。
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割と落差もありますね。架橋も確認できましたが、使われることはあるのでしょうか。

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足元には、下水道局のプレートも。


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この水路の下流部分で、痕跡が感じられるのはこの付近だけ。
あとは勝手に小石川へ落ちていくのだろうな、と。
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地割や擁壁マークなどから、このような流路と推測しました。

では、上流部分はどうなっているのでしょう・・?
地形から見て、礫川小学校(地学テイストの校名ナイス)の南東端付近が出発点と思われます。
(丁度その位置に学校のプールがあるので、それが水源か(笑))

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雰囲気が伝わるという点ではこれぐらいかな・・・

 
この時は目視と、下水道のプレートで「水路跡」と思ったものの、暫く胸に秘めていた状態でしたが、


を書くに当たって出会った地籍図にこの「沢蔵司稲荷そばの水路跡」が青線で明確に記されていたのです。

当該地籍図によると出発点は春日通り、富坂警察と礫川小の間くらい。終点は前掲の地図に私が記した青線辺りになっていました。
嗚呼・・・私の目に狂いは無かったよ。ありがとう地籍図。
地籍図には他にも、過去の銭湯として礫川小の北東辺りの「瀧の湯」、出発点付近の春日通りを渡った辺り「塩湯」が掲載されていました。

また過去の住宅地図を眺めていると、沢蔵司稲荷向かいの椋の樹(沢蔵司が宿っているとされる樹。伐採すると祟りがあるという事で今でも道が不整形)の所に交番が在ったり、沢蔵司稲荷児童遊園というのが在ったり。。と様々な発見がありました。
樹にまで宿るとは・・・沢蔵司様の超人的な力にはただ驚くばかりです。


上述の通り、大塚より下流の小石川、特に右岸には目立った支流が無かったような気がして。
ハイハイ、後は惰性で流れていくからね~、みたいな(酷い)。
なのでかなり意外な出会いとなりました。
小石川の支流で本当に合っているのか明言できないのですが、カテゴリは谷端川に交えてみました。
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グーグルアース’東京地形地図)様より拝借した地形図。
礫川小の方からうっすらとした谷が始まっているように見えます。谷頭が小学校近辺ですし、改変もあったのでしょうか。



小石川の谷は「蟹工船の暗い谷」のイメージが支配し過ぎていて、現在の拡幅された千川通りとの乖離幅が広すぎて
なかなかきちんと歩いていません。。



そのあと一度、昨年の夏(9月)に沢蔵司稲荷を再訪したものの、当該水路跡を訪れてはいないのです。。

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・・・以前にも増して凄みを増しておりました。


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谷底の霊窟脇の池跡?
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再訪時にやっと確認できた「ふじはし」橋跡。
初回訪問時は、独り異様な空気に包まれてそれどころではありませんでした。

真冬と真夏、苛酷な気候に何故か訪れる事になる沢蔵司稲荷。

暫くブログを書いていないと、なかなか取り掛かれないものですね。。

ちょっと自らに喝を入れてもらいましょうか。(礫川公園の春日局像です。大河ドラマでは千石出身の大原麗子さんが演じていました。
とにもかくにも礫川れきせん。じゃりじゃり)
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ていっ・・・!


一年過ぎてしまいましたが、小石川界隈を散策した時の写真などを又機会あれば綴っていきたいと考えています。

稲荷大明神の化身である沢蔵司、どんな姿だったのだろうと色々と思いを巡らせています。端正に着物を着こなした長身の姿、お顔は精悍な狐・・というイメージが浮かんでいます。

そんな過程で度々思い出されるのは、芥川龍之介の「点鬼簿」の一節。
心を病んだ母に、絵を描いてくれと頼む幼少期の芥川龍之介。母が描いた幾つかの絵の人物の顔は、狐だったという。

僕の母は如何にももの静かな狂人だった。僕や僕の姉などに画を描いてくれと迫られると、四つ折の半紙に画を描いてくれる。画は墨を使うばかりではない。僕の姉の水絵の具を行楽の子女の衣服だの草木の花だのになすってくれる。
唯それ等の画中の人物はいずれも狐の顔をしていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記。2016年4月、こちらで夜桜を鑑賞した際の写真です。ライトアップとかやっていなそうなイメージだったので、思わぬ景色に息をのみました。(牛天神と沢蔵司稲荷に夜詣してようかなと軽い気持ちで・・・)


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↑この写真が一番好きかな?右側に張り出した感じと、何色なのか描写が難しい闇の色。

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灯のアーチ部分の意匠が素敵でしょう~


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ライトの具合なのか、この一枚はほんのりアーティフィシアルな桜色の映りになっていますね。


「下に」降りてみようかと勇気を振り絞って階段を降り始めた途端にこけて左足を挫いて、あ~もう無理だ無理だとそそくさと引き返したのでした・・・







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# by onnbubatta | 2016-02-27 12:39 | 谷端川 | Comments(9)

続・志茂の小水路跡~サウンド・オブ・西蓮寺

昨年、筋のような、函型水路跡特集と題した趣味の小部屋的な記事でご紹介した、北区志茂の風情ある水路跡。

ちなみに志茂の歴史についてwikiで引くと「正保期に天領となり、その後小石川伝通院・浅草幡随院・谷中南泉寺等にも分け与えられた」
とあります。古地図で見るとこんもりと集落が集まっていて、わくわくの微高地。

この水路跡周辺の接続関係のちょっとした判明(※まあこの辺りは水路跡だらけではありますが~と嬉しい注釈、というかことわり)と、新たな小水路跡の発見がありましたので綴ります。

旅の冒頭、隣駅の赤羽岩淵の駅出口、通りに出ると案内地図版があって便利なのですが、謎の亀裂が・・・
どうしたんだよーー
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製菓用のチョコペンで描いたような謎の線。
こんな道路計画でもあるというのか?・・ちなみに同様の案内地図が少し離れた場所にもあったのですが、同じような形状の亀裂入りだったので、作為によるのか、素材によるのか
悶々としました。いきなりの洗礼ではあります。

気を取り直して水路跡へ・・・

場所は志茂4丁目の西蓮寺さんというお寺さんの敷地西端。

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落ち葉が結構堆積しているなあ。
去年の方が猫ちゃも居て良い雰囲気だったかな・・・?
下は去年春の同じ場所。
この場所が素敵なのは、光の入り込み具合もあるのだろうな。


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去年も感じたのは、この辺りでは猫がたくさん見られるという事。それも再訪の一つの楽しみとしてやってきました。

公図で見た感じだと、こんな具合に接続しているようでした。
更に西蓮寺の北側の道を回って、最終的に隅田川に達していたようです。(後で示します。)
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芝生敷きの部分から、写真手前(西蓮寺の別院:福聚観音脇)までも水路跡の模様。
写真奥、芝生敷きの先が上の写真の水路跡に接続するようですが、確認は出来ません。
(芝生敷きの先、画像では左方向(北方向)に走る水路跡が、先程上げた猫のいる水路跡写真)

写真手前側の道へ抜けると、静かな商店街(跡?)というか、昔は商店が集積していたのだろうなという通りに出てきます。
(記事最後の方に出てくる、小柳川の案内地図にて「旧道」と記されていました。)



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オクヤミハナ・・・
何かの呪文のような響き・・・

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西蓮寺入口に向かう道の角に位置する庚申堂。
遠目から、猫がいるのかしら?と思ったら
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直接、バナナが置いてありました・・・結構熟していて食べ頃になっています。
何でバナナ?そんなバナナ。庚申堂でふと香る南国の風。


庚申堂の少し北に行くと、西蓮寺の別院:福聚観音(コンクリート造りなので、最初観音堂と認識できませんでした)があり、そこを折れると水路跡に接続する暗渠?になるようです。自動おみくじ機が設置されていたらしく、寄ればよかったと後悔。

西蓮寺さんは昨年同様、門が開いていないので中の様子は確認できませんでしたが、昔の地図を見ると池がある(庭園でしょうか)ようなので、見学の機会が有ればよいなあ。


そして今回新たに出会った水路跡。


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画像左側のマンホール具合、どうみても明示している。。何かが横切っている。
その方面の方々は、上の画像をみたらその匂いに敏感に反応すると思うのですが、


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囚われの身となった姫のような小溝が・・・!!


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姫よ!せめてそのお姿だけでも金網越しに拝ませて・・

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排水ホースを受け止めたり、様々な部材を差し向けられたり、プランターを乗せたブロックを橋さながらに渡されたり・・・
健気な姫は金網越しに見るに留まり、ペルセウスにはなれませんでした(あっさり。)
排水路なのか、元は用水路の末端なのか・・
姫は華やかなりし頃を想って憂いの表情を浮かべておりましたよ。

この奥は(南側方向)廻り込んだけれど痕跡無し。
ではマンホールの反対側は、どうなっていたかというと。。


恐る恐る入っていきます。

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最初は非常に素っ気ない姿。


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静寂に包まれながらも、艶やかな変化の予感を見せ始めます・・




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見よ。この妖艶な姿態を。潤っているねえ・・
はあ。。。ドキドキしてくる。


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あまりにドキドキし過ぎて、マンホールも若干浮き上がってきてて。石臼と化しているのですが・・

苔むす侘び寂び感と、妖艶な変化を目の当たりにして頭が混乱してくらくらしているので、茶葉でも引いて一服していきたい気もします。



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この奥は左方向に折れていくのですが、


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再び右方向へ折れていく模様。さらにその奥の踏査は断念。


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引き返すと、対岸に囚われている姫が再び見えてきます。


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グリーンのラインが苔むす石臼水路跡、ピンクの部分が金網に囲われた囚われの姫:水路跡。(ピーチ姫かアンドロメダか。)

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「小溝の周りを行ったり来たりしている、ちょっと様子の変なひとが来たよ」
「剣呑、剣呑」

鼻筋の白い部分が極細の仮面猫ちゃん。鼻筋が水路跡にも見えてくるね~。
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「やっと去ったよ。良かった良かった。」



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ほどなくして現われたのは木製のトレリスフェンスの上に、アンバランスな格好で寛いでいた猫ちゃ。再び黒白さん。
「お控えなすって~」


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左の前脚と後脚だけトレリスに載せるニヒルな猫ちゃ。
「この体勢、オリジナルなんだけど意外に落ち着くんだよね。」


参考:去年、この辺りに居た猫。志茂という街は曲がりくねった内臓のような温かさを持っているのと、可愛い猫ちゃんに会えるのがその印象の大部分を占めていて、水の匂い=猫、のつながりを強く感じさせる象徴的な街だと感じています。微高地LOVE。



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「・・・ご飯持ってないの?帰っていいよ。」

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気をつけ、ポーズで丁重なお見送り。可愛すぎ♡二匹間の微妙な距離も♡




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グリーンのラインがここまでご紹介してきた水路跡。
紫マーク(上)が西蓮寺の別院:福聚観音、紫(下)がバナナの庚申堂。
ピンクで囲ったのは、志茂七溜商店街。(素晴らしい名称)

古地図では、ブルーのライン、西蓮寺の北側を回って隅田川に落ちる水路跡も見られたのですが、明確な痕跡はなし。
落ち口周辺は日本化薬の工場や工場跡が広がっていました。


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日本化薬の銘入りプランター。
雑草が植わっておりました。
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何かのマンホール。


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巨大な工業用水タンクが目を引きます。
自分ではどうしようもできない巨大な物体を前に、被圧されそうです。

日本化薬で面白いのは、この北区側の工場~隅田川を挟んで対岸の足立区新田側の工場を渡す業務用の渡し船があるんですよね。




ここまで来ると、小柳川暗渠(オレンジライン)もすぐ近く。

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電柱プレートの「小ヤ洲」表記。
小柳川に架かっていた橋「小梛洲橋」、「小柳川」両方から来ているのでしょうか、漢字カナ混じりの表記にはゾわぞわする、皮膚をザラッと撫でられるような感覚があります。
「梛」はやはり熊野神社由来の地名なのかな?

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割と近年に整備された公園の一角に建てられた、小柳川に関する説明版。
古写真に拠る地点説明まで為されていて充実していました。




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# by onnbubatta | 2015-11-26 20:46 | 北区 | Comments(2)

川崎の入江崎~観音川河口突端、海中に建っていた石碑

以前古地図でその存在に気づいてから、どうしても行ってみたかった場所。

それは、川崎の観音川河口、東京湾の海中に建っていたという石碑、「徳本上人碑」。
何故このような場所に・・・


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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成・加筆したものです。
(1927~1939年で表示)


はじめて見た時は、波打ち際というか陸地の際のような場所に立地しているのかと思っていましたが、調べてみるとかつては海中に建っていたものだという事。そして現在は埋め立て工事により、海面から入江崎公園に移転しているそうです。。

何だかドラマティックで心くすぐるこの石碑。
現地がどんな場所かよく把握していなかったのですが、先般の川崎酔いどれ舟旅の延長で改めて現地に行ってきました。
(観音川の暗渠も少し確認できればいいなという意識で。)

前回と同じく臨港バスに揺られて、JFE池上正門で下車。
二回目の乗車で気づいたのは、臨港バスの運転席右上のスペースに、川崎大師のお札を差し込むスロットみたいなものがちゃんと設置されている事。

さて、降りたのは良いのですが周囲は大工場ばかりで、ふらふら散策的に歩いている人などおりません・・・
公園にどこから入って行けばいいのかもわからず、暫く彷徨っていました。

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そんな時に現われたのが、この橋跡(?)。
「入江橋」と書いてあるものの、何らかの施設仕様で、今ひとつ橋跡らしい情感なし。


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これらの写真では見えませんが、水色の桁のような物体の下に「川崎市水道~~」の表記が確認できたり、昭和電工の何らかの流体が送られている設備があったり。

ここらはやはり昭和電工なのですな。大島に社宅や施設が控えていたしね。

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レシートの紙屑?がいい味。電話番号も併記の妙味。


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昭和電工 川崎工場マンホール。

お天気も良くて、昭和電工疑獄事件とか、そんな用語が似合わず吹き飛ばされてしまう。


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入江橋の対岸はこのような重厚なビジュアル&妖艶なアーチ。
観音川の現在のエンド一帯はJFEの工場に沿った形で、(地図上で確認すると工場にエンクロージャーされているように見える)ここから河口までは開渠になっている模様なのですが、確認は断念。

そもそも現地にいた際は、入江橋のあまりの情感の少なさに、観音川の橋だという認識すら薄かった(反省点)。


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貨物線(臨港鉄道水江線)に沿って行けば公園に辿り着けるはず。。
画像、線路の右側は入江崎水処理センターで、川崎市で最初に稼働した(昭和36年)下水処理施設。
ドイツ表現主義的な(様式違うかも)塔に目を奪われます。

 
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線路脇に様々な構造物が残置されていて、ちょっとフリーダムな様相。。

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線路の反対側は入江崎クリーンセンター。こちらにも、お化け煙突を彷彿とさせる年月を経た感じの煙突が空を目指していました。
繁茂した雑草と共に、伸びゆく象徴的な写真が撮れた事に満足です。

終末処理的な施設に囲まれつつ、そんなこんなで、掻き分けるようにようやく入江崎公園到着。
公園というよりは、空き地のような印象。


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これか・・・!

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江戸小石川一行院中興開祖!小石川関係の!

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「塩浜今昔会」・・・何て素敵な団体なんだ。

「川崎の町名」に拠ると、
この辺り(入江崎公園)付近は工場用地として埋め立てられる以前の昭和初期までは、観音川と塩浜川が出会う河口で、北ノ先と呼ばれていた地であったそうです。(冒頭の今昔マップ古地図の方にも当該地名が見てとれます。)
(アンダーラインを引いた「観音川・塩浜川」については後述します)
ここは海上で漁をしていた漁師が漁網にかかった大師像を船から陸に引き上げた所と云われ、現在塩浜二丁目の北ノ崎児童公園にその地名が残っています。

その北ノ先の突端海中に文化13年に建立されたのが「徳本上人碑」で、
江戸時代末期に遊行の僧として諸国を歩いた徳本上人が各地に念仏講と念仏碑を残し、独特の書体と花押の碑は「トッコン様」と呼ばれて、川崎市内にも六基存在する中、最大のものがこちらの場所にある石碑になるそうです。

この北ノ先の地、というかこの特異な場所に碑が建立された理由は、
  ①前述の大師像が引き上げられた地点に因む説の他、
  ②この観音川河口沖は船がよく難破して溺死体があがったことから、供養のために上人が巡錫の折に碑を建てた
ようなことが言われているそうです。



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この大きな石碑は、沖を通る船の目印となり、北ノ先の突端は「徳本鼻」と呼ばれていたそうです。
・・・ああ。姥ヶ森に次いで再び船の目印。そして鼻地名。突端。どうしてくれよう。シンボリック過ぎる。
「独特の書体」、カリグラフィーの如き流線美。
五感を突っついてくるなあ・・・
波に晒されていた過去を纏いながら、現在はこのような落ち着いたどっしりとした佇まい。

観音川のもう少し上流に弁天様があるのですが(今回探訪断念)、その弁天社で毎年行われた舟祭りでは海苔や漁業の豊漁を祈願して、五尺型十人乗りの新造船を華やかに飾り付け(化粧船)舟を三バイつないで囃し立てながら観音川を下り、「トッコン崎」へとくり出して、海上で神主が祝詞をあげて神酒をまいて帰るというもので、当日は早くから銭湯が開いて身を清めてから祭りに参加し、夜は弁天社で神楽が奉納されたということです。
銭湯の話が出てくるあたり、生活史との関わりがいきいきしてきます。

昭和12年頃の舟祭りの写真を見ると、華やかな旗が連なり、イナバの物置並みに船に大勢の人々が乗っている様子が映っていて、当時の祭りの盛大さが伝わってきます。



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  オレンジの丸で囲った場所が入江崎公園。その左を掠めている緑道表示部分が観音川の暗渠なのですが、ちょっと観察しにくい雰囲気の場所だったので断腸の思いで断念。(略してダンダン)
開渠と緑道表示?の境目が上述の「入江橋」、緑道表示?と東海道貨物線(画像上部を横断している)の交わる辺りが「川口橋」。

アンダーラインを引いた「川崎の町名」の「塩浜川」については、具体的にどの流れを指すのか、はっきりとはわからなかったのですが

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ピンクのラインの流れを指すので良いのではないでしょうか。
(ピンクのラインに沿った屈曲道は砂州だそうです。ここも歩きたかったな・・・)
水色が観音川、これが落ち合う辺りが入江崎(オレンジ)とすると。
このワラジヤさんの昭和41年地図で見ると(大雑把な図であるけど)、河口幅広いですね。

入江崎公園の周辺は広大な川崎化成の跡地等も拡がっていたり。
あまり人を見掛けないし(意外に民家も何軒かある)、何だか一人で歩いているのもの寂しい雰囲気だったので滞在時間は僅かでした。




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工場地帯に鮮烈な彩りを。安全工事体感訓練センター。


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JFE池上正門にある、鋼鉄製?のオブジェ。上へ!上へ!


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思い出したのは、一昨年学芸大学で見掛けた薬局のサイン。


ここから、大島・桜本方面へちょっとお買い物がてら歩こうかと思ったら、衝撃の物体に遭遇しました。


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自転車のかごに、お人形(ミルク飲み人形みたいなの)が!
場所は、川崎臨港警察署前信号交差点辺り。食堂の跡地のような場所・・・

川崎はいつだって俺たちの度肝を抜いてくれるのさ。
ぼうっと歩いていたからね。たぶんある種の目的を持って此処にザインしていたんだと思う、この子。。

河口で人形に話しかけられる経験も稀有なものでした。

池藤橋の信号まで真っ直ぐ歩いて行って、少し北に入って観音川の流れていた屈曲道をふらふらしつつ(弁天社を目指したのですが、少し疲れてしまった・・・この時点ではこの弁天社の縁起とか化粧船の話も知らなかったので)、桜本方面へ進みました。


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紫がお人形の居場所、ブルーの線が観音川の流れ。

観音川は元々は池上新田の開発によって作られた川で、石観音の前を通ることから「観音川」と呼ばれ、上流は「六百代川(むそしろ)」、藤崎辺りでは「サンゼム川(大島村の三左衛門に因む)」とも呼ばれ、五ヶ村の田に用いた水を排水する悪水路で池上新田を廻り込んで海へ達していたといいます。
明治~昭和30年代頃までは海苔業が盛んだったため、川筋の河岸には船溜まりが幾つもあり、弁天社と石観音付近には「観音河岸」があったということです。

石観音像は縁起が伝える所に拠ると、「正保年間に海中より出現の霊石」だそう・・・
弁天社に隣接するというこの石観音、あきらめずに行けば良かったな。改めて。


実際歩いた時は、池藤橋の信号を渡って桜本側に入った時点でぷっつりと観音川の事は忘却の彼方に流れていたのですが・・・
そんな不肖なわたくしめに喝を注入してくれたのは

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「くわっ!川コンシャスで行動せよ!」予期せぬ橋跡!。しかもかなり上等な一品。

・・・とこちらの案件は記憶の片隅にあったはず。徳本上人碑、大島劇場、姥ヶ森弁財天が紹介されている「川崎のたからものシート」で見たことがあったかも。。?
名前がよく解らないのが残念。


筋弛緩剤事件の舞台の病院前などを通り過ぎると、韓国料理のお店が現れてきて、ああ無事再訪できたなと実感できました。
この先の「さくら小学校」、元の桜本小学校で、昭和32年製作の東映の記録映画「煤煙の街の子供たち」の1シーンが撮影されたそうです。
「川崎の町名」でこの事に触れており、

「・・・煤煙の恐ろしさを強調するあまり、一部手を加えたため、のちに問題となったこの映画は川崎を公害の都市としてその名を全国に知れ渡らせました。しかし此の事を契機に煤煙防止の機運は高まり、三年後には市の公害防止条例が交付施行されました。」

どんな加工手法だったのか、気になります。。真っ黒のモックモクにしたのでしょうか・・・?

桜本界隈でキムチを購入した後は、前回の帰り道で気になった鶴見の本町通り商店街へ少しだけ寄り道をすることに
夜の帳が降りる頃、バスで通過したのですが車窓からの景色に心を奪われました。旧くからある道の匂いもするし。

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まずは、夕暮れの中でぼんやりと浮かび上がる赤いボンボリの灯が印象的だった三角形の地型の観音様へ。

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昼間はまた違った印象で、割とはっきりとした色彩。
お屋根の名乗りも明確で判り易いです。
どんな云われがあるのか、奥へ進んで確認しようとすると・・・



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由来以前に、右側の壁画は・・・?
隣接する店舗(クリーニング屋さん)とは関連付けが無いようだし・・・
確かにwonder land。バスから見えた時は気づかなかった・・・


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「・・かたじけなくも仏縁により再現され、当時潮田本町商工会はこれを奇とし、広大無辺の功徳をあまねく世人に及ぼそうと・・・」

  姥ヶ森もそうだったのだけど、由来を記した説明版の文体というか話の流れが独特で興味深い。

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どうしかものか・・
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お休みになっている人もいたのですが

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曰く、WONDER・・・


商店街は閉まってるお店も見られ、静かな雰囲気。スピーカーの割れた音から流れる嵐の曲が印象に残りました。
介護拠点や、マイバスケットのようなミニスーパーが店舗として目についたかな。

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こちらは吉永小百合さんでしょうか?(別人にも見えまする。私は浜木綿子さんに似ているかな~と。)
シャッター壁画だと、レポート用紙のような線が入って思わぬ効果を生み出すなあなどと。
一階店舗と上階の店舗が併記されているのか、二毛作のような業態なのか、気になります。


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「鶴見名物 亀の甲せんべい」と掲げられたお店。
海由来のアイテムだったので思わず撮影。こう、現在は陸なのにかつての海を感じさせてくれるものには反応強めなのです。


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こちらのお店も、バスから見えて感動したお店。
最高峰という看板も秀逸ですし、何より昔の日本鋼管鶴見造船の社名が残っているのに感銘を受けました。
工場の人の背広を請け負っていたのでしょうか?

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鶴見川の橋を渡る直前に見たお店だったので、より心に刻まれたお店でした。


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鶴見駅前。音楽の都でお蕎麦をすすれるらしい。
あ、でも擬音語の「うぃーん」かもしれない。決めつけちゃだめよね。うぃ~ん




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初回の、川崎舟旅の最後の行程でお世話になった横浜市営バス。(舟)

俺たちのソサエティに君臨する舟たちよ。

(横浜市営バス、で検索すると予測変換で「横浜市営バス プリキュア」が候補としてサジェストされたのも面白かったです。



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追記:観音川の石観音と弁天社(11月下旬再訪)





青アイコンが石観音、斜め向かい赤いアイコンが弁天社。




石観音の門に掲げられた「潮音殿」の額。
波の音が聴こえるかい。

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門をくぐってすぐ右手にある「霊亀の助けによって海中から引き揚げられた」手水石。
石の中央部辺りに継ぎ目があったり、穿ち穴のようなものがあったり。

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こちらは弁天社。赤い方が弁天社、白い方は八海提頭羅神王を祀っているそうです。

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敷地が東西に長く、笹かまやなまこ餅のような形状で、社殿に対して空きスペースの割合が広いのが印象的。
舟祭りの際に人々が集って気勢をあげていたのでしょうか。
また、間口が広いわりに正式に出入り出来るのが北側の一角だけなのが面白かったです。単に管理上の措置かもしれませんが。

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付近には風呂屋さん(浴槽屋さん?)や床屋さん。
縞々が鮮やかでUSAっぽいな。
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カーブミラーまで縁取り。縞々が印象に残る一角でした。

川崎には曇天が実によく似あう。。と思いを新たにしたその時・・・


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「御自由にどうぞ!」と貼り紙をされて屋外の、しかもマンホールを台座に据えて置かれた胸像にまたしてもびっくり。
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背後のススキみたいな草とのコントラストが、少し険しい表情、、悲哀美を感じさせます。
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等々力~入江崎、と地名表記のあるマンホール。
行先が書かれているっていいね。












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# by onnbubatta | 2015-11-15 09:56 | 神奈川 | Comments(8)

川崎にて、陸の舟旅を。

久しぶりの「神奈川」カテゴリ。←川の名称に見えてしまいますが。

秋のとある佳き一日、川崎の大島~桜本付近、浜川崎~浅野駅付近に遠征した記録を綴ります。
 
~その時から、大島・桜本はとくべつな響きを持つ土地となった。私の中では。~

予習としては、東西南北の概況の把握くらいで。重たい道路地図しか無かったので、家宝の和楽路屋さんの地図(昭和41年)をコピイ
して一枚ペラで持参。(和楽路屋さん→明治5年創業、平成14年事業停止-破産宣告。社名は歩測調査を行った際に用いた草鞋に由来するとのこと)

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観音川の屈曲がイキイキと輝きを添えている&もう町中日本鋼管(現JFE)マインド。
日本鋼管のバレー部に在籍していた井上譲選手に憧れていましたっけ・・・


strangerな土地に身を置いて、只感じ取る。受け取る。目に入るものが全て新鮮でした。。
未知に委ねてゆらゆら。ユラユラ帝国。

川崎駅からスタート。川崎駅周辺は、以前夢見ヶ崎の記事を書いた際に確認に来たぐらい。(夢見が崎地名の由来を求めて徘徊したのが契機)

(宜しければ・・リンクはこちらから↓)

その際にラゾーナに残る東芝時代の遺構と、至近に在る女体神社を訪れて以来の訪問になりました。
夢見ヶ崎の加瀬山を掘削した土が運ばれて、低湿地だった東芝堀川町工場(現在のラゾーナ)の礎となっているのです。。


改札を出ると、階段の方に川崎市の大きなビジョン看板?的なものが目に入ります。
内容は、環境対策を講じた結果、工場地帯から出ている煙は煤煙ではなく水蒸気であるということ。知っていたようで知らなかった。。
ちょっとしたパラダイム転換が上質なスパイスに。

さて、加瀬山に思いを馳せつつも、今回はラゾーナとは反対側の出口へ向かいます。
「臨港バス」という、港湾マインドに満ちた乗り物での移動に胸が躍ります。
臨港バス、行先やバス停名も興味津々。「日東亜鉛」とかマテリアル感が前面に出ていたり、「エリーパワー」「ゼロ・エミ工業団地」とか、インダストリアル感を帯びていて、都バスではなかなか味わうことの叶わない京浜工業地帯の空気。

バスターミナルに来ると、一等地にありながら、シャッターへの落書き・ネットに覆われた姿が何だか痛々しいさいか屋に目を奪われます。商業構造の転換を見せつけられるようで。
ここの展望レストランから加瀬山を臨んだ、というコメントを以前頂いていたこともあり、今後の動向が気掛かり。

臨港バスに乗車するとすぐ、左手側の植え込み?のような場所に「御成橋」という石柱がひっそり植わっているのを確認。
その後も通りを真っ直ぐ進んでゆくのですが、新川橋、さつき橋、とバス停名にも橋が散見され、嗚呼、この通りは堀だったのだなと。
(この堀について調べていくと、川崎駅付近にあった鷭沼(バン沼)という湿地の話が出てきて興味深い)

つまりこのバスは船でもあり、私たちは船旅をしていることに。


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舟から降りて、最初の訪問地、大島八幡神社にて。ここは微高地だと教えて頂く。
神社の奥の方に、そこはかとなく置かれていた橋桁と木製の立札。いきなりの出会いに動悸が。。
後日にもこの橋桁を撮ったけれど、曇天下で横たわるこの姿の方が影が出なくて、石の質感や重量感が伝わってくるような気がしました。


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木製の立札に手書きの説明が嬉しいし(何だかお触書みたいで気分が上がるのです)、最後の「年代不明」体言止めもCOOL。


神社至近には昭和電工の社宅や昭和電工大島クラブ(迎賓施設?福利厚生的な保養施設?)があり、京浜工業地帯の一端が住宅地の中に垣間見えてきます。



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初回訪問時に気になっていた緑濃い一角。その時は地主さんのお宅かな?と思っていたのですが、改めて別の日に来て確認すると


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昭和電工の施設でした。


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大島の住宅街を迷いつつ徘徊していると、海員会館という建物も。玄関側には錨のモニュメントもありました。
建物自体が舟の雰囲気あります。
ここで舟を乗り換えても良いかもしれないね。


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 色鮮やかな幟に惹かれて近づいたら、そこにあったのが大島劇場。
初回訪問時に、大衆演劇のポスターが街に貼られていたのはここの事だったのか。。!
住宅街にいきなり演芸場が現れたのには驚きました。
そこには異界への扉が。。。

「かわさき区の宝物シート」に拠ると、

●終戦の傷跡からようやく復興の兆しを見せはじめた昭和25年(1950)に創業。かつては川崎区内に18軒の演劇場があったが、住宅街の一画に唯一今も残る大衆劇場。
●代々女性館長が切り盛りしてきた歴史を持つ。現在は3代目。元々は新川通り沿いにあったが道路拡張のため今の場所に移ったという。
●館内はこじんまりとしていて役者との距離感は限りなくゼロに近く、舞台と客席の一体感を味わうことができる。
●かつては一世を風靡した「下町の玉三郎」梅沢富美男公演も行われるなど、有名芸人も多く出演する若者の人気スポットとなっている。
●東京大衆演劇劇場協会所属の劇場は、木馬館大衆劇場(浅草)、篠原演芸場(十条)、立川大衆劇場(立川)、そして大島劇場のわずか4軒という貴重な存在となった。

限りなくゼロに近い・・・限りなくゼロに近い・・・何という臨場感溢れる説明だろう!!
新川通りに面していたという事は、水路沿いの劇場だったのでしょうか?嗚呼、そんな目で眺めれば良かったあ~~
 


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大島の住宅街にて遭遇した、人の横顔にも見える造形のブロック塀。
これ作為???

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年中行事が盛り込まれた町内会のお知らせ。画鋲サビさび、楽しいぜ!というちょっとラフでカッコイイ呼び掛けにも引き寄せられます



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多分、粗大ごみの回収は申込制、という事を伝えたい看板だと思うのですが、字が消えかかっている&サザエさん風のヘアスタイルによって色々な解釈が出来るようになっています。
私には「通報スタイル」に見えるけどなあ。不思議な形の影が作用しているのかしら。闇電話。
児童公園にて。


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「水門通り商店街」や「水門ビル」がある一角。水の匂いが濃厚に。
(葛飾の古隅田川沿いに、水門の屋号(商号)の会社やお店有り。事例として挙げておきます。)

ここから、韓国料理や食材のお店が並ぶ商店街へ。
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店先やサインに見所が非常に多い。上のは象形文字を感じさせるのと、ステッキでリズムが生まれる躍動感を気に入って撮影。


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統治していそうな団体。まずはここに挨拶することから始まる、みたいな。

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コインパーキングの奥に残る廃タイル。
過去の建物の生活が、はみ出している。水と生活の痕跡が哀しく垣間見えて胸を打たれます。
恐らくお家の一番奥がお風呂場だった痕跡なのでは?

廃タイル事例のブログ記事はこちら→前谷津川 梶谷津源流。廃タイル哀タイル

別の場所の事例写真
文京区、板橋区
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渋谷区、港区


大好きなタイル痕で脱線。川崎に戻ります

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席をあっためている猫。
猫ちゃにいっぱい会える街。優しい人達が多いあったかい土地。
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にゃおん

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かなりの別嬪さん。しなやかな姿態で媚態され、眼差しに完全KO。

初回訪問時に買いそびれたキムチを無事入手。(追い川崎訪問はキムチ購入がメイン目的にも据えられていた)
気に入ったのはキムチの塩辛♪

住宅街も、商店街も、時を経たものが随所に残されていて。


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そして予想外に訪れる事となった「姥ヶ森弁財天」。
川崎市のサイトで名前だけ目にした事があり、頭の片隅にそっとしまわれていた感じだったのですが
案内していただける運びに。こういう流れが本当に嬉しくって痺れてしまう!サプライズ漂着。

高速の至近&工業地帯のイメージが色濃い街区にこういった名所旧跡(しかも弁財天)が潜んでいる大いなる意外性。
その乖離になかなか追いつけないでもがいている状態。溺れそうになりました。

そんなこんなであまり写真も撮れなかったのですが、柵に護られた井戸を。
秘めたる小窓に想像力を掻き立てられます。

~潮香る街で辿り着いたREAL WATERで、各自思い思いに渇きを癒す。~
そんなまぼろしの感覚を抱いて。ん~ごっくん。

現在は町内会館の隣に小さく、圧縮されたような佇まいで平成の今に表出している形ですが、昔はこんもりとした森で(姥ヶ森)沖を航行する船の目印でもあったという話。
この点もなかなか理解が追い付かない。本牧十二天があったような、突出した断崖が航行の目印だったという話ならまだしも。。

曰く不可解。摩訶不思議な一角なり。おかしな感覚に陥ったのでした。。


そして、不動産会社「ユナイト」の物件などを歩きながら鑑賞して(会社サイトの代表挨拶のコーナーが類を見ない形式で面白い)
浜川崎方面へ。

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イカのお化けかと思いきや鉄塔の擬人化。凄い形相w 恐怖政治っぽいぞ。

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「明るい都市の建設は環境公害の防止から」神奈川県衛生会

スローガンに時代を感じる。公害が発生していたからこそこのような啓発に至ったのでしょう。
明るい都市という言葉と、参加して錆びついた現況の乖離をまた泳ぐ事になる。ああ忙しい。


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浅野駅構内でひっくり返っていたベビーカー、もとい乳母車。
天地がひっくり返るような事態にしたのは何だったのだろうか。。時空でも歪んだのだろうか。


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ねえ。


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浅野駅の線路。素敵な溝がある。



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浅野駅近くに残っていた立派な橋跡。欄干の間から草がはみ出している何とも言えない風景。
調べてみたら、地図中の運河がかつて左に(入船公園側に)折れていて、その部分の掘割に架かっていた「豊橋」の跡だという事が判明しました。




開渠となって残る運河部分と、暗渠となった川崎運河の形状に誰もがそそられますね。
川崎運河は京急が開削したものの、あまり使われず結局埋め立てられたという不遇な経過に同情を寄せてしまいます。悲しき運河。

そして川崎運河跡沿いにあった「ワイルドブルーヨコハマ」という一世を風靡したプールが忘れられない記憶。

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掘割跡付近に、気になる造作物(遺構?)が。
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「豊橋洞道」の表示。東京電力の設備が設置されていました。

~それぞれの鶴見線。知らぬ間に川崎から横浜へと境界を渡りつつ。~


続きはまた改めて綴ります。

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# by onnbubatta | 2015-10-25 16:02 | 神奈川 | Comments(4)

煉瓦が導く小石川砲兵工廠の谷戸

春頃からこの界隈に足を運び始めて、歩く先々で煉瓦の遺構に出逢ったのでまとめて綴りがてら砲兵工廠内にあった窪地に関するお話など。

まずはご存知の方もいるとは思いますが、つい最近知った、礫川公園内の「小石川トンネル射撃場跡」。
現在の地形図では失われた「窪地」を利用して作られた可能性もあるそうで。。


後楽園の駅を出てすぐの礫川公園へ。小石川の台地のクライマックス的地勢下。

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礫川公園はその地形をいかんなく発揮した二段構造の公園です。
公園も含め、東京ドームや中央大学のキャンパス等一帯の土地は水戸藩邸→東京砲兵工廠という変遷を辿っています。

濃厚なバスクリンカラー。クロレラとか育っていそう・・・

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階段に近づくと丸ノ内線の音が響いてきます。
階段脇に、僅かに人が通行出来る程度の空間があり、石段のようなようなものが続いています


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最終警告の貼り紙と金網柵、繁茂する植物に阻まれます。


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トンネルのアーチと塗りこめられ封じされた入口が確認できます。


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アーチの上部に所々穴が開いているのが確認できます。

小石川トンネル射撃場(旧東京砲兵工廠射撃場)の歴史については文京区ライフル射撃協会の方が個人でまとめられているサイトに大変詳しく書かれているのですが、明治の初めに東京砲兵工廠が置かれて、この射撃場自体は明治16~18年ごろの完成と推定されるとのこと。陸軍の軍用小銃や機関銃の試射を行う場所として利用され、戦中~戦後はライフル射撃場として利用され、1999年に国・区へ返還され終焉を迎えています。(戦時下の食糧困難によりシイタケ栽培が行われていた時期もあったそう。薬莢とシイタケと。)
明治~平成にかけて発砲音を吸収していたであろうトンネル。

現在はこの煉瓦造りのトンネル入り口部分のみがひっそりと残っているようですが、地下のトンネルはどのような状態で残っているのでしょうか。。



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ピンクの○印がトンネル入り口。小石川トンネル射撃場のサイト様を参照させていただくと、中央大学の方にトンネルが続いているようです。

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帝都地形図(昭和5年補正 昭和22年補修)で同地点の地図を引用参照しながら説明をさせていただくと、上の方の地図のトンネル北端付近に謎の窪地が食い込んでるのが見て取れます。
こんなところに谷地形があったなんて・・・(牛天神の東側にもちょっとした谷地形が参加していますね)
いつものように谷に向かって尋問する。「どこの所属だ?」
ブログ記事のカテゴリーも取り敢えず「谷端川」としましたが「神田川支流」になるのかな??

こちらの谷地形、今まで認識の片隅にもありませんでした。

ですがそれより以前、明治時代の地図ではこの谷、もう少し控えめな食い込み方でしか描かれていないのです。
手前で終わっているというか。
現在の地図上に落とすと大体このようなイメージ。

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WEBで調べますと、射撃場を設置するにあたり、この窪地を利用応用+窪地の西端を更に造成して利用したのではないかという記載も拝見することができました。
窪地の拡張?延長?
利用する側、される側。

詳しい事は判りませんが、中央大学~戦没者墓苑~礫川公園にかけて谷戸が空洞で眠っているのかもしれません。
この辺りの古い地図、軍用地なので改描により空白になっていたり、ちょうどエリア的に地図の切れ目で。

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上述の、砲兵工廠敷地内の二つの谷戸の僅かな痕跡でしょうか?かつての窪地付近の等高線の揺らぎをオレンジ色で囲ってみました。
(東京地形地図さまのグーグルアースより引用作成)

後楽園周辺は古地図、昭和の航空写真、何を見ても楽しくて見る都度様々な発見があります。

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↑goo地図の明治期古地図より引用したもの。
現在のラクーアの敷地内に水路走ってます(古地図内の池の右側付近)


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goo地図の昭和22年航空写真より。
後楽園球場が卵のように。


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同じ画像で現在の後楽園駅周辺付近(ちょうど、射撃場のトンネル上部辺り)に不思議な円型がアーチを描いて配置されています。
高射砲陣地???

その他にも、都立中央図書館でマイクロフィルムの古い住宅地図を見ていたら、後楽園ゆうえんちの今のラクーア辺りに
「飛行塔」と表記されたアトラクションを見つけて、その表現が奥ゆかしいなと思いました。
(パラシュートの事?私は落下傘と呼んでいましたが。。)


公園の片隅、樹木の隙間にひっそりと残る赤煉瓦のトンネルアーチが、
今まで考えも及ばなかった細身の窪地へと導いてくれたのでした。まさに入口。
冒頭では「軍遺構」として見えていたトンネルアーチが、「谷戸・窪地の封じ口」として新たな姿を見せてくれた気がします。

永井荷風の「伝通院」の描写に
「・・・水戸藩邸の最後の面影を止めた砲兵工廠の赤い裏門は何処へやら取除けられ、古びた練塀は赤煉瓦に改装され・・・」
という一節がありますが、練塀ではなくても砲兵工廠時代の名残を伝え、隠れた窪地について示唆を与えてくれた赤煉瓦。

何故か、かつての砲兵工廠敷地から出ても、周囲には赤煉瓦が多いのです。

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中央大学敷地と道路を隔てて西側にある常泉院の外壁。
ここを歩いているときに軽トラの八百屋さんがちょうど停まっていて、近所の方がお買い物に来ていました。

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常泉院入口付近にあった「魚霊之墓」。
他には明治期の落語家「朝寝坊夢楽」という方のお墓があるそうです。荷風が「夢之助」の名前で通い弟子として一緒に寄席に通ったというのがこの師匠との事。脱力系の名前で良いな~。

一枚上の写真の煉瓦塀の道(二回くらい鍵型に曲がる)を道なりに歩いて行くと、牛天神のある牛坂に差し掛かります。
江戸~明治期の古地図などをみると当該地に「龍門寺」と記されている寺がありますが、廃仏毀釈の折に廃寺となった、牛天神の別当寺の事を指しており、江幡潤「文京の散歩道」に拠ると安藤坂にほぼ平行している通りは龍門寺門前町を形成していたとの事です。

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人が吸い込まれていっているような坂


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坂の北側、石組みの美にしばし酔いしれる。石組みの内側は文京三中。文京区立中学校には原則として旧小石川区のものは奇数番号が付されているというが(例外もあり)、三は元々この地にあった「三井邸」に因んで付けられたと帝都地形図の説明文には書かれています。


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牛坂から牛天神の敷地に入ると、左手に駐車場があります。表面はコンクリートで塗り込められているけれど、所々に元あった煉瓦が見え隠れしているのが判ります。
壁際辺りに水路があったかな?と推測してやってきたのですが、裏付けるようなはっきりとした痕跡は見当たらず。。
ちょうど牛天神敷地の直下は丸ノ内線が通っているんだよなあ~

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牛天神の石段脇には南側へ向かって降りて行くこんな側溝があり、
水面は少し動きがあって揺らいでいました。


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牛坂に戻って牛天神敷地の西北端辺り、牛天神を支えている煉瓦塀。
写真右奥辺りに牛天神の載っている台地を支える堅牢な擁壁が少しだけ見えます。

牛天神の東端と西端に残る煉瓦。
何か私に囁いてくれないだろうか。。牛天神と水の関わりなど。

牛天神&牛天神周辺についてはまた改めて書きます~。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記。2016年4月にこちらで夜桜を鑑賞した際の写真です。


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こちらでは、境内に一本のみという桜の樹を、妖しいほどのピンク色のライトで照らしているのです。
それが旧い空間とアーティフィシアルな光源、虚実ないまぜな光景を生み出していて、不可思議さに包まれていました。

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牛さんの背後にも光源が置いてあったかな・・・?ほんのり妖艶。
夜桜お七が登場しても何の疑問も抱きますまい。いわんや八百屋お七をや。

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この晩は、東京ドームで何かのコンサートが開かれていたらしく、この辺りにまでぼわんぼわんとした重く不思議な音が鳴り響いて、届いていました。

近いようで、遠くの音が丘の上まで響いてくる。










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# by onnbubatta | 2015-09-02 13:19 | 谷端川 | Comments(7)

続・後楽2丁目の水路跡~地籍図から判ったこと

4月に綴った、文京区後楽2丁目の忘れられない水路跡のこと。
前回の「後楽2丁目の水路跡」の記事はこちらです。

あれから更に2度ほど現地周辺を徘徊して、改めて判明したことや周囲の様子、変化などをお伝えします。

まずは6月。私がこの水路跡と出会った地点なのですが、隣接地が更地となり、景色が開けていました。
極狭い水路跡なのですが、大分印象が変わるものです。


今回は諏訪神社側から入って行きました。
風情のある敷石ですが、此処の路自体は水路かどうかはわかりません。

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沿道のおうちの竹柵や緑のしつらいが実に趣深いです。
芭蕉ルックで歩きたいぐらい。

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壺!?用水!大きな文字!


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前回も通っているのに全く気が付かなかった、用水桶(?)。
(ご覧のように、かなり存在感があるのにも関わらず。)
前回はこの付近に可愛い猫ちゃがいたので、そちらに目を奪われたのもあるのかもしれません。


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前回の記事で行き止まりとなった金網。そこを右に進むと用水桶のある小路を抜けて諏訪神社の方に脱出できるのです。



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ぼけてしまったけれど、相変わらず陰鬱で情緒たっぷりの水路跡。傾斜も健在、超ヒューミッド。
またまた壺かと思いきや(新種のトラップか?)溶剤の容器みたいなものがドンと置かれ、前回と何やら雰囲気違う、と思ったら・・・

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隣接地が更地になっていました。
4月に訪れた際は、解体するような素振りなど感じられなかったのですが・・
よりによってこの場所。


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↑こちらが4月。閉塞感凄まじい。
比較してみると、上の6月の画像は「息が出来た」状態なのかもしれません。
これまであまり陽の当たる事の無かったこの水路跡。(比喩ではなく)
隣地が開けた事で、苔の植生に影響があるかもしれませぬ。

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前回ぼけてしまった、行き止まり地点のシャワールーム風の水色扉地点も写真に収めてきました。


そして7月に入って判明したこと、なのですが、別件で牛天神についてちょっと調べ物をしている過程でひょっこり手にした地籍図。
そこにはここの水路跡と、周囲の水路跡がばっちり表示されていました。
たまたまその地籍図に記載されていただけで、他にも水路跡があると思います。
(明らかに川跡であっても特に明示していないケースもあり)

図示すると大体このような感じ。もう図書館で声をあげそうなくらい興奮しました。
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薄い水色は前回も示した通り。その延長線上、水色線右下の濃い青色(前回金網で行き止まりになっていた地点)は鍵型に描かれていました。(古い地図でもこのような地割で書かれていたので、これは想定内)
当該部分の痕跡は確認できず。

水色線の上の濃い青線。これは当該水路跡と接続したものかどうかは判然としませんが、地籍図で見ると
崖上にあった(現在一部残っている)三井邸敷地の直下から流れ出しているような水路。
現在の地図上に落としてみると、建物の間を縫うような感じに。

図書館のアフターに現地に直行。気温33~34℃。
日射病に注意しながらの行軍。

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雰囲気はあるものの、明確な痕跡は無し。

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巻石通りに向かって落ちていく感じ。
これだけの落差、滝のように流れていたのかな?

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巻石通り側から。ミニストップ春日2丁目店(画像右)の脇辺りを降りてきたのでしょうか・・・?

そこから先に描かれていた水路は、現マンション敷地(ライオンズマンション)を斜めに突っ切って(大曲給油所のあった地点)、前回ご紹介した水路跡地点(大通りに接面している未舗装部分)の近くに至っていました。


未舗装部分の地点はこちらです。↓(4月訪問時)
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この未舗装部分が、5枚前の画像の「水色の扉」に繫がっているものと思われます


更に。
前掲の地籍図にはもう一本、前回の記事でご紹介した水路跡の南側を流れる水路(微妙な緑色で塗った水路)も示されていました。
諏訪神社を挟むような。
期待を胸に確認しに行きましたが、ここに関してははっきりした痕跡は無し。

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建物の並び方がそれらしくはあるけれど。。この水路跡に接する箇所がどこか工事になったりした際に何か判るかもしれませんね。

ここにきて、水路跡、ここも、あそこも!と浮足立ってきたのですが、
よくよく考えたら江戸時代初期は白鳥池~小石川沼と称される大きな湿地帯だった辺り。何だか可笑しくなります。
広大な沼にユラユラ漂いつつ、ミクロな水路跡を掻き分けて行く。
行ったり来たりの、いつも通りの思考の沼へ。

しかし改めて、周りの景色が様変わりする中でよくぞ残っていてくれたものです。ここの名も無き水路跡。 


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民家の隙間を埋める用途に、手書きの古い案内板が使われていました。
「この先白鳥橋・・・・右折が出・・・」

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近くのマンション建設予定地で、遺跡の発掘調査が行われていました。
二度と見られない地表下の姿が期間限定で露わになっています。
図書館で、ちょっと離れたところの遺跡発掘調査報告書を読んできたばかりだったので大感激。
谷を埋めた、で始まるので喰いつくように読み進めたのですが、文中の

「・・・整理調査の図版作成作業は主にパソコン上で行った。『遺構くん』で図化したデータは・・・」

使うソフトの名前が

「遺構くん」
ここがツボで・・・
新聞販売店店頭にある「ニュースくん」、
昔シークレットシューズで「かかとくん」ってあったような?
(そこの報告書がまた大興奮ものでした。茗荷谷辺り~。発掘調査報告書は一か所読み始めると良い意味で泥沼化するので、いつもどう~どう~と自分を制御するのが大変なのです。青少年か~。)
あと、子供の頃よく読んだたかしよいちさんの「埋もれた日本」も思い出して、外気も暑いけど胸も熱くなりました


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発掘現場の反対側から。
この界隈の何処を歩いていても目に入ってくる、住友不動産のビル。
「洒落たタワーですな。」と独り風景に話しかける。
白鳥池・小石川沼の畔に聳えるのは、「泉」を屋号に持つ住友の塔である・・・
時折、時空がユラユラし始めた時に、この近代的なビルの鏡面にふと沼が映り込む瞬間があるのかもしれない・・

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諏訪神社の参道前の商店街にて。風に吹かれて揺れていた文京朝顔ほおずき市の幟。
古地図プリントに見入ってしまいます。(エンマ様がちょこんと鎮座!鎮座しているようでもあり、飛来してきた雰囲気もあり。)

地籍図、今回初めて手にしたような気がしますが、独特の匂いが立ち上っておりました。。(折りたたまれた薄紙の地図が何枚か収録されている。)
綺麗に製本したものも別にあって、そちらの方が扱いやすいのですが、匂いはともかく閲覧するなら折り畳みの古いバージョンの方が水路線の青が濃いので満足度が高かったです。

お昼御飯も食べずに、炎天下を無我夢中で歩きました。
(結局15時半過ぎに、うどん市というお店で天ざるにありつきました・・・昔よみせ通りに同じ名前のお店があって、ついつい懐かしくて。)

そろそろここの水路跡にも何か呼び名を付そうか・・・「後楽二丁目の水路跡」「前回の記事の水路跡」じゃ、もどかしいものね。



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# by onnbubatta | 2015-07-18 09:57 | 神田川支流 | Comments(6)

中野区大和町3丁目の谷(妙正寺川:おばあちゃん支流)

新しいカテゴリ 中野区です。皆仲良くしてね。 

2月の訪問です。なぜ唐突におばあちゃん支流かと言いますと、(人前では、おばあちゃんじゃなくて祖母と言いなさい!お母さんじゃなくて母と言いなさい!そんな声が遠くの方から聞こゆ。)

実はこの流域、私の祖母の家のご近所なのでした。(どうしても祖父より祖母の方が近い存在なので。世間一般にも、おばあちゃんの方が訴求力あり。これを私はおばあちゃんエコノミクスと捉える。食品なんかで顕著なのですが、○○おばあちゃんのたれ、とか。同義でステラおばさん。)

しかしながらこの谷の方に徒歩で降りた事は恐らくなかったと思います。この先には谷があるんだなという、薄ぼんやりした、夢の途切れるような認識でした。

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陰影図(東京地形地図様いつもありがとうございます。)で見るとこのような感じ。より認知度の高そうな、蓮華時の谷の東隣りです。
胴長の生物の、前足のようにも見えますね。
そして何か全般的に茶色っぽいなあ~。

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色々独り突っ込みたくなる箇所が。何か尖がって立ってる所(矢印上。野方の環七の所。)とか。
下の矢印の所、開いてるんですけど~~
逆クレーター?色の濃い部分は標高が高いですものね。
逆バリンジャー(隕石孔)とでも洒落てみましょうか。

環七渡って東、野方の谷の方には学生時代お付き合いしてた人の下宿があって、そこに行った帰りにそのままおばあちゃんちに寄ったりもしていました。
可愛い孫だった、そんな存在の私がみだらな雰囲気でおばあちゃんちに寄ってしまって、きまりの悪い感じがするので、環七をリセット境界として心を入れ替えていたのでした。


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大和町三丁目の支流は、おそらくこのような流れ方をしていたのでは。(濃い青線)流末はちょっと曖昧です。
蓮華寺の支流(水色線)と、大和小学校辺りを介して関係していたと思われます。

今回は谷頭付近を散策。


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旧い地図を見ると記されている、谷頭の池。
名前は付与されていたのでしょうか?・・・私は三角コーナーの池、と認識しているのですが。

昭和40年代の住宅地図をめくると、谷頭の池の更に上流が存在していた事がわかりました。


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角地に位置する谷頭の水源辺り。手前に更に上流としての水の流れの痕跡がありました。


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画像がボケてしまったけれど、水路の護岸のような石が続いています。

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やや右に屈曲しながら消え入りゆく君を想う。
結構な長さのパイプもいいよね。筋が通ってる風情。

此処から奥へは、家々の隙間に飲み込まれる形で消えていきます。先に示した地図では最上流辺りで道路に接面しているのですが、痕跡は確認できませんでした。

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水路跡のすぐ脇には三段余りの段差が存在します。端がやや崩れかけている所に惹かれます。
最上流辺りをぐるぐる廻ってみることにしました。

この階段を昇ると、目の高さに井戸がありました。
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「官兵衛!??」

(前回の大河ドラマ冒頭に出てくる甲冑の画像に凄く通じるものがあるな~、と独り感動しきり)

被せものをされている井戸でした。井戸の先はゴムホースが接続されていたので、今でも使われているのかな。
ちなみに祖母の家にも昔は井戸があって、スイカを冷やしたり体重をかけてジャージャー水を出してみたりしましたよ。現在は残念ながら失われましたが)

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こちらにも石段が。年月を経て、佳い風情になっています。水路跡?って思ってしまうくらい


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石段の隣は公園になっていました。
其処の前の電柱に何だか素敵な貼り紙が。

「魚やさんは暫くの間お休みするそうです」

魚屋さんを待っている人が、いる。

この紙一枚で、私の知らないある日の夕方の風景が思い浮かぶ。

これ2月に撮りし写真だから、お魚屋さん、復活したかな?

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地形的に体感出来た最上流はこの地点。手前が窪み。道幅にずれのある、赤い消火器付近。
でも古い住宅地図ではもう一区画西のようなのですが。


中流~下流はこれといった痕跡が少なく(端折り過ぎ)。


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軒先の土嚢が自然に還りつつある風景。


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発泡スチロールとペットボトルで形成された外構物のお宅とか、

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流末付近に安置されていた、階段下のお地蔵様。


帰りは高円寺から帰ります。懐かしいあれこれを確認しつつ。

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本当に寂れてしまった感のある、大和町中央通り。
「民生食堂」という看板に惹かれました。

中央通りの貸本屋さんで漫画を借りてきて、祖母の家に泊まった際に読んだり。
「何でも好きな本借りてきていいよ。」とお金を渡してくれる祖母。これぞおばあちゃん、なのでした。

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隣地が更地になり、トタン外壁が光を浴びて。
万国のトタニストよ、集結せよ!


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この辺にコインシャワー屋さんがあった記憶が・・・


そして愛しの早稲田通り。古い地図では「府六十五号中野桃園所沢線」。古くは中野にあった地名の「大場通り」ともいわれたそうです。
早稲田通り沿い、大和町郵便局(昔からある)の隣の、淡いサックスブルーの、素敵なお医者さんの古い建物
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二階の柱の様式に注目

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商店街の中に佇む庚申様。
いつも手を合わせたり、礼をしたりしていた大事な庚申様です。現在は商店街に対して西を向いているのですが、かつては真南を向いていたそうです。
ここの向かい辺りに小規模なゲームセンターがあって、お年玉をゲットした従弟の男子組が真っ先に参じていました。


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ここの鶏肉で唐揚げを作ってもらうと本当に美味しかったのです。
今は営業しているのかな?

そして、純情商店街の入口付近にかつてあった不二家での食事に思いを巡らすのでした。
ハンバーグを注文することが多かったかな。
お正月に一族が集まる際には、トリアノンのケーキが大量に出されていたっけなあ。

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# by onnbubatta | 2015-07-09 14:38 | 中野区 | Comments(0)

文京区後楽の水路跡

この辺り、あまり「水路跡が見つかる」という観点で歩いた事がありませんでした。
完全にアウトオブ眼中。ただ、若い頃のバイト先への通勤路に近いこともあり、ちょっくら懐かしさを求めて歩いているうちに
あまり入ったことのない後楽の内側へ入ってみたら・・珠玉の(大げさ)発見がありました。(私が意外だっただけかも)



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地図の中心付近、安藤坂の交差点南の細かい区画のエリアを徘徊していたようです。
この界隈は大きく神田川が曲がっているので、西へ向かいて歩いていたつもりが北面していたことあるある。
川が曲がる箇所はいつだってドラマチックで、ひとの気持をグウーッと下から持ち上げてくれるのだ。



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押忍!こんな道に出くわしました。後楽2-20近辺です。果たして入って行けるのかな?
足元をよく観察すると


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↑この接続具合・・・期待が膨らみます・・


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ここ・・・路が斜めに傾いていて(まあ神田川方面にね)かなり歩きにくく滑ってしまいます(雨上がりだったこともあるのですが)。
よくホームがカーブしている駅って、電車内かなり傾きますよね。そのような感覚。

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かなり苔むしてきました。相変わらず滑りますが相当優秀な雰囲気です。
探索気分に満ち満ちて。飯田橋でこんな思いを出来るとは。



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ねえ・・何か右に曲がれるみたい!予想外の展開だよ。
(そんな素振りなかったし)


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おおお・・・ここまで振り回されるとは。



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この屈曲ぶりにいつまでも付き合っていたい。
「ちょとまてちょとまておにいさ~ん」とか言いながらも実は待てないのは当方。

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そんな楽しい時間も残酷に終焉を迎えようとしていたのでした。禁欲的な仕切りが見える。
遮断しつつも、透けているという。うぐぐうぐぐと身悶えする。
WAY OUT。フェンスの向こうはどうなっているのかな?


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フェンス越しの風景がこちら。行き止まりにも見えるし、左側に展開があるようにも見えます。
突当りの石組みとマンホール、ゴロゴロした大小の石が見えながら先に進めないジレンマ。引き続き悶々。
課題を抱えつつ、一旦戻ります。


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今来た道を戻りつつ撮影。


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やはりここの屈曲部分がハイライトになると思います。


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この画像だとこちらの傾き加減が伝わるでしょうか・・・?

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こよなく愛する暗渠アイテム、ビールケースも確認できました(清酒タイプ)。
ここのビールケースはソロ活動をしている模様です。
ここを出た箇所が最初の入口。さらに続いているようなのですが画面奥に見える扉のようなもので行き止まりになっていました。

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・・・ぼけちゃったけど・・・シャワールーム風の扉というか。

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オレンジ矢印が水路跡歩き始めの地点。画面右下に向かって進んだ先がフェンスで行き止まりとなっていた方です。
フェンスの行き止まりは先が良く分からなかったのですが、(諏訪神社の北付近)。
青い扉の方(短い方)はその北西の建物の並びを見るに、確認する必要がありそうです。
安藤坂の信号を東方面に進むと・・・今までとは打って変わって大きな通りを歩くことになりますが



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果たしてありました!こんなものが口を開けて待っていてくれたなんて。



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側面からも鑑賞します。



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此処を入っていく勇気は持ち合わせておらず・・
どう見ても水路ちゃん。

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安藤坂方面を臨んで。後楽2-21近辺。


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全体像はこのような感じ。大通りとの接続部分が上の二枚の画像です。




後楽にはほかにもこんな水路跡(凹み暗渠)や横断物件
が。↓
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↑大きめの側溝。パレット(フォークリフトで持ち上げるやつ)が橋代わりになっていました。



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↑横断物件。これ結構気に入っています。
右端の消え入り様が何とも誌的で、そこはかとない。


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蓋の経年度合にも惹かれます。マジで誌など詠みたい。


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ここは冒頭の暗渠があった辺り、諏訪神社の舞殿なのですが。。。
「身の安全を図れ」
工事中なのか?

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そして。
神田川を渡ってこちらは新宿区。新小川町辺り。
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カンダジュースにあったパレット群。高らかに。
パレットの印字見てると、各地の工場名が記してあって、移動を感じて大好きなのです。
再び旅に出るのか、此処に留まるのか。
子供の頃、小銭などに対していつもそういう思い抱いていました。どこから来た10円玉なんだろう・・・
私の払った100円玉はどこ渡るのだろう・・・

瓶を使うからガラス工場のものが多い。

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「太平洋製糖」。名前が壮大で圧倒されます。縦置き。



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一番好きなのは紙関係、製本屋さんに積まれているパレット。
日本各地の製紙工場の地名が記されていて、いつも立ち止まって凝視していまいます。
苫小牧とか米子とか。これは・・・
「勿来」!!
心はもう勿来の関へひとっ跳び~~!
なこそながれてなおきこえけれ!(便乗)



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神田川のこの辺り(隆慶橋辺り)、100m内に3台くらいリアカー屋台が係留してあって、それだけでも風景として
印象深いのですが、そのうちの一台が
日本地図を貼り付けた名車だったので思わず撮影。




※追記です。大まかに描いたオレンジの線が明治期の町界であったようです。今回の水路跡と重なっている(下半分程度)がします。
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※再追記 猫またぎさんがコメントで教えて下さった水路(路地)・・・でしょうか。


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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2017年3月再訪


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隣地が新しくなり、明るくなりました。
平衡感覚を狂わせる、右への傾斜は維持されているけれど、心なしか、苔がかなり減ったような・・・そしてソフィスティケートされている印象。
冒頭の方の写真と見比べてみて下さい。
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マンホールを縁取る土台も白々と。
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そしてあらたに加わったパイロン四天王。
草がしっかり除去され、警戒心が強くなった模様。3ツ星パイロン&1従者
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かえって、下水道用地ということが名実ともに明らかになった・・・かな。

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江戸川沿いの名物・地図リアカーも、側面が明るくなっていたり、ビールケースに係留されていたり。

小さな定点観測・後日談でした。




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# by onnbubatta | 2015-05-02 08:52 | 神田川支流 | Comments(6)

江戸川の今井辺り。干潮時に水面に出現する壮大な橋跡と、一之江の水路跡。

大塚車庫の廃止など、都バスについて考えることの多かった3月。

そんな中に思い出したのが、その昔、台東区のどこからかを始点として、今井行きのバスが運行していた記憶。言問通りを走っていたかな?

一体今井ってどこ?何区・・・?終点に設定されているのにターミナルっぽい雰囲気も漂ってこない。

今井は古くからある地名で、歴史的に見ても交通の要衝であった土地柄で、江戸川の渡渉点として「今井の津」として中世の文献にも記されている場所だそうです。
新中川の開削、都営新宿線の一之江駅開業などを経て今は静かな佇まい。

ちょっと調べていたら、旧江戸川(千葉と東京の境)に架かる現在の今井橋の上流に旧の今井橋の橋脚が姿を見せる時間帯があるとのこと。
葛飾の新宿の記事を書いた時に触れた「干潮時に出現した石畳」の話を思い出します。

干潮の時間を調べて現地に行ってきました。

最後のお楽しみに、一之江の水路跡の写真もあります053.gif
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現在の今井橋(1979年架橋)は、今井街道(地図斜め左上から地図中央にかけて通っている街道)の延長線上にあります。今井街道は行徳道とも呼ばれ、行徳の塩の輸送路・成田参詣路としての役割も有していたとのこと。


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goo航空写真昭和38年度版(いつもありがとうございます。)で確認させていただくと、旧い今井橋は、現在の橋の位置より50mほど上流に架橋されていたことが読み取れます。
今は暗渠化されて緑道風に整備されている鎌田川や宿川が黒々と映し出されていて、感涙を禁じ得ません。
(ちょっと画面では見えづらくてすみません。右の緑の吹き出しが宿川、左が鎌田川になります。もう一か所、今井街道と江戸川が交差する辺りに圦(いり)がありました。今の今井橋児童交通公園辺り。江戸川3丁目と4丁目の境)
更に古い地図などで確認すると、ちょうど今井橋の或る辺りは中洲のような土地が形成されている様子が判ります。(妙見島のような感じ)

この辺り旧江戸川の川幅が食後の蛇みたいに膨らんでいてそこがとても好きなんですが、今は無き中洲と何らかの関係があるのでしょうか。


一之江駅で降りて、今井街道を進むと新中川に差し掛かります。瑞江大橋。

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橋際に、瑞江葬儀所の案内表示がありました。様々な要素で境界です。
フォントが象形文字のようで味わい深いものとなっています。



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旧今井橋の江戸川区側、篠崎街道にあるお蕎麦屋さん。千葉の市川側に渡って戻ってからここでお昼を食べようと思っていたのですが
戻ったら閉まっていました・・今回の旅の心残り。

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この辺りに旧今井橋が架かっていたのではと思うのですが・・・護岸堤防に向かって下がっていく坂道&階段になっていて、橋が架かっていた明瞭な痕跡は特に見つけられなかったです。
(篠崎街道から千葉の市川側に向かって撮影)


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堤防際まで降りて振り返って撮影。階段の上が篠崎街道。これはこれで、佳き階段風景。


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恐らく位置的にはこのような感じ。上の画像二枚は橋の北端付近です


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これが今井橋の跡じゃないよ~。
護岸に沿って幅広の溝があり、MY橋のような物件がありました。橋の左にぶち猫がいるの、お判りになりますか?



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旧江戸川の水面にそれらしき物体群が見えました!水鳥じゃないです。


市川側に渡った方がもっと良く見えるはず。渡河します
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現今井橋から撮影。お行儀よく並んだ橋の痕跡たち。右が千葉県市川市です。
画面いっぱいに川が映り込むのいいな~。磯の香りがむうっとして、天ぷらが食べたくなります。
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歓迎の放水までありました。思い込み、時に大事。

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市川側から見た、旧今井橋橋脚の残骸。
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どの角度から眺めても飽く事無し。今では水鳥の休憩場所になっているようです。

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残骸にも色んなパターンが。

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新・旧今井橋。奥の青い橋が現在の今井橋、手前が旧今井橋の痕跡です。
何だか、このまま対岸まで渡って行ける、そんな気がしてきたよ(歌詞風に)




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市川側の護岸には「今井の渡し旧跡」の立札があります。1912年に今井橋が架橋されるまでは東京と房総を結ぶ重要な交通手段として位置づけられていました。
当該立札には、江戸時代に禁を犯して今井側に渡ろうとした人が捉えられ、磔刑にされた場所がここの下流100m余りの所にある旨が記されています。

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旧今井橋の市川側橋際は今では不自然に広い空間になっており、橋があったことを伺わせます。

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橋際にはつきものの交番。

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市川側にあったちょっと不思議なノリの看板を掲げたうなぎ屋さん。伸ばした語尾が川の流れのメタファーでは。

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市川の「欠真間」を長年けつままだと思っていたことを思い出したのでした。地理好き失格だね。

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橋を渡り東京に戻ります。江戸川区側の現今井橋袂にある公園:今井橋児童交通公園で見掛けた懐かしい絵。ここの公園内にちょうど江戸川3・4丁目の境界線が斜めに走っていますが、江戸川から引いた水路の跡になります(名称不明)
「ドンキスミベイビ~」と独り口ずさみながらビール飲みたくなっちゃいます。。

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今井街道で見つけた路面舗装。都内初のトロリーバスが今井・上野公園間を運行していた時代があったことを示すものだそうです。
何たる長距離!冒頭で触れた、私の記憶にある都バスの路線に近いかも。。確か根津か日暮里辺りから今井まで運行する都バスがあった気がするんです。昭和50年代くらいに。
何という名称の系統だったのか知りたいな。





お待たせしました。おまけといってはなんですが、最後に一之江の水路跡をご紹介します。
公図上では水路跡だらけなのに、なかなかこういう水路跡が見つからないのが江戸川区(親水緑道は先駆的で多いんだけど・・・)

一之江フレンド公園と猿田彦神社のそば。この辺りは土地の微妙な高低差が味わえます。


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一之江フレンド公園側。



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猿田彦神社側。



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岩々した護岸が片方だけ露出しているアンバランスさが心憎いです。嗚呼たまらない。





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気になった物件。接骨院にて。

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↑帰りの電車です。運転手さん、微笑みながらも目は虚ろ。

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# by onnbubatta | 2015-04-04 11:13 | 江戸川区 | Comments(0)

蛇崩川源流のババ池(弦巻弁天)と不思議な傍流水路跡



下流方面や支流などは泳いでいた蛇崩川。初めて歩いたのは高校時代。駒繋神社付近の屈曲に胸騒ぎを覚えたものです。
一方で、源流辺りの事はずっとぼんやりとした認識のままでした。
「弦巻の方から流れてくるんだろう~・・・」と。何とも人任せのような。

先月桜新町から北側に向けて歩いていた際に、何か道が歪んだ感覚がして(心の準備をしていなかった)
どこの川に引っ張られているんだろう053.gif」←これ一番好きな感覚!五感の中に含まれています。
思えばそれも蛇崩川の南谷戸の水源辺りだったのです。桜新町、南に行けば呑川の源流だしドラマティックな土地だなあ・・・

というわけでジワジワ蛇崩川の方からお呼びがかかってきている。そろそろだなと。おいでおいで・・・(御出)



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冒頭地図の黄緑アイコン、大山道と交差する地点の公園にて。洗い場跡の碑が建っています。私も何か洗いたい・・・
(あと旅人風の二人組のモニュメントも。こういうの、池尻稲荷の入口にもあったなあ)




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立派な石垣のマンションの脇、少し小高い場所にお堂がありました。幣束も新しそうです。
此処の前を歩くと古木の力が降り注ぐ感覚があります。



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↑公園向かいにある、雰囲気或る八百屋さん「ライオンストアー」を西に行けば蛇崩川本流ですが、商店街(大山道)を少しばかり歩くと


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水の流れに呼び止められます。


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遡ると、舗装地から未舗装路の境界に差し掛かります。

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暗渠には桶が多い。バケツ、洗面器、タライなど。そして奥には、私が暗渠サインの一つとして提唱したい「ビールケース」が。



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銘柄はサッポロビールでした。通行禁止明示のツールとして置かれている事例のようです。
この先は進行出来ないので、一旦戻ります。


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次の接道面に廻りこむと・・・

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このような状態で再び現れました。間の区間はシートで塞がれているようです。
皮膚呼吸が叶わなくて、ちょっと息が苦しいね。
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こちらの方が護岸の感触がより伝わるでしょうか。



旧い地図を見ると、ちょうどこの辺りが蛇崩川源流の池=ババ池(掘り下げて溜池としたという書かれている書物もあります)。
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おおまかに池の位置を転記するとこのような感じ。濃い青が蛇崩川の本流で、南側の水色が今回綴ってきた水路跡。





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すぐ近くのおうちの軒先にありました。古い丸井戸の上の弁天様。古い住宅地図には「弦巻弁天」とごく小さく表示がありました。


ババ池、という名称がかなり気になる所であります。
蛇崩川の姿について知りたいと最初に手に取った文献が、近隣の松丘小学校の周年誌。
(私は周年誌の町の移り変わりコーナーが大好き。特に昔の年代の周年誌が好き。)

引用させていただくと、

「・・・この川は(蛇崩川の事)下の地形図にもあるように、ジジ池から流れ出た水と、湿地から湧き出した水が一緒になって流れていました。」
「・・・校庭はまだ湧き水が出るので埋め立てるための土の小山があるだけで、運動器具はひとつもありませんでした。(創立当時のこと)」
「・・・校庭のあちこちにある湧き水をくみ出し、砂まきをして校庭を使えるようにしました(昭和31年 はじめての運動会)」


その記載の下の地形図では、北にジジ池、南にババ池と表示されているのですが、世田谷区のサイトや「ふるさと世田谷を語る」文献にみられる表記と反対になってるので、後者を正と判断しました。

なんでジジババなんでしょう。小学校の周年誌なので、子供たちが便宜的に呼んできた名称を採用したのかな、と思っていたら前述の文献でもそのような名称で統一?されていました(語源は謎のままです。)



「ふるさと世田谷を語る」においては

弦巻村周辺はもともと台地であるが、村の西の溜池(ババ池)とその南の溜池(ジジ池)からの湧水を源として流れる蛇崩川が、村の西の方から東へと流れ、この流域は低地帯で田んぼが開けていました。蛇崩川はさらに弦巻神社の近くで支流をも合わせて東へ流れ、目黒川と合流して東京湾に注いでいました。この蛇崩川は、ふだんは細い流れですが、一旦大雨が降るとすぐ増水し氾濫しました。昭和20年代後半には、川の両側に田んぼと麦畑が広がっていました。そして蛇崩川は、メダカやザリガニ取りのよい場所でした。その蛇崩川も、昭和50年代には、暗渠になり、その上は遊歩道に変わっていきました」

「蛇崩川の水源 弦巻5丁目弦巻保育園の前の窪地 ババ池という池がひょうたん型にあった」

「JRA社宅前 ババ池 ザリガニ採りをした」

「品川用水の取り入れ口が閉鎖されたあと、土質によって用水の水が流れ出るのを利用して村人がそこにそれぞれ溜池を作った」

「子供の頃蛇崩川の源にババ池という池がありました。昔品川用水から漏れた地下水が浸みて出来た池です。弦巻田んぼがその水で出来ました。」

「ババ池の方がジジ池より広かった。池の周りには木が生い茂りウシガエルが鳴き、人々はまるで龍がいるようだなどどいって怖かった」

「弦巻村にはこの他にも名もない溜池がありアシが生い茂っていた」

情報が少ないながら(あまり文献に当たれていない・・・地元の方に伺えたら良いのですが)ながらも、池の規模もあってかババ池の方が記載が多い感じ。

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改めて・・・イメージが湧きません・・・すみません・・・
語感的にジジあってのババ、という成立イメージも巷にはありますし、ジジ池の方も追ってお伝えできればと考えています。
城南の川たちに感情移入しまくっている今日この頃。

青い方の本流も歩いていたら、本流沿いに更地の売物件があり、そこに備わっていた実測図に

「水路 2・9m 世田谷区管理の水路」
と示されていて、いや水路だってわかって歩いているんだけど、応援されてるみたいで何だか気持ちが盛り上がってきました。
パトロンが付いたみたいなね。

しかしながら歩道として整えられているとどうしても傍流の方をふらふらしたくなるのです~。

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「T」が取れちゃったのかな。スルマキになっているー
奇しくも、こちらのお馴染みのJRAのロゴマークは先日亡くなられた工業デザイナー・栄久庵憲司さんの作品だそうです。


そういえば、これからの季節のお花で「シュンラン」という単子葉植物があるのですが、「ジジババ」という別名があるそうです。
もし路傍で見掛けたら、ババ池を考える上で、何かヒントになるかなあ・・・


そろそろカテゴリも「世田谷」とかざっくりし過ぎているから、ちゃんと「蛇崩川」設けようか~~。

















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# by onnbubatta | 2015-02-18 13:02 | 世田谷 | Comments(2)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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