煉瓦が導く小石川砲兵工廠の谷戸

春頃からこの界隈に足を運び始めて、歩く先々で煉瓦の遺構に出逢ったのでまとめて綴りがてら砲兵工廠内にあった窪地に関するお話など。

まずはご存知の方もいるとは思いますが、つい最近知った、礫川公園内の「小石川トンネル射撃場跡」。
現在の地形図では失われた「窪地」を利用して作られた可能性もあるそうで。。


後楽園の駅を出てすぐの礫川公園へ。小石川の台地のクライマックス的地勢下。

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礫川公園はその地形をいかんなく発揮した二段構造の公園です。
公園も含め、東京ドームや中央大学のキャンパス等一帯の土地は水戸藩邸→東京砲兵工廠という変遷を辿っています。

濃厚なバスクリンカラー。クロレラとか育っていそう・・・

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階段に近づくと丸ノ内線の音が響いてきます。
階段脇に、僅かに人が通行出来る程度の空間があり、石段のようなようなものが続いています


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最終警告の貼り紙と金網柵、繁茂する植物に阻まれます。


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トンネルのアーチと塗りこめられ封じされた入口が確認できます。


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アーチの上部に所々穴が開いているのが確認できます。

小石川トンネル射撃場(旧東京砲兵工廠射撃場)の歴史については文京区ライフル射撃協会の方が個人でまとめられているサイトに大変詳しく書かれているのですが、明治の初めに東京砲兵工廠が置かれて、この射撃場自体は明治16~18年ごろの完成と推定されるとのこと。陸軍の軍用小銃や機関銃の試射を行う場所として利用され、戦中~戦後はライフル射撃場として利用され、1999年に国・区へ返還され終焉を迎えています。(戦時下の食糧困難によりシイタケ栽培が行われていた時期もあったそう。薬莢とシイタケと。)
明治~平成にかけて発砲音を吸収していたであろうトンネル。

現在はこの煉瓦造りのトンネル入り口部分のみがひっそりと残っているようですが、地下のトンネルはどのような状態で残っているのでしょうか。。



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ピンクの○印がトンネル入り口。小石川トンネル射撃場のサイト様を参照させていただくと、中央大学の方にトンネルが続いているようです。

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帝都地形図(昭和5年補正 昭和22年補修)で同地点の地図を引用参照しながら説明をさせていただくと、上の方の地図のトンネル北端付近に謎の窪地が食い込んでるのが見て取れます。
こんなところに谷地形があったなんて・・・(牛天神の東側にもちょっとした谷地形が参加していますね)
いつものように谷に向かって尋問する。「どこの所属だ?」
ブログ記事のカテゴリーも取り敢えず「谷端川」としましたが「神田川支流」になるのかな??

こちらの谷地形、今まで認識の片隅にもありませんでした。

ですがそれより以前、明治時代の地図ではこの谷、もう少し控えめな食い込み方でしか描かれていないのです。
手前で終わっているというか。
現在の地図上に落とすと大体このようなイメージ。

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WEBで調べますと、射撃場を設置するにあたり、この窪地を利用応用+窪地の西端を更に造成して利用したのではないかという記載も拝見することができました。
窪地の拡張?延長?
利用する側、される側。

詳しい事は判りませんが、中央大学~戦没者墓苑~礫川公園にかけて谷戸が空洞で眠っているのかもしれません。
この辺りの古い地図、軍用地なので改描により空白になっていたり、ちょうどエリア的に地図の切れ目で。

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上述の、砲兵工廠敷地内の二つの谷戸の僅かな痕跡でしょうか?かつての窪地付近の等高線の揺らぎをオレンジ色で囲ってみました。
(東京地形地図さまのグーグルアースより引用作成)

後楽園周辺は古地図、昭和の航空写真、何を見ても楽しくて見る都度様々な発見があります。

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↑goo地図の明治期古地図より引用したもの。
現在のラクーアの敷地内に水路走ってます(古地図内の池の右側付近)


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goo地図の昭和22年航空写真より。
後楽園球場が卵のように。


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同じ画像で現在の後楽園駅周辺付近(ちょうど、射撃場のトンネル上部辺り)に不思議な円型がアーチを描いて配置されています。
高射砲陣地???

その他にも、都立中央図書館でマイクロフィルムの古い住宅地図を見ていたら、後楽園ゆうえんちの今のラクーア辺りに
「飛行塔」と表記されたアトラクションを見つけて、その表現が奥ゆかしいなと思いました。
(パラシュートの事?私は落下傘と呼んでいましたが。。)


公園の片隅、樹木の隙間にひっそりと残る赤煉瓦のトンネルアーチが、
今まで考えも及ばなかった細身の窪地へと導いてくれたのでした。まさに入口。
冒頭では「軍遺構」として見えていたトンネルアーチが、「谷戸・窪地の封じ口」として新たな姿を見せてくれた気がします。

永井荷風の「伝通院」の描写に
「・・・水戸藩邸の最後の面影を止めた砲兵工廠の赤い裏門は何処へやら取除けられ、古びた練塀は赤煉瓦に改装され・・・」
という一節がありますが、練塀ではなくても砲兵工廠時代の名残を伝え、隠れた窪地について示唆を与えてくれた赤煉瓦。

何故か、かつての砲兵工廠敷地から出ても、周囲には赤煉瓦が多いのです。

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中央大学敷地と道路を隔てて西側にある常泉院の外壁。
ここを歩いているときに軽トラの八百屋さんがちょうど停まっていて、近所の方がお買い物に来ていました。

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常泉院入口付近にあった「魚霊之墓」。
他には明治期の落語家「朝寝坊夢楽」という方のお墓があるそうです。荷風が「夢之助」の名前で通い弟子として一緒に寄席に通ったというのがこの師匠との事。脱力系の名前で良いな~。

一枚上の写真の煉瓦塀の道(二回くらい鍵型に曲がる)を道なりに歩いて行くと、牛天神のある牛坂に差し掛かります。
江戸~明治期の古地図などをみると当該地に「龍門寺」と記されている寺がありますが、廃仏毀釈の折に廃寺となった、牛天神の別当寺の事を指しており、江幡潤「文京の散歩道」に拠ると安藤坂にほぼ平行している通りは龍門寺門前町を形成していたとの事です。

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人が吸い込まれていっているような坂


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坂の北側、石組みの美にしばし酔いしれる。石組みの内側は文京三中。文京区立中学校には原則として旧小石川区のものは奇数番号が付されているというが(例外もあり)、三は元々この地にあった「三井邸」に因んで付けられたと帝都地形図の説明文には書かれています。


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牛坂から牛天神の敷地に入ると、左手に駐車場があります。表面はコンクリートで塗り込められているけれど、所々に元あった煉瓦が見え隠れしているのが判ります。
壁際辺りに水路があったかな?と推測してやってきたのですが、裏付けるようなはっきりとした痕跡は見当たらず。。
ちょうど牛天神敷地の直下は丸ノ内線が通っているんだよなあ~

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牛天神の石段脇には南側へ向かって降りて行くこんな側溝があり、
水面は少し動きがあって揺らいでいました。


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牛坂に戻って牛天神敷地の西北端辺り、牛天神を支えている煉瓦塀。
写真右奥辺りに牛天神の載っている台地を支える堅牢な擁壁が少しだけ見えます。

牛天神の東端と西端に残る煉瓦。
何か私に囁いてくれないだろうか。。牛天神と水の関わりなど。

牛天神&牛天神周辺についてはまた改めて書きます~。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記。2016年4月にこちらで夜桜を鑑賞した際の写真です。


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こちらでは、境内に一本のみという桜の樹を、妖しいほどのピンク色のライトで照らしているのです。
それが旧い空間とアーティフィシアルな光源、虚実ないまぜな光景を生み出していて、不可思議さに包まれていました。

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牛さんの背後にも光源が置いてあったかな・・・?ほんのり妖艶。
夜桜お七が登場しても何の疑問も抱きますまい。いわんや八百屋お七をや。

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この晩は、東京ドームで何かのコンサートが開かれていたらしく、この辺りにまでぼわんぼわんとした重く不思議な音が鳴り響いて、届いていました。

近いようで、遠くの音が丘の上まで響いてくる。










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# by onnbubatta | 2015-09-02 13:19 | 谷端川 | Comments(7)

続・後楽2丁目の水路跡~地籍図から判ったこと

4月に綴った、文京区後楽2丁目の忘れられない水路跡のこと。
前回の「後楽2丁目の水路跡」の記事はこちらです。

あれから更に2度ほど現地周辺を徘徊して、改めて判明したことや周囲の様子、変化などをお伝えします。

まずは6月。私がこの水路跡と出会った地点なのですが、隣接地が更地となり、景色が開けていました。
極狭い水路跡なのですが、大分印象が変わるものです。


今回は諏訪神社側から入って行きました。
風情のある敷石ですが、此処の路自体は水路かどうかはわかりません。

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沿道のおうちの竹柵や緑のしつらいが実に趣深いです。
芭蕉ルックで歩きたいぐらい。

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壺!?用水!大きな文字!


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前回も通っているのに全く気が付かなかった、用水桶(?)。
(ご覧のように、かなり存在感があるのにも関わらず。)
前回はこの付近に可愛い猫ちゃがいたので、そちらに目を奪われたのもあるのかもしれません。


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前回の記事で行き止まりとなった金網。そこを右に進むと用水桶のある小路を抜けて諏訪神社の方に脱出できるのです。



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ぼけてしまったけれど、相変わらず陰鬱で情緒たっぷりの水路跡。傾斜も健在、超ヒューミッド。
またまた壺かと思いきや(新種のトラップか?)溶剤の容器みたいなものがドンと置かれ、前回と何やら雰囲気違う、と思ったら・・・

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隣接地が更地になっていました。
4月に訪れた際は、解体するような素振りなど感じられなかったのですが・・
よりによってこの場所。


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↑こちらが4月。閉塞感凄まじい。
比較してみると、上の6月の画像は「息が出来た」状態なのかもしれません。
これまであまり陽の当たる事の無かったこの水路跡。(比喩ではなく)
隣地が開けた事で、苔の植生に影響があるかもしれませぬ。

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前回ぼけてしまった、行き止まり地点のシャワールーム風の水色扉地点も写真に収めてきました。


そして7月に入って判明したこと、なのですが、別件で牛天神についてちょっと調べ物をしている過程でひょっこり手にした地籍図。
そこにはここの水路跡と、周囲の水路跡がばっちり表示されていました。
たまたまその地籍図に記載されていただけで、他にも水路跡があると思います。
(明らかに川跡であっても特に明示していないケースもあり)

図示すると大体このような感じ。もう図書館で声をあげそうなくらい興奮しました。
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薄い水色は前回も示した通り。その延長線上、水色線右下の濃い青色(前回金網で行き止まりになっていた地点)は鍵型に描かれていました。(古い地図でもこのような地割で書かれていたので、これは想定内)
当該部分の痕跡は確認できず。

水色線の上の濃い青線。これは当該水路跡と接続したものかどうかは判然としませんが、地籍図で見ると
崖上にあった(現在一部残っている)三井邸敷地の直下から流れ出しているような水路。
現在の地図上に落としてみると、建物の間を縫うような感じに。

図書館のアフターに現地に直行。気温33~34℃。
日射病に注意しながらの行軍。

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雰囲気はあるものの、明確な痕跡は無し。

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巻石通りに向かって落ちていく感じ。
これだけの落差、滝のように流れていたのかな?

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巻石通り側から。ミニストップ春日2丁目店(画像右)の脇辺りを降りてきたのでしょうか・・・?

そこから先に描かれていた水路は、現マンション敷地(ライオンズマンション)を斜めに突っ切って(大曲給油所のあった地点)、前回ご紹介した水路跡地点(大通りに接面している未舗装部分)の近くに至っていました。


未舗装部分の地点はこちらです。↓(4月訪問時)
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この未舗装部分が、5枚前の画像の「水色の扉」に繫がっているものと思われます


更に。
前掲の地籍図にはもう一本、前回の記事でご紹介した水路跡の南側を流れる水路(微妙な緑色で塗った水路)も示されていました。
諏訪神社を挟むような。
期待を胸に確認しに行きましたが、ここに関してははっきりした痕跡は無し。

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建物の並び方がそれらしくはあるけれど。。この水路跡に接する箇所がどこか工事になったりした際に何か判るかもしれませんね。

ここにきて、水路跡、ここも、あそこも!と浮足立ってきたのですが、
よくよく考えたら江戸時代初期は白鳥池~小石川沼と称される大きな湿地帯だった辺り。何だか可笑しくなります。
広大な沼にユラユラ漂いつつ、ミクロな水路跡を掻き分けて行く。
行ったり来たりの、いつも通りの思考の沼へ。

しかし改めて、周りの景色が様変わりする中でよくぞ残っていてくれたものです。ここの名も無き水路跡。 


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民家の隙間を埋める用途に、手書きの古い案内板が使われていました。
「この先白鳥橋・・・・右折が出・・・」

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近くのマンション建設予定地で、遺跡の発掘調査が行われていました。
二度と見られない地表下の姿が期間限定で露わになっています。
図書館で、ちょっと離れたところの遺跡発掘調査報告書を読んできたばかりだったので大感激。
谷を埋めた、で始まるので喰いつくように読み進めたのですが、文中の

「・・・整理調査の図版作成作業は主にパソコン上で行った。『遺構くん』で図化したデータは・・・」

使うソフトの名前が

「遺構くん」
ここがツボで・・・
新聞販売店店頭にある「ニュースくん」、
昔シークレットシューズで「かかとくん」ってあったような?
(そこの報告書がまた大興奮ものでした。茗荷谷辺り~。発掘調査報告書は一か所読み始めると良い意味で泥沼化するので、いつもどう~どう~と自分を制御するのが大変なのです。青少年か~。)
あと、子供の頃よく読んだたかしよいちさんの「埋もれた日本」も思い出して、外気も暑いけど胸も熱くなりました


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発掘現場の反対側から。
この界隈の何処を歩いていても目に入ってくる、住友不動産のビル。
「洒落たタワーですな。」と独り風景に話しかける。
白鳥池・小石川沼の畔に聳えるのは、「泉」を屋号に持つ住友の塔である・・・
時折、時空がユラユラし始めた時に、この近代的なビルの鏡面にふと沼が映り込む瞬間があるのかもしれない・・

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諏訪神社の参道前の商店街にて。風に吹かれて揺れていた文京朝顔ほおずき市の幟。
古地図プリントに見入ってしまいます。(エンマ様がちょこんと鎮座!鎮座しているようでもあり、飛来してきた雰囲気もあり。)

地籍図、今回初めて手にしたような気がしますが、独特の匂いが立ち上っておりました。。(折りたたまれた薄紙の地図が何枚か収録されている。)
綺麗に製本したものも別にあって、そちらの方が扱いやすいのですが、匂いはともかく閲覧するなら折り畳みの古いバージョンの方が水路線の青が濃いので満足度が高かったです。

お昼御飯も食べずに、炎天下を無我夢中で歩きました。
(結局15時半過ぎに、うどん市というお店で天ざるにありつきました・・・昔よみせ通りに同じ名前のお店があって、ついつい懐かしくて。)

そろそろここの水路跡にも何か呼び名を付そうか・・・「後楽二丁目の水路跡」「前回の記事の水路跡」じゃ、もどかしいものね。



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# by onnbubatta | 2015-07-18 09:57 | 神田川支流 | Comments(6)

中野区大和町3丁目の谷(妙正寺川:おばあちゃん支流)

新しいカテゴリ 中野区です。皆仲良くしてね。 

2月の訪問です。なぜ唐突におばあちゃん支流かと言いますと、(人前では、おばあちゃんじゃなくて祖母と言いなさい!お母さんじゃなくて母と言いなさい!そんな声が遠くの方から聞こゆ。)

実はこの流域、私の祖母の家のご近所なのでした。(どうしても祖父より祖母の方が近い存在なので。世間一般にも、おばあちゃんの方が訴求力あり。これを私はおばあちゃんエコノミクスと捉える。食品なんかで顕著なのですが、○○おばあちゃんのたれ、とか。同義でステラおばさん。)

しかしながらこの谷の方に徒歩で降りた事は恐らくなかったと思います。この先には谷があるんだなという、薄ぼんやりした、夢の途切れるような認識でした。

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陰影図(東京地形地図様いつもありがとうございます。)で見るとこのような感じ。より認知度の高そうな、蓮華時の谷の東隣りです。
胴長の生物の、前足のようにも見えますね。
そして何か全般的に茶色っぽいなあ~。

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色々独り突っ込みたくなる箇所が。何か尖がって立ってる所(矢印上。野方の環七の所。)とか。
下の矢印の所、開いてるんですけど~~
逆クレーター?色の濃い部分は標高が高いですものね。
逆バリンジャー(隕石孔)とでも洒落てみましょうか。

環七渡って東、野方の谷の方には学生時代お付き合いしてた人の下宿があって、そこに行った帰りにそのままおばあちゃんちに寄ったりもしていました。
可愛い孫だった、そんな存在の私がみだらな雰囲気でおばあちゃんちに寄ってしまって、きまりの悪い感じがするので、環七をリセット境界として心を入れ替えていたのでした。


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大和町三丁目の支流は、おそらくこのような流れ方をしていたのでは。(濃い青線)流末はちょっと曖昧です。
蓮華寺の支流(水色線)と、大和小学校辺りを介して関係していたと思われます。

今回は谷頭付近を散策。


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旧い地図を見ると記されている、谷頭の池。
名前は付与されていたのでしょうか?・・・私は三角コーナーの池、と認識しているのですが。

昭和40年代の住宅地図をめくると、谷頭の池の更に上流が存在していた事がわかりました。


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角地に位置する谷頭の水源辺り。手前に更に上流としての水の流れの痕跡がありました。


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画像がボケてしまったけれど、水路の護岸のような石が続いています。

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やや右に屈曲しながら消え入りゆく君を想う。
結構な長さのパイプもいいよね。筋が通ってる風情。

此処から奥へは、家々の隙間に飲み込まれる形で消えていきます。先に示した地図では最上流辺りで道路に接面しているのですが、痕跡は確認できませんでした。

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水路跡のすぐ脇には三段余りの段差が存在します。端がやや崩れかけている所に惹かれます。
最上流辺りをぐるぐる廻ってみることにしました。

この階段を昇ると、目の高さに井戸がありました。
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「官兵衛!??」

(前回の大河ドラマ冒頭に出てくる甲冑の画像に凄く通じるものがあるな~、と独り感動しきり)

被せものをされている井戸でした。井戸の先はゴムホースが接続されていたので、今でも使われているのかな。
ちなみに祖母の家にも昔は井戸があって、スイカを冷やしたり体重をかけてジャージャー水を出してみたりしましたよ。現在は残念ながら失われましたが)

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こちらにも石段が。年月を経て、佳い風情になっています。水路跡?って思ってしまうくらい


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石段の隣は公園になっていました。
其処の前の電柱に何だか素敵な貼り紙が。

「魚やさんは暫くの間お休みするそうです」

魚屋さんを待っている人が、いる。

この紙一枚で、私の知らないある日の夕方の風景が思い浮かぶ。

これ2月に撮りし写真だから、お魚屋さん、復活したかな?

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地形的に体感出来た最上流はこの地点。手前が窪み。道幅にずれのある、赤い消火器付近。
でも古い住宅地図ではもう一区画西のようなのですが。


中流~下流はこれといった痕跡が少なく(端折り過ぎ)。


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軒先の土嚢が自然に還りつつある風景。


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発泡スチロールとペットボトルで形成された外構物のお宅とか、

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流末付近に安置されていた、階段下のお地蔵様。


帰りは高円寺から帰ります。懐かしいあれこれを確認しつつ。

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本当に寂れてしまった感のある、大和町中央通り。
「民生食堂」という看板に惹かれました。

中央通りの貸本屋さんで漫画を借りてきて、祖母の家に泊まった際に読んだり。
「何でも好きな本借りてきていいよ。」とお金を渡してくれる祖母。これぞおばあちゃん、なのでした。

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隣地が更地になり、トタン外壁が光を浴びて。
万国のトタニストよ、集結せよ!


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この辺にコインシャワー屋さんがあった記憶が・・・


そして愛しの早稲田通り。古い地図では「府六十五号中野桃園所沢線」。古くは中野にあった地名の「大場通り」ともいわれたそうです。
早稲田通り沿い、大和町郵便局(昔からある)の隣の、淡いサックスブルーの、素敵なお医者さんの古い建物
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二階の柱の様式に注目

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商店街の中に佇む庚申様。
いつも手を合わせたり、礼をしたりしていた大事な庚申様です。現在は商店街に対して西を向いているのですが、かつては真南を向いていたそうです。
ここの向かい辺りに小規模なゲームセンターがあって、お年玉をゲットした従弟の男子組が真っ先に参じていました。


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ここの鶏肉で唐揚げを作ってもらうと本当に美味しかったのです。
今は営業しているのかな?

そして、純情商店街の入口付近にかつてあった不二家での食事に思いを巡らすのでした。
ハンバーグを注文することが多かったかな。
お正月に一族が集まる際には、トリアノンのケーキが大量に出されていたっけなあ。

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# by onnbubatta | 2015-07-09 14:38 | 中野区 | Comments(0)

文京区後楽の水路跡

この辺り、あまり「水路跡が見つかる」という観点で歩いた事がありませんでした。
完全にアウトオブ眼中。ただ、若い頃のバイト先への通勤路に近いこともあり、ちょっくら懐かしさを求めて歩いているうちに
あまり入ったことのない後楽の内側へ入ってみたら・・珠玉の(大げさ)発見がありました。(私が意外だっただけかも)



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地図の中心付近、安藤坂の交差点南の細かい区画のエリアを徘徊していたようです。
この界隈は大きく神田川が曲がっているので、西へ向かいて歩いていたつもりが北面していたことあるある。
川が曲がる箇所はいつだってドラマチックで、ひとの気持をグウーッと下から持ち上げてくれるのだ。



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押忍!こんな道に出くわしました。後楽2-20近辺です。果たして入って行けるのかな?
足元をよく観察すると


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↑この接続具合・・・期待が膨らみます・・


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ここ・・・路が斜めに傾いていて(まあ神田川方面にね)かなり歩きにくく滑ってしまいます(雨上がりだったこともあるのですが)。
よくホームがカーブしている駅って、電車内かなり傾きますよね。そのような感覚。

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かなり苔むしてきました。相変わらず滑りますが相当優秀な雰囲気です。
探索気分に満ち満ちて。飯田橋でこんな思いを出来るとは。



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ねえ・・何か右に曲がれるみたい!予想外の展開だよ。
(そんな素振りなかったし)


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おおお・・・ここまで振り回されるとは。



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この屈曲ぶりにいつまでも付き合っていたい。
「ちょとまてちょとまておにいさ~ん」とか言いながらも実は待てないのは当方。

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そんな楽しい時間も残酷に終焉を迎えようとしていたのでした。禁欲的な仕切りが見える。
遮断しつつも、透けているという。うぐぐうぐぐと身悶えする。
WAY OUT。フェンスの向こうはどうなっているのかな?


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フェンス越しの風景がこちら。行き止まりにも見えるし、左側に展開があるようにも見えます。
突当りの石組みとマンホール、ゴロゴロした大小の石が見えながら先に進めないジレンマ。引き続き悶々。
課題を抱えつつ、一旦戻ります。


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今来た道を戻りつつ撮影。


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やはりここの屈曲部分がハイライトになると思います。


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この画像だとこちらの傾き加減が伝わるでしょうか・・・?

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こよなく愛する暗渠アイテム、ビールケースも確認できました(清酒タイプ)。
ここのビールケースはソロ活動をしている模様です。
ここを出た箇所が最初の入口。さらに続いているようなのですが画面奥に見える扉のようなもので行き止まりになっていました。

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・・・ぼけちゃったけど・・・シャワールーム風の扉というか。

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オレンジ矢印が水路跡歩き始めの地点。画面右下に向かって進んだ先がフェンスで行き止まりとなっていた方です。
フェンスの行き止まりは先が良く分からなかったのですが、(諏訪神社の北付近)。
青い扉の方(短い方)はその北西の建物の並びを見るに、確認する必要がありそうです。
安藤坂の信号を東方面に進むと・・・今までとは打って変わって大きな通りを歩くことになりますが



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果たしてありました!こんなものが口を開けて待っていてくれたなんて。



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側面からも鑑賞します。



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此処を入っていく勇気は持ち合わせておらず・・
どう見ても水路ちゃん。

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安藤坂方面を臨んで。後楽2-21近辺。


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全体像はこのような感じ。大通りとの接続部分が上の二枚の画像です。




後楽にはほかにもこんな水路跡(凹み暗渠)や横断物件
が。↓
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↑大きめの側溝。パレット(フォークリフトで持ち上げるやつ)が橋代わりになっていました。



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↑横断物件。これ結構気に入っています。
右端の消え入り様が何とも誌的で、そこはかとない。


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蓋の経年度合にも惹かれます。マジで誌など詠みたい。


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ここは冒頭の暗渠があった辺り、諏訪神社の舞殿なのですが。。。
「身の安全を図れ」
工事中なのか?

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そして。
神田川を渡ってこちらは新宿区。新小川町辺り。
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カンダジュースにあったパレット群。高らかに。
パレットの印字見てると、各地の工場名が記してあって、移動を感じて大好きなのです。
再び旅に出るのか、此処に留まるのか。
子供の頃、小銭などに対していつもそういう思い抱いていました。どこから来た10円玉なんだろう・・・
私の払った100円玉はどこ渡るのだろう・・・

瓶を使うからガラス工場のものが多い。

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「太平洋製糖」。名前が壮大で圧倒されます。縦置き。



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一番好きなのは紙関係、製本屋さんに積まれているパレット。
日本各地の製紙工場の地名が記されていて、いつも立ち止まって凝視していまいます。
苫小牧とか米子とか。これは・・・
「勿来」!!
心はもう勿来の関へひとっ跳び~~!
なこそながれてなおきこえけれ!(便乗)



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神田川のこの辺り(隆慶橋辺り)、100m内に3台くらいリアカー屋台が係留してあって、それだけでも風景として
印象深いのですが、そのうちの一台が
日本地図を貼り付けた名車だったので思わず撮影。




※追記です。大まかに描いたオレンジの線が明治期の町界であったようです。今回の水路跡と重なっている(下半分程度)がします。
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※再追記 猫またぎさんがコメントで教えて下さった水路(路地)・・・でしょうか。


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# by onnbubatta | 2015-05-02 08:52 | 神田川支流 | Comments(6)

江戸川の今井辺り。干潮時に水面に出現する壮大な橋跡と、一之江の水路跡。

大塚車庫の廃止など、都バスについて考えることの多かった3月。

そんな中に思い出したのが、その昔、台東区のどこからかを始点として、今井行きのバスが運行していた記憶。言問通りを走っていたかな?

一体今井ってどこ?何区・・・?終点に設定されているのにターミナルっぽい雰囲気も漂ってこない。

今井は古くからある地名で、歴史的に見ても交通の要衝であった土地柄で、江戸川の渡渉点として「今井の津」として中世の文献にも記されている場所だそうです。
新中川の開削、都営新宿線の一之江駅開業などを経て今は静かな佇まい。

ちょっと調べていたら、旧江戸川(千葉と東京の境)に架かる現在の今井橋の上流に旧の今井橋の橋脚が姿を見せる時間帯があるとのこと。
葛飾の新宿の記事を書いた時に触れた「干潮時に出現した石畳」の話を思い出します。

干潮の時間を調べて現地に行ってきました。

最後のお楽しみに、一之江の水路跡の写真もあります053.gif
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現在の今井橋(1979年架橋)は、今井街道(地図斜め左上から地図中央にかけて通っている街道)の延長線上にあります。今井街道は行徳道とも呼ばれ、行徳の塩の輸送路・成田参詣路としての役割も有していたとのこと。


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goo航空写真昭和38年度版(いつもありがとうございます。)で確認させていただくと、旧い今井橋は、現在の橋の位置より50mほど上流に架橋されていたことが読み取れます。
今は暗渠化されて緑道風に整備されている鎌田川や宿川が黒々と映し出されていて、感涙を禁じ得ません。
(ちょっと画面では見えづらくてすみません。右の緑の吹き出しが宿川、左が鎌田川になります。もう一か所、今井街道と江戸川が交差する辺りに圦(いり)がありました。今の今井橋児童交通公園辺り。江戸川3丁目と4丁目の境)
更に古い地図などで確認すると、ちょうど今井橋の或る辺りは中洲のような土地が形成されている様子が判ります。(妙見島のような感じ)

この辺り旧江戸川の川幅が食後の蛇みたいに膨らんでいてそこがとても好きなんですが、今は無き中洲と何らかの関係があるのでしょうか。


一之江駅で降りて、今井街道を進むと新中川に差し掛かります。瑞江大橋。

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橋際に、瑞江葬儀所の案内表示がありました。様々な要素で境界です。
フォントが象形文字のようで味わい深いものとなっています。



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旧今井橋の江戸川区側、篠崎街道にあるお蕎麦屋さん。千葉の市川側に渡って戻ってからここでお昼を食べようと思っていたのですが
戻ったら閉まっていました・・今回の旅の心残り。

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この辺りに旧今井橋が架かっていたのではと思うのですが・・・護岸堤防に向かって下がっていく坂道&階段になっていて、橋が架かっていた明瞭な痕跡は特に見つけられなかったです。
(篠崎街道から千葉の市川側に向かって撮影)


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堤防際まで降りて振り返って撮影。階段の上が篠崎街道。これはこれで、佳き階段風景。


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恐らく位置的にはこのような感じ。上の画像二枚は橋の北端付近です


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これが今井橋の跡じゃないよ~。
護岸に沿って幅広の溝があり、MY橋のような物件がありました。橋の左にぶち猫がいるの、お判りになりますか?



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旧江戸川の水面にそれらしき物体群が見えました!水鳥じゃないです。


市川側に渡った方がもっと良く見えるはず。渡河します
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現今井橋から撮影。お行儀よく並んだ橋の痕跡たち。右が千葉県市川市です。
画面いっぱいに川が映り込むのいいな~。磯の香りがむうっとして、天ぷらが食べたくなります。
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歓迎の放水までありました。思い込み、時に大事。

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市川側から見た、旧今井橋橋脚の残骸。
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どの角度から眺めても飽く事無し。今では水鳥の休憩場所になっているようです。

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残骸にも色んなパターンが。

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新・旧今井橋。奥の青い橋が現在の今井橋、手前が旧今井橋の痕跡です。
何だか、このまま対岸まで渡って行ける、そんな気がしてきたよ(歌詞風に)




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市川側の護岸には「今井の渡し旧跡」の立札があります。1912年に今井橋が架橋されるまでは東京と房総を結ぶ重要な交通手段として位置づけられていました。
当該立札には、江戸時代に禁を犯して今井側に渡ろうとした人が捉えられ、磔刑にされた場所がここの下流100m余りの所にある旨が記されています。

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旧今井橋の市川側橋際は今では不自然に広い空間になっており、橋があったことを伺わせます。

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橋際にはつきものの交番。

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市川側にあったちょっと不思議なノリの看板を掲げたうなぎ屋さん。伸ばした語尾が川の流れのメタファーでは。

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市川の「欠真間」を長年けつままだと思っていたことを思い出したのでした。地理好き失格だね。

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橋を渡り東京に戻ります。江戸川区側の現今井橋袂にある公園:今井橋児童交通公園で見掛けた懐かしい絵。ここの公園内にちょうど江戸川3・4丁目の境界線が斜めに走っていますが、江戸川から引いた水路の跡になります(名称不明)
「ドンキスミベイビ~」と独り口ずさみながらビール飲みたくなっちゃいます。。

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今井街道で見つけた路面舗装。都内初のトロリーバスが今井・上野公園間を運行していた時代があったことを示すものだそうです。
何たる長距離!冒頭で触れた、私の記憶にある都バスの路線に近いかも。。確か根津か日暮里辺りから今井まで運行する都バスがあった気がするんです。昭和50年代くらいに。
何という名称の系統だったのか知りたいな。





お待たせしました。おまけといってはなんですが、最後に一之江の水路跡をご紹介します。
公図上では水路跡だらけなのに、なかなかこういう水路跡が見つからないのが江戸川区(親水緑道は先駆的で多いんだけど・・・)

一之江フレンド公園と猿田彦神社のそば。この辺りは土地の微妙な高低差が味わえます。


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一之江フレンド公園側。



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猿田彦神社側。



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岩々した護岸が片方だけ露出しているアンバランスさが心憎いです。嗚呼たまらない。





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気になった物件。接骨院にて。

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↑帰りの電車です。運転手さん、微笑みながらも目は虚ろ。

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# by onnbubatta | 2015-04-04 11:13 | 江戸川区 | Comments(0)

蛇崩川源流のババ池(弦巻弁天)と不思議な傍流水路跡



下流方面や支流などは泳いでいた蛇崩川。初めて歩いたのは高校時代。駒繋神社付近の屈曲に胸騒ぎを覚えたものです。
一方で、源流辺りの事はずっとぼんやりとした認識のままでした。
「弦巻の方から流れてくるんだろう~・・・」と。何とも人任せのような。

先月桜新町から北側に向けて歩いていた際に、何か道が歪んだ感覚がして(心の準備をしていなかった)
どこの川に引っ張られているんだろう053.gif」←これ一番好きな感覚!五感の中に含まれています。
思えばそれも蛇崩川の南谷戸の水源辺りだったのです。桜新町、南に行けば呑川の源流だしドラマティックな土地だなあ・・・

というわけでジワジワ蛇崩川の方からお呼びがかかってきている。そろそろだなと。おいでおいで・・・(御出)



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冒頭地図の黄緑アイコン、大山道と交差する地点の公園にて。洗い場跡の碑が建っています。私も何か洗いたい・・・
(あと旅人風の二人組のモニュメントも。こういうの、池尻稲荷の入口にもあったなあ)




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立派な石垣のマンションの脇、少し小高い場所にお堂がありました。幣束も新しそうです。
此処の前を歩くと古木の力が降り注ぐ感覚があります。



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↑公園向かいにある、雰囲気或る八百屋さん「ライオンストアー」を西に行けば蛇崩川本流ですが、商店街(大山道)を少しばかり歩くと


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水の流れに呼び止められます。


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遡ると、舗装地から未舗装路の境界に差し掛かります。

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暗渠には桶が多い。バケツ、洗面器、タライなど。そして奥には、私が暗渠サインの一つとして提唱したい「ビールケース」が。



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銘柄はサッポロビールでした。通行禁止明示のツールとして置かれている事例のようです。
この先は進行出来ないので、一旦戻ります。


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次の接道面に廻りこむと・・・

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このような状態で再び現れました。間の区間はシートで塞がれているようです。
皮膚呼吸が叶わなくて、ちょっと息が苦しいね。
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こちらの方が護岸の感触がより伝わるでしょうか。



旧い地図を見ると、ちょうどこの辺りが蛇崩川源流の池=ババ池(掘り下げて溜池としたという書かれている書物もあります)。
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おおまかに池の位置を転記するとこのような感じ。濃い青が蛇崩川の本流で、南側の水色が今回綴ってきた水路跡。





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すぐ近くのおうちの軒先にありました。古い丸井戸の上の弁天様。古い住宅地図には「弦巻弁天」とごく小さく表示がありました。


ババ池、という名称がかなり気になる所であります。
蛇崩川の姿について知りたいと最初に手に取った文献が、近隣の松丘小学校の周年誌。
(私は周年誌の町の移り変わりコーナーが大好き。特に昔の年代の周年誌が好き。)

引用させていただくと、

「・・・この川は(蛇崩川の事)下の地形図にもあるように、ジジ池から流れ出た水と、湿地から湧き出した水が一緒になって流れていました。」
「・・・校庭はまだ湧き水が出るので埋め立てるための土の小山があるだけで、運動器具はひとつもありませんでした。(創立当時のこと)」
「・・・校庭のあちこちにある湧き水をくみ出し、砂まきをして校庭を使えるようにしました(昭和31年 はじめての運動会)」


その記載の下の地形図では、北にジジ池、南にババ池と表示されているのですが、世田谷区のサイトや「ふるさと世田谷を語る」文献にみられる表記と反対になってるので、後者を正と判断しました。

なんでジジババなんでしょう。小学校の周年誌なので、子供たちが便宜的に呼んできた名称を採用したのかな、と思っていたら前述の文献でもそのような名称で統一?されていました(語源は謎のままです。)



「ふるさと世田谷を語る」においては

弦巻村周辺はもともと台地であるが、村の西の溜池(ババ池)とその南の溜池(ジジ池)からの湧水を源として流れる蛇崩川が、村の西の方から東へと流れ、この流域は低地帯で田んぼが開けていました。蛇崩川はさらに弦巻神社の近くで支流をも合わせて東へ流れ、目黒川と合流して東京湾に注いでいました。この蛇崩川は、ふだんは細い流れですが、一旦大雨が降るとすぐ増水し氾濫しました。昭和20年代後半には、川の両側に田んぼと麦畑が広がっていました。そして蛇崩川は、メダカやザリガニ取りのよい場所でした。その蛇崩川も、昭和50年代には、暗渠になり、その上は遊歩道に変わっていきました」

「蛇崩川の水源 弦巻5丁目弦巻保育園の前の窪地 ババ池という池がひょうたん型にあった」

「JRA社宅前 ババ池 ザリガニ採りをした」

「品川用水の取り入れ口が閉鎖されたあと、土質によって用水の水が流れ出るのを利用して村人がそこにそれぞれ溜池を作った」

「子供の頃蛇崩川の源にババ池という池がありました。昔品川用水から漏れた地下水が浸みて出来た池です。弦巻田んぼがその水で出来ました。」

「ババ池の方がジジ池より広かった。池の周りには木が生い茂りウシガエルが鳴き、人々はまるで龍がいるようだなどどいって怖かった」

「弦巻村にはこの他にも名もない溜池がありアシが生い茂っていた」

情報が少ないながら(あまり文献に当たれていない・・・地元の方に伺えたら良いのですが)ながらも、池の規模もあってかババ池の方が記載が多い感じ。

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改めて・・・イメージが湧きません・・・すみません・・・
語感的にジジあってのババ、という成立イメージも巷にはありますし、ジジ池の方も追ってお伝えできればと考えています。
城南の川たちに感情移入しまくっている今日この頃。

青い方の本流も歩いていたら、本流沿いに更地の売物件があり、そこに備わっていた実測図に

「水路 2・9m 世田谷区管理の水路」
と示されていて、いや水路だってわかって歩いているんだけど、応援されてるみたいで何だか気持ちが盛り上がってきました。
パトロンが付いたみたいなね。

しかしながら歩道として整えられているとどうしても傍流の方をふらふらしたくなるのです~。

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「T」が取れちゃったのかな。スルマキになっているー
奇しくも、こちらのお馴染みのJRAのロゴマークは先日亡くなられた工業デザイナー・栄久庵憲司さんの作品だそうです。


そういえば、これからの季節のお花で「シュンラン」という単子葉植物があるのですが、「ジジババ」という別名があるそうです。
もし路傍で見掛けたら、ババ池を考える上で、何かヒントになるかなあ・・・


そろそろカテゴリも「世田谷」とかざっくりし過ぎているから、ちゃんと「蛇崩川」設けようか~~。

















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# by onnbubatta | 2015-02-18 13:02 | 世田谷 | Comments(2)

新河岸川蛇行跡(旧字名振袖)に佇む水天王の石碑

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新年あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

いきなりではありますが、冒頭の写真、新河岸川の蛇行跡で、画像右側が蛇行跡、左側は昔の堤跡です。
流れるような曲線に吸い込まれてしまいそうになります。
場所は埼玉県志木市中宗岡、旧字名を振袖、通称名で摺鉢と呼ばれていたのだそうです。
昨年2月から何回か足を運んだのですがご報告が遅くなりました。


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新河岸川の富士見橋~宮戸橋の中間辺りになります。


そして堤に刺さるような状態の、手前の碑は・・・

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「水天王」の碑文が読めます。水天宮ならよく見るけれど、水天王は初めて目にしたかもしれません。
側面には願主のお名前、反対側には天明九 己酉 等の文字が刻まれています。
堤の斜面(結構な斜度)に、しかもこの石碑もかなり傾いた状態で建っていました。

この石碑にすごく惹きつけられて、堤の斜面を転がり落ちそうになりながら暫くの間あらゆる角度から眺めていました・・・
もう本当に滑落寸前。


冒頭でも少し触れましたが、この石碑が立っている場所は今こそ乾いているものの、その昔は新河岸川が蛇行して流れていた土地でした。
(近隣流域には同様の箇所が複数残っています。以前の記事でも一部をご紹介しました)

以前の記事:新河岸川旧流路遊歩~取り残された蛇行跡を歩く
      地中に伏せられ失われた新河岸川蛇行跡



旧小字名は「振袖」。
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グーグルアースで確認すると湾曲の弧の中がグラウンドのように見えますが、私が訪れた時期は冒頭のように何らかの耕地?でありました。「弧の中」「内側」と表現したくなりますが、実際には弧の部分が江戸時代の堤だったので、なんか感覚が狂います。

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陰影が判る図ではこのような感じ。
黄色が江戸時代の堤、水色で示した線が今回ご紹介した蛇行跡(大まかなもの)。
繰り返しになりますが、朝霞市~志木市~富士見市辺りの新河岸川流域はこういった蛇行跡がいくつか残っています。

ミシンの下糸と上糸のテンションが合わなくて、糸がつれちゃった時みたいな形状・・・

確かに「振袖」に見えなくもないですね。ここで志木市の地名の本から、「振袖」地名の解説を引いてみます。

「振袖」~新河岸川の古川に囲まれた土地で、明治初年の地租調査の時、その面積三九四七平方米(三反九畝二四歩)筆数二筆、所有者引又宿持ちと記された土地であった。この土地は、引又飛地字振袖と呼ばれた。川の流れにより志木地区から古くに分離された土地で、振袖の形をしているところから名付けられたものであろう。

また、当該箇所の通称名として「摺鉢」とも呼ばれていたようでした。

「摺鉢」~新河岸川の旧堤外に字振袖を取り巻くように古川があった。いつの頃よりか古川も次第に埋まり、いろいろの形をした沼ができ、中でも一番新河岸川に近い所に、丸い摺鉢の形をした深い沼ができ、広さはおよそ150平方メートルであったが、戦後自然と埋まり、今では新堤敷になってしまったがその姿から誰とはなく摺鉢と呼び、釣り人に親しまれたという。

↑「摺鉢」の方の解説の、成り行きまかせっぽい経過が何とも好ましい。

「いつの頃よりか・・」「いろいろの」「誰とはなく・・


源氏物語か!?みたいな感じで甚だほわ~ん。川の蛇行跡でどういう訳か王朝文学の香りを勝手に感じた一瞬。

解説を読むに、「摺鉢」の方が年次が新しい感じなのかな・・・


とりとめのない感じになってしまいましたが、丁度一月も半分過ぎて成人式も終わった折、振袖に因んだ小さなお話をお届けしました。

近隣の蛇行跡の旧字名として「中袋」「女巻目(おんなまきめ)」「姥袋(うばぶくろ・ばあぶくろ)」などもあります。

志木市の古い地名のイラスト入りのサイトがとっても楽しい(絵に凄みがある)ので是非ご覧になってみて下さい。
例として「女巻目」(志木市役所の辺り)のページをご紹介として貼らせていただきます。

女巻目


新河岸川沿いにあった水神宮の石碑

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志木市のイメージキャラクターにも据えられ、街のあちこちで見られる河童像。
「遠い記憶ー波動」というタイトルが付され、川を見つめている姿にぐっときます。




江戸時代の堤の脇にある神社
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# by onnbubatta | 2015-01-15 11:02 | 新河岸川 | Comments(2)

シャワールームより愛を込めて 上馬4丁目の開渠

蛇崩川に注ぐほんとに小さな小流跡(一部開渠)の訪問記を綴ります。
奥に見えているのが蛇崩川緑道。
旧い地図を見ると、画像辺りに銭湯(ときわ湯)がかつては存在した模様。
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道路を渡ってしばらくは痕跡少な目(わかるひとにはわかる感じ)・・・



再び現れた勇姿を見よ。コインシャワーの脇に開渠がありました。

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大きなマンホールで端を留められてるタイプ。わさわさ生えているのはイノコヅチかな~?
昔我が家で飼ってた猫ちゃが全身にくっつけて帰ってきたものです。スティッキー。

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コインシャワーを利用したら、使用後のお湯がここに流れてきたりするのかな・・・風流な光景が目に浮かびます(勇気なし)
自分にとってコインシャワーって、中央線のイメージが強いのです。かつて高円寺でよく見かけたし、下宿が阿佐ヶ谷在住の知人(家が暗渠に接している)もよくコインシャワーを利用していたと話していたし・・・昔の話ですが。



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あ。なんか小橋が架かっている。
こういう箇所に架けられた小橋はすのこ等の生活がはみ出している素材が使われていたりして、暮らしの息吹が感じられてぐっとくる瞬間。

直観として、この場に長く留まってキョロキョロしていてはよくない感じがしたので、反対側に回り込みます



こんな子がいました。
おいらの愛してやまないキジトラちゃん。
これからお書初めをするかのような、筆みたいな尻尾。
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嗚呼。またもあなたは私を受け入れてはくれないのだね。(毎度解っている事。その冷たさも私が暗渠を追う理由でもある)
この地点より上流は痕跡を見つけられませんでした。
発地はいずこなのかな・・・それとも水路網の断片なのでしょうか。
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近くにあったお洒落なお地蔵様

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開渠が残っているのは29番地辺りのみ。
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色々な水路跡を訪れてはいるものの、歩いて、写真を撮って、その背景を書籍や古地図で調べて追って自分で完了してしまうことが多い一年になってしまいました。。

シャワールームからでも、バスルームからでも、何でもよいですが・・・愛を込めて。メリークリスマス。

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# by onnbubatta | 2014-12-24 12:11 | 世田谷 | Comments(6)

三軒茶屋周辺の小流跡と谷に潜む謎のクリスマスツリー

だいぶだいぶ間があいてしまいましたが、しれっと綴ります。
「昔恋しい散歩地図」・・・こちらよく図書館で繰り返し借りて読む書物なのですが、長きに渡ってこの本のページとつきあいながらも全く目に入らなかった烏山川に沿う水路線に急に引き寄せられ(そういう事ありませんか?)、降り立ってみることにしました。

そうそう、田園都市線の駒沢大学までの駅って、駅出ると高速の高架下なのが苦手で。
何か上から抑えつけられてる感じがするのです。
高速あると地形感も鈍る気がします。ぐだぐだ。

〽〽讒言茶屋行って~世田谷耕すよ~(季節外れの田植歌みたいな感じで流します)


世田谷学園の方に向かいたく、適当に入る道を探していたら・・・

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「PAPER」と名乗る不思議な管と、「その道の人」らしき始まり!
やはり谷に住む何かには、まだお呼びがかかるみたい。ありがたや・・
本当に狙わないでこういうことに遭遇すると運命語りたくなる~U・ZA・Iお年頃だ。

しかしながらhowever、アスファルトが元気に黒光りしている様が私を不安にさせます。

・・・最近何か変わった事あった?








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隣接地からは年代を感じさせる側溝も参戦。板敷の上にプランターで蓋。





























まだこの時点では、この辺りに対して、暗渠っぽいけれど、確実な谷感というのは無かったのです。向かうことになる烏山川に引っ張られている意識が強く、左右を挟まれているのが良く分かっていませんでした
道は曲がっているのだけどね。





谷底へ降りてきて更に歩くと、緑が多いというか年月を経たおうちが多いことに少々の驚き。
ここ世田谷ですよね・・・


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よくまあここまで繁茂していることよ、と感嘆。
ここのおうちは、やっているのかしら。。。稼働という意味で。。。





と果たしてそこで目にしたものは・・・川口浩探検隊ふうに)
















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一体どうしたことでしょう???
持ち合わせている全ての理解の範疇を越えています。ツタの中に不可思議な塑像?が。




何かの作品なのかな。

先程のもじゃハウスは彫刻家のアトリエで、そのギャラリーとか・・・?


微笑をたたえて谷をみつめる優しいお顔でした。






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あたたかそう。
クリスマスツリー仕様かも・・・





























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後光差してる・・・

なーにもかもが  きーらめいて~(略)
気が付ーいた いつかの メリークリスマス・・・









はあはあ。ぜーぜー。
心の準備無しに、偉大な何かが飛び込んできました。
よろよろと歩き続けます。。すると水路跡のふりまく、特有の力に呼ばれます

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こんにちはー
こんにちはー

排水の穴でしょうか?蓋暗渠のようなものも見えています














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擁壁沿いに、集合住宅の敷地内に続いているようなこの側溝。行き止まりになっていて独り「排水の陣」気分。
鏡が立て掛けられていたり(我が身を振り返れ!)、木塀や不思議な手摺り?が趣を添えます。





































後日グーグルアースで確認する、とちゃんと谷になっているし、古地図でも水路線がニョロニョロ引かれています。
また「世田谷の地名」という書物内では、この谷に対して地形図上で
「溝ヶ谷か?」
という疑問符付きで記載がありました


溝ヶ谷か?・・・お前さん溝ヶ谷か?・・・再訪の暁にはこんな疑義を直接ぶつけてみたいです

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青で囲んだ辺りが溝ヶ谷か?の谷。ピンクの地点が小規模な蓋側溝













私が目指しているのは、もう少し北西。烏山川のあげ堀というか「灌漑してたんだろうな・・・」という雰囲気のある水路跡なのです


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三宿1-26・27の間。番地境のこの付近から水路が接続していたのではと推測。奥に見えるのが烏山川の緑道です。

























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それらしきもの、ありました。三宿1-24辺り。
この侵入防止柵が、テニスコートの網のように思えてきますよ。
私がボールを打ったら、向こう側の誰かが打ち返してくれるんじゃないかと。















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次に道路に接面している地点に回り込むと、こちら側は金網仕様。
比較的新しめの金網と掛け金、南京錠、状態を観察するに舗装もそんな昔の事では無い様子です





















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うーん。。。奥の方が混沌としていそうだな・・・

此処から続きは、下の谷の通りと一体化しているのかどうかよくわかりません。検証不足です。
古地図で見ると太子堂小学校の直下辺りまで続いていそうなのですが。


















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地図で確認するとこのような感じです。





















下の谷の通りは暗渠の香りがそこここにちりばめられていて、

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井戸と防火用水桶の豪華二点セットがあったり













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その地点の路地奥には井戸と洗い場のようなものもちらりと見えていました。
桶が賑やかに集合しています
























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大中小が接結しあうマンホール。猫ちゃのお通りです~






























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区立したのや公園。烏山川の下の谷橋のそばにある公園ですが、おそらく烏山川の蛇行跡だと思います。
そこの擁壁にぽっかりと口を開けるな謎の穴。


こんにちはー
こんにちはー
















それにしても、あのクリスマスオーナメントには圧倒されました。
耕すどころか、踏み荒らしてしまった感も否めませんが。ちょこちょこ綴っていきたいと思う次第です・・・
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# by onnbubatta | 2014-11-26 15:24 | 世田谷 | Comments(2)

高輪の樹木谷を歩く~翁池の幻影を求めて

相変わらず、順序等々錯綜しています・・・


先般、どういう訳か江東区の図書館で久しぶりに読んだ「港区近代沿革図集」。

江戸期・明治・大正・昭和と何代かの地図がエリア別に収録されており、巻末には古い地名や俗地名の
解説があって大層楽しめる内容のもの。

合言葉は「里俗」です。(通称、こう呼び慣らされていた、的なニュアンス)。

タイトルにもある「樹木谷」は江戸期地図中には「ジュ木谷」とカナ漢字交じりで表記されている所が
おどろおどろしいというか。凄みを感じます。

樹木谷、は元々地獄谷であり、斬罪場があったとの説もありますが
その場所はどこを指すのか今一つ理解できていませんでした。
解説を読むと「樹木谷の道から右に覚林寺がある」「松秀寺(日限地蔵)近傍」「白金丹波町の窪地を樹木谷といった」等の記載があり、玉名川の谷頭の二カ所を両方ともそう呼ぶのでしょうか・・・

そして「翁池」、これは初めて接した池名なので心躍りました。これも解説に拠ると
 
翁池(翁池用水) 翁池は豊島郡麻布二本榎、徳明寺境内にある。この池から水を引いて
白金東名光の耕地に注ぎ、末流は老増町の溝に流れ、新堀川(古川)に入る。(新編武蔵風土記稿)


徳明寺というお寺は現在この地にはありませんが、解説注では
 
徳明寺は上行寺の裏通りを覚林寺に向かう右側にあった。~文化8年(1807年)には正満寺と寺号を改めたという。」
また、正満寺様のホームページに拠ると、1811年徳明寺を正満寺と改め、築地より移転 とあります。

1800年代初頭には徳明寺は現在の正満寺に改められたということでしょうか。

うーん。。絵図・地図によって変遷を追うと、弘化3年(1846年)と明治9年の地図では一帯が上行寺として描かれているものの、
明治初年~20年の内務省地理局東京実測図では地図中に、徳明寺の名が現在の正満寺の南辺り・谷低地部に復活して?表示されています。正満寺の位置は現在とほぼ同様に描かれています。
(徳明寺、が表示されているのは桜田通り沿い、現在タワーマンションが立地している辺り・ちなみに上行寺跡も今は同マンションの敷地下。上行寺自体は昭和37年に神奈川へ移転とのこと。同年この地に明治学院大の体育館が建てられる)

消えては現れる謎の存在、徳明寺・・・地図の色んなタイムラグなのか。

徳明寺=正満寺の敷地、ということなら判り易いのですが、明治期の地図において正行寺の敷地内の一画に徳明寺の表記がされているのが頭を攪乱させるのです。

古地図で川跡を辿る時には神社やお寺が指標になってくるので、これは悩ましい事・・・
寺が隣り合っているので、見た地図ではどこまでが徳明寺の社地に当たるのかもはっきりとはわからず。

また、マンション建設に先立って行われたという遺跡調査(上行寺跡遺跡調査)によると、まず地勢面の説明があり
・・・敷地東側三分の二が平坦面、西側部分は斜面部と北東面に開口すると推定される谷低地部となっている。台地斜面部と谷低地部との比高差は4mを測り、標高は28~19mである。
・・・明治28年の東京実測図第5図ではほぼ現況地形通りの状況が窺え、また同図には谷低地部に徳明寺の記載がある

版を改めてもなお徳明寺の記載は続いてた事になるのでしょうか。
 
上行寺の遺跡調査報告書では更に

・・・正行寺の明治期における境内縮小が何によるものか明らかではない。また徳明寺についても詳細は未調査で、上行寺との関係も明瞭ではないが、この時期の寺地縮小には多分に廃仏毀釈の影響があったものと予想される。」

・・・検出遺構の種別は、石垣、段切り、礎石群、堀、溝、地下室、ゴミ杭、採土坑、墓杭、井戸、雪隠、
池、水琴窟・・・


これは、徳明寺の翁池に関連があるのか、上行寺にも池があったのか・・・?

斜面部の盛り土層は北東に向けて開口する谷地形を埋めるように最大で3m程度施されている
発掘調査の内容分析により、湿潤な環境にあった低地部分は上行寺の起立(1668年)とともに寺院建物造営に伴う平坦面を作出する目的で大規模な斜面部造成(埋立)が長い間に渡って繰り返された事がわかっているそうです。

そして報告書の中で興味深いのは、上行寺には宝井其角という俳人の墓があり、その墓地には宝井と呼ばれる井戸の石組みが存在し、そこから大量の水が湧き出していて、井戸から溢れる程の水量だったという事です。(新選東京名所図会にも描かれている)

名前が先なのか、お墓が先なのか。。


また境内図なども掲載されていましたが、画像が荒くて残念ながらよく判別できませんでした。

上行寺の遺跡調査エリアでは、特に北端辺り(愛星保育園南東辺り)の湧水が激しく調査が行えなかったとあり、そこはまさしく明治期の地図で玉名川の支流の始まりとほぼ同一地点。また西側も崖を隔てて低くなっており、発掘調査の際にも少し地面を掘るとすぐに水が出てきたと報告書に記載されています。

いずれにしても低湿地帯で、溢れるほどの水が上行寺にも存在した事実があったのですね。

マンション建設に伴う遺跡調査ということは、いずれ埋め戻されて二度と戻らないという事。
玉名川の樹木谷源流域の地質環境について実に多くの事~時の重なり、を知ることが出来たのですが、何だかシニカルな感じがします。

報告書の2ページ目にある文章を転記します。

本遺跡周辺では、高輪台の尾根筋沿いについては大規模開発や大型の建物等の建設が行われた形跡が殆ど無く、本遺跡地についても昭和37年に明治学院大学の体育館が建てられた他に、特に堅牢な建物が存在した形跡はない。遺跡地の大半は、江戸時代の土地改変を最後に今日まで、殆ど攪乱を受けなかった場所であった。

過去形の語尾「・・・であった。」がいつも以上に重く感じます。


結局、「徳明寺の翁池」の場所や大きさ、形状が判然としません。数々の地図の存在により、そもそもの徳明寺の位置が更にわからなくなって翻弄されてしまいました。


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アイコンの色に統一性が無くて申し訳ありません

そそり立つ明治学院を中心に、玉名川の二つの谷が合わさっています
今回は明治学院の東の谷にあったという翁池の幻影を求めて彷徨います



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青アイコンと黄緑アイコンのタワーマンションの落とす影が印象的な画像になっています











谷エリアにタワーマンションが林立しているってことは。地形も変わっていると覚悟の上です・・

90年代半ば以降だったと思いますが、桜田通りに面したこの谷頭辺りの何とも言えない不思議な光景が強く印象に残っています。
写真を撮っていないことが悔やまれますが、開発前の虫食い状態のような取り残された建物が、高低差のある土地に漂っているような風景だったと記憶しています。

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グーグルアースより、97年時点の航空写真。
オレンジ線はいずれも大規模マンションへ。下のオレンジ線の中のピンクで囲んだ辺りが
東京実測図で「徳明寺」記載のあるあたりで、ピンク右の短い樹木地帯が実測図の示す崖線とほぼ同様
の形状で画像に残されていたことに驚きました。
今は全く確認する事はかないません。。

二箇所示したオレンジ線エリアのうちの下の方(南)は97年の画像ですと駐車場のようですが、
それ以前は明治学院のグランドや体育館、トレーニングセンター、そして北端の谷部分(パズルの端のように変則的な形状の箇所)はテニスコートとして使われていた土地のようです。
(谷をテニスコートに転用している例として、近隣の聖心女子学院や慶応日吉の蝮谷テニスコートがあります)

南北線の開通を前に、街が変わっていく前夜のような表情を浮かべているように感じます。
明治学院出身の大スター・アルフィーの歌声「激しい風が今 心に舞う~」
が聴こえてくるような姿です。


何はともあれ、まず谷に降りてみたいと思います。赤い矢印の所から下っていきました

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濃い青のマークが明治期の地図で見られる、玉名川支流が流れ始める大体のポイント、青線が
大体の流路跡。
ピンクの辺りが明治の東京実測図で徳明寺の表示がなされている大体の場所。
水色と黄緑の区域が上行寺を示すもので、時代や地図によって上行寺を示す範囲が異なります。



神奈川に移転された正行寺の住職様の述懐によれば、愛星保育園のあたりも寺の敷地であったとの事。



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手前のお寺に掲示されていた絵地図。玉名川の流れが描かれている
(今回辿る谷の水流は描かれていない)











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すごく狭そうな道。これを辿ると谷に降りられそうです





























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路面の材質も変わっていよいよ望んで吸い込まれていく感じ。
いったいどこから何がどれだけ流れ込んだりしたらこんな谷を刻めるんだろう~






















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階段を降り切ってそのまま真っ直ぐ行くとこんな感じの行き止まり。でもその先にも何かありそう。


























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左へ曲がると、松光寺の墓域。谷底感に満ち満ちています。
割と新しい墓域。最近お墓の事を考える年代に差し掛かってきたので色々参考になりました。
松光寺墓域の南側にあたる場所が今は無き上行寺の北端で、遺跡調査時に湧水量が多く調査が出来なかったとされる辺り。













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右へ曲がると川跡風の小道と、年月を感じさせるアパートと、高輪CT



























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水が流れ出ていった流路と思われる道付近は道らしい道はこの一本。
しかも下流を向いているのに、少々土地が高くなっていくように見えます。
この先の流路は消されてしまいました。70年代、80年代の住宅地図を見ると60戸程の家々が立ち並び、また丹波児童遊園という小公園もありました(廃止)。そのあたりから源昌寺に向かって桜田通りに出るくねっとした道がかつては存在したので、そこなのかな、と推測するだけです・・

では肝心の池はどの辺だったのでしょう。


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左へ曲がる所にある(桜田通りに出る方)不思議な三角コーナー。
パーテイションで仕切られており、数段降りられるようになっている妙な空間。
パーティーション内側にはキックボードが置かれていて、マンホールも据えられています
















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行き止まりの木戸の先は正満寺の墓域。木々が闇を作っています。
木戸から出入りするお坊さんが、そこからはキックボードで移動するとか?





















暗渠やスリバチのご本では、玉名川の東側の水源について「正満寺の湿地帯・・・」と書かれていましたっけ。

正満寺様の中でお参りし、お墓に入らせていただきましたら本堂の裏手に抱えるように池がありましたが
その池の事なのでしょうか・・・?また、それが翁池と同じ位置辺りに当たるのでしょうか。

なんて考えていましたら、ちょうど亀が水面にダイブする瞬間を見ました。
地図を見てもグーグル航空写真を見ても、正満寺にお池があるようには見えなかったのですが・・・

しかしこの近隣の泉岳寺や東禅寺もお池は非公開なのでこの辺の慣習かと思い、眺めるにとどまりました。

(御住職様と大仁田厚さんの正満寺で行われた異色対談?にて、お池のお写真がネットで拝見できました)

以前座禅で参加させていただいた別のお寺ですが、そこも地図には無くても中庭庭園のような位置に美しいお池があったりしましたね。


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東から西(桜田通り)に向けて谷を横切る、新しく作られた道(というか公開空地の中の路)



























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こちらも、東から西へ谷を横切る、再開発後に新しく作られた道。
暗渠道のような表情を浮かべていますが・・・?
西向き下り傾斜になっています。
両脇の真白い素材が、先程の三角コーナーの衝立素材と近似しています。

区切りたい時にはこれよ!みたいな推奨素材なのかな










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桜田通りに出るとこんな姿。































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翁池からの水はこの辺りに出てきていたのではないかと思われますが
今の所、どの地図を眺めてもここから先の界隈の水の流れを追うことが難しいです
(桜田通りが拡幅されていったりしているので)


源昌寺前。周囲の景色が激変する中、こちらも建替えの予定があるようです。
面白い形式の門。禅宗のお寺はこういう門なのかな。
白金の瑞聖寺さんの門も同じようなスタイルでした。

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何の文様?

















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高低差が露わになる、ちょっとお気に入りの場所。
こちらでは崖上が墓地。ずっと谷を埋める墓地を見て来たので、視点や心持が切り換わります






















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斜めに編まれたような煉瓦がこちらに視線を送っていました。
この界隈は隠れ煉瓦(表面は塗り物が施されており、それが一部剥落して中の煉瓦が露出している)
や石垣が多くて、石好きには出会いが多い。

















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清正公交差点手前の信号。写真左辺りで、玉名川の本流と合わさっていたと思うのですが。

ちなみに青いネットが掛かっている辺り、三角地帯になっていて引き寄せられます
(デルタ好き)




此処から先、玉名川下流も見どころが多くてわくわくしましたが、またの機会に綴ります。




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玉名川の大体の流路跡を図で示してみました。
青い線が今回探求した支流(樹木谷の支流?翁池の支流?)

緑の線が玉名池(今は失われている)から流れ出す本流。桜田通りが拡幅されているため、合流地点はうやむやです。


水路跡が好きとはいえ実は「玉名川」、と言われても何処を指すのかいまいちよく理解していなかったのです・・・
(仏所護念会のとこに在りし池からの流れ、と自分流に記憶していたので。)
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# by onnbubatta | 2014-06-28 17:37 | 渋谷川系 | Comments(0)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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