三軒茶屋周辺の小流跡と谷に潜む謎のクリスマスツリー

だいぶだいぶ間があいてしまいましたが、しれっと綴ります。
「昔恋しい散歩地図」・・・こちらよく図書館で繰り返し借りて読む書物なのですが、長きに渡ってこの本のページとつきあいながらも全く目に入らなかった烏山川に沿う水路線に急に引き寄せられ(そういう事ありませんか?)、降り立ってみることにしました。

そうそう、田園都市線の駒沢大学までの駅って、駅出ると高速の高架下なのが苦手で。
何か上から抑えつけられてる感じがするのです。
高速あると地形感も鈍る気がします。ぐだぐだ。

〽〽讒言茶屋行って~世田谷耕すよ~(季節外れの田植歌みたいな感じで流します)


世田谷学園の方に向かいたく、適当に入る道を探していたら・・・

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「PAPER」と名乗る不思議な管と、「その道の人」らしき始まり!
やはり谷に住む何かには、まだお呼びがかかるみたい。ありがたや・・
本当に狙わないでこういうことに遭遇すると運命語りたくなる~U・ZA・Iお年頃だ。

しかしながらhowever、アスファルトが元気に黒光りしている様が私を不安にさせます。

・・・最近何か変わった事あった?








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隣接地からは年代を感じさせる側溝も参戦。板敷の上にプランターで蓋。





























まだこの時点では、この辺りに対して、暗渠っぽいけれど、確実な谷感というのは無かったのです。向かうことになる烏山川に引っ張られている意識が強く、左右を挟まれているのが良く分かっていませんでした
道は曲がっているのだけどね。





谷底へ降りてきて更に歩くと、緑が多いというか年月を経たおうちが多いことに少々の驚き。
ここ世田谷ですよね・・・


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よくまあここまで繁茂していることよ、と感嘆。
ここのおうちは、やっているのかしら。。。稼働という意味で。。。





と果たしてそこで目にしたものは・・・川口浩探検隊ふうに)
















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一体どうしたことでしょう???
持ち合わせている全ての理解の範疇を越えています。ツタの中に不可思議な塑像?が。




何かの作品なのかな。

先程のもじゃハウスは彫刻家のアトリエで、そのギャラリーとか・・・?


微笑をたたえて谷をみつめる優しいお顔でした。






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あたたかそう。
クリスマスツリー仕様かも・・・





























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後光差してる・・・

なーにもかもが  きーらめいて~(略)
気が付ーいた いつかの メリークリスマス・・・









はあはあ。ぜーぜー。
心の準備無しに、偉大な何かが飛び込んできました。
よろよろと歩き続けます。。すると水路跡のふりまく、特有の力に呼ばれます

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こんにちはー
こんにちはー

排水の穴でしょうか?蓋暗渠のようなものも見えています














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擁壁沿いに、集合住宅の敷地内に続いているようなこの側溝。行き止まりになっていて独り「排水の陣」気分。
鏡が立て掛けられていたり(我が身を振り返れ!)、木塀や不思議な手摺り?が趣を添えます。





































後日グーグルアースで確認する、とちゃんと谷になっているし、古地図でも水路線がニョロニョロ引かれています。
また「世田谷の地名」という書物内では、この谷に対して地形図上で
「溝ヶ谷か?」
という疑問符付きで記載がありました


溝ヶ谷か?・・・お前さん溝ヶ谷か?・・・再訪の暁にはこんな疑義を直接ぶつけてみたいです

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青で囲んだ辺りが溝ヶ谷か?の谷。ピンクの地点が小規模な蓋側溝













私が目指しているのは、もう少し北西。烏山川のあげ堀というか「灌漑してたんだろうな・・・」という雰囲気のある水路跡なのです


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三宿1-26・27の間。番地境のこの付近から水路が接続していたのではと推測。奥に見えるのが烏山川の緑道です。

























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それらしきもの、ありました。三宿1-24辺り。
この侵入防止柵が、テニスコートの網のように思えてきますよ。
私がボールを打ったら、向こう側の誰かが打ち返してくれるんじゃないかと。















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次に道路に接面している地点に回り込むと、こちら側は金網仕様。
比較的新しめの金網と掛け金、南京錠、状態を観察するに舗装もそんな昔の事では無い様子です





















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うーん。。。奥の方が混沌としていそうだな・・・

此処から続きは、下の谷の通りと一体化しているのかどうかよくわかりません。検証不足です。
古地図で見ると太子堂小学校の直下辺りまで続いていそうなのですが。


















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地図で確認するとこのような感じです。





















下の谷の通りは暗渠の香りがそこここにちりばめられていて、

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井戸と防火用水桶の豪華二点セットがあったり













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その地点の路地奥には井戸と洗い場のようなものもちらりと見えていました。
桶が賑やかに集合しています
























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大中小が接結しあうマンホール。猫ちゃのお通りです~






























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区立したのや公園。烏山川の下の谷橋のそばにある公園ですが、おそらく烏山川の蛇行跡だと思います。
そこの擁壁にぽっかりと口を開けるな謎の穴。


こんにちはー
こんにちはー
















それにしても、あのクリスマスオーナメントには圧倒されました。
耕すどころか、踏み荒らしてしまった感も否めませんが。ちょこちょこ綴っていきたいと思う次第です・・・
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# by onnbubatta | 2014-11-26 15:24 | 世田谷 | Comments(2)

高輪の樹木谷を歩く~翁池の幻影を求めて

相変わらず、順序等々錯綜しています・・・


先般、どういう訳か江東区の図書館で久しぶりに読んだ「港区近代沿革図集」。

江戸期・明治・大正・昭和と何代かの地図がエリア別に収録されており、巻末には古い地名や俗地名の
解説があって大層楽しめる内容のもの。

合言葉は「里俗」です。(通称、こう呼び慣らされていた、的なニュアンス)。

タイトルにもある「樹木谷」は江戸期地図中には「ジュ木谷」とカナ漢字交じりで表記されている所が
おどろおどろしいというか。凄みを感じます。

樹木谷、は元々地獄谷であり、斬罪場があったとの説もありますが
その場所はどこを指すのか今一つ理解できていませんでした。
解説を読むと「樹木谷の道から右に覚林寺がある」「松秀寺(日限地蔵)近傍」「白金丹波町の窪地を樹木谷といった」等の記載があり、玉名川の谷頭の二カ所を両方ともそう呼ぶのでしょうか・・・

そして「翁池」、これは初めて接した池名なので心躍りました。これも解説に拠ると
 
翁池(翁池用水) 翁池は豊島郡麻布二本榎、徳明寺境内にある。この池から水を引いて
白金東名光の耕地に注ぎ、末流は老増町の溝に流れ、新堀川(古川)に入る。(新編武蔵風土記稿)


徳明寺というお寺は現在この地にはありませんが、解説注では
 
徳明寺は上行寺の裏通りを覚林寺に向かう右側にあった。~文化8年(1807年)には正満寺と寺号を改めたという。」
また、正満寺様のホームページに拠ると、1811年徳明寺を正満寺と改め、築地より移転 とあります。

1800年代初頭には徳明寺は現在の正満寺に改められたということでしょうか。

うーん。。絵図・地図によって変遷を追うと、弘化3年(1846年)と明治9年の地図では一帯が上行寺として描かれているものの、
明治初年~20年の内務省地理局東京実測図では地図中に、徳明寺の名が現在の正満寺の南辺り・谷低地部に復活して?表示されています。正満寺の位置は現在とほぼ同様に描かれています。
(徳明寺、が表示されているのは桜田通り沿い、現在タワーマンションが立地している辺り・ちなみに上行寺跡も今は同マンションの敷地下。上行寺自体は昭和37年に神奈川へ移転とのこと。同年この地に明治学院大の体育館が建てられる)

消えては現れる謎の存在、徳明寺・・・地図の色んなタイムラグなのか。

徳明寺=正満寺の敷地、ということなら判り易いのですが、明治期の地図において正行寺の敷地内の一画に徳明寺の表記がされているのが頭を攪乱させるのです。

古地図で川跡を辿る時には神社やお寺が指標になってくるので、これは悩ましい事・・・
寺が隣り合っているので、見た地図ではどこまでが徳明寺の社地に当たるのかもはっきりとはわからず。

また、マンション建設に先立って行われたという遺跡調査(上行寺跡遺跡調査)によると、まず地勢面の説明があり
・・・敷地東側三分の二が平坦面、西側部分は斜面部と北東面に開口すると推定される谷低地部となっている。台地斜面部と谷低地部との比高差は4mを測り、標高は28~19mである。
・・・明治28年の東京実測図第5図ではほぼ現況地形通りの状況が窺え、また同図には谷低地部に徳明寺の記載がある

版を改めてもなお徳明寺の記載は続いてた事になるのでしょうか。
 
上行寺の遺跡調査報告書では更に

・・・正行寺の明治期における境内縮小が何によるものか明らかではない。また徳明寺についても詳細は未調査で、上行寺との関係も明瞭ではないが、この時期の寺地縮小には多分に廃仏毀釈の影響があったものと予想される。」

・・・検出遺構の種別は、石垣、段切り、礎石群、堀、溝、地下室、ゴミ杭、採土坑、墓杭、井戸、雪隠、
池、水琴窟・・・


これは、徳明寺の翁池に関連があるのか、上行寺にも池があったのか・・・?

斜面部の盛り土層は北東に向けて開口する谷地形を埋めるように最大で3m程度施されている
発掘調査の内容分析により、湿潤な環境にあった低地部分は上行寺の起立(1668年)とともに寺院建物造営に伴う平坦面を作出する目的で大規模な斜面部造成(埋立)が長い間に渡って繰り返された事がわかっているそうです。

そして報告書の中で興味深いのは、上行寺には宝井其角という俳人の墓があり、その墓地には宝井と呼ばれる井戸の石組みが存在し、そこから大量の水が湧き出していて、井戸から溢れる程の水量だったという事です。(新選東京名所図会にも描かれている)

名前が先なのか、お墓が先なのか。。


また境内図なども掲載されていましたが、画像が荒くて残念ながらよく判別できませんでした。

上行寺の遺跡調査エリアでは、特に北端辺り(愛星保育園南東辺り)の湧水が激しく調査が行えなかったとあり、そこはまさしく明治期の地図で玉名川の支流の始まりとほぼ同一地点。また西側も崖を隔てて低くなっており、発掘調査の際にも少し地面を掘るとすぐに水が出てきたと報告書に記載されています。

いずれにしても低湿地帯で、溢れるほどの水が上行寺にも存在した事実があったのですね。

マンション建設に伴う遺跡調査ということは、いずれ埋め戻されて二度と戻らないという事。
玉名川の樹木谷源流域の地質環境について実に多くの事~時の重なり、を知ることが出来たのですが、何だかシニカルな感じがします。

報告書の2ページ目にある文章を転記します。

本遺跡周辺では、高輪台の尾根筋沿いについては大規模開発や大型の建物等の建設が行われた形跡が殆ど無く、本遺跡地についても昭和37年に明治学院大学の体育館が建てられた他に、特に堅牢な建物が存在した形跡はない。遺跡地の大半は、江戸時代の土地改変を最後に今日まで、殆ど攪乱を受けなかった場所であった。

過去形の語尾「・・・であった。」がいつも以上に重く感じます。


結局、「徳明寺の翁池」の場所や大きさ、形状が判然としません。数々の地図の存在により、そもそもの徳明寺の位置が更にわからなくなって翻弄されてしまいました。


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アイコンの色に統一性が無くて申し訳ありません

そそり立つ明治学院を中心に、玉名川の二つの谷が合わさっています
今回は明治学院の東の谷にあったという翁池の幻影を求めて彷徨います



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青アイコンと黄緑アイコンのタワーマンションの落とす影が印象的な画像になっています











谷エリアにタワーマンションが林立しているってことは。地形も変わっていると覚悟の上です・・

90年代半ば以降だったと思いますが、桜田通りに面したこの谷頭辺りの何とも言えない不思議な光景が強く印象に残っています。
写真を撮っていないことが悔やまれますが、開発前の虫食い状態のような取り残された建物が、高低差のある土地に漂っているような風景だったと記憶しています。

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グーグルアースより、97年時点の航空写真。
オレンジ線はいずれも大規模マンションへ。下のオレンジ線の中のピンクで囲んだ辺りが
東京実測図で「徳明寺」記載のあるあたりで、ピンク右の短い樹木地帯が実測図の示す崖線とほぼ同様
の形状で画像に残されていたことに驚きました。
今は全く確認する事はかないません。。

二箇所示したオレンジ線エリアのうちの下の方(南)は97年の画像ですと駐車場のようですが、
それ以前は明治学院のグランドや体育館、トレーニングセンター、そして北端の谷部分(パズルの端のように変則的な形状の箇所)はテニスコートとして使われていた土地のようです。
(谷をテニスコートに転用している例として、近隣の聖心女子学院や慶応日吉の蝮谷テニスコートがあります)

南北線の開通を前に、街が変わっていく前夜のような表情を浮かべているように感じます。
明治学院出身の大スター・アルフィーの歌声「激しい風が今 心に舞う~」
が聴こえてくるような姿です。


何はともあれ、まず谷に降りてみたいと思います。赤い矢印の所から下っていきました

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濃い青のマークが明治期の地図で見られる、玉名川支流が流れ始める大体のポイント、青線が
大体の流路跡。
ピンクの辺りが明治の東京実測図で徳明寺の表示がなされている大体の場所。
水色と黄緑の区域が上行寺を示すもので、時代や地図によって上行寺を示す範囲が異なります。



神奈川に移転された正行寺の住職様の述懐によれば、愛星保育園のあたりも寺の敷地であったとの事。



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手前のお寺に掲示されていた絵地図。玉名川の流れが描かれている
(今回辿る谷の水流は描かれていない)











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すごく狭そうな道。これを辿ると谷に降りられそうです





























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路面の材質も変わっていよいよ望んで吸い込まれていく感じ。
いったいどこから何がどれだけ流れ込んだりしたらこんな谷を刻めるんだろう~






















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階段を降り切ってそのまま真っ直ぐ行くとこんな感じの行き止まり。でもその先にも何かありそう。


























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左へ曲がると、松光寺の墓域。谷底感に満ち満ちています。
割と新しい墓域。最近お墓の事を考える年代に差し掛かってきたので色々参考になりました。
松光寺墓域の南側にあたる場所が今は無き上行寺の北端で、遺跡調査時に湧水量が多く調査が出来なかったとされる辺り。













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右へ曲がると川跡風の小道と、年月を感じさせるアパートと、高輪CT



























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水が流れ出ていった流路と思われる道付近は道らしい道はこの一本。
しかも下流を向いているのに、少々土地が高くなっていくように見えます。
この先の流路は消されてしまいました。70年代、80年代の住宅地図を見ると60戸程の家々が立ち並び、また丹波児童遊園という小公園もありました(廃止)。そのあたりから源昌寺に向かって桜田通りに出るくねっとした道がかつては存在したので、そこなのかな、と推測するだけです・・

では肝心の池はどの辺だったのでしょう。


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左へ曲がる所にある(桜田通りに出る方)不思議な三角コーナー。
パーテイションで仕切られており、数段降りられるようになっている妙な空間。
パーティーション内側にはキックボードが置かれていて、マンホールも据えられています
















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行き止まりの木戸の先は正満寺の墓域。木々が闇を作っています。
木戸から出入りするお坊さんが、そこからはキックボードで移動するとか?





















暗渠やスリバチのご本では、玉名川の東側の水源について「正満寺の湿地帯・・・」と書かれていましたっけ。

正満寺様の中でお参りし、お墓に入らせていただきましたら本堂の裏手に抱えるように池がありましたが
その池の事なのでしょうか・・・?また、それが翁池と同じ位置辺りに当たるのでしょうか。

なんて考えていましたら、ちょうど亀が水面にダイブする瞬間を見ました。
地図を見てもグーグル航空写真を見ても、正満寺にお池があるようには見えなかったのですが・・・

しかしこの近隣の泉岳寺や東禅寺もお池は非公開なのでこの辺の慣習かと思い、眺めるにとどまりました。

(御住職様と大仁田厚さんの正満寺で行われた異色対談?にて、お池のお写真がネットで拝見できました)

以前座禅で参加させていただいた別のお寺ですが、そこも地図には無くても中庭庭園のような位置に美しいお池があったりしましたね。


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東から西(桜田通り)に向けて谷を横切る、新しく作られた道(というか公開空地の中の路)



























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こちらも、東から西へ谷を横切る、再開発後に新しく作られた道。
暗渠道のような表情を浮かべていますが・・・?
西向き下り傾斜になっています。
両脇の真白い素材が、先程の三角コーナーの衝立素材と近似しています。

区切りたい時にはこれよ!みたいな推奨素材なのかな










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桜田通りに出るとこんな姿。































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翁池からの水はこの辺りに出てきていたのではないかと思われますが
今の所、どの地図を眺めてもここから先の界隈の水の流れを追うことが難しいです
(桜田通りが拡幅されていったりしているので)


源昌寺前。周囲の景色が激変する中、こちらも建替えの予定があるようです。
面白い形式の門。禅宗のお寺はこういう門なのかな。
白金の瑞聖寺さんの門も同じようなスタイルでした。

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何の文様?

















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高低差が露わになる、ちょっとお気に入りの場所。
こちらでは崖上が墓地。ずっと谷を埋める墓地を見て来たので、視点や心持が切り換わります






















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斜めに編まれたような煉瓦がこちらに視線を送っていました。
この界隈は隠れ煉瓦(表面は塗り物が施されており、それが一部剥落して中の煉瓦が露出している)
や石垣が多くて、石好きには出会いが多い。

















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清正公交差点手前の信号。写真左辺りで、玉名川の本流と合わさっていたと思うのですが。

ちなみに青いネットが掛かっている辺り、三角地帯になっていて引き寄せられます
(デルタ好き)




此処から先、玉名川下流も見どころが多くてわくわくしましたが、またの機会に綴ります。




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玉名川の大体の流路跡を図で示してみました。
青い線が今回探求した支流(樹木谷の支流?翁池の支流?)

緑の線が玉名池(今は失われている)から流れ出す本流。桜田通りが拡幅されているため、合流地点はうやむやです。


水路跡が好きとはいえ実は「玉名川」、と言われても何処を指すのかいまいちよく理解していなかったのです・・・
(仏所護念会のとこに在りし池からの流れ、と自分流に記憶していたので。)
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# by onnbubatta | 2014-06-28 17:37 | 渋谷川系 | Comments(0)

神領堀東堀の支堀~高野堀を辿る

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一応まだ埼玉の新河岸川蛇行歩きの記事は続行しているつもりなのですが、ちょっと足立区の神領堀東堀系統の事を綴ります。

神領堀東堀の支流の工事現場、というか蓋暗渠撤去現場に遭遇したのは随分前の事で、その後の検証はずっと放置していました。
あれほど衝撃的だったのに。

今年になってlotus62様から現地の現状をコメントしていただいたりしているうちに、重い腰が徐々に上がり「足立区暗渠再訪」の運びとなった次第です。

その時点でもまだ様々な水路網(メイン以外の)の名称がわからず、作業がはかどらない日々でした。

そんな折、ふととある「橋跡?」を見つけた事もあり、そこから導かれるように流路や資料とのご縁が進んで
また新たに開かれた視点での水路歩きとなりました。

予想はしていたけれど、10年前の地図持参で歩いてみてより一層の変化の大きさを改めて実感しました


d0250051_17161765.jpg江北2-4辺り。
木のすのこパレットの下にある石造りの物体が目に留まりました








これは橋の跡では?

反対側を確認します















d0250051_17183968.jpg向かいは吉野石膏工場の壁なのですが、ここだけ石が露出。

吉野石膏東京工場は1935年(昭和10年)に下沼田町(現在の江北)に開かれた、江北2丁目工業エリアの草分け存在。耐火ボードや遮音壁と一緒にイメージキャラクターのトラさんが登場するCMでもお馴染みです。













d0250051_17271936.jpgこんな感じで水路が流れていたのかも・・・














と思って、改めて手持ちの古地図資料などを眺めていたら、六阿弥陀第二番の恵明寺の北側を流れる水路が記されていました。
(六阿弥陀詣とか東都六地蔵とか、色々頭の中が錯綜しています)

地図で見ると恵明寺の敷地に池が描かれていて本当はこちらを見てみたくてこの辺りを訪れたのですが(門が閉まっていた)、予想外の小さな発見?に感激。

過去の水たちの声に耳を傾ける事が出来たのかも


d0250051_1143916.png黄色い丸で囲んだ地点が、橋跡らしき物体の残っていた場所。
ちなみに帝都地形図では、周辺の橋として

紫の丸(上の方)の位置には「橋本橋」
紫の丸(下の方)には「恵地橋」
 が記されています。



紫の丸印に示した橋の下を流れていた高速沿いの用水は、神領堀に属するのか、または荒川沿いをずっと囲むように流れていた
「綾瀬川以西悪水大落とし堀」(何だか凄いインパクトの名称。“大どんでん返し”みたいなリズム・・・)の一環なのか、ちょっとよく判りません。

一方で、恵明寺の北側を流れ、橋跡らしきものを残す用水堀ですが、地図上で辿ってみると
以前の記事で綴った「神領堀東堀支線(高野堀)~剥がされる蓋」の流末のひとつに当たる可能性が出てきました。

全ての流路を歩いたわけではありませんが、現状を記しておきます


~2017.7追記~

こちらの水路跡、高速沿いに未確認の部分があるのを本田さんに教えて頂いて、早速確認に出掛けました。
上の地図では、下の紫丸の辺りです。

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家具会社の敷地からなんか出てきていました。
自分で流路跡描いていながら、全く気付かず。こんなふうに「ふっと」抜けてしまう時ってあるのですね。

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今日はお寺にお参り出来たので、参拝がてら水路跡を確認へ。。。
墓地の塀越しに見てみると深緑の鉄板が続いています。















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まさかの一部開渠。この開放部分に大興奮。



























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雨が降っていたので、動きが出て一層素敵です。
こんなにしっかり水がある事にも驚きです。
















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S字の池には、黄色い蓮がポッポッと咲いていました。















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被り物している重厚な井戸。
















d0250051_18122895.jpgこんな一角、前からあったかな。
以前は気づきませんでした。
足立区は「ぷちてらす」が好きなのかな、「神領堀ハーブプチテラス」というのも近くにあるし。
























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煉瓦が残っている。

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昔の門柱の名残でしょうか?


毎回、皆様に教えて頂いて現地にくる原動力をいただいています。
本田さんありがとうございました。



追記部分終わり。文章中央部分に挿入してしまって読みにくいかもしれません。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

d0250051_11293989.jpg江北4-25付近。高野堀が流れていたと思しき場所は公園やピカピカの歩道となっていました













d0250051_11331413.jpg上流方向(足立西高方面)を臨む。

ちなみに足立西高付近の旧小字名が「松葉」。湧水池のマツバをふと思い出します。

2年前と比べてもう何が何だかよくわからないまでに変わっているのですが、左側の駐車場部分の膨らみが
かろうじて水の流れていた軌跡を伝えるものとなっている気がします。
少し先へ進むと、吉野石膏の社宅が見えてきます。




冒頭の橋跡?隣接の吉野石膏東京工場勤務の方の為の住宅でしょうか。
(世が世なら、高野堀を伝わって水上通勤が出来たのかも・・・)

足立西高の南側の道路も真っ直ぐになり、随分奥に行ってしまったかのような印象を受けました



d0250051_11365082.jpgこちらは初めて歩く事となった「江北緑道」。
マンション内銭湯の「光浴場」煙突がそびえています。

江北緑道=何となく暗渠でしょ、ぐらいの印象しか無かったのに、『神領堀東堀から分けた「高野堀」の流路跡』と認識して歩くことで水系感覚を足裏がキャッチしてくれそうです。

神領堀自体、見沼代用水系でさらに辿ると利根川ですし・・・




「前略 利根川の(水の)上より」とか独りごちてしまいそうな。


d0250051_11482527.jpg緑道が途切れて車道と交差する地点。

車道の先の道路、新しい道路と、建替えられた団地のようです。

攪乱されているかもな・・・






















d0250051_1150049.jpg果たしてその先には。
新旧対照的な光景と。そして途中感の漂う、まだ杭の残る草の生えた空地。
一枚の写真にいろいろな境目があるみたい。





上流方向を臨んで。
















d0250051_11544339.jpgお肉屋さんの脇(右)に差し掛かります。
ここを出て右へ






























d0250051_11553780.jpg深緑のガードレールが明示する流れに沿って、商店街が連坦と続きます。
この道は「江北大師道」という古くからの路であるようです。























d0250051_1201747.jpg歯医者さんの所で左側へ流れ下ります。
古地図によると「前沼橋」の表記あり。数種類の地図を見た中で、いまのところ高野堀で確認できた
唯一の橋名。(もっとでできますように~)

暗渠の香りは少な目ですが


















d0250051_1225052.jpg夏だ!暗渠だ!ビールケースだ!
・・・という訳で、「暗渠にしばしば連れ添っている物体の中で最も似合うもの」の
ビールケースが彩を添えてくれました。

中でもこれは「積み物件」です


















d0250051_1282226.jpg吉野石膏工場の脇を通って、左に大きく曲流したのちに、
江北2-1辺りで冒頭で触れた恵明寺の方へと西に流れる一方で、
扇の方へ向かって更に南下していった模様です。








d0250051_16122256.png付近の神領堀東堀系統の、主な水系図。(正確ではないかも・・・)
実際にはさらなる網の目のごとき分化した水路網が。

今回綴ったのは、真ん中あたりの「江北緑道」を通る「高野堀」でした。





◎一番左(西)の緑ライン、立派な緑道として整備されていて(全国の桜の木が植えてありました)、
谷在家の方から綺麗に斜め真っ直ぐに降りてくる水路、こちらは
「中堰悪水落」と「足立区旧町村古道図」には示されていましたが、いまひとつピンとこない・・・
「○○用水」とか「○○堀」としてほしい気が。
手持ちの10年くらい前の地図では開渠で描かれていましたし、こちらの方が本流?よりも地図上における水路としての印象が強く残っています。

◎お隣の薄い水色が「下堰堀」

◎そして一番右が本流らしき流れで、扇2-13辺りまで辿って最後荒川の河川敷にぶつかります。
(旧い地図では「薄本圦」という施設で最後となっている)
その地点も現在はマンションになっていますが、かつては吉野石膏の工場がありました。


これらの水路も点々とではありますが歩いてみましたので、又の機会にご紹介できればと思っています。

と幾つかの水路の名前を書いてみたものの、近隣の方にとっては単に「用水」とか「どぶっ川」だったのかもしれません。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おまけ。

d0250051_16392731.jpgやっぱりビールケース。
(厳密にいえばビールじゃないか・・)
真相は良く分かりませんが水路の上にスナックが乗っかっているような印象。
堀切菖蒲園駅そばの光景に似ている気がしました。

江北氷川神社参道そば。

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# by onnbubatta | 2014-06-06 17:06 | 足立区 | Comments(2)

志木市の宗岡地区を歩く~荒川の不思議な築堤横堤・菖蒲沼の馬頭観音・固められる水路等

志木市~朝霞市の新河岸川沿い歩きの記事に戻ります。

志木市に戻り、新河岸川と荒川に挟まれた水に縁の深い土地を歩いて行きます

まず目指しているのは、荒川の土手というか河川敷にある馬頭観音群。何度か近くまできていたけれど
未確認でした。

そして、こちらは何度も訪れていて、何の意味のある物体なのかず~っと不思議に思っていた、
「荒川の横堤」。通常河川と並行して築かれる堤が、ここでは河川に対して垂直に入り込んでいるのです。


低地をぶらぶら彷徨います

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以前の記事で取り上げた速度抑制物(ここから至近距離の朝霞沈殿池前にある)より
強烈な外観。
鬼の形相です












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こちらは幅員制限が目的で設置されています。
ここか、ここのすぐそばの道路下を旧朝霞水路(秋ヶ瀬取水堰から朝霞沈殿池へ導水するための水路で、
地盤沈下により通水に懸念が生じた為現在は別の水路が設置されている)が通っている理由で幅員制限が
必要なのかな・・・?

背後のお店もなかなか気になります







ここの前の道路は、おそらくはかつての「中堤」。この道に沿って「中堤用水」も存在したそうですが
秋ヶ瀬取水堰が完成し、東京都への送水管が埋設される際の工事で「中堤」は消滅したようです。
(幾つかの圦樋もそれに伴って姿を消したとの事)


またこの辺り(セブンイレブン近辺)には「落合」という旧い字名や屋号も存在し、もともとは旧入間川と新河岸川が落ち合う所から生じた地名のようですが、また一方で中堤用水と野火止用水の落ち合う場所でもあったそうで、その事との関連も考えられるそうです。(野火止用水は宗岡の上中下に行き渡っていたとの事)

電柱の支線名で「落合」を見掛けました。


付随する屋号として、「小っちゃい落合」というものもあったそうです。
「ちっちゃいおっさん(尼崎の非公認ゆるキャラ)」を思い出してしまう、口語調のいい響きの屋号ですね。


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ちっちゃいおっさん公式サイト

おっさんへの質問コーナーとか、「small middle aged man」と添えられた注釈が面白いです






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華やかな看板。結構激しく本格的なダンスの絵が描いてあります。残念ながら営業していないように見えました。
夜の部の男性料金が不明朗ではあります。









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樋之詰児童遊園で、またこのパイレーツブランコに遭遇。
葛飾の鎌倉の記事で一度ご紹介しましたが、その後足立区の古隅田川沿いにもおはしました。























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以前の記事で触れた、宗岡二中前の「篭島圦樋」からずっと続いている水路と平行して歩いてきましたが
(古い地図では赤野毛幹線と表記あり)、この辺りで水路はぱったり途絶えます。






















赤アイコンが鬼の幅員制限の位置。ここから斜め左下に延びていく、二連の道路は水資源機構の管理道路であり、赤アイコンより斜め右上に延びる道路下に旧朝霞水路が暗渠で存在しています。

地図の北の方で水路が途切れる地点から先、斜め右上に伸びる太い道路の下にあるのが現行の朝霞水路です。
(構造:コンクリート矩形二連暗渠)
18番16番地を横切る水路(画像左下付近)が中堤用水と関連があるのか微かな名残なのか気になっています。



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水資源機構のマンホール

















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ついていきたくなるよね































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東京都の水需要をまかなう、地中の朝霞水路を足裏で意識しつつ歩きます(大義)

古くからあるお宅の外壁が、恐らく剥がれ落ちている過程なのかもしれませんが素敵です







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宗岡樋管。
秋ヶ瀬取水堰で採水した水を堤防を通過させます

ここの近くから土手を登っていけば馬頭観音群に会えるはず









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土手から見えた、おそらく水塚のあるお宅。
左が母屋で、右は屋敷神様と、貴重品を置く蔵でしょうか。











土手に上がって見えたもの もう一つ。。。
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ここここれは、水路を現代的に改修している過程・・・?
手前にはコンパネみたいなものが等間隔に積まれています。
























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奥の方は、固める施工をしたばかりなのかシートのようなもので塞がれているのかよくわかりません。
ここからどういう状態に変化していくのでしょう。
凄く気になります。



















先程水塚に少し触れましたが、水塚を盛る為に家の周囲を掘った跡が「構え堀」のような形状で残っているお宅も昔はあったとの事。近年「蚊がわく」という理由でコンクリートで固めたりしているお宅もあると、志木の水塚を紹介している本に書かれていました。



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そしてありました。荒川の横堤。
上流方からの洪水を食い止める為に、河川に対して垂直に築かれているそうです。

いつも荒川左岸の河川敷から眺めていて、「今にも電車が走ってきそうな、臨場感や疾走感のある不思議な築堤」とかねてから思っていたのですが、右岸から眺めるのは初めてです。

いつも新緑のころや夏場に来ていたので、青々とした築堤が印象に残っていましたが、

冬のこの枯れ感もぐっとくる景色です。ツチノコを彷彿とさせる形状と動物色もいいなあ・・・



そしてそして、かなり年季の入ったポンプ小屋の脇に・・・
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いらっしゃいました!
ずっとお会いしたかった、「菖蒲沼の馬頭観音」













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この付近の小名・通俗名として、「馬捨場」「観音塚」がかつて存在し、耕地整理がされる以前の現河川敷にあたる場所に菖蒲沼という沼(近接して大明神沼・中三在沼という通俗名も伝わる)が横たわっていたようです。



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ロケーションも群を抜いていますけれど、とにかくお顔が魅力的でした。
見る角度によっても全く違ってくるし、年月風雨を経てもなお、挑んでくるようなこの強い眼差しが。





















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今にも声が聞こえてきそうな・・・





























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「てめえどこの中学だよ!?」

・・・私とした事が、言葉遣いが荒々しくなってしまいました
不謹慎で申し訳ありません



更に土手を北に向かって歩いて行くと

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またまた興味を惹かれる小山が土手下に見えました。














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冨士塚?

ここは産在氷川神社(中の宮氷川神社)のなかの「御嶽山」で、この地域が浸水被害にあった際この山に登って難を逃れた方がいたと「水害と志木」の中の記載で読んだ気がします。



















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下の宮氷川神社にあったようなものと同様、上部に空洞部分のある石柱が建っていました。

大分歩いてきたので、神社内のブランコに五分ほど座って一休み。





また、ここのすぐ近くに、お庭に池と太鼓橋のようなものが見えるお宅があって、地図上では神社の表記になっているので気になっています。
(鳥居と、菅原道真風の銅像も建つ)



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河川敷の耕地が、変則的な短冊状に組み合わさって何とも芸術的ですね。
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# by onnbubatta | 2014-05-15 12:00 | 新河岸川 | Comments(4)

板橋区舟渡のワンブロック・蓋暗渠

連休のちょっとしたお楽しみ企画。前回の筋状の水路跡特集に続いて
ここでドルチェ的な記事を。


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場所はこんな辺り。板橋区舟渡
新河岸川に架かる「蓮根橋」の近くです。














いきなり遭遇した蓋暗渠です。

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お行儀良く並べられた煉瓦ブロックが、この奥へと続く世界を明示しているようで。
始まりは黄色いガードレールから。

























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続いて水色のガードレールへと変化






























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君はどこの子?
































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ガードレールは白地に赤へと変化。

端の処理は結構大雑把に仕上がっています。


























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横から、亀裂を鑑賞

















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更に奥へ歩を進めると、ガードレールがふたたび水色に変わり、周りの状況も野生児たる感じがより一層増していきます。
しかもガードレールが派手に傾き始めるし・・・




















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反対の角度から検証すると、台風直後のような様相。
なぎ倒されているかのような。



























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冒頭で「君はどこの子?」と問いかけましたが、置手紙のように「サイ」とありました。














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奥は工場の敷地でしょうか。少し小高くなって行き止まりになりました。
一角のみ残った蓋暗渠。何とも不思議な感じがして、帰って地図を確認すると、舟渡の荒川の蛇行跡(置いてけ堀)に接続していたようです。




















おまけにもうひとつ、こちらは前谷津川系?、去年の秋に見つけたもの。
蓋が白く、両脇も綺麗に舗装されているので、従来はもう少し違った姿で存在していたのかもしれません。。

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板橋区西台2丁目。
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# by onnbubatta | 2014-05-05 14:20 | 新河岸川 | Comments(2)

筋のような、函型水路跡特集。

明確に水路でした、と今のところ言えるのは、以前に記事にしたこちら
板橋区熊野町の水路跡だけなのですが、趣味の部屋的に陳列してみます。

その1
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谷端川沿いに存在。何気に護岸状の石垣や添えられたグリーンも奥ゆかしくて良かったです。
状態としてはほぼ埋もれ。

























その2
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こちらは水路跡かどうか断言は出来ませんが、十条の自衛隊敷地から流れ出る暗渠を追っていて
出会った物件。小規模ながらついていた蓋が途絶えて、筋状の痕跡が見え隠れします。
北区王子新町。
水系系統としては石神井川


















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この曲りざまに、ぐっときませんか。
ちなみに画像左側の石は「陸軍用地」の境界石です。
もう、ドブでも側溝でも何でもよくなります























その3
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葛飾区西新小岩5丁目のお寺脇で出会った物件。一方(北方面)からしか様子を伺えないのですが、
定期的に手入れがされているようで、溝の輪郭がはっきりして端正な印象。























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ズームで奥の様子を見てみると、奥はちょっと落ち葉が溜まっている箇所も。
画像暗いですが、何か秘密の小橋みたいなものが架けられていて
興奮で倒れそうです。




















その4
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ここもその3と同様、北区志茂4丁目のお寺の脇に残っていたもの。
かなり古い住宅地図にこのお寺の南端を通る細い水路線が描かれてはいたのですが
(他の水路跡が一ミリ幅くらいだとしたら、ここはマジックペン程度の細さ表記)
先程と同様、一か所からのみ確認が出来ました。

水路跡(疑惑)の際に佇む黒猫しゃ。様になりますね






※猫は商品に含まれません



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猫ちゃのいないパターン
奥の方は若干の乱れがある模様です
























またコレクションが出来てきたらいいな・・・














2014.11追記(追悼)

筋状ではないけれど、ここも気になっている水路跡。
現存するかは不明(2013夏~秋撮影)←(ゆ様から頂戴したコメントによると、この姿は既に失われているようです。残念。)葛飾区西新小岩3-44辺り。d0250051_1747160.jpg
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# by onnbubatta | 2014-04-29 14:08 | Comments(6)

地中に伏せられ、失われた新河岸川蛇行の名残

大分間があいてしまいましたが、新河岸川の旧流路と思われる蛇行を追い求めて、内間木通りに入っていきます。(2014年2月初旬の訪問記です)
前回の記事では、ピンクのマークの少し上あたり、下の宮氷川神社と宗岡二中の間の蛇行辺りを
彷徨いました。

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地図中の高齢者施設の前を南北に走る道が内間木通りで、周囲には墓地計画があるようでした。
また、「やつるぎ遊園地」という興味を惹かれる小公園が隣接していました











ここから武蔵野線との交差部辺りまでは大型トラックの走行が頻繁で、人が歩行するのはかなり厳しいもの
が実感としてありました・・・



黄色マーク辺りも相当そそられる蛇行の様子が地図では描かれているのですが、前回の記事でも触れたように、道があったとしてもちょっと近付けないような場所が多いのです

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小橋まで架かっている。。。!これは見てみたいなあ。





















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グーグルアースで見るとこのような感じで、ちょっとロマンティックな気分になります。
武蔵野線と旧流路が交わるところなどは満々と水を湛えたような表現となっていますが、(住宅地図では年代によっては湿地の表記がされているものも。)武蔵野線の車窓から眺めた感じではオレンジ色をした不思議な色の細流が垣間見えたのみでした。
大雨が降った後などは全く違う景色が見られるのかもしれませんね。


黄色マークの地点と、黄緑の武蔵野線を取り囲む地点は近付けなさそうなので、紫マークのポイントを目指します。ここには公園があるようなので何とか様子がわかるかも。。。と。



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武蔵野線をくぐって、間もなく見えてくるホテルのような外観の建物。
朝霞市民の憩いの湯「湯~ぐうじょう」。営業はしておらず、路線バスのバス停として現在は機能しているようです。
もう少し階数を高くして、「蛇行跡を眺める展望ラウンジ」とかに転用するのはどうでしょう。。




内間木通りの先には「わくわくどーむ」経由、と書かれたバス停にも遭遇、朝霞市の施設はネーミングが楽し気。



そんなに古い建物には見えませんが、工事に欠陥による大量の漏水を起こした経緯があり、
修復にも費用が掛かるとの事でこのような状態に至っているようです。。。


憩いの湯を過ぎると蛇行した旧流路が見えてくるはず。。大きな窪地にはなっていますが
生い茂った枯草のなかに細流が見えるのみ。



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流れ沿いに不思議な光景がありました。
川に突き出した形で、かつての憩いの湯の駐車場があったようですが、それが金網で仕切られていて
どうやっても道路側から停められないような恰好になっているのです。
駐車場の字の先が窪地です

左の干し草地帯が流路、右の金網内側が道路。

前回も触れた、和光富士見バイパスの収用にかかっているものと思われます。






もう少し先に歩くと、流路に掛かる橋に差し掛かるはずです


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蛇行流路に架かる橋から北方面(武蔵野線方面)を望む。
時折通る貨物車を眺めていると飽きません。
武蔵野線はずっと高架ですが、ここは湿地帯にかかるから橋梁になるのでしょうか・・・
ふとした疑問。




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若干気味の悪い枝の垂れ方






























橋の反対側・南方面を眺めると

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橋の北側とは打って変わって、護岸は綺麗に草が刈り取られて整備されています。
画面左側に並ぶ木々は、内間木公園の南西端にあたります。










蛇行具合が最もきつい辺りを確認するべく、内間木公園の中から(二つの流れが合流する地点付近)
流路を眺めてみると(画面左下辺りの水路は内間木公園東側を流れる流路です)

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流路の先は金属製の管と無数の土嚢を境に失われ、地上部分は整地されています。
そして背後には重機と残土の山、並んだ工事用の衝立。

胸騒ぎがします・・・

下の拡大地図の緑ポイント付近



この先の流路の接続を確かめなくては。
一旦内間木公園から出て、先程の車道に戻り、現在新河岸川が流れている方面に向かいます


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すると、先程の地点と同様にこちら側も管と土嚢が現れました。
当該区間の水路は管の中・地中に伏せられてトンネル状態となっています。

下の拡大地図、ピンクのポイント付近





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地図中の矢印は大体の撮影方向。
紫で囲んだ辺りが、流路が消された大体の区間


















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再びグーグルアースで見ると、実験装置のような流路跡が浮かび上がってきて面白いです









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梯子開渠が再開していました。
この辺り朝霞市のクリーンセンターが隣接しており、空き缶が一斉に回収される音が鳴り響いています。









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葉も花もない時期だから様子が良く見えました・・・





























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地上部分は等間隔に杭が打たれて、更なる工事を待っているかのよう。





























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新河岸川の堤防沿いの水門のような施設を経て、新河岸川と合わさります。













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流路が地中に伏せられた区間を航空写真で確認すると、和光富士見バイパスの計画地がひたひたと
背後に迫っていました。やはり。




黄色いラインより南、新盛橋信号以南は既開通区間となっています。



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冒頭の地図に、大まかな道路計画予定地を書き込むと(正確ではありません)
蛇行跡を狙い撃ちにしたような軌跡が・・・















久保純子先生が、1966年のこの地域の地図を読図され、「・・・新河岸川沿いには、蛇行する旧河道があちこちに残され、竹藪や水田と錯綜している。」と書かれています。

前に記事にした、釣堀として残っている「ひのつめ園」の他、下流にも旧河道を利用した「朝霞ガーデン」という大きな釣堀があります。(ここはまだ行っていないので、今年中に行きたいなあ・・・)



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新盛橋の信号付近から見えた残土のお山。先程の流路が地中に伏せられた工事をしていた箇所の反対側にあたります


















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上内間木の変則的な差路に、小さな屋根に守られて佇む庚申塔とお地蔵様。
古くからの道らしく、すぐ近くには神社や阿弥陀堂があります









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お地蔵様たちと同じ場所(道に挟まれた三角地帯)にやぐらがそびえていました








































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本格的な鐘も付いています。非常時には鳴らすことがあるのでしょうか














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沿道にて、イラストが描かれたブロック塀が印象的な作業場が目に飛び込んできました














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二人の対照的な表情が、見る者の想像力を掻き立てます。
まずもってひげ濃い目の親方風の人物に目が行きますね。

ちょっと能天気な感じの部下の仕事ぶりに不満気な表情・・・?
描かれた背景に思いを馳せます


可愛らしいブロック塀で、一目で気に入ってしまいました。




そして最後にもう一度。

胸が痛まないか。

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潜伏中
昔の流れを忘れた訳ではないのだ・・・


















二か月以上経ってしまいましたが、現地の状況はどうなっているのか気がかりです
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# by onnbubatta | 2014-04-21 12:28 | 新河岸川 | Comments(2)

花見川(千葉)の梵天

埼玉の志木近辺の低地をふらふらしている最中ですが、春の季節要素が色濃い記事を一点綴りたいと
思います。

今は足が遠のいてしまったものの、子供の頃の記憶では千葉方面の事は季節の風物詩として思い出されます。

春先に、花見川付近の柏井からもたらされる竹の子。
夏の稲毛海浜公園プール。この世にこんなに楽しい場所があったのかと。まさに楽園ですね。



ふと思い立って花見川辺りを流れてきました。

ところで梵天(ボンデン)とは何か。このことに初めて触れたのは、足立区の暗渠を彷徨っていた頃、
「足立ブックレット」という地域資料に「足立区のボンデン祭り」が紹介されていたのです。

「梵天」は五色の色紙で幣束を作り、集落の厄災除けを祈願するもので、出羽三山信仰と深く結びつく
行事だとされているようです。


京成八千代台から東へ歩いたのですが

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それほど歩かないうちに見事に顕著な谷地形に遭遇しました。
対岸然とした連続した樹林も相まって、「もう花見川に着いちゃったの!?」と一瞬当惑しました。
歩道橋の辺りが谷底で、ちょうど八千代市と千葉市の市境。
















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しかし道路を挟んでどちらの側にも水やら暗渠の気配無し。こんなに立派な谷なのに・・・

ここについては後々追うことになります。初めての千葉暗渠になるか?

しかしここの歩道橋の錆びぶりは目を見張るものあり。



花見川に至るまでの道、途中からは人が歩いていなくて、形ばかりの歩道というか・・・
垂れ下がってくる竹の葉を手で持ち上げつつ通行した場所もあります。

この辺りは竹藪が多くて、歩道にも竹の地下茎?が越境して各所で盛り上がり、コケそうになりました。
とにかく竹の持つ力に改めて圧倒されます。

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花見川に架かる「柏井橋」。これ架け替え工事中?

花見川を目指してきたはずが、橋のそばには「印旛放水路」名乗りの看板がありました。
訳が有りそうです。





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はじめましての花見川、この地点では渓谷状に見えます。
遠くから見ると、昔の船と船頭さんの姿みたい・・・


























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写真中央付近、川岸に小流が注いでいる箇所にたんぽぽのようなものが見えています。
梵天(ボンデン)を見つけました!






















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川岸で何かを待っているかのような姿。






























千葉県は出羽三山信仰が盛んな地域なのだそうです。
千葉中央博物館のサイトで、出羽三山信仰に関する写真が紹介されており、その中に
おそらくこの場所にボンデンを設置しているであろう様子の写真が掲載されていました。
これはボンデンの中でも「白梵天」と呼ばれるもの。

各地域の梵天の写真や習慣が紹介されていて、どれも美しいものです。
「梵天にみる房総の出羽三山信仰」 で検索するとご覧になれるかと思います。


山に対する信仰・・・で川岸に梵天=神様の依り代、を立てるのが興味深いところです。



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こちらが、集落の入口に立て掛けるという「色梵天」でしょうか。
足元には先代のボンデンが横たわっていました。
里のような静かな集落の中にひときわ映える五色のボンデン。






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木板の塀が印象的で、とても静かな里のような雰囲気の土地でした















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道路わきの、土が露出している箇所に在ったもの。
近づいたのですが、何が刻まれているのかは判りませんでした。
























そして前述の柏井橋の傍にある看板。花見川ではなく印旛放水路と脇に示されていて、
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拡声器=アナウンス
右記=つぎ
危険=あぶない

ふりがなというか読ませ方にうなるものあり。










花見川ビギナーということもあり、まだまだ研究途上。説明はアウトラインにとどまりますが
現状は印旛沼から東京湾まで一本に続いているように見える水路、往古は平戸川と花見川という
別々の川だったものを、分水界を開削する難工事を繰り返した末につなげたものだそうです。
(「あばれ沼の蛇と食」より。)
流域に点在する共同墓地には、印旛沼掘割普請に関わって命を落とした人が埋葬されているとの事。

柏井橋の近隣にも共同墓地がありましたが、近年2m程の白蛇さんが見つかった事で話題になったそうです。


河川管理上は大和田排水機場から東京湾までを花見川と呼ぶそうですが
元々の花見川は犢橋町辺りを水源とする自然河川。今では花見川の支流として位置づけられる「犢橋川」
が花見川の本流であったようで、「首都圏大地震揺れやすさマップ」でも、
「谷底平野の発達度合からして、こちらが(犢橋川)が花見川の本流であったと考えられる」との記載がありました。


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「神場公園」付近の細い流れが現・犢橋川。

古地図(今昔マップ等)で見ると「さつきが丘団地」の場所に四本くらい連続して谷津がぶら下がっているのが圧巻です。













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犢橋川の水路を地図上で辿っていくと、丁度千葉北インターの辺りに調整池のようなものがあるのですが、その付近が源流なのでしょうか。

たまたま「千葉県の謎」みたいな本を読んでいましたら、マツコDX(この略でいいのかしらとふと)さんが
犢橋高校のご出身だそうです。マツコさんもこの川沿いを歩いていたりしたのでしょうか。
・・・にしても、犢橋の犢の字、難しく面白いですね。



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柏井橋の下が「花見川サイクリングロード」になっていて、白梵天を見るために降りてみましたら
橋裏に先程と同じような看板が設置されていました。











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こちらが、その警報器でしょうか。
早押しクイズのボタンのように見えます



























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地図を見ると、花見川を臨む丘の上に水神社があるようなので、寄って帰ります。

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フリースの毛布を掛けてもらっている神様?仏様?















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凄く気になる。プリントの背後に、続きが書かれていたのかいないのか。

プリントが先か落書きが先か。

思わぬ場所に問いが存在しました。








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冒頭で登場した顕著な谷。
「芦太川」という、花見川の支流高津川のそのまた支流の刻んだものでした。
全区間ではありませんが辿りましたので、また追ってご紹介できればと思います。


















ここにきて、川観点で千葉を歩いてみようという気持ちが急速に高まってきている今日この頃です。

ちなみに、足立区のボンデン祭りは毎年4月8日に執り行われるそうです。

そういえば、昔の大河ドラマ「独眼流政宗」で幼き日の政宗の名前が梵天丸だったなあ・・・なんて思い出しました。「梵天丸もかくありたい」って名台詞ありましたね~
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# by onnbubatta | 2014-03-26 12:13 | 千葉 | Comments(0)

新河岸川旧流路遊歩~取り残されし蛇行を見に行く

三日月湖。それは誰しもがふと気になるところ。
あなたの心や記憶にも、今なお水を湛える三日月湖はありますか。。

各地の「暗渠」に光が当てられつつある昨今。
三日月湖旋風も巻き起こりそうな。



前回、志木市と朝霞市を行きつ戻りつする「野火止用水分流跡」をご紹介しましたが、

そもそも志木市に来たいと思ったのは、ふと地図を眺めていて

新河岸川左岸に展開する激しくも狂おしい蛇行の跡を一度見てみたい」と

強く思ったからなのです。

しかもその周辺では「和光富士見バイパス」道路事業が進行しつつある現状。


旧流路の蛇行は数か所ありますが、蛇行の際に位置する「下の宮氷川神社」にも興味があったので
志木市の宗岡第二中学辺りから歩き始めることに決めました。
(携帯で「宗岡」と入力すると「宗男か」と推測調になってしまう我が機種・・)

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流路の変遷を経て、市境界も入り組んでいます。
天狗の鼻のようなポイントも。

新河岸川の「九十九曲り」と呼ばれる蛇行。蛇行している事で流れが緩慢になり水深も確保できて、舟運には都合が良かったそうです。










でもそうなると水害の危険性も当然増しますが
この地域の歴史資料を拝見していると、
「川は氾濫するもの」
という前提で、村を囲う堤防や、水塚を作って備えたり。

また、もう一方の大河である荒川が氾濫すると、「えぐみ」と呼ばれる肥えた土が入るため、宗岡では大変美味しいお米が出来たとの事。

川は自由に流れさせる。

達観しているような、深い深い言葉です。


志木市の低地エリア、こちら側が「志木市探索」にはまった原動力となる魅惑のエリア。

「ゲール(蛙)のションベンでも水が出る」(蛙の小便ほどの雨量でも水害になる)と云われた志木・朝霞低地エリアを歩いて行きます。


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武蔵野線「北朝霞」駅で下車してバスに乗り、宮戸橋で降ります。
余り歴史的な下調べはせず、体当たりで。

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とぼとぼ歩いていると、土手のような形状の路に出て、そこには釣堀の看板が。
「つりぼり ひのつめ園」











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離れた場所からの撮影


















しゃもじのような形の先が市境界を成す旧流路。
その上辺が釣堀として残されていました。

しゃもじの左辺に当たる旧流路(西側・宗岡三小と接する箇所)も釣堀でしたが、平成9年以降に埋め立てられて小学校の校庭敷地となったそうです。

しゃもじの中は朝霞市宮戸。ふるい地名では北井房中袋。

隣の気になる水面は「朝霞水路沈砂池」。
管轄の水資源機構の説明によると、「荒川」の秋ヶ瀬取水堰から取水した「利根川」の水を
ここへ導いて、東京の都市用水の供給・はたまた隅田川の浄化に使用するための施設です。

何だか不思議な説明・・・荒川の水面を使いながら、流れているのは利根川の水だなんて・・・


さて、つりぼりひのつめ園。ここの近くの別の場所にも「樋の詰」という地名があります。
以前、川口市で「芝樋ノ爪」という興味深い響きの地名に出会ってからずっと気になっていました。
用水の「樋」が勿論一番意味として通るのですが、樋、はたたら製鉄関連の地名として伝わる地方もあるとか。川口には「金山」もあるし鋳物とつながる可能性もあるのかな、と推測していました。

当地域における「樋の詰」の解釈として、「郷土志木の地名」に依拠するに、

「いろは樋によって宗岡に注がれた野火止用水が、中宗岡を経て中堤(※現在消滅)
へと流入し、その末尾は新河岸川に落ち込む訳だが、この地はその寸前の灌漑地であり、最も樋の詰(尽きるところ)にあることから、この名が生じたと・・・

ツメ、は先端の意。また市内で見られる資料に日詰、樋爪などの文字も見られるが、日が詰まる→月末の
意であり、廿九日(ひづめ)、つまり毎月二十九日に定期市を開く土地にこの名が多いようである。

また「ひずめ」で馬に関係のある地名とも考えられる。(隣接する地域の内間木=内牧との関連)」


「中堤」や「樋詰」については後々また登場します。

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冒頭で「土手のような路」と書いたのですが
その後調べてみたら、「新田場堤」と呼ばれ、村一帯を水害から守る輪中のような堤防の一環で
江戸時代に築かれたものだそうです。




すぐ上の地図では、真ん中より少し上に横断する道。荒川の土手まで弧を描くように続いています。
この道を歩いてほどなくして、

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建設中のバイパスが堤を斜めに横断していました。
ここは工事事業の「モデル区間」とされている箇所。












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赤いアイコンの辺り。
斜めに道路計画があり、用地が確保されている区間がある事がわかります。





和光富士見バイパスは川越街道(254号線)の混雑解消の為に昭和50年代に計画され、
当初は二層式の合計8車線の予定だったものの、その後の経済社会情勢を勘案して
2008年に新たに平面4車線の構造を採用したとの事。
(見直し理由の一つとして、宗岡地区の地盤が軟弱であり地下水位が高い事、流域下水道管の本管等大規模埋設施設の存在が判明した、との資料有。。最初から判りそうな気も・・)



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ピンクのマル囲み区間までが既に開通していて(オレンジの道路)
その間の区間が現在工事中や収用中という事でいいのかな?















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予定ルートの別地点で見かけた反対看板。(おそらく計画改定以前)
立体構造の上段高架が自動車専用の4車線、下が国道4車線。
この絵柄のトーンもちょっとホラー入ってるかも・・・












この道路が整備される事で国道254号線川越街道の混雑が解消され、周辺の生活道路への
車両の流入を防ぐ事が可能になる等々。
それに関係あるのか、この辺りでは車に対するヘビーな「速度抑制物」が見られます。
これはその中の「狭さく」タイプ。近くの荒川沿いにはハンプと呼ばれる段差もあります。

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これとか。
エルグランドは一旦停止してから徐行して通過していきました。













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ああ・・・






























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????・・・!





















相当のダメージを受けています。







宗岡第二中の所まで歩いてくると、江戸時代の堤を歩いているわけで、真ん中(道路)は盛り上がって
両端は低くなっています。

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新田場堤。堤の両斜面に沿って木が植えられています。
右側が中学校。


























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あらあら・・・
ちょっとネグレクトされている感じ・・・
「応急処置」がいつしか「本処置」になってしまった感。


























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ミミズのようなポンプが突っ込まれていました。




























堤下の水路に、石造りの思わぬものを発見!

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「篭島門扉」。
石造りのアーチ型樋門として県内唯一のもの・・・
そんな水遺構に偶然出会うことが出来ました!感動。
「明治28年5月」と刻まれているそうです。字が刻まれているのはわかりました。

こちらは堤内側。


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旧堤防を挟んで、堤外側に当たる中学校入口にこんなお知らせが。













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覗いたけれど、残念ながら見えませんでした(泣)












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後で調べると、「堤外側の水位が上がると水圧で自動的に閉鎖する観音開きの門扉が設けられていましたが、現在はその前面に昇降式の扉(金属製)が取り付けられており著しく原型を損ねています」





河川の堤防には所々に水路(雨水・農業用水・生活排水・悪水)が貫通しており、これら堤内水を川へ流し出す働きをします。普段は開放され、川が増水した際は扉を閉めて逆流を防いでいます。

こうした「堤防内を貫通する構造物」はかつては圦または圦樋と呼ばれていましたが、近代に入り
門扉・樋門・樋管等の呼称も加わりました。(志木市の宗岡周辺ではあちこちで見られます。前回記事の
田子山樋管もその一つ)現代では樋門・樋管が一般的で、より大規模で堤防を切り、上部が開放されている
ものを水門と呼ぶそうです。

さて、新田場堤の北側の水路はいつしか蓋暗渠に変わっていました。

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土手に沿って植えられているのは桜?
また来てみたいなあ・・・




























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土手際に小さな祠と鳥居がありました。
場所は「新田治水広場」という小公園脇。













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ここを右に入っていくと、中学校に沿った水路も見えるし氷川神社にも行けるはず。














ちなみに・・・
左向きに天狗の鼻のように突出している市境界の箇所は水路跡の溝としては残っていましたが、
訪問時は水の流れは無し。奥が社有地に面しているので辿れません。
また周りは杭が立てられており、道路の収用地となっている様子でした。


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水路跡の境目がわかりにくいですが、現状このような感じ。
天狗の鼻の上下とも似たような状態です。
こんな近距離で蛇行するなんてもうどうにかしてるね。
























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すみません、話戻ります。紫アイコンの地点を入ったところです。
おお、うねるように中学校に沿う水路です。
ここも新河岸川の旧流路にあたるのかな・・・?
古地図の時期によって、微妙に流路が変わっているので正確な所はよくわかりませんが。





ある時期では、宗岡二中の敷地北辺をホールドするような形で川が巻いている地図も
ありました。

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川床の半分以上に土が堆積して草が生えています。





























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下の宮氷川神社の入口にあった四本の柱のようなもの。
その全てに長方形の穴が開いています。









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珍しい「北面の神社」との事。
宗岡は、上から下へ向かって村が開けていき、観応二年(1351年)に鎮守も上から下へ分祀され創建されたのがここ下の宮氷川神社。
上の氷川神社に対して「下の宮」と云われる由縁で、当社が北を向いているのは上の氷川神社を向いているのであり、このような配置からは、向かい合った神社の恩恵を受けて村内が守られるという、当時の人々の願いが感じられるそうです。


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一堂に会す水の神様。
水天宮は確認していませんが、他の水神様は背面に天保・明治・嘉永期の銘が刻まれています。










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神社の背後、写真左奥の道なきところの行きつく先に地図では池のような水溜まりが見て取れるのですが
手前が山のように盛り上がっていることもあり確認できません。




googleの航空写真でも水面には見えなかったので、通常は水が無く、雨の時にできる池なのでしょうか。

その池のような沼のような地点も、バイパス用地にかかっているようですが(朝霞市に属する)
現状歩いた範囲では明確な変化は確認できませんでした

そして先程の石の柱には「昭和拾年」の銘がありました。


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あれあれ、護岸に何か引っ掛かってるよ!?














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まさかの・・・
大八車!?

収納場所なのか、「見せるインテリア」か、微妙な均衡で滑落しかかっているのが寸止めされている状況なのか。憶測が広がります。



そもそも学校の備品なのかどうかも。
技術家庭の時間に皆で力を合わせて作成した大作とか!?・・・
大八車、若い方はご存知ないかも。。。?


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いても何ら不思議ではありません。
ぐらいの境地に至ってきました。












新田場堤に戻って、東の方へ歩いて行きます。











↓そして次に堤防上で見かけたのがこれです。最初は通り過ぎたのですが、気になって引き返しました。
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竹藪の脇にハンドルみたいなものが。
水門かな?





























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これは、先程見た、篭島門扉のような施設では?と思い、堤防を挟んで反対側(堤内側)を見ると。。

こんな場所で煉瓦造りの歴史的遺構を目にするとは思ってもみませんでした。
(静かな農村、という感じでしたし)

「明治33年6月」の銘が見えます(写真では判りづらいかも)

残念なことに、現役で稼働しているものではないようで、ごみ袋(かな?)が堆積しています。


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ハンドルの真下は畑地になっていて、遺構の姿も確認しづらくなっていました。

明治時代の煉瓦造り樋門遺構がこういった現況・・・






こちらの遺構についても調べてみました。
名称は、「新田圦樋」。ハンドル操作による上下昇降式門扉が設置されているとの事。
ハンドルは新しいものに見えたから、もしかして動かす時もあるのかな?と淡い期待。

場所は篭島門扉の東300m程の新田場堤。

ここからは内間木通りという古くからある道を南下するのですが、付近には残土の処理場のような施設が
多く大型トラックが頻繁に行き交い、人の歩く所ではないかも、というのが正直な感想。
土埃も凄くてマスクが必要です。


一気にご紹介しようと考えていましたが、画像量が多くなり全体の分量もきつくなってきたので
次回に続きます・・・
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# by onnbubatta | 2014-03-13 17:05 | 新河岸川 | Comments(0)

慶応志木高校北側から始まる野火止用水分流(浜崎流末)の蓋暗渠(ヒューム管露出地点有)

慶応志木高校の北側から、谷戸地形を利用されて流されていた
野火止用水分流跡暗渠(浜崎流末~名称は「郷土の地名」の地図ページに拠りました)を歩いてきました。

暗渠の好きな方なら必ずハマるであろうエレメンツが充満していました。
ここ数年の中では最も興奮した行程。

d0250051_13312727.jpgあ、ちょっと違う所に赤いフラッグ立っちゃった。
慶応高校左上の箇所がスタート地点です。






















d0250051_1693841.jpg慶応志木高校から新河岸川にかけて切り込まれる谷戸を利用して、野火止用水が通っていました。
野火止用水は玉川上水から、飲み水にさえ事欠いたといわれる当地へいくつかの分流を経てはるばる引いてきた水。





「貯水池」は後程、かなり後の方で目印として登場します。



慶応志木高校敷地内にもこの野火止用水分流が素掘りの水路の形で残されているとの事。中に入って見学したかったです。(どう見ても慶応の保護者には見えないと自覚)
塀に沿って歩いて行きましたが、敷地の広大なこと。武蔵野の森の面影を今に伝える貴重な空間という印象を受けました。
ちらっと騎馬像みたいなのが見えて「誰かしら?」と気になったのですが
帰って調べてみると「牧童像」でした。更に沿革として、慶應義塾獣医畜産学校・慶応義塾農業高校を経て
今に至っていることを知りました。納得。


慶応志木高校の高翔寮・友隣寮・跡地に建つマンション脇の緑地「慶応ふれあいの森」から
歩いて行きます。「慶応高校前」バス停至近。

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右方向が高くなっていて、たぬきが生息していた事から「大原ぽんぽこ緑地」と名付けられています。
左側は更に低く谷戸地形になっており、元々あった谷戸を利用して水を引いていたのでしょう。
古い地図で確認すると「宮戸境久保」と呼ばれる朝霞・志木の市境を成す谷戸になっており、
現在でも「谷津地児童公園」等としてその名を残しています。






↑舗装してあるけれど、山の土が流れてきちゃったのかな。



d0250051_1628281.jpg橋跡を連想させる



































d0250051_1603536.jpg道路と最初に交差する地点で、今まで歩いてきた水路跡を振り返ったところ。(北・上流を向いて。)
コンクリート造りの四角い構造物の上に、微妙に盛り上がったマンホールが乗っかっています。
水を想起させる構築物。


















次の交差部までは通常の側溝のようなさらっとした蓋が展開します。
それに続いて表れるのがこんなタイプの遺構。
d0250051_1624527.jpg片側コンクリート蓋に縁石が沿っていきます。
色々途切れがちな意匠も味のうち。


























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続く交差部にて、我らを導く芳香が。
コンクリート敷石に鎮座するマンホールが、座布団に座っている遣り手婆さんの如く。
そしてその奥にある水路を明示しているのです。



















d0250051_1675027.jpg魅惑の小蓋の始まり。はあはあ。
ちょっと息も絶え絶え。倒れそうになります。
わかっているくせに。。とつぶやいてみたくなります。


















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蓋の上を歩くとかぽかぽと音が響きます・・・
なので脇の土の方を歩いてみたり




























d0250051_16124572.jpg少し歩き進めると、左側(西側)との間が再び明瞭になってきます。
前述のように、元々あった谷戸を利用しているのですが
水路は一段高い所を通っているらしいのです。



これが私を惑わせるもので、初めて来たときは新河岸川への落ち口、つまり下流から
遡上したのですがそのまま谷戸の底を歩き通してしまい、この野火止用水分流跡には出会えませんでした。










d0250051_16151583.jpg民家の車庫部分が張り出している箇所に差し掛かり、一区間蓋暗渠が途切れて
階段を降りることになります。
これは上流側を振り返ったところ。






















d0250051_16173645.jpg数メートル民家の車庫部分を歩いて、短い階段を昇り再び中腹の用水路跡に戻ります。
素敵な保育園ライフが約束されているんだろうな。
























d0250051_16222191.jpg上流側を向いて。
この辺りから崖側の管が目立ってきます。
右側の蓋脇には護岸のような構造物も。




























d0250051_16231231.jpg護岸?カーブのついた外枠の名残のようなものも恰好いい・・・
次から次へと変化があり、歩いていて気分が高揚してきます。

























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千手観音がくねくね踊っていました。





































d0250051_16265615.jpg先程の階段以来、久方ぶりの外部と連絡地点。
崖上に通じているのは多分この地点のみ。
ここでは崖下にも降りる事が可能です。

此処から先は、隔絶された水路跡を究めていく感じ。
修行僧の心境に至ってます・・・

この階段地点を境に、蓋脇の状況が土→石混じりの土、と
変わっていきます。










d0250051_17132062.jpg砂利砂利している中、周囲は家々のベランダが向いて裏手感が漂ってきますので
真っ直ぐ真っ直ぐ早足で進みます。
























d0250051_17153838.jpg犬とか連れて歩いたら怪しくないのかも。犬欲しい・・・
でもここはれっきとした野火止用水分流跡!歴史散歩しているんだ~
























d0250051_17193257.jpg艶めかしい屈曲の凹み部分には、崖にひっつく「サルノコシカケ」のような構造物(自然物?)とグリーンの桶。


























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d0250051_17301912.jpg継ぎ目の蓋、交換してありました。
真ん中に挟まれし新入り、いつしか両隣のようなグレーに染まっていくのでしょう
























d0250051_145942100.jpg曲線美をとくと堪能。
ここの駐車場、ずっと残っていてほしい。






「崖下にはやはり駐車場だよね」。と独りつぶやきたくなる。



d0250051_1445353.jpg再び、蓋に沿う外枠が姿を表してきました。
飽きさせないなあ。

こういう細かい造りの観察が楽しくて、歩き疲れを一切感じません。
脳内から麻酔みたいなのが放出されているのかも。

ハイテンションで進んでいきます。














d0250051_17363890.jpg擁壁やや崩壊箇所































d0250051_14464438.jpg崖下が駐車場なので、視界が開けている場所。
中でもこの場所は日も当たるのか、植物が生えています。

現在地水路敷きながら、擁壁が白に変わると、地中海の島のような明るい雰囲気が漂ってきます。

















d0250051_16185771.jpgこの箇所は航空写真から見てもうっとりするうねり具合。
竜やら蛇やらが優美に、自在にしなっているみたいですね。
画像がちょうど雪化粧していて、カーブが引き立ちます。






d0250051_1554434.jpg壁面から管が斜めに差し込んでくる地点。
蓋と土との境目が曖昧になって埋もれかけています。


























d0250051_1511042.jpg擁壁壁面が幾何学模様になり、接地面には崩れかけの枡のような構造物がありました。
蓋もやや乱れ気味に連続しています。
そして、写真でもわかりますが蓋脇が未舗装→舗装面へと一瞬切り替わります。
(ここも境目は曖昧。)















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先程までは水路敷きより一段低い場所に貼り付くように駐車場が伸びていたのですが
この辺りから戸建街になり、谷戸に面しては貯水池も見られます。

この先が、この暗渠のクライマックスとなっていきます。
突如としてヒューム管が露出している!

d0250051_15232598.jpg蓋がいきなりコンクリート製のヒューム管へと変貌したのです。
行きつく先には四角い排水溝が待ち受けて。
起承転結のまさに「転」。
聞いてないよ!






















d0250051_15274892.jpg冷めやらぬ興奮をなんとか抑えて排水溝までくると、これまでにはほぼ感じなかった勾配ぶり!
ヒューム管ごと急坂を下るとは。(僅かな区間ですが)























d0250051_15354368.jpgほぼ平らに置かれたヒューム管と斜面に置かれたヒューム管が、排水溝で中継しあっているさま。



























d0250051_15385275.jpgヒューム管上部の継ぎ目観察に浸ります。

ここまで斜面の中腹をほぼ平坦に歩いてきたのに
最後にこんな形で高低差を体感するとは。























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ヒューム管を過ぎると、蓋暗渠に戻って両側には家々が建ち並びます。
上流側を向いて撮影。緩い傾斜の暗渠風景になります。

ここは日当たり良くて明るい。























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更に下って、再び上流側を振り返った所。ここまでくると完全に平坦な低地で
ゴール間近。大分長くなりましたがもう少しお付き合い下さい。






















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ここで二手に分かれていました。右が下流方向。
初回訪れた時はこのT字路のTを進んで遡上してしまいました。
そうすると谷戸の底だからなのですが・・・





















d0250051_1534598.jpg上流側に続くこの蓋暗渠を辿ると、






























d0250051_1534880.jpg路面がコンクリート蓋から、インターロッキングブロックに変わって、先程話題にした貯水池の所に出てきます。
ここで蓋暗渠は終焉。(始まりでもあるけれど)
ちょっとした緑道のようなスペースとなっています。





緑アイコンが分かれ道のT字路、赤アイコンが貯水池。
地図右方向が下流で、右下のうねっている道がずっと辿ってきた(ヒューム管などがある)水路敷。



引き返して、新河岸川の合流点まで歩いて行きましょう。

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ボートが立てかけられていました。
暗渠が好きなのは、本体もそうだけど、傍らのこういう無造作感。
前後の文脈を超越した唐突感。








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公園の遊具のようにタイヤが縦に並ぶ。
現代の護岸よろしくと言わんばかりに。
ここは今回の暗渠道で一番広い空間。
























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蓋暗渠は、しばらくハイスピードで屈曲を繰り返して行き
ちょっとした混沌空間に差し掛かります。


























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蓋の上にフリルのような影が連続して落ちていますが、
なぜか脇に洗濯槽(鉢として転用されている)が陳列されていた事によるものでした。


























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ようやくゴール地点です。
突き当たった先は富士道という古い道?
富士道はここから登り坂になるのですが、ちょうど登りはじめに焼き団子屋さんがあって
旅の始まり感が盛り上がります。
峠の力餅みたいな。

















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マンホールだらけ。
原子核のモデルを思い出します。














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田子山樋管という施設に接続されて、新河岸川への落ち口となります。
さらに新河岸川を樋管で横断して渡っていた箇所(市役所の方)もあるのですが、ここは違うかな?
対岸にちょうど水門も見えますが・・・







玉川上水の水がここまで届いているって・・・
私は玉川上水の取水口から歩いたわけではありませんが、改めて昔の人が築いた大いなる遺産を
目の当たりにし、足裏で感じ取り、感動に震えそうになりました。


d0250051_1714972.jpg谷戸の縁にあたる部分(雪が残っている南側斜面・崖の中腹のような箇所)に用水が流されています。
谷戸の中央辺りの市境線付近が谷戸自体の底であり、現在は道路になっています。



ちょっとこの点で惑わされたりして、翻弄されたファムファタルのよな小悪魔暗渠でした。


・・・余談ですが、慶應義塾獣医畜産学校、ルーツは神奈川の蟹ヶ谷だとか。
蟹ヶ谷行ってみたかったので、このご縁で歩いてみようかな・・・とそわそわ。


当分の間、この辺りを彷徨う事になります。



~~~追記:初回訪問時は前日の雪で別世界でした

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# by onnbubatta | 2014-02-28 17:19 | 新河岸川


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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