人気ブログランキング | 話題のタグを見る

比丘尼と橋跡

2月は逃げる。
江戸川区の途中ですが、一件練馬区を挟みますね。



3年ぶりくらいに練馬区の「比丘尼」交差点の辺りに来ました。



「びくに児童遊園」という無機質な公園に入ってみたら、橋跡のような石材に気が付いたのです。

練馬区で新規に「橋跡」を見つける事はないと思っていたので衝撃を受けました。
そもそも公園に来る人で、これに気づいている人はどれだけいるのか…


比丘尼と橋跡_d0250051_21090522.jpg


光の具合で全ては判読できないですが、「大正〇年~~~」と読めます




比丘尼と橋跡_d0250051_21090397.jpg

「新栄橋」のように読めます



比丘尼と橋跡_d0250051_21090574.jpg

なぜこの場所に置かれているのでしょう。
少し検索しましたがよく分かりませんでした。

そもそも「新栄橋」ではないのか?

立地的に白子川の橋かと思ったのですが、、、

どこかに「栄橋」があってそのNEW VERSION?

この橋がここに置かれた/移された経緯、関わった人のお話を聞きたいです。




この辺りに来ると「八の釜」を思い出して胸がきゅっとなります。






比丘尼と橋跡_d0250051_21090482.jpg


そして、広大な更地。こんなとこに更地あったかな?

建築計画のお知らせ看板があり、オーケーが建つようです。
オーケーさんバンバン出店しますね。


更地の真ん中に色鮮やかな物体があり、よく見ると、機関車トーマスが置かれていました




比丘尼と橋跡_d0250051_21090417.jpg



あんた・・・ひょっとして比丘尼???




比丘尼と橋跡_d0250051_21090448.jpg




比丘尼と橋跡_d0250051_21090528.jpg

出発進行~~~


ストリートビューを遡ったら、この広大な土地には樹々に囲まれた旧家があったようです。



比丘尼と橋跡_d0250051_21113585.jpg


3年前は不動明王を見に来たんでした。



比丘尼と橋跡_d0250051_21340281.jpg

改めて、こんなにパンチの効いた交差点名はなかなかお目に掛かれない。


全ては比丘尼のみぞ知る。

# by onnbubatta | 2024-02-27 21:44 | 白子川 | Comments(0)

「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池

前回に続いて、富田均さんの著書「私の愛した東京」(1984年)を改めて読み返しています。

その中に今まで読み飛ばしていた「老婆と鉄橋」という章があるのですが、この年になって内容が頭に入ってきました。

「…(中略)葛西の空隙にはたとえば藁葺き屋根があったり、江戸時代そのままに屋敷門があったり、宙に浮かんだ浦安橋があったり、更には足元に停滞する廃残の水面が浮かんだり、また江戸川端には巨大な物捨て場があらわれたり、近くから、遠くからと、一種独特の風景が奇襲してくる。異景の来襲である。」

「…(中略)畑地が散乱する葛西の「奥」は工場街である。狭い通りを盛んにトラックが素っ飛ぶ。両側は板やコンクリートの塀で逃げ場が全くない。板塀に寄り掛かるようにしてバス停がある。駅名は「雷」である。かみなりではおかしすぎるので、たぶんいかづちと読むのだろうが、妙な名前だ。白昼だが、誰もいない。大体、駅名からもうかなり歩いてきているのだが、人と出会わない。目立つのはとにかくトラックである。遠くから鳴らさなくてもいい警笛を鳴らして私の傍を通り抜けていく。」


「…(中略)工場街の一隅には江戸川に平行して左近川に連なる一流が横たわっている。流れているのではない。停滞しているのだ。

「私はこれまで東京一、二の汚染川として、大崎から南品川へかけての目黒川、築地界隈の少流、それから等々力渓谷の谷沢川の名を挙げてきたが、この葛西の左近川につながる小流を見た後では、すべてを取り消さざるを得なくなった。桁外れの汚れ方だ。一面緑のコケで覆われ、汚物も時代がかったのが多く、昨日今日の汚れ具合ではないのが一目で知れる。とうに死んでいるのだ。川幅は一間から二間程度だが、そういえば東京で最も手痛い仕打ちを受けたのはこの程度の川だ。ほとんどが埋め立てられ、またコンクリートの蓋で覆われた。残った葛西の小流は、死んだまま放置されている。もう埋めてやった方がいい。死んだものを白昼、太陽の下で晒すことは慎んだ方がいい。」

「しかし、問題は汚れ具合なのではない。埋めたところで何の解決にもならない。ただ人間は風景にも最低限の礼儀を持つべきだと言うのだ。問題は何か。葛西南のその川が、工場群の中にだたぽつんと横たわり、他のどの空間とも結ばれていない孤立性こそが一層問題なのだ。汚染はすべてこの事情からくる当然の帰結にすぎない。

川端には一軒の民家も無い。片側が工場の塀、もう一方の片側が通りで、しかも通りの側には丈高い雑草が密生していて、川面が殆ど見えない。一本の川が隠蔽されてしまっているのだ。知らない方がいいのかもしれない。陰には何年間も散髪しない男の頭が転がるように、水が転がっているばかりなのだ。

この川は江戸川(現在は旧江戸川と改称されているが、馬鹿馬鹿しいので江戸川で通す)の西、100mのところにあるのだが、100mの距離があまりに遠い。」(中略)
(下線部、こういった書きぶり、「昭和20年東京地図著者の西井さんに通じるところがすごくあると感じます)



著者が当時見た中で、「東京一の汚れぶり」を指摘された川はどこを指すのか、文中の


●江戸川に平行して左近川に連なる一流
●川幅は一間から二間程度
●この川は江戸川(現在は旧江戸川と改称されているが、馬鹿馬鹿しいので江戸川で通す)の西、100mのところにある

以上の点から、そしてここで引用はしていませんが著者がこのあと左近川水門橋に行き着いていることから、江戸川区東葛西の「雷川」と断定しました。

今までおそらく一度も訪れていない、その雷川の辺りを歩いてきました。古い地名は雷、長島。
2年ぶりくらいの江戸川区訪問です。




「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16195976.jpg

↑東京時層地図 昭和戦前期より



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16195922.jpg


↑東京時層地図 高度成長期前夜より


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18214681.jpg

東葛西4-51辺りから歩き始めます。
雷川の水路跡は植樹帯/歩道になっています。



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_17290601.png



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_17290763.png

取水口のような場所に差し掛かりました。
古い地図で調べると、横手橋の東側に「小屋前橋」、更に古い地図に「雷閘門」、
横手橋の西側に「雷圦」の表記が見られました。


雷川は雷閘門から取水され、南下し、農業用水として圦で分水され、左近川と併行してして流れた後、合流していました。



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194576.jpg



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194555.jpg

ピコリーノのある緑道と、


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194343.jpg




「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194392.jpg

水門のあったあたり。水路跡に付き物の公共施設がありました。

このあたりでぐきっと変なコケ方をしました。



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194427.jpg



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194452.jpg



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194446.jpg

ここで雷川の護岸のようなものを発見!スパっとした断面!



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194337.jpg


道路のような細長い敷地に消防訓練場がありました。



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18194347.jpg

ゴロピカドン???
「いかづち」じゃなくてどうしても「かみなり」と読んでしまう



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18214716.jpg

「雷不動明王の道標」


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18214620.jpg

元々は新川の河口付近にあったものが、平成3年に倒壊したのでこちらに移されたとのこと。

道標だけど、その目的地に戻ってきたという事でしょうか。

そして「曳舟のとも網を掛けた跡」がどの部分なのかよくわかりませんでした。
(今江戸川区のサイトを確認したら、「本体角のへこみ」とのこと)



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18214628.jpg



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18214769.jpg

江戸川区では松をよく見る気がします。


冒頭の地図でもこの辺りには集落が続いているし、このように寺社もあり、旧い土地なのでしょう。

須賀さんという名字の方が多いのかな。
そういえば、仮面ライダーの俳優さんも江戸川区出身で「須賀」さんでした。

何だか歩いていると、「須」という文字がこの土地によく合っていると、ひしひしと思うのです


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205877.jpg


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205676.jpg



釣具屋さんのようですが



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205687.jpg


カフェみたいでした。


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205696.jpg


ミントグリーンのドアと、ステンドグラスが可愛い



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18214745.jpg



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18214794.jpg

琺瑯プレート⚡⚡


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205722.jpg

雷公園 いかずちこうえん

古い地図で確認すると、「雷排水機場」があった場所


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205790.jpg


雷川の護岸?をまた発見!






そして、今回こちらの方面に来るにあたって事前にグーグルマップを眺めていた際に気になったこちらの池、
「新井鉄工所」の敷地にあります


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16272588.png


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16280972.png


この辺りまでは雷川沿いに民家が建っていましたが、この先はかつての大工場街。

富田氏の見た「東京一の汚染川」はこの先を指していたと思われます。

古い地図を確認すると、この辺りに「新井橋」、ここから少し南側の雷川に「雷橋」が掛かっていました。

この辺りから南は更に交通量が多かったです。(富田氏の見た風景と似ているかもしれませんが要因は違うのかも)

そしてこの池がある敷地一帯は再開発予定地です。



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16272727.png

昭和22年の地図でも確認できます
(左側の方の池は現存せず)



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16272831.png

昭和38年


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16272580.png


昭和44-45年
新井鉄工所の敷地と、隣地の「日本ロール製造」にも池があります



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16272851.png

昭和59年


グーグルマップではまだ確認出来ましたが、現在新井鉄工所の敷地は南側から物流施設の建設中。
池のある北側もいつまで残るか分かりません。
北側は再開発までの間、暫定利用賃貸されています。
開発待ちの状態です。


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205726.jpg

丸い形の池はかろうじて残されていました。
もうなくなっているかもしれないと思っていたけれど、確認できて良かったです。

数少ない、残された水面を見るとその来歴が気になって仕方ない性分。

大河の目の前の池。



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_18205821.jpg


広大な敷地のうち南側敷地は既に物流施設の建設中でした。

いま、物流施設がアツいですね。


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16272651.png

このあと、最後に確認できた橋の名前はなんと「辨天橋」

左側の事業所と続いたような形で映っている白い橋です。

どうして辯天橋なのか、とても気になっています。
(橋は現存せず)


「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_16272707.png

その先は、富田氏も辿り着いた「左近川水門橋」となります。その更に先にゴミの不法投棄場を見たと文中にもありました。
(葛西の海岸堤防の記事を書いた時に読んだ資料にも、不法投棄の事が書かれていた記憶があります。)


雷川の西側、広大な日本ロール製造はまだ同地にありますが、敷地の大半がアリオ、スーパー銭湯、インドのインターナショナルスクール等になっています。
ヨーカドーは賃貸、スーパー銭湯も関連会社が賃貸しているようです。


今回雷川の事を調べるにあたって、たまたま「どぶ川学級」という書籍を手に取りました。
川の事があまり記されている内容では無かったですが、「ドレイ工場」という映画のモデルがここの工場であると初めて知りました。
(驚くべきタイトル)


そう言えば、江戸川区に住んでいた時、落雷による停電が2回くらいありました。(それ以前にもそれ以後にもそのような事は起こりませんでした)
なので今回「雷」という土地にふらっとやってきても、スッと入っていけたような。



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_15362245.jpg



「廃残の川」 江戸川区 雷川暗渠歩きと新井鉄工所の池_d0250051_15314986.jpg


これは5-6年前に一之江に来た時に見掛けた「大雷神」
ステンレス会社にいきなり大雷神の看板が掛かっていて度肝を抜かれました。







次回も江戸川区続きます。





# by onnbubatta | 2024-02-07 21:47 | 江戸川区 | Comments(2)

若木の谷間 蓮根川源流歩き

若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_17042682.png

今年も宜しくお願い致します。
昨年度2023年は一本も記事を書けなかったにも関わらず、ブログイイネ等でお支え下さり感謝申し上げます。

板橋区若木辺りはその急峻かつ狭隘な地形に惹きつけられ、自分のセカンド原点(?相反?)的な位置づけで、ブログを始めた2011年頃には何度か取り上げたり取り付かれたように歩いたりしたものの、
その後側面的にかすって歩いたくらいで、あまり踏み込んでいませんでした。

昔のブログにも書きましたが、この辺りの地形について言及されている富田均さんの著書がきっかけだったと記憶しています。
(あとでもう一度この本の記載内容に触れます)

蓮根川の源流付近は環八の開通により地形が分断されていたり、また枝葉のように分かれていますが、
今回は源流付近のひとつが1950年代後半の地図に残っており(冒頭の地図です)、描画に感性を刺激されこちらを足掛かりに短時間歩いてみました。



こちらの流れが最後まで残っていたのかな…?(あくまで地図上での読み取りですが)


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16204179.jpg



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16204011.jpg



澱む物置



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16204121.jpg
5連星


ここから環八を横断して本流の方に入っていきます。
標高差20m近くある、こちらも深い谷です。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16200903.jpg

 新しいお家も随分増えた印象があります



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16215941.jpg


「農水省所管」の立て札は相変わらずですが、こちらも擁壁の反対側は新しいお家が建ち、雰囲気が変わりました。
古い地図と照らし合わせてみると、ここの辺りが志村西台町と志村中台町の境に当たる、蓮根川のまたひとつの谷筋だと思われます。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16210557.jpg

若木らしい傾斜、この管はどこから?
ダイナミックな流し方


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16220093.jpg

三条コーポは昔から変わらずありました。雅な響きです



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16220068.jpg


「川の流れのように」


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16220041.jpg

五枚の蓋(三枚のお札的に言う)

若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16220003.jpg


井戸?タンクかな



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16251245.jpg

三段階段。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16235900.jpg

階段に沿って新築物件が並んでいます




若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16251275.jpg


こんなところにも天理教の施設(天理教の建物って屋根とかお庭が特徴的だけどこちらはシンプルなタイプ)

辰年、そして水に関わりの深い龍ですね。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16251244.jpg


存在感のある太い管。
再建築不可に思われる家々が連担としています



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16254358.jpg

こちらの直下型の管と排水路、何かの祭祀施設のように見えてしまいました。
ちょっと滝壺みたいだし。


正月明けから、腰痛というか仙骨痛?に悩まされており、骨盤ベルトを装着しながらの短時間お散歩でした。

痛みや、くさくさした利己的/打算的な気持ちを少しは川に流せたかな。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16254352.jpg


車から時々見えて気になっていたお店。
店名から想像すると沖縄風のお店かな?と思っていたけど、シーサーが載っているわけでは無かったです。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16254326.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16254335.jpg


冒頭で言及した富田均さんの著書内で、蓮根川の暗渠を河口側からこの辺りまで歩いてきた記録が綴られています。

読んだのは80年代後半か90年代初頭ですが、「若木ってどんなところなんだろう」とずっと想像していました。

「(中略)…相次いだ児童公園が途切れ、ふいに原っぱがあらわれる。そこはかつてあった水路がそのままのかたちで、むろんここでもコンクリートの蓋によって覆われてはいるが、細く蛇行してゆく。そのくねりながらゆく様を見て、誰もがたぶん、ここがかつて川だった事を思い出すことが出来るだろう。広々とした原っぱのなかを流れる水。350m先まで見渡されるのである。野球場を作れるほどの広さなのだが、何にも使われていない。旧川端にあるものといえば錆びついたドラム缶の山くらいで、あとはただ雑草が揺らめくばかりだ。
(中略)
旧水路の上をがたがたと音をさせながら350mを歩いていく。原っぱの途切れた向こうに小ぶりの家並みがあらわれる。水路はこんな家並みの中の若木3丁目16番のY字路で消える。Yの字の角に当たるところが坂で、その坂上、つまり崖上からの流水が一点で落ち合い、一条の紋様を描いて新河岸川へつながり、やがて隅田川へと向かうのだが、わたしのように河口から「水のない水景」を辿りながら水源を求めて歩いてきた者でないかぎり、そうした事情はなかなか読み取れないだろう。

私は大体、地形を見ただけで数十年前から数百年前までを読み取れるようになってきた。
(中略)
この若木のYの字の地形によって流れる水が私の生家の背を流れる隅田川を流れていく光景が私に浮かんでくることによって、もう私の町と若木とは兄弟姉妹のように結ばれたのだ。」


80年代の書籍なので、その前十年間くらいの事が書かれていると思われます(著者は尾久の出身)


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335281.jpg

分かりづらい写真になってしまったのですが、ここが若木3丁目16番のY字路です。


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_13481916.png
(矢印が撮影方向、突き当りは「キャニオン」を冠したマンション)


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_13481952.png

地図は1952-58年。この当時はまだここより上流にも水が流れていたように描かれています



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335280.jpg

本に詳細に記された地点に立ち、内容をなぞるように歩くと、河口から歩いてきた先人の背負ってきたもの、目にしただろう風景をひしひしと感じます。

何か、暗渠歩き(特にどっちかの起点付近からちゃんと歩いてきたケース)ってすごく背負うものというか、来し方を歩く人の中に取り込んでしまうんだよね。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335340.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335301.jpg

土嚢


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335346.jpg

土嚢の下にクリンカータイル



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335329.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_13570634.jpg

更地、階段、土嚢のある風景


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_13570535.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_13570541.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_13570646.jpg

水の音が絶えず聴こえていました。
人知れず水が湧いているのでしょうか。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_11405163.jpg

若木には蓮根川の支谷がいくつかありますが、ここも「始まり」感がびんびん漂ってくる場所です。

谷の一番凹んだところから、右(北)に流れていく。

ここはまた訪れたい。

うん、吸い込まれそう。


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_11405025.jpg

謎の器具とにゃんこ



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_11405184.jpg


余白の多い地域だから、にゃんこがいるのかな。

誰もいない不定形な小公園が連続していきます。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335394.jpg

久しぶりに若木の蓋暗渠に来たら、結構様子が変わっていました。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16335373.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_14084234.jpg

若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_14084231.jpg


アイコン的なパイロンや植物が一掃されて、衣装ケースの蓋みたいなのが置いてありました。
蓋に蓋。


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_14115398.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_14115538.jpg

7年前の写真でした。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_17042564.png

前谷津川鶴舞谷の記事↓↓でも書きましたが、蓮根川の源流と前谷津川支流(鶴舞谷)の谷頭って本当に近いですね
(こちらの記事は長文です)






谷にいる間、googlemapアプリのGPSピンがずっ~っとズレた位置指していました。

磁場が歪められていたのでしょうか?
スクショ撮っておけば良かった。

あと、谷から上がる途中、谷に肉豆腐の香りが漂っていたのが面白かったです。




この界隈の、環八の西側辺りの12年前くらいの写真を載せておきます。

若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_15230426.jpg



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_15212681.jpg



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_15203675.jpg



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_15203615.jpg



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_15203581.jpg


若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_15224622.jpg

こちらの工業地域のプレートも無くなりました。
最後の一枚がまだ残ってます。




おまけ

若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16254201.jpg



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16254268.jpg

帰りは辻ちゃんもお気に入りだというパン屋さんで、ハンバーガー用のバンズを買ってみました。
買うのは10数年ぶりかも。
ゴマ付ける前のパンならあるとのタイミングでした。



若木の谷間 蓮根川源流歩き_d0250051_16254384.jpg

サザンカの宿

椿によく似ているけど、サザンカは花びらがバラバラに落ちるのが椿と見分けられる点だという事です。


どうにもこうにも富田均さんの著書を読み返してまた気になる地点が出てきたので、次回も多分(全然違う場所だけど)。

# by onnbubatta | 2024-01-25 20:44 | 蓮根川 | Comments(0)

足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて

久しぶりのブログです。

こちらを訪れたのは2022の1月で、だいぶ日にちも経ってしまいました。

ブログの画像管理画面に画像をアップロードしたまま、今年は「どろどろ。」と時間ばかりが経ってしまい…
リハビリがてら綴ります。

2021年秋頃~足立区や江戸川区葛飾区といった低地を執念深く周っていた頃、調べ物をするために各区の中央図書館に詰めて住宅地図等の資料にあたっていました。

その際に目に留まったのが、足立区の旧家と思われる大きなお宅に、いくつか構え堀のような水路が描画されていて。
(※同区内、大規模な構え堀が残っている佐野家住宅の過去記事は文末にリンクを貼ります)

(そのうち一件:最初に確かめに行った場所は何年も前からチェックしていた場所でした)

事前にストリートビューで痕跡が残っていそうな場所をピックアップして現地を訪れました。



どきどきします…


足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212033.jpg


いい感じの緩い車止めだ!




足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212031.jpg


堀の北側にあたる場所。通りきれるでしょうか



足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212182.jpg


堀の曲がり角まで来たところで、ネットが張られる形での行き止まり



足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212161.jpg


仕方ないので、ぐるっとUターン。車止めを振り返って。


足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212045.jpg



反対側から見るとこのような形で続いていました(こちら側は接道していません)




足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20204793.jpg
古い住宅地図で見るとこのようになっていました。
門へのアプローチも長く、とても立派なお屋敷であることが見て取れます
(詳細な場所は記しません)

①遺構が感じられたのは今回はこちらだけでした。



足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20204750.jpg


②こちらは本当に三方を見事に囲まれていますが、現地確認したところ痕跡はありませんでした。




足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20204654.jpg
③こちらは冒頭にも言及した、「何年も前からチェックしていた場所」。

にょろりとした魅惑の堀。

二回も確かめに行ったのですが、完全に私有地内でわかりませんでした。


足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20204715.jpg


④こちらも魅惑的な形状の堀が描画されていますが、ストリートビューで確認した所、完全に改変されていたので現地にはいかずじまいでした



足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212006.jpg


井戸跡にコタツのテーブルみたいなのが載せられて鉢置き場に。
ほっこり「リアル井戸端会議」できそうな広場になっています


足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212002.jpg


地名の「青井」を伝えるもの




足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212146.jpg

三味線屋さんの特徴的なサイン



足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212190.jpg



金庫を製作している事業所の門扉






足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて_d0250051_20212168.jpg

マジ金庫でした


堀囲まれ物件の過去記事のリンクはこちらからどうぞ





浦和美園の記事↓









?ドラフト版みたいな感じで。


# by onnbubatta | 2022-11-25 21:16 | 足立区 | Comments(2)

綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春

久しぶりの神奈川記事です!(調べたら7年ぶりの神奈川記事でした、巻末にリンクあります)

綱島温泉の旅、4~5年前から実行したかったのですが、なかなか公私ともに機会がなく。
先日の「じゅん散歩」綱島の回を見ていたら、「新綱島駅」という聞いた事無い駅名が…

そこから一気に綱島にフォーカスしてしまい、短時間ですが訪れました。
地形等も特に詳細には把握しておらず、完全にビジター感覚です。

とは言え…、「綱島」の地名の由来を改めて調べてみると、洲の中の島中洲湿地に浮かぶ島津の島、と相当に濃い事がわかり、私らしいなとも思えてきました。
第一印象的には、綱が付くので武将系の伝承からかな?と思ってましたが…

(「島」地名や、かつて島のような地形だった場所に触れた主な過去記事を巻末にリンクしておきます)


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16472402.jpg


どんより。小雨が降っており、ちょっと画像が暗いです。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16493672.jpg


そう言えば以前、仕事で新横浜に来た際に、駅周辺を新線工事で掘っくり返していたのですが、それがここにつながる工事だったんですね・・。
何で綱島駅の至近距離に新駅を作るんでしょう…?



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16493691.jpg


最後まで営業していた「綱島温泉 東京園」跡地付近はトンネル工事が行われていました。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17060413.jpg




綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17061660.jpg



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17061516.jpg


2018年後半までは建物が確認できた「入船旅館」の写真等のパネル展示がありました。
こういうのありがたいです。
「入船旅館」、入口に帆船のタイル/木戸に綱島名産の桃🍑の彫り物があったようで、本当に見ておきたかった…遅かった、残念です。
きっと、再開発の話があるので閉業後も建物がそのまま残っていたんでしょうね。

新駅の工事は、綱島温泉郷を直撃する形になっています。
(綱島の温泉街は、鶴見川の北側と、川を渡った南側にも広がっていました)

綱島温泉については、過去住宅地図を調べられたりしてる方々が詳細な記事を書かれているので、ストレンジャーの私が書くのもあれですが、
自分なりの視点/資料で水の記憶を感じることが出来れば…と。

綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16501276.jpg


営業してる様子は見て取れませんが、旅館の建物が残っていました。

緑色の文字で描かれた割烹「まつ代」
ビジネス旅館と割烹を兼ねているのか…



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16501202.jpg



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16501261.jpg

蛇口から出ていたのは…果たして温泉だったのでしょうか。
水の名残。


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17001271.jpg

綱島街道から一歩入ると、里のような雰囲気がまだまだ残っています。
もう一軒、旅館の建物跡がありました。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17001165.jpg


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17001258.jpg


「旅館きよ水」看板の文字は消えていました。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16573536.jpg


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17001115.jpg

植木が綺麗に整えられています。


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17004705.jpg

雨が上がり、少しだけ日が差してきました


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_18202297.png


航空写真を確認すると、いくつかの離れで構成されていたようです。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16502909.jpg



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16502925.jpg


綱島に暗渠はあるのかしら…?と思いながら歩きつつ。
この辺りの綱島街道は街道の両側に台地が迫っており、切通になっているのでしょうか。
擁壁には塞いだような謎穴がありました。

綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16521624.jpg


山の上の方で、野生の藤が狂ったように咲き誇っていました。
鎮まれ、鎮まれ…ひとり鎮花祭。

山に群生して咲く藤、好きです。




綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16511199.jpg

綱島街道からまた一本入ると、「綱島弁天池」という小さな池があり、小鴨が泳いでいました。
「残された感」の漂う水面でした。


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16512489.jpg


池の隣地にはたんぽぽの綿毛が広がっていましたが、ここも家が建つようです。
どこまでが池だったのでしょうか??元の池の範囲が気になります。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16442115.jpg


最後にいっぱいまき散らして、思いっきりぶわ~っと飛んでいけ!!



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16513527.jpg


久しぶりに大好きなタイルの流しを発見!!





綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16515077.jpg


ここでも、藤が狂ったように咲いていました。
整った藤棚の藤も綺麗だけど、巻き付き巻き付き、狂ったように咲く藤に惹かれます。
わあわあと話しかけてくるような藤。





綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16494313.jpg


いい感じのベンチを見かけました。
最初見た時、「人を指差すなんて失礼なっ」と思いましたが、手前は人の顔でした。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_21130090.jpg


↑このカツラベンチ、見覚えあると思ったら、9年前に川崎で出会ってましたw
さっきの指差しマン、「背面に移動」したんですね。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_16573493.jpg


私の好きなネオンサイン!
ネオンサイン屋さんのネオンが好きなんですが、年々無くなっていて…
夜はどんな風に光るのかな~



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17030450.jpg



新綱島駅周辺工事のすぐ隣地には、綱島最後の桃農園が残っていました。
明治後期から昭和初期にかけて一帯は「西の岡山、東の綱島」と呼ばれたほどの桃の一大生産地だったそうです。




綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17025767.jpg

五箇条の「条件」とは



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17023709.jpg

桃農園の間の、気持ちの良い道




綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17011769.jpg


こんなに間近で桃の樹を見られるなんて、感激です。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17012457.jpg

4月に入っていましたが、かろうじて桃の花を眺めることが出来ました!
希少種の「日月桃」のプレートがかかっている樹もありました。
来年は此方に桃見に来られたら良いな…

先日の「アーモンドの花」に続いて、桃のお花見もできたことに感謝…
バラ科のお花見、心が躍ります。

敷地内には「日月桃」の記念碑や芭蕉の句碑もありました。

振り返り地図を眺めていたら、日吉にも「いちじく農園」があるのを発見。
イチジク大好きマンとしては大いに気になるところです
(10年前くらいに突如食べられるようになりました)


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17032201.jpg

街道、どうしちゃったの…


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_21092170.jpg

ここで色々と話し合われていたのでしょうか。

一旦、鶴見川の「大綱橋」を渡って、樽町側で温泉街の名残を感じに行きます。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17040279.jpg

大綱橋の橋際建物にあった「巨石」
温泉旅館の名残だったら良いなあ


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17040253.jpg


奇しくも、温泉旅館跡地に建つホテルの屋号が「FONTANA=泉」だ…!



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17042271.jpg


なんかこのホテルの電飾看板の支柱も



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17044057.jpg


私には温泉の「やぐら」に見えて仕方が無かったです♨♨



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17045892.jpg



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17044043.jpg


ちょっと興奮して、写真を乱発してしまいました。
気づきの重なりに…きゅんです。

建物の目の前が鶴見川の土手です。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17053711.jpg

そしてこちらが、大綱橋橋詰に建つ「霊泉ラヂウム湧出記念碑」♨♨
昭和初期に建てられた物で、近年の工事に伴い、元々綱島街道の旧道との分岐点にあったものがこちらに移されたそうです。
ただの温泉じゃなくて「霊泉」なんですね。


ここのすぐ近くのファミリーマート裏には、2018年後半まで温泉旅館「長楽館」の建物が遺されていたそうで…
先程も呟きましたが、本当に来るのが遅すぎました。

引き返して、橋をもう一度渡って綱島駅西側の温泉の名残を探し求めます。
跡地の大体はマンションやラブホテル等として利用されているとの事ですが…




綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17055212.jpg

ここにも巨石があると思ったら


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17060445.jpg



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17060539.jpg


「水明」、これはかつての旅館の屋号!



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17303484.jpg


2018年頃、綱島とは全く関係の無い資料を見ていて「東横線沿線著名旅館案内」の広告を見つけていました。
そこに「水明楼」もあります。
「百畳敷の大広間」とあるので、大店だったのでしょう。

綱島は「離れ」が売りだったんですね。


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17303585.jpg
♨♨♨

何でこの資料を目にとめて、その当時コピーしようかと思ったんだろう、、
路線図中の「工業都市」駅が気になったからだと思います。
(武蔵小杉ー元住吉間に、1939(昭和14年)~1953(昭和28年)まで存在した駅)


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17303435.jpg


広告の中で「東京近郊の桃の温泉郷」と謳われています。
当時の資料を見つけると、本当に風景が活き活きと際立ってくるから不思議。



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17055294.jpg

温泉旅館跡地のホテルで見つけたタイル。
川の流れを表現しているのか…つやつやとした、濡れたような玉石タイルでした。

最初は雨が降っていてあら~…と思ってしまいましたが、雨が止み、雨上がりの蒸気みたいなものがかつての温泉街の湿気を感じ取るのに丁度良かったかも、と歩きながら考えていました。




綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17063802.jpg

あ、これは中村屋建築だ。


綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17052462.jpg


レトロ風のお店で見つけた琺瑯看板♪



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17052495.jpg



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_17052489.jpg



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_21101205.jpg




綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_21101211.jpg

にゃーん
こういうシール可愛いな



綱島温泉の名残を求めて~桃と、川と、温泉と。2022春_d0250051_21093888.jpg

ガーターが可愛い事



●7年前の神奈川記事は



●「島」のようだった地形に触れた過去記事↓






過去記事、文字が写真と少しずれていたり、(少しずつ修正したりはしてるんですが)
写真が右寄り顕著だったりして見づらくて申し訳ありません…💦

# by onnbubatta | 2022-04-22 20:00 | 神奈川 | Comments(7)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


by onnbubatta

カテゴリ

全体
前谷津川
出井川
蓮根川
石神井川系
田柄川
千川上水
専用水道
渋谷川系
立会川
神田川支流
白子川
愛知県
藍染川
足立区
地方
石神井川
水窪川
えんが堀
百々向川
蟹川
神奈川
内川
新河岸川
谷中川
さいたま
谷端川
荒川区
葛飾区
千葉
世田谷
江戸川区
中野区
北区
目黒川
江東区
砂川堀
八王子
呑川
名古屋
愛知県
城南
三鷹市
足立区
堀跡
橋跡
未分類

最新の記事

比丘尼と橋跡
at 2024-02-27 21:44
「廃残の川」 江戸川区 雷川..
at 2024-02-07 21:47
若木の谷間 蓮根川源流歩き
at 2024-01-25 20:44
足立区 お屋敷の構え堀跡を訪ねて
at 2022-11-25 21:16
綱島温泉の名残を求めて~桃と..
at 2022-04-22 20:00
心機一転春が来た 田柄の鮮や..
at 2022-03-26 16:37
港区:芝公園にある三つの橋跡たち
at 2022-01-30 16:57
新金貨物線 無用の橋脚(新中..
at 2021-12-14 20:36
「江戸川区 大きな池のある家」
at 2021-11-22 21:03
江戸川区で橋跡見つけた~~!..
at 2021-11-14 17:43

以前の記事

2024年 02月
2024年 01月
2022年 11月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 01月
2020年 07月
2020年 04月
2019年 03月
2019年 01月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 05月
2018年 04月
2017年 11月
2017年 08月
2017年 07月
2016年 10月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月

フォロー中のブログ

関根要太郎研究室@はこだて
hoppy's
東京の水 2009 fr...
暗渠徘徊の日々

お気に入り(お邪魔しています)

最新のコメント

>sumizome_sa..
by onnbubatta at 20:24
(すみません、コメントす..
by sumizome_sakura at 18:09
以前この近辺を歩いたとき..
by sumizome_sakura at 18:06
>sumizome_sa..
by onnbubatta at 22:28
> ガーゴイルさん コ..
by onnbubatta at 15:31
綾瀬駅と北綾瀬駅の間に駅..
by ガーゴイル at 12:13
>一円様 初めまして、..
by onnbubatta at 20:16
 初めまして。1年近く前..
by 一円 at 22:52
>古くからの住人様 コ..
by onnbubatta at 22:37
はじめまして。蛇崩川源流..
by 古くからの住人 at 13:25

検索

タグ

アクセス

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧