江戸川の今井辺り。干潮時に水面に出現する壮大な橋跡と、一之江の水路跡。
大塚車庫の廃止など、都バスについて考えることの多かった3月。
そんな中に思い出したのが、その昔、台東区のどこからかを始点として、今井行きのバスが運行していた記憶。言問通りを走っていたかな?
一体今井ってどこ?何区・・・?終点に設定されているのにターミナルっぽい雰囲気も漂ってこない。
今井は古くからある地名で、歴史的に見ても交通の要衝であった土地柄で、江戸川の渡渉点として「今井の津」として中世の文献にも記されている場所だそうです。
新中川の開削、都営新宿線の一之江駅開業などを経て今は静かな佇まい。
ちょっと調べていたら、旧江戸川(千葉と東京の境)に架かる現在の今井橋の上流に旧の今井橋の橋脚が姿を見せる時間帯があるとのこと。
葛飾の新宿の記事を書いた時に触れた「干潮時に出現した石畳」の話を思い出します。
干潮の時間を調べて現地に行ってきました。
最後のお楽しみに、一之江の水路跡の写真もあります 現在の今井橋(1979年架橋)は、今井街道(地図斜め左上から地図中央にかけて通っている街道)の延長線上にあります。今井街道は行徳道とも呼ばれ、行徳の塩の輸送路・成田参詣路としての役割も有していたとのこと。
goo航空写真昭和38年度版(いつもありがとうございます。)で確認させていただくと、旧い今井橋は、現在の橋の位置より50mほど上流に架橋されていたことが読み取れます。
今は暗渠化されて緑道風に整備されている鎌田川や宿川が黒々と映し出されていて、感涙を禁じ得ません。
(ちょっと画面では見えづらくてすみません。右の緑の吹き出しが宿川、左が鎌田川になります。もう一か所、今井街道と江戸川が交差する辺りに圦(いり)がありました。今の今井橋児童交通公園辺り。江戸川3丁目と4丁目の境)
更に古い地図などで確認すると、ちょうど今井橋の或る辺りは中洲のような土地が形成されている様子が判ります。(妙見島のような感じ)
この辺り旧江戸川の川幅が食後の蛇みたいに膨らんでいてそこがとても好きなんですが、今は無き中洲と何らかの関係があるのでしょうか。
一之江駅で降りて、今井街道を進むと新中川に差し掛かります。瑞江大橋。
橋際に、瑞江葬儀所の案内表示がありました。様々な要素で境界です。
フォントが象形文字のようで味わい深いものとなっています。
この辺りに旧今井橋が架かっていたのではと思うのですが・・・護岸堤防に向かって下がっていく坂道&階段になっていて、橋が架かっていた明瞭な痕跡は特に見つけられなかったです。
(篠崎街道から千葉の市川側に向かって撮影)
堤防際まで降りて振り返って撮影。階段の上が篠崎街道。これはこれで、佳き階段風景。
恐らく位置的にはこのような感じ。上の画像二枚は橋の北端付近です
これが今井橋の跡じゃないよ~。
護岸に沿って幅広の溝があり、MY橋のような物件がありました。橋の左にぶち猫がいるの、お判りになりますか?
歓迎の放水までありました。思い込み、時に大事。
市川側の護岸には「今井の渡し旧跡」の立札があります。1912年に今井橋が架橋されるまでは東京と房総を結ぶ重要な交通手段として位置づけられていました。
当該立札には、江戸時代に禁を犯して今井側に渡ろうとした人が捉えられ、磔刑にされた場所がここの下流100m余りの所にある旨が記されています。
旧今井橋の市川側橋際は今では不自然に広い空間になっており、橋があったことを伺わせます。
橋際にはつきものの交番。
市川の「欠真間」を長年けつままだと思っていたことを思い出したのでした。地理好き失格だね。
橋を渡り東京に戻ります。江戸川区側の現今井橋袂にある公園:今井橋児童交通公園で見掛けた懐かしい絵。ここの公園内にちょうど江戸川3・4丁目の境界線が斜めに走っていますが、江戸川から引いた水路の跡になります(名称不明)
「ドンキスミベイビ~」と独り口ずさみながらビール飲みたくなっちゃいます。。
今井街道で見つけた路面舗装。都内初のトロリーバスが今井・上野公園間を運行していた時代があったことを示すものだそうです。
何たる長距離!冒頭で触れた、私の記憶にある都バスの路線に近いかも。。確か根津か日暮里辺りから今井まで運行する都バスがあった気がするんです。昭和50年代くらいに。
何という名称の系統だったのか知りたいな。
お待たせしました。おまけといってはなんですが、最後に一之江の水路跡をご紹介します。
公図上では水路跡だらけなのに、なかなかこういう水路跡が見つからないのが江戸川区(親水緑道は先駆的で多いんだけど・・・)
一之江フレンド公園と猿田彦神社のそば。この辺りは土地の微妙な高低差が味わえます。
一之江フレンド公園側。
気になった物件。接骨院にて。
そんな中に思い出したのが、その昔、台東区のどこからかを始点として、今井行きのバスが運行していた記憶。言問通りを走っていたかな?
一体今井ってどこ?何区・・・?終点に設定されているのにターミナルっぽい雰囲気も漂ってこない。
今井は古くからある地名で、歴史的に見ても交通の要衝であった土地柄で、江戸川の渡渉点として「今井の津」として中世の文献にも記されている場所だそうです。
新中川の開削、都営新宿線の一之江駅開業などを経て今は静かな佇まい。
ちょっと調べていたら、旧江戸川(千葉と東京の境)に架かる現在の今井橋の上流に旧の今井橋の橋脚が姿を見せる時間帯があるとのこと。
葛飾の新宿の記事を書いた時に触れた「干潮時に出現した石畳」の話を思い出します。
干潮の時間を調べて現地に行ってきました。
最後のお楽しみに、一之江の水路跡の写真もあります
今は暗渠化されて緑道風に整備されている鎌田川や宿川が黒々と映し出されていて、感涙を禁じ得ません。
(ちょっと画面では見えづらくてすみません。右の緑の吹き出しが宿川、左が鎌田川になります。もう一か所、今井街道と江戸川が交差する辺りに圦(いり)がありました。今の今井橋児童交通公園辺り。江戸川3丁目と4丁目の境)
更に古い地図などで確認すると、ちょうど今井橋の或る辺りは中洲のような土地が形成されている様子が判ります。(妙見島のような感じ)
この辺り旧江戸川の川幅が食後の蛇みたいに膨らんでいてそこがとても好きなんですが、今は無き中洲と何らかの関係があるのでしょうか。
一之江駅で降りて、今井街道を進むと新中川に差し掛かります。瑞江大橋。
橋際に、瑞江葬儀所の案内表示がありました。様々な要素で境界です。
フォントが象形文字のようで味わい深いものとなっています。
旧今井橋の江戸川区側、篠崎街道にあるお蕎麦屋さん。千葉の市川側に渡って戻ってからここでお昼を食べようと思っていたのですが
戻ったら閉まっていました・・今回の旅の心残り。
この辺りに旧今井橋が架かっていたのではと思うのですが・・・護岸堤防に向かって下がっていく坂道&階段になっていて、橋が架かっていた明瞭な痕跡は特に見つけられなかったです。
(篠崎街道から千葉の市川側に向かって撮影)
堤防際まで降りて振り返って撮影。階段の上が篠崎街道。これはこれで、佳き階段風景。
恐らく位置的にはこのような感じ。上の画像二枚は橋の北端付近です
これが今井橋の跡じゃないよ~。
護岸に沿って幅広の溝があり、MY橋のような物件がありました。橋の左にぶち猫がいるの、お判りになりますか?
旧江戸川の水面にそれらしき物体群が見えました!水鳥じゃないです。
市川側に渡った方がもっと良く見えるはず。渡河します
市川側に渡った方がもっと良く見えるはず。渡河します
現今井橋から撮影。お行儀よく並んだ橋の痕跡たち。右が千葉県市川市です。
画面いっぱいに川が映り込むのいいな~。磯の香りがむうっとして、天ぷらが食べたくなります。
画面いっぱいに川が映り込むのいいな~。磯の香りがむうっとして、天ぷらが食べたくなります。
市川側から見た、旧今井橋橋脚の残骸。
どの角度から眺めても飽く事無し。今では水鳥の休憩場所になっているようです。
残骸にも色んなパターンが。
新・旧今井橋。奥の青い橋が現在の今井橋、手前が旧今井橋の痕跡です。
何だか、このまま対岸まで渡って行ける、そんな気がしてきたよ(歌詞風に)
何だか、このまま対岸まで渡って行ける、そんな気がしてきたよ(歌詞風に)
市川側の護岸には「今井の渡し旧跡」の立札があります。1912年に今井橋が架橋されるまでは東京と房総を結ぶ重要な交通手段として位置づけられていました。
当該立札には、江戸時代に禁を犯して今井側に渡ろうとした人が捉えられ、磔刑にされた場所がここの下流100m余りの所にある旨が記されています。
旧今井橋の市川側橋際は今では不自然に広い空間になっており、橋があったことを伺わせます。
橋際にはつきものの交番。
市川側にあったちょっと不思議なノリの看板を掲げたうなぎ屋さん。伸ばした語尾が川の流れのメタファーでは。
市川の「欠真間」を長年けつままだと思っていたことを思い出したのでした。地理好き失格だね。
橋を渡り東京に戻ります。江戸川区側の現今井橋袂にある公園:今井橋児童交通公園で見掛けた懐かしい絵。ここの公園内にちょうど江戸川3・4丁目の境界線が斜めに走っていますが、江戸川から引いた水路の跡になります(名称不明)
「ドンキスミベイビ~」と独り口ずさみながらビール飲みたくなっちゃいます。。
何たる長距離!冒頭で触れた、私の記憶にある都バスの路線に近いかも。。確か根津か日暮里辺りから今井まで運行する都バスがあった気がするんです。昭和50年代くらいに。
何という名称の系統だったのか知りたいな。
お待たせしました。おまけといってはなんですが、最後に一之江の水路跡をご紹介します。
公図上では水路跡だらけなのに、なかなかこういう水路跡が見つからないのが江戸川区(親水緑道は先駆的で多いんだけど・・・)
一之江フレンド公園と猿田彦神社のそば。この辺りは土地の微妙な高低差が味わえます。
猿田彦神社側。
岩々した護岸が片方だけ露出しているアンバランスさが心憎いです。嗚呼たまらない。
↑帰りの電車です。運転手さん、微笑みながらも目は虚ろ。
by onnbubatta
| 2015-04-04 11:13
| 江戸川区
|
Comments(2)
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むかしの地元住民
at 2017-12-27 22:06
x
はじめまして。楽しく拝見させていただきました。
旧今井橋の位置ですが、アカザワランドリー(地図では「クリーニングあかざわ」となっています)の西側に隣接して掛かっていました。ブログ主様の想定より少しだけ西側にずれる形となります。橋が現在の位置に移設された後、しばらくの間底地は信用金庫の駐車場として利用され、現在は建売の戸建て住宅が3件並んで建っています。
立食そばの写真に信号機と横断歩道が写っていますが、横断歩道辺りが丁度橋が掛かっていた場所になります。
停止線と横断歩道の間隔がやけに広めなことと、橋詰に向かって道路が鞍状に傾斜しているのはかつての名残りですね。
橋はバスがやっとすれ違える程度の道幅で、歩道も無かったため、親からは一人で渡らないようきつく言われていたのを思い出しました。
この辺りのまっすぐな道路は大抵水路跡です。みんな暗渠になってしまいましたね。昔話を長々とすみません。
旧今井橋の位置ですが、アカザワランドリー(地図では「クリーニングあかざわ」となっています)の西側に隣接して掛かっていました。ブログ主様の想定より少しだけ西側にずれる形となります。橋が現在の位置に移設された後、しばらくの間底地は信用金庫の駐車場として利用され、現在は建売の戸建て住宅が3件並んで建っています。
立食そばの写真に信号機と横断歩道が写っていますが、横断歩道辺りが丁度橋が掛かっていた場所になります。
停止線と横断歩道の間隔がやけに広めなことと、橋詰に向かって道路が鞍状に傾斜しているのはかつての名残りですね。
橋はバスがやっとすれ違える程度の道幅で、歩道も無かったため、親からは一人で渡らないようきつく言われていたのを思い出しました。
この辺りのまっすぐな道路は大抵水路跡です。みんな暗渠になってしまいましたね。昔話を長々とすみません。
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onnbubatta at 2017-12-29 08:41
>むかしの地元住民さま
はじめまして。嬉しいお言葉とコメントを寄せていただきましてありがとうございます。
かつての今井橋、クリーニングあかざわの西側だったのですね。完全に検証を怠り、思い込みで書いていました。。ご教示感謝いたします。
横断歩道を渡って、続いて橋を渡る感じだったのですね。これはもう一度行かないと、と思いを新たにしました。建売のおうちも、元橋脚土台物件という稀少物件ですね・・他で聞いたことがありませんし、閉鎖謄本の地目を見ていたいです。
昔のお話を伺える事が、ブログを綴っている上で一番ありがたく貴重なので、嬉しいです。旧橋は車優先が前面に出ているというか、あまり安全性に配慮されていなかったのですね。テレビでよく取り上げられている、千葉の船橋辺りの「危険な通学路」のような感じでしょうか。。
江戸川3丁目辺りは、周囲の区画が整っていく中で、昔からひとが暮らしていた微高地の雰囲気を道路の形状や寺院の立地で窺い知る事ができて、江戸川区の中でも好きな場所です。
また、遊びに来てくださいね。
はじめまして。嬉しいお言葉とコメントを寄せていただきましてありがとうございます。
かつての今井橋、クリーニングあかざわの西側だったのですね。完全に検証を怠り、思い込みで書いていました。。ご教示感謝いたします。
横断歩道を渡って、続いて橋を渡る感じだったのですね。これはもう一度行かないと、と思いを新たにしました。建売のおうちも、元橋脚土台物件という稀少物件ですね・・他で聞いたことがありませんし、閉鎖謄本の地目を見ていたいです。
昔のお話を伺える事が、ブログを綴っている上で一番ありがたく貴重なので、嬉しいです。旧橋は車優先が前面に出ているというか、あまり安全性に配慮されていなかったのですね。テレビでよく取り上げられている、千葉の船橋辺りの「危険な通学路」のような感じでしょうか。。
江戸川3丁目辺りは、周囲の区画が整っていく中で、昔からひとが暮らしていた微高地の雰囲気を道路の形状や寺院の立地で窺い知る事ができて、江戸川区の中でも好きな場所です。
また、遊びに来てくださいね。
暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体 その他徒然(適当です)
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