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江戸川区葛西沖残照~旧海岸線の痕跡を追い求めて

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江戸川区松島を皮切りに今年は何のお呼びか、江戸川区を断片的に歩いていて、先般は妙見島初上陸を遂行。
「島」巡りに勤しんでいました。
そんな中で、南へ南へ、葛西沖まで押し流されてきた感じです。

江戸川区の左近川より南側、かつての堀江町辺りから、かつての海岸線や海の名残を探して歩きます。
遠ざかった海辺の他、失われた水辺の風景について気づいたことを綴っていきます。徒然と。

品川や大森と比較したら、海の記憶がまだ新しい、近い方なのではないかしら。。などど淡い期待も込めています。
それが良いのか悪いのか。

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今昔マップ(1896-1909)より引用させていただきました。

かつての海岸線の形が何と明瞭な事!!
そして、現代の地図でも「450号線」として海岸線の形が見事に継承されていることに驚きます。

海岸線の原型は、江戸時代に進められた新田開発により形成されたもので、葛西から浦安にかけての海は「葛西浦」と称し、三枚洲と呼ばれる我が国でも有数の干潟が形成され、大小さまざまな砂州(大三角・小三角・上蜆島・下蜆島など)が点在し、遠浅の海岸ではかつて貝や海苔の養殖が行われていました。

左の古い地図の中央辺りを流れるのが左近川。左近川の南側が旧堀江町で、かつては千葉県行徳の所領(飛び地)、1895年に東京府南葛飾郡葛西村に編入されたのだそうです。境界の地だったのですね。

確かに「東京都市地図」で明治の頁を見ると、左近川が「江戸川」の表記になっていて県境の線が描かれていました。
(帝都地形図の解説文では古江戸川、江戸川の分流、と記載されています)

一方、埋立られて新たに生まれた土地が「臨海町」「清新町」。

葛西の南辺りは新しい街のイメージが色濃いながら(たぶん臨海町のトラックターミナルとか清新ニュータウンの方に強く引っ張られている)、「左近」などと何か旧い文字が・・・心くすぐられる時が到来。

以前、雑誌「散歩の達人」で葛西の団地の方(ざっくりした記憶)にある、かつての海岸堤防の碑のようなものが1ページで紹介されてて、心に留まっていたのですが、なかなか葛西方面に足が向かず・・・

時は満ちて、「堀江団地」で下車して歩いて見ることに。
 
海岸線全ての踏破はしていないものの、まずは岬のような突端地形が目についたのでそちらを目指します。

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写真左側が陸地、植栽帯より右側がかつての海になります。
見事なカーブを描いています。緑地の中に異物のようなものが埋まっていますが・・・

植栽帯は「健康の道」として車道より一段高い位置に設けられており、一度こちらのゾーンに入ると、なかなか下界に降りられなくて後悔しました。やめられない緑道。(緑陰を掻き分けて降りるのにはちと高さがあるのです。)

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鼻・・・まさに突き出した岬!(この石碑の説明は健康の道側からでないと読めません。この界隈、史跡とかなさそうなイメージだったので嬉しくて熟読。)

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“昔、この地は「将監の鼻」と呼ばれ、海への玄関口として知られていました。”

確か、手持ちのワラジヤさん昭和41年の地図でも左近川の河口が「新漁港」と表記されていてなるほど、とは思ったのですが・・・

かつての武田家家来の向井氏の流れを汲む、幕府水軍の船手頭・向井将監が住んだことに由来すると伝えられているとの事です。

23区に「鼻」地名の岬があったなんて。岬ウォッチャーのわたくしとしたことが・・・

俄然、前掲の今昔マップの古地図が、将監さんのお顔に見えてきたのです。


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1945年の国土地理院空中写真より。
矢印がの地点が「将監の鼻」になります。

左・東京方面を向いたアフロの人の横顔そのもの・・・鼻があって目の窪みも。大きく開いた口元は咆哮か、慟哭か。
喉元の辺りの三角州が、かつて大三角と呼ばれた壮大な中洲で、現在のディズニーランドがある一帯です。稲妻のような亀裂に目を奪われます。じわりじわりと、触手やら菌の様にも見え。
干潟とか洲とか、写真ごとに形が違ったりして面白い。。。一つとして同じものはないでしょうから。

脳内メーカーの横顔を彷彿とさせますね・・


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1965年。開いた口が塞がらない、といったところでしょうか。(は?)

埋立事業は1972年頃から本格的に進められていきます。
高度成長期には産廃業者による不法投棄、工場排水による海洋汚染など様々な受難に直面する葛西南端域。慟哭は、そこに起因しているのかもしれません。
(六価クロムの不法投棄も堀江町を発端に社会問題化)


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1974年。将監さーーーーーーん・・・!

かつてのくっきりとしたフェイスラインは失われて、新しく出来た土地と馴染んで埋没しつつある過程にもえます。つぶらな瞳(学校?)まで出来ていますね。(横顔美人とか横顔からのアングル、英語で何か表現あったような気がするのですが思い出せません。今ここの場で使ってみたかったのに~。バックシャン、みたいなノリで。)

横顔と云えば正岡子規だけれど、葛西には将監さんが居る。というより、居た。

左近川は新たに、荒川まで新水路が切り開かれています。


この時代の住宅地図には、将監の鼻辺りに「おきな釣堀」という施設が見てとれます。
 
同じく将監の鼻付近、時代を遡って帝都地形図収録の昭和18年の地図において、「潮干狩り休憩所」の表記と共に鳥居の記号が二つばかり描かれている点、ザワザワする感覚を覚えます。

現地を歩いた際には、そういった「水面の記憶」のような匂いは感じ取れませんでした。海側は高い生垣で隔てられており、向こうの様子すら見えにくかったので。(物流関係の施設とは判りましたが)

茫洋たる海が本当にここにあったのかなあ・・・


埋立には陸上土と浚渫土が使われたとの事。埋め立てられる前の、不法投棄に見舞われた周辺写真を「今よみがえる葛西沖」で見ることが出来ます。


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車道側に降りて確認した、将監の鼻の石碑と「旧海岸堤防」プレート、堤防の痕跡構造物。


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電柱の「埋立」プレート。(「将監の鼻」だったら良かったのに、と独りごち。)

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将監の鼻から北上して、緑地帯と車道を隔てる擁壁の素材が変わるあたり。

この辺りにかつて「江東天然瓦斯興業」の採掘場がありました。南葛西~西葛西付近は天然ガスの採掘が盛んで、地下水と一緒に汲み上げた結果、一帯が激しい地盤沈下に見舞われた歴史があります。
 
このまま、左近川がかつて海に注いでいた場所にある「海岸水門」の遺構が残されている場所まで歩きます。

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写真に見える水面は左近川の一部(中間地点辺り)でやや広い水域。まるで池に面した公園のような場所ですが、かつては東京湾に面した河口かつ港でした。ちなみに、左近とは前述の「向井将監」の官位・左近衛将監に由来するのだと初めて知りました。

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1965年の国土地理院の地図を引用。

かつては「べか舟」が多数停泊していた港。
訪れた際は穏やかで、池のような止水面の如き様相でしたが、時折脇の古い吐出し口からドド~ッと水が流れ込んできてハッと我に帰る瞬間がありました。上の写真で、手前側に波紋が揺らいでいるのはその影響です。

南葛西での産廃業者による不法投棄が問題となった1970年、ここの海岸水門の道路を封鎖して区が産廃業者を締め出した事件があったのだそうです。穏やかな現在の水面と、かつての騒ぎの舞台と。

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水門遺構も圧倒されるのですが、根元に見えるのは・・・

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こここれって橋跡の部類に入るの・・・???
でも両側に微妙に水域あるし・・・
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「かいがんすいもんはし」。

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橋に覆い被さっているのは、酔芙蓉でしょうか・・~?
芙容やタチアオイなど、アオイ科の花に惹かれます。妖艶で、花びらなど楊柳生地のように儚げで。
(丸紅の芙容グループ命名などはどういった謂れがあるのだろう・・・とまた脱線気味。)

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こちらはイチジクっぽい葉っぱです。
そして、隣接する「新田コミュニティ会館」はかつての排水場。


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「リラ・ポルト」ふと目に入った物件名がそこはかとなく黙示する、河港の記憶。
そして白子不動産、白子のりに関係ある会社かと思うんだけど・・(白子のりは江戸川区が本社。なに、ぬね、のりのCM覚えてます・・)

これもポルト=水門or河港、と海苔、たたみかけるように海の記憶が迫りくるのです。それはひたひた、波音にも似て。

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この界隈、猫ちゃには会えないだろうとあきらめていたら、6匹ほどの子猫とお母ちゃん。


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好奇心旺盛と見える1匹が私の方に寄ってきてくれました。

車の下のお母ちゃん「アンタ、それ以上近づくんじゃないよ!」とばかりに子猫の背後から念を送って牽制しています・・


この先、現地確認はしていないのですが地図上で気になっていた物件が二つあります。

まず一つは西葛西8丁目の、江戸川プールガーデン跡地。

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再び今昔マップより引用。左の地図にはプールが描かれていますが、老朽化と地震による地盤沈下のため、2013年で閉鎖されたのだそうです。

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国土地理院の空中写真より。画像中央付近。
アーティフィシアルな青。蝶の片翅みたいだね。
グーグルアースで確認すると、施設が取り払われたような状態の画像ですが、こちらはまだプールの複合施設が確認できます。

近いうちに行くことになると思います・・・

続いて。拙ブログで度々引き合いに出される、手持ちの昭和41年発行ワラジヤさんの地図で気に掛かっていた物件。

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ピンクの丸で囲った、「葛西臨海寮」。(矢印は前掲の将監の鼻 地点)

こちらの施設、ずっと公務員宿舎か建設会社の寮か何かだと思い込んでいました。
他にも適当な土地はあるだろうに、何でこんな「果て」のような立地に寮が???と懸案だったところです。

今回「今よみがえる葛西沖」という文献をめくるうちに当該施設の名称が出てきて、改めて少しだけ調べたら、
昭和35年から41年の6年間だけ存在した、江戸川区の校外施設・臨海学校だったことが判りました。

東京23区に、自区内で臨海学校を有していたとは。江戸川区の存在感偉大。驚きました。

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前掲の1961年空中写真では青丸で囲った辺りになりますが・・・これが臨海寮なのかどうか?
(ちなみに大いに遡って、今昔マップ(1917-1924)では一帯が養魚池と表されています。)

埋立が目前に迫る中での、6年間の学校。
追って調べて、追記するかもしれません。。

跡地は「なぎさ和楽苑」という高齢者施設。

プールガーデン跡地、葛西臨海寮跡地、あとは長島川が海に注ぐ河口にあった「浦島(地図によっては蒲島)水門・橋」、これらに関して再度詳細に調べたいし、写真があったら見てみたいなあ(特に後の二施設)。



そして行程の最後にやって来たのがこちら。冒頭の写真と同じものです。
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西葛西駅から10分ほど、首都高清新出口と東西線の高架下に遺された堤防の一部。
巨大生物の立ち姿のようにも見えてきます。
堤防遺跡として見るか、記念碑として見るか。
数値や文字が刻印された側面を見ていたら、以前訪れたブセナ岬にあるサーフィンの大会の記念碑を思い出しました。

潔いまでの鋭利な断面と、柔らかに沿うススキたち。


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「旧葛西海岸堤防」。将監の鼻地点に遺されていたのは「旧海岸堤防」で、こちらには葛西が付されています。



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堤防の向かいには、「1972年当時の葛西沖」空中写真と、説明版を並べた記念碑が置かれています。
鏡面のように周囲の風景を映しこんでいますね。


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こちらも堤防のお向かい・かつての八幡圦のあった場所に、「小島地盤沈下観測井」という施設があります。



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分断された旧堤防の荒川寄り部分。こちらは断面がいささか粗く、何だか救いを感じてしまうのは何故なんでしょうか。

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砂っぽい地面から、草がまだらに生えているさまが写ったこの一枚、お気に入りの写真です。

1957年(昭和32年)に完成をみた堤防ですが、整備後も地盤沈下のために嵩上げが繰り返され、10数年後には葛西沖の埋立によりその役目を終えることになります。時代の変化の速さ・大きさがいかに甚大だったのかひしひしと感じます。

今回参考にした文献「葛西浦漁業史」に、浦安の清瀧弁財天が地盤沈下によって水没していく写真が掲載されています。
見ると深く心に傷を負いそうな、痛ましい一枚でした。
(葛西浦漁業史、「ヒトデ襲来事件」など、SF調かつセンセーショナルな見出しもあって大変読み応えあり)

波音や、沖の風景を想像してみようと現地に立ったのですが、首都高の出口直下で車両の通行量も多く、また頻繁に通過する東西線の音が響いて、なかなか難しい状況でした。

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今昔マップより、1965-1968年と対照した現地の地図。

堤防のすぐ際には、昔から変わらず八幡神社が。社殿は海に向かって建てられており、高波で敷地内の一部の樹木が枯死するまでは森のような様相で、航海の目印となったと伝わります。




波打ち際の神様・堤防・地盤沈下観測井と、時の流れを象徴する要素がギュッと詰め込まれた界隈です。
こういった場所は、高速道路とか巨大構造物によって狙われてしまうのかな。
日本橋とか、銀座のかつての河川と同様に、巨大な力が上から魔物のように覆い被さってくる感じ・・・

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何か、塔婆のような立ち姿。
都市の巨大構造物や喧騒に囲まれた中、この一角は静かなる祝祭の最中のよう。

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堂々たる異物感。首都高と対峙する旧堤防。
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「日がな海を眺めながら、潮風を吸い込みながら、街や人を守ってきたんだ。。」
怒涛のような波を受ける時もあったであろう。


葛西海岸堤防の写真は、現在の地点・アングルと対照させているものを江戸川区の公式サイトで見ることが出来ます。
この他にも、埋め立てられた長島川の写真など、貴重な古写真が多数収録されています。

最近葛西近辺の地に憑りつかれたようになっている中、激しく思い出されたのが3年程前の地下鉄博物館の催事です。
実際に観に行ってはいないのですが、当時の駅貼の告知ポスター写真の印象が強烈で、湿地帯のごときフロンティアのような土地に建設されている東西線の高架橋の写真。

もう、画面を切り裂くようなその姿がとても印象的でした。今この、頭の中が葛西沖でいっぱいの状態のまま、展示を観たいというかなわぬ欲望で頭を掻きむしっております。
図録とか、無いのでしょうか・・・

「東西線開業と沿線地域発展の軌跡展」で画像検索してみて下さい。


【追記】自分で撮影した写真が出て来たので、(少し、ぼやけていますが)載せておきます!
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現在の葛西沖、葛西臨海公園の西側の遊休地に、東京オリンピックのカヌースラローム競技場建設計画があるとの事。
↓↓
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目まぐるしく変わっていく東京。

by onnbubatta | 2016-10-19 14:34 | 江戸川区 | Comments(0)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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