星は散り散りに・・・(中村遊郭跡地紀行)

先日名古屋の中村遊郭界隈を訪れた際、立ち尽くしてしまった物件のひとつ。

現地においては色々書き込みした地図を持っておらず、「Googlemapで見ると、現状遊郭4軒分空き地になっている場所」ぐらいの場認識を持っていた程度ですが。。

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空き地と隣地との境界に見上げる程の高い壁があり、鉄筋で支えられています。
雨が降っていたこともあり、コンクリートに染みた水跡も重みのある、人の気持ちを映し出したような雰囲気を作りげていました。

濃い部分の染みを「垂れ落ちる影」と見るか、下の白い部分を「山」として見るか。

中村遊郭の他の場所でもこうした壁があと数か所、隣地が空くなどした結果、見える形で残っています。

場所柄、「嘆きの壁」を意識してしまいます。

壁にもたれかかるように、解体で出た石材などが雑多な感じでより集められていました。


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ピンク色、紺色、水色。この色鮮やかなタイルたち、建物の中のどのような部分を彩っていたんでしょう・・
そして、欠片になった現在でも、辺りが失われた中の残照としてより強い光を放っているように見えました。
まるで最後の力を振り絞り、眩い程に。

後日、ストリートビューなどで詳しく確認してみると、ストリートビューの画像にはまだ建物が残っていました。
以前こちらの建物の中を紹介したブログを読んだことを思い出してきたのです。
昨年夏ぐらいに書かれたブログで、当時既にに人は住んでおらず、建物の世話人のような方がいる、、というような内容でした。

更に調べてみると、今年の5月に解体に着手、6月に更地となっていたようです。

「稲本」のような大店の取り壊しはニュースでも報じられるのですが、こちらの「旧新星楼」については、まだ存在しているのだろうと思っていました。
(旧新星楼、と矛盾を感じる表記に自分で書いていてもやもやしてしまう・・・)

「遊郭5軒分」の跡地、いずれ一つの大きな建物が建つのでしょう。
いや、もしかしたら6軒、7軒分くらいに今後拡大するのかもしれません。

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昨年以前に空き地となっていた区画は砂利敷の上に雑草が生えてきています。
束の間、光を求めてにょきにょきと。
そしてまた刈られ。
雑草は強い、って決めつけないで。


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今年の6月に解体された建物側の敷地は砂地が露出、そこに廃材が残置され、昼顔か朝顔が蔓延っています。
砂利敷と砂の境界、時の境界。

今後どのような土地利用になるのかわかりませんが、元々低湿地だった界隈を造成、別々の名前の楼が整然と立ち並んでいた場所。
時を経て再び別のまとまった形の土地を形作る・・・そんな前夜に立ち会った感じです。

その辺りも、宇宙と通じる所があるな・・・なんて事を考えました。

そして、どこが接点でどこが境界だったのか、忘れていってしまう。

雨でやだな~・・・と思っていた中村遊郭散歩でしたが、よくよく反芻して考えたら、低湿地だった雰囲気が色濃く伝わってきて、いつも以上に水の上を体感することができた旅になりました。




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# by onnbubatta | 2018-10-23 21:01 | 名古屋 | Comments(0)

寝ても覚めても中村遊郭(橋跡、溝跡、そして後悔)

今年になって、人生初の名古屋下車→ご縁が続いてもう3度ほど訪れている「中村遊郭跡」界隈。

寝ても覚めても、名古屋から一駅のこの一画の事ばかり考えてしまいます。

「大正時代の妓楼が現役の風俗店、デイサービスセンター、民家として利用されており、目の前も含めて周囲はスーパーやマンション。中には廃墟のような物件もある」

が端的な現状説明になるのですが、それらの建築物が相当数を減らしつつあるとの事。

97年に購入した「赤線跡を歩く」で読んだことはあって、その際の写真の印象は派手で、賑やかそうな(大音量の音楽が聞こえてくるような)街、でした。

風俗街ということで、怖い場所のイメージもあったし、未知の場所で、少し緊張しながら散策してみました。

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こんにちは。
エリアの南西端で見つけた橋跡のような構造物。

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「大正10年3月」?と読めます。
中村遊郭の開業が大正12年(1923)なので、その直前のものになりますね。

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猫が歩いていそうな雰囲気があります。
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中村遊郭外周に巡らされた溝の跡。
川跡・溝歩きを本業としているため、ここはまず確認したかった箇所。
ここは未舗装ですが、また別の場所では舗装した道路となっています


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遊郭の街区は、亀?土俵?のような形状となっていて、空中写真などをみるとその特異な形が判然としています。
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遊郭の外周はこのような溝で囲まれていました。
南西端の水色部分は悪水路の「徳佐川」の痕跡です。

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今昔マップより引用させていただいてます。1888年の当地はまだ水田。
旧地形図の左側を斜めに横切るのが「徳佐川」、
地域を水害から守るために、安井徳佐エ門が私財を投じて開削した水路だそうです。

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1920年、明らかに何かが出来ています。
この出現具合、心が高ぶります・・

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1932年、黒々として、ほぼ現在と同様の街区としての完成が見てとれます。
現在の日赤病院の位置にドーナツクッションのような池が見て取れますが、低湿地に遊郭を造成するにあたって土を掘った跡の池
「遊里ヶ池」で、大正14年に弁財天が勧請されてからは行楽地のような場所になり、花火大会が催された事もあったのだそうです。

徳佐川はそこに繫がれた形となったのでしょうか。

さて。
初回訪問時に、ふと目にとめた羽衣町の物件がありました。
遊郭跡の物件と認識していなかったので写真も撮らず。物件の前面に貼り紙がしてあり、内容は破産管財人からの通知。

写真を撮っていなかったのでストリートビューからのキャプチャーで失礼いたします。

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外観は新建材を巡らしてあるのですが、

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航空写真で確認すると(中央の物件)中村遊郭に特有の中庭があるコの字の形に見えます。
道路に向かって前面と、中庭や天窓から採光し、側面はほぼ窓が無いのが不思議です(側面に窓が少ないの、名古屋の古い民家によく見られて、東京から訪れるとそこに目がいってしまいます)
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中村遊郭の建物の配置は基本的に整然としていて、南北の端がぴったりと揃っているはずなのですが、当該物件は南側が少し切断されている?としても、明らかに遊郭の建物に見えます。(北側の物件が中村遊郭の特徴を有しています)

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昭和52年の航空写真が見易いので示してみました。
ピンク丸が当該物件です。まだ他の建物と形が揃っているのが判ります。
切断前、ということで良いでしょうか。
そして、立錐の余地もないほど、真ん中の開いた同形状の建物でぎっしり埋め尽くされている・・・圧巻の集合美です。


外観から判りにくい、切断されている可能性・・・
他の物件と比較して「派手さは無いけれど」この遊郭跡の可能性の或る建物:豊田食品、が気になってしょうがなく、一度目に留めたのにもかかわらず写真を撮らなかった事を激しく後悔していました。それが7月の事。


そして9月に再び名古屋にやって来た時、
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何も残っていませんでした。
雨上がり、砂地のような明るい地面が印象的でした。
前回の後悔が、二重三重になって覆い被さってくるような感覚になりました。


手持ちの1963住宅地図では酒/バー/アパート、の表記、1973年資料以降は現在に至るまで豊田食品。
風俗店などには転用されていないようです。

わかったのは大正12年開業当時の屋号のみ。

中村遊郭界隈は街区の並びは非常に判り易いのですが屋号の変遷が激しく、何度向かい合っても整理できていません。
でもその度に小さな発見があるのがやめられないところで、魅力的なのです。

あと、大正時代の建物に被せ物をしているケースが多々あるところも。
一体内部はどのようになっているのでしょう。風俗店には入れないけれど、お蕎麦屋さん(大門町の蕎麦伊とう)とかだったら入れるので、様子を伺いたいところです。そうでないと、残すは解体の瞬間でないと内部を見ることがかないません。

きっと中は綺麗に「古民家風」としてリフォームされているのでしょうけど・・・

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↑これも切断物件でしょうか。
遊郭のあとはおそばやさんだったようです。

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前店名の痕跡が見えている・浮かび上がっている(現アラモード)



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何か起こりそうな窓・・・♥



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遊郭に関連の或る「中村病院」跡地。
敷地を覆うメッシュ素材のシートが、こちらを見据える精霊のように見えて好きな一枚です。

また、かつての水田に蘇った、還ったかのような光景でした。。背後の名古屋駅ビル群も幻影のよう。



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クローズ・アップで見ると、ムシロ旗・・・?



次回以降は、もっと自分で映した写真を入れていきたいと思います。







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# by onnbubatta | 2018-09-29 10:11 | 名古屋 | Comments(0)

大岡山駅前のtiny谷

初の呑川カテゴリ。
初の大岡山下車にして。

ごく小さな谷、名前はまだわからなくて(知らないだけ?)、お調べも手付かずのそんな谷です。
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小溝だね~。

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シュッとして、めっちゃスレンダーだなあ。
で、手前がもじゃもじゃしてるんだけど結構な急流なのよ。

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反対に(上流側)に廻り込みますと、

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再びドア。
脇には、「東工大専門 手作り料理 モミ(の木)」とあります。
TOKYO-TECH暗渠だったのか。

専門とは。
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「今昔マップ」より引用させていただきました。
今回の小溝は、大体この緑のごく小さな谷筋にあたるようです。
清水窪の、さらにその支谷ということでいいのかしら・・・?
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周辺を少しばかり歩くと、

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大田区の境界標で飾られた、こんな溝とか、(ビールケース付き)

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何だか知らずに染み出しちゃって

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ちょっとした湿地を形成している一画がありました。



我が家の近所に、夕暮れ時になると大量の鳥(種はわからない)の鳴き声が響き渡る樹があって。内部にどれだけの鳥がいるんだろう、ぐらいの密な存在感。
そこを通るといつもまだ見ぬ大岡山を連想していた場所があるのです。


一時期、大岡山のムクドリだかインコ類のねぐら騒音糞害が報道されていた時の印象が強いのかな。。



いつも連想するだけの大岡山で出逢った、リアルな谷のお話でした。

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# by onnbubatta | 2018-09-19 20:23 | 呑川 | Comments(4)

八王子市中野上町:清水川を辿る

前回の続きです。

前回積み残していた、「日本機械工業」敷地の北側辺りから、清水川を感じながら歩いて行きます。
暗渠化も取り沙汰されている清水川、現状はどうなんでしょう・・・

結論から先に申し上げると、結末が意外で、しばし愕然として立ち尽くしてしまいました・・・


敷地の北側は現在「しまむら」の敷地(以前の住宅地図表記ですと「ハチマン電子」)となっていて、その駐車場から・・・
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夏なのでより一層繁っていて外観がはっきりしないのですが、円型?円筒形の煉瓦給水塔がフェンスの向こうに見えているのです。

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引いてみても、やはりわかりにくい・・・また冬にきてみます。
人生初の「しまむら」、あまりに暑かったので中で涼ませて頂きました・・・
かつての製糸場に隣り合って、衣料品の量販店が立地しているのが時を越えて不思議な感じでした。

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いずれも敷地北側からの「日本機械工業」の建物の様子。
どれが「萩原」「片倉」時代の建物になるのでしょうか・・
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開きかけか、閉じかけた朝の顔

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すぼまっていると、色が濃く凝縮されて見えますし、白い部分との境い目もパラソルのように際立ちます。

右に曲がって、緑濃い道を降りて行きます。
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茎まで鮮やか。
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川沿いでよく見られる、各政党のポスターが畳みかけるように連続する風景。
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前回ご紹介した「橋跡」はここに繫がっていたんです。

この先、少し改変されたり一部が暗渠化されていますが(前回の水路上占有物件の地点など)、

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澄んだ水が流れていて、百日紅が造り出す美しい淵に出会う事も出来ました。

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梯子の梁が残っている区間。
川沿いに歩けない区間もしばしばあって、川を見失い「あれ、あの子どこに行っちゃったんだろう・・・」と思う事もありました。
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あまり近寄れなかったのですが、梅花藻のような植物に覆われている地点。もうすぐ川口川との合流地点。

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この辺りは清水川の中でも蛇行の大きな地点。北側を流れる川口川も改修前は大きく蛇行していた(緑色、大きな公園を回るように)のでその影響を受けていたのかな・・・

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ここまで下ってきた清水川、区画整理によるのか「東京環状道路」の手前で突如消えてしまいます。
見えづらいですが、中央右側よりの樹のたもとに旧い祠もあって、旧いエリア/整えられた区間が、バッサリと分断されている雰囲気。

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この先が「清水橋」あと。こっちの方に「清水橋跡地」を明示してほしいね。

少し北側に寄り道して、「川口川」の「川口橋」へ。
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川口川橋の西側至近に、何かの名残?水道施設・・・?
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延長線上には横断歩道の痕跡がうっすらと残されていました。緑のフェンスの先が「何らかの名残?」です。

更に北に寄り道すると、別の小川がやってきていて、
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もはや跡地、なのか・・・?
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交差点の広告看板の背後、よく見ると
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石仏等々が放置されていました・・・どんな謂れがあったものなのか、とても気になっています


清水川に戻ります。河口目指して、あともう僅かな距離のはず。

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車止めのあるこの街路が川の跡なのか、
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サイドの、こちらの敷地も含めて川跡なのか・・・
青々と重たげに成る栗の実と、並べて干された幾枚もの大判のタオルケットが素敵な夏風景だったので、暑かったのですが「良く乾きそうね」と独りごちていました。

さあ、中野橋の上から合流地点を確認してフィニッシュです。
清水川と合わさった川口川も、すぐに浅川に合流する忙しい場所です。

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え。。。何これ。。。
右の川口川に、左の清水川が合わさる筈なのですが・・・
作りかけの工作みたいな風景。

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糸が紡がれていた泉の水は、こんな末路になっていたのでした。
清水川の事を調べ始めた当初は、河口の護岸は自然のままで残されていて・・・と何処かに記載があった記憶。
それをインプットして下っていったので、目の前にある光景は結構衝撃的な結末です。

勘違いだったのか、以前に書かれた情報であったのか。

コンクリートがまだ白く、割と最近施工された様子です。

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川口川の方は水も澄んでいて、底も護岸も自然な感じに映りました。


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茫然としたまま浅川沿いを散策していたら、緑陰からカサカサ音がして、猫ちゃがぬっと出てきました。
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「清水川の河口は固められちゃったんだよ。前は鳥さんがいっぱい来ていたけどね。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


おまけ。八王子駅前の谷内六郎作品。

「水面のライト」
きらきら・・・
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昼なのか、夕方なのかよくわからない、半分夢のような幻想的な作品でした。
一日、川を追って歩いてきて、最後にまた駅前で違う形で水に満たされて。

川追いで生まれた色んな想いを包んでくれました。幸せです。


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# by onnbubatta | 2018-08-01 22:17 | 八王子 | Comments(2)

桑都八王子:水路に囲まれた製糸場跡、清水川

例年になく百日紅が気になってしょうがない、今年の夏。

百日紅の綺麗な場所ってどこだったかしら・・・と候補をいくつか考えていた時、以前訪れた、八王子の「田町遊郭」跡を東西に貫く、大きな通りを百日紅の並木が彩っていたのをふと思い出したのです。

これまでも幾度となく引き合いに出している愛読書「昭和二十年東京地図・周縁のこと」(1987年出版)に収録されている田町遊郭の写真を見ていたら、今迄目に留めていなかった、同じ八王子市内の建物の写真が急に気になり出して・・・

収録されている住所を頼りにストリートビューで検索してみると(つくづく、便利な時代)、何とほぼ同じ状態の建物が奇跡的に現存している様子。1987年当時においても、割と古い建物や街角の写真が多いのが特徴的な本なのですが・・・

明日にでも消えて無くなってしまう気がして、何だか気が焦り、急ぎ現地へ確認に向かいました。

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消防車などを製造する「日本機械工業」の寮敷地、ということで、不思議な光景を生み出しています。
何だか消防車と共に、今にも左方向へ動き出しそう。

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元々は片倉製糸の蚕室として利用されてた建物とのこと。
現在は建物自体は使われていないようで、屋根瓦が落ちている箇所なども見られますが、広い敷地にゆったり配された貴重な建物に見入ってしまいます。
桑都だ・・・・!!と大声で放ちたい心境でした。
明治10年に「萩原製糸工場」として創業(現地に来る途中渡った「萩原橋」にその名を遺す)、その後片倉製糸に譲渡、昭和10年後半くらいに工場は「日本機械工業」となり、歴史を重ねて現在に至っています。

ここで片倉の建物に出会うなんて・・・(今ではショッピングセンター業の印象の方が強いですね。紡績系はどこもそうですが・・)

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夏空。真紅の消防車。窓の連続する旧い建物。

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悠々と、堂々と存在しています。旧くて使われてはいないようだけど、手入れはされている感じがします。
その幾多の「手」を感じるのも好き・・・

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「中野町西二丁目」の頃の、琺瑯住居表示看板も見て取れます。(現在は中野上町4丁目)

「寮建物」は二棟残っています。秋川街道を挟んで北側が社屋、道路を挟んで東側も同様の古い戸建群があり、関連があるのかもしれません。社宅とか・・

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寮敷地の東側辺りです。眼の形のような柵が印象的。
「昭和二十年東京地図」にも、水路沿いの「三軒長屋」というタイトルの写真もあるので、この辺りのどこかだったのかもしれません。とにかく水路が多い・・・

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寮敷地の西側からは、水の流れていない水路跡との絶景を楽しむことが出来ます。水路は左に曲がっていきます。
石の敷かれた縁も、心に訴える調べのよう・・・

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染色所の建物が水路上に張り出しています。



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片方の護岸が煉瓦でざっくりと積まれています。面白い!

さて、この水路も気になりますが、後程考察していきます。




「昭和二十年東京地図」には社屋(工場)の方の写真も収録されており、そちらの方も本とほぼ変わらない姿で現役でした。
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「昭和二十年東京地図」では、門柱の上に球型の照明がありましたが・・・それでもほぼ変わらぬ光景に、胸が熱くなります。
(気温の方も37℃、激暑でした。)

こちらの敷地の方も、片倉製糸時代の建物がいくつか使われているそうです。
ああ、カタクラ、カタクラ・・・(次第に呪文のような響きに。。。)

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地図を眺めていると、工場敷地に一本水路のような線が描かれていますし、右の方には川筋も見えているし、ちょいちょいくすぐられます。
まだこの辺りがいかなる土地なのか全く知識が無く、放り出された子ヤギのようなのですが・・・(自分でもよくわからない比喩)

修景水路のような描かれ方なので気になっていまして、実際は見えるのかな?と思いましたが敷地内の水路自体は確認できず。
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工場の南側、東側は外周を水路で囲われていて(北側は暑さ等々※の為、積み残してしまいました。)、写真は南側で秋川街道沿いなのですが、年月を経た樹木が覆っていてまるでお堀のよう。歩道に影を落としていて素敵な風景を造り出しており、
城郭を想起させるような一角でした。

春には桜を見に来たい場所がまた一つ増えました。こうして小さな愉しみの小箱の中身が増えていくんです。
遠くから引きで眺めると、この工場敷地全体が森のような、お城のような感じがしてきます。
(※後述)

そして、水路をじっと眺めていたら・・・

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水路の西端部分が少し広くなっており、とても澄んだ水が溜まっていて、流れ・動き、もあるのです。
湧水じゃないかな?と心躍りました。この日は建物が目的で、まさか湧水に出会えるなんて・・・・!!

おうちに帰って調べてみると、日本機械工業の敷地には湧水があり、消防車のポンプ放水テストなどに現在でも利用されている事、昔は湧水の池があったが埋め立てられてしまったこと、その水が「清水川」という短い川の源流のひとつだったこと・・等々がわかりました。
湧水の利用用途を聞くと、凄く腑に落ちて気持ちが良いです。

泉湧くシルクの工場。湧水があったからこの地に製糸場が設けられたのでしょうか。。

水に呼ばれる。を実感したひと時でした。

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1974年くらいまでの空中写真だと池が残っているのがはっきりとわかります。
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今昔マップから引用させていただいた、1944-1954年地図と現在との比較。

「清水川」の源流にはこちらの湧水池や、近接する居宅の湧水(水車があった)、更に西へ進んで「楢原町の旧私学教育研究所(施設は現存せず)の池」等々があったとのことです。

先程載せた、煉瓦の護岸の空水路はそちらからきた流れのようです。

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地理院地図より引用、地図中央から少々左下の蛇行した水路線。煉瓦護岸の水路跡はこの辺りを映したものでした。

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気掛かりなのは、この界隈(秋川街道南側)で区画整理の気配が現実に形に現われている事。
ふとしたきっかけで急に好奇心がそそられて赴くことになった土地って、消える気配を虫の知らせ的な何かで感じ取って・・・の事例が何度かあるので・・・

で、またまた調べていたら、当該区画整理事業に伴って、清水川の暗渠化の話も取り沙汰されてるそう。
まだ出会ったばかりで、ほんの一角しか歩いていないのですが。


私が出会った清水川の断片たち
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水車のあたりかな。


住宅地の開発に伴って再整備された感のある区間
ここの手前の場所、メダカくらいの大きさの小魚が沢山集まってきていました。

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ここはグーグル航空写真で気になっていた場所でしたが、このように整備されたのですね。
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ああ・・・お上が「水路」という文字を置いてくれるだけでこんなに心が落ち着くなんて
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この辺りは再整備された水路の下流側が一瞬蓋掛けされて、また開渠となって姿を表し出てきます。

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※日本機械工業の北側に行けなかったのは激暑のせいでもあるのですが、通り沿いにこんな案件があって・・・
(通り挟んだ側の森が日本機械工業の敷地。)

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お野菜の無人販売所脇にあった、当世風の?創作案山子。
蛭子さんっぽいタッチ。

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何気に奥にもう一人潜んでいたり・・・
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リアルと虚構。男と女。大人と子供。立体と平面。
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お殿さまも見張ってます。城に還りたい殿様、城の北側を守る防人たち。
(ストリートビュー見たら、別の案山子だったので定期的に着せ替えが行われているのかも)

もうこれらで精魂尽き果てた感があり、田町遊郭に移動したのでした。
また改めて、追記していったり、そんなスタイルで行こうかと思ってます。

田町遊郭のお話も綴りたいな・・・

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八王子は2年ぶりですが、前回よりも甲州街道沿いのマンション化の動きが一層進行しているようで。
時限的に、旧い建物の側面を思いがけず目にする機会が多く、くすんだ中にも鮮やかな断面にハッとさせられたのが印象的でした。
(あと、ユーミンの実家チェックしたかった・・・)
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おまけ。
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田町遊郭跡地の百日紅、散り、再び寄り集まったものも断片的に載せてみました。

まるで地表の花束ね。明日には色・形を変えているんでしょう。
ふと感じる刹那なのでした。

白いのはまだこれから咲くみたいです・・・

あさかわを渡れば 富士の影清く 桑の都に青嵐ふく

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# by onnbubatta | 2018-07-22 16:25 | 八王子 | Comments(0)

江東区北砂の残存蓋暗渠、養魚池跡地

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こんにちは。
先日、江東区北砂で蓋の枚数で10数枚?程の蓋暗渠に出会ったのでご報告します。

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こういう分岐には、何かが待っている。何か起こる。
極小美を体現する、極小車止め。

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現状は民家と民家の間の植栽置き場のような利用状況です。あまり長時間佇むような場所ではないです。

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反対側(中学校側)は、ミントグリーンの柵で塞がれています。(金属柵の一般的な色だと思うんですが、最近やたらとミントグリーンカラーが目につくのです、今迄何とも思ってなかった人を意識する感覚に近似)

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場所はこのあたり。
そっと・眺めるのが良い場所です(念押し。)

ここまできますと、上の地図では切れてますが(地図の左下辺り)金魚養魚池の跡地も近いです。
今回訪問時は丸八通りからちらと見た感じでではフェンスで覆われていました。
2017年10月訪問時の写真を載せておきます。

やっぱり養魚池跡の地図も載せます(心変わり)

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地図上では、まだ養魚池の二区画が表示されていますが・・・

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柳の大木だけが、在りし日の姿をとどめていました。(2017.10)

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実にシンボリックで、立派な柳です。まるで人格が宿っているかのような。
鑑賞者の心に強く訴えかけるものがあります。
柳は水分の多い土壌を好み、湿地や川岸に生えるといいますが、今後この柳はどうなるのか、気掛かりなのです。
(ちなみに私は昔柳の樹の下を通る時は息を止めていました。。)

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お池は無くなった。空が広いにゃあ。

2017年10月時点で保存しておいた、SV画像を下に。池が消える前の姿になります。
大分埋まってきている様子が見て取れますが、かろうじて水面が残っています。


奇跡的に遺っていた東京の開水面が、またひとつ消えたのです。
東京は、空地でいることを許されない・・・

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4枚前の画像とほぼ同角度。
日が暮れると蛙の合唱が聴こえてきたといいますが、どこに移動したのでしょう。

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平成4年の航空写真で見ると、まだ複数の池が見て取れます。
左下の駐車場部分も以前は池だったのかもしれません。


江東区の水路跡、またゆるゆるとご紹介していきたいと思います。




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# by onnbubatta | 2018-05-30 16:11 | 江東区 | Comments(4)

砂川堀散策:教習所敷地を貫通する水路

簡易版:フォトブログのような形式でお届けします。

狭山丘陵(早稲田の人科付近)から新河岸川へ注ぐ砂川堀(そこはかとなく漂う立川感・・・まあ、「砂」という詞には強く惹きつけられるものがあります)、以前から気になっていた箇所があって、徘徊してきました。

場所は、東武東上線の特急停車駅である「ふじみ野駅」の少し南辺り。

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砂川堀が、セイコーモータースクールという教習所の建物に突っ込んで(或は、吸い込まれて)行く地点。
ラブホの駐車場の如き、びらびらとしたシールドカーテンの奥は・・・

都市には、時にこんな穴が開いているものなんですね。

河川又は暗渠水路が教習所敷地内へ貫通している事例としては、葛飾の平和橋教習所、戸田市のとだ自動車学校が思い浮かびますが、このように堂々たる姿を見せてくれたのは初めてでした。

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この教習所・・・自校位置の示し方のスケールが壮大でした。

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球体から、「バアアアアアアン~~~~!」って効果線放っていますし。流星群の放射点??
日本、いや世界の中心感に打ちのめされそうです。

面白かったのは、教習所の時限を知らせるチャイムが鳴ったあと、ちょっと記憶が曖昧なんですが聖子ちゃんの「スイート・メモリーズ」か「瞳はダイアモンド」が流れたこと。

ビッグな世界観に圧倒されたあとの、繊細な調べ。これ、好きになっちゃうやつ。

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さて、建物を貫通した水路は暗渠になって、「弁天橋」の交差点の所で出てくるのですが、私が歩いたのはふじみ野市と富士見市の市境にもなっている「旧水路」跡になります。

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東上線の線路をくぐって現われた、旧水路跡。


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改修されちゃうのも頷けるくらい、屈曲した魅惑の流路です。


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この先の新水路(暗渠化されて、この辺りでは広めの道路となっている)の「交差点名」としての「弁天橋」なのか、元からの流れに付けられていた橋名を示すものなのか、わかりかねて心が悶々としていました。(富士見市の別の旧流路でも同様の事例が見られたのですが、そちらに準拠すると後者と推量されます。良かった♥←独り悶々劇場です。いつもの・・・)

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脇の雑草たちのはみ出し方が、まるでかつての流路の屈曲ぶりをさらに誇張するような曲線を描いてくれています。

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今歩いている水路跡が「旧砂川堀」という名前であること、かつては「大井町」という町が存在したこと、等の過去の土地の情報が読み取れます。
「大井」地名ですし、実際「大井戸跡」とか、それにフィーチャーされてか「天然温泉真名井の湯」というネーミングの施設もあり、私のようなどうしようもなく水に惹かれてやまない者にとっていつかは来るべき場所だったのかもしれません。


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しばらく楽しく歩けてきた水路跡ですが、大味な蓋を見せつけられながらもここで進入禁止となってしまいます。。
規制線のような、管財物件のような。
切ない。
新水路の橋を渡ってしばらくはあまり旧水路の跡を見つけられなかったのですが、、

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見事に道路を横断する水路跡と、一対の木製橋跡が。
橋の名前が書いてあったようですが、読み取れませんでした。
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こちら側の欄干はこんにちではハーフ仕様として利用されている様子でした。


こう、久しぶりに「純然たる暗渠歩き」が出来て、原点を見つめ直すような、己と向かい合うような一日でした。
地図を見れば見る程、この辺探索したくなるような水路跡が沢山見えてきて、鶴瀬辺りも遠征したりしたのですが、またの機会に。

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車窓から見えてとても気になった、管制塔のようなこちらの塔。
小学校跡地の公園から見たところ。

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鶴瀬西配水場の塔でした。
内陸に現われた灯台に見えて、心を激しく揺さぶられたのでした。

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# by onnbubatta | 2018-04-28 14:33 | 砂川堀 | Comments(2)

江東区南砂5丁目の残存蓋暗渠

先日の北砂蓋暗渠(記事にはしていません・・・)に続いて、江東区南砂付近の暗渠散策中、その日の行程の最後に出会ったのがこちらです。行程の最初にここのすぐ近くを歩いていたというのに、、
鮮やかな登場に我を忘れてしまいます。しっかりしろ、とお叱りを頂いているかのよう。
(遅筆に定評ある私が、今ビールを飲みながら散策当日に速報版を・・・)
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取っ手の付いた蓋が行儀よく整列
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この辺りから蓋がずれて、こなれていきます。動きが出て良いですね・・・

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西側には護岸?と思しき石の構造物が。

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座ってしまいそうな造りです。真ん中部分が空いている構造物
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道を挟んで再開し、数メートルで、マンションの敷地に当たって行き止まり。
引き返します。フェイドアウト加減に息をのむ。

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斜めからも・・・
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横からだって。
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フィニッシュであり、始まりでもあり。グリーンのシートが蓋を引き立てています。

先の大通りは「清洲橋通り」、かつての「境川」で、砂町が農村地帯だった頃に横十間川と中川を結び、農作物を運搬する運河として活躍したあと昭和5年に埋められた盛大な暗渠なのです。

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場所は地図の青ライン。バス停「北砂4丁目」至近のごく僅かな流れです。
今日は青ラインに程近い緑ラインの水路跡から散策開始したのですが、回りまわって最後に気づくという舞台回し。



おまけに、地図右端の緑ライン水路跡が極細でなかなかいい雰囲気だったのでご紹介。
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ひと先ず、ドラフト版という感じで、他の情報や緑ラインの水路跡については、また後日ご報告できたらと思っています。
南砂町、イメージがあまり湧かず、「トピー工業」とか、清宮選手がこの辺りのリーグ出身とか、断片的なイメージで。。

さっきまで興奮冷めやらぬ状態でしたが、つらつら綴っていたら、砂の音がサラサラと全身に降り注いできて、心地よい疲れに変わってきています。


おまけ:アリオ北砂そばの代官堀暗渠がアリオにぶつかる辺りで見つけた三枚の蓋

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# by onnbubatta | 2017-11-04 20:05 | 江東区 | Comments(5)

深く険しい谷の変遷を辿る~前谷津川 鶴舞谷(東武練馬)

前回に続いて、板橋区を取り上げます。

今回の谷は、板橋水系のバイブル「いたばしの河川」内で一番印象に残り、心の奥底にとぐろを這わせて棲まわせていた谷。
前回の記事でいただいたコメントでインスパイア&背中を押されたのもあります。何年か前にも痕跡を辿ろうとしたのですが、、、昔の地形図でかなり急峻な谷地形を見せながらも上流部は完全な平地で。どんな谷で、如何なる変遷を辿って今に至るのか。

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「今昔マップ」1896-1909より引用させていただきました。
左側地図中央付近に、等高線の密な谷が南から北へ、そして北西方向に落ちています。
東上線の北側手前あたりから、西台中央通り付近~西徳通り付近となっている部分。
西徳通りは現在でも谷になっているのが現地を歩いても体感できるのですが、西台中央通りはこの険しさを微塵も感じさせない平地になっているのです。

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グーグルアース東京地形地図さまより引用させていただきました。
画面中央辺りに道路筋と、谷のうっすらした痕跡が見えています。左側:前谷津川中尾谷(不動通り)とその支谷たち、右側:蓮根川の谷に挟まれる地勢。その中央にはかつてさらに険しい谷が走っていたのです。

「いたばしの河川」の記載に拠ると、 

「徳丸小学校のあたりの周辺は今は平地だが、昭和20年頃までは窪地であった。湧水があり「ツルマイ池」があったと言われている。
都のゴミ捨て場となり埋没しその後は西徳第一公園になっている。」

こんな内陸に都のゴミ捨て場・・・?感覚的に理解が追い付かず。
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当ブログで何度か登場している、手持ちの「ワラジヤ」さんの地図。昭和41年の発行。
地図の中央付近に「塵芥処理場」表記があります。

「ツルマイ池」の位置に関しては、資料によって微妙に異なっており、それがこの谷を一層謎めいたものにしている印象が私の中では濃いのです。→(後述していきます)

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前掲の「西徳第一公園」に赴くと、「西徳土地区画整理組合」による竣工碑があり、(背後にコモディイイダが見えています・・・暗渠仲間の方で”コモディイイダ暗渠沿い出店&立地説”を提唱されている方がいらして、、まさに該当していますね)

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「昔この地は西台と徳丸の境界にあたり20m程の谷間でその中央を流れる小川が村境でした。その両側は鬱蒼たる雑木林に覆われ、昼間といえども谷間に入るものは数少なく、昔の人は鶴舞池と言う池があったといわれています。
 
昭和7年よりこの谷を東京都がごみ処理場として埋立て開始、35年埋立てを中止、この付近一帯を区画整理により住みよい街づくりをしようと、同38年11月事業認可を受け道路公園敷地等土地所有者が持ち分に応じ減歩し区に提供して区が造園したものである。」

「掃き溜めに鶴。」と独りごちてしまいます。思わず。

二つ上の、昭和41年地図で西台と徳丸で色分けされた部分を村境とすると、想定される小川の流れはこのような感じに。
東上線の北側付近を、南→北方向へ、そして大きなカーブを描いて北西方向に村境を形成しています。この大きな湾曲が今回の谷の形状的特徴。

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1997年に練馬区から出版された「田柄用水を訪ねて」という教育用の冊子に収録された「練馬区水車分布図(M26北豊島郡全図を下図にしているもの)」にも、同様の村境と、それに重なる水路線(最上流は、上記の地図でいう塵芥処理場辺り)、鶴巻池らしきもの、が描かれています。
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境界線に絡みつくような川、この図における川の始点からほんの少し下った地点にある黒い物体は鶴巻池でしょうか?
(それとも、ここだけインクがドバッと出ちゃったよ、みたいな感じなのか)
こちらの地図、あとで鶴舞池の場所を考える際にもう一度述べます。

はっきりと確認できるものでは、内務省復興局の地図~大正12年「赤塚東部」大正14年「志村西部」に、現在の西徳通り付近を北西に流れていく水路が描かれ、谷沿いには田が開かれていた様子もわかります。

また、1963~67発行の住宅地図では、最下流付近(現在の不動通りの谷に合流する、水路の名残?)が見て取れます。

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1963~67の住宅地図で見える水路跡を、1965-1968の今昔マップ上におとすと大体このような感じになります。


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写真の奥が不動通り。今回の水路の最下流辺り。たまたま見掛けた更地に、かつての川沿いの景色を重ねます。


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↑8年前にこの辺りを撮った写真には、崖からこの水路に流れ込む側溝のような物件があったのですが、今回通ったら跡形もなくなっていました。

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谷を彩る百日紅。西徳通り。

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こんな崖を形成した流れ~水の勢いに思いを馳せます。
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対岸の台地(西台3丁目)を望む。

下流域はこうして谷地形が確認できるものの、上流域の地形の失われ方。。。
上流域の地形をこれほど改変した「都の塵芥処理場」について、公園の碑や「いたばしの河川」以外に記載のある資料では、2000年刊行の「東京都清掃事業百年史 昭和前半の埋立処理場 内陸低地の埋立投棄」の項に、

「西台処理場は(内陸における主な埋立処分場のなかで)もっとも大規模であり、かつ長期間使用された。当地では昭和4年(1929)頃、新市域の町村のごみを埋め立てる為に業者が地主から土地を借り受け、ごみの収集運搬と埋立処分および有価物回収を行っていた。

この付近は最大30mもある深い谷になっており、ごみ埋め立ての場所としては好条件のため、都が特別区全域のごみ処理を行う事となった際に、この土地を業者から引き継ぎ、35年まで直接使用した。面積は順次拡大され、最終的にはおよそ6万㎡になった。

埋立て作業は、谷の上からごみを投げ捨てる、いわゆる「投棄埋立(オーバーダンプ)」方式である。ごみが投棄された斜面等では、有価物の回収が行われた。埋立終了後、本処理場は覆土や排水路および道路を整備して地主に返還する事になっていたが、地形が大幅に変わったことなどから、地権者に呼び掛け、土地区画整理事業として整備した。それに要した費用は約6500万円であった。」

また、付近の小学校周年誌やWEB上にも以下のような記載がありました。
 
付近の小学校周年誌:「1960年(昭和35年)頃まで今の小学校の南(ツルマイ谷)は東京のごみ捨て場でした。戦争中はそのごみを掘ってふるいにかけ、良いところを堆肥として他府県へ打ったということです。戦後は、掘ったその穴へまたごみを捨てました。」
「・・・ごみの上に土を盛った運動場だったので、雨がふるとどろどろになりました。運動会の前には砂をまいたり、石油を燃やしたりして土を乾かしました。」
 
WEB上における記載:(卒業生の話として)「雨が降るたび、校庭の砂が浸食されて流れ出し、土の中から陶器やガラスの欠片が出てきた」

過去の住宅地図(1970年以前)によると、谷の上流域(西台中央通付近)に「塵芥処理所」「○○(企業名)ゴム処理場」の表記が見て取れました。
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「清掃事業のあゆみ(1977)」より、西台処理場の写真。昭和36年。竣工碑には35年埋立て中止とありましたが・・・造成中の写真でしょうか。

東京都都市整備局の出している「大規模盛土造成地マップ」を見ると、この付近一帯が区内でも最大規模の造成が成されている様子。
当該マップ内においては、23区内で一番規模の大きい部類の造成地になるのでは・・・

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昭和38年の「国土地理院空中写真」より。白い部分が上流域、かつての谷に「西台中央通り」を通すための土台ができつつあります。

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同じく昭和41年、谷の上流域はほぼ現在の区画の土台が整い、西徳通り(谷の中流域。画像では中央上から北西方向へ)の下地ができつつあります。

そもそも、最初にごみを埋め始めたのは、既に小規模な私設のゴミ捨て場などがあったからなのだろうか?谷のエリアとしてはどこの辺りから埋めていったのだろうか。。貝塚のような画像を思い描いたり。航空写真の変遷などをみると、谷頭の方から埋めたように見受けられますが如何に。


区画整理事業であれば記念誌などを出しているケースもあるのですが、「西徳土地区画整理事業」の出版物は見当たりませんでした。
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10年位前には、この場所にたしか「西徳土地区画整理組合」の名前が入った掲示板があったような記憶があるのですが、枠のみが残されていました。

さて、水源の一つである「ツルマイ池」の様子や、はっきりとしないその場所も悶々としています。

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谷頭は、旧地形図を見ると東上線のすぐ北側辺りと考えられますが、大規模な谷の埋立が成された後、痕跡はあるのでしょうか?・・・
と歩いて見ると、地図で見て取れる谷頭付近のそばに、うっすらと窪んだ場所がありました。
スクーターの置いてあるあたりが窪んでいて、過去の険しい谷はこの付近から写真左=北方向へ落ち込んでいたようです。

流域を歩くと、ところどころで「ゆんゆん」した地形が見られるのですが、それが湧いていた名残なのか、造成で均される過程でできたのかはっきりしません。
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「ゆんゆん」窪んでたわんでいます。
コモディイイダのあたりも窪んでいました。

「鶴巻池」の場所については、資料によって場所が少し異なるようで、

A.西徳第一公園の竣工碑に拠ると「徳丸小学校」「西徳第一公園」の付近→オレンジの丸
B.「いたばしの地名」では2パターンの書かれ方で、
 ①つるまき~徳丸1丁目 板橋西清掃事務所、徳丸小学校、西徳第一公園の一帯の「最下段」
 ②久保、"弦巻池"~西台4丁目。現在では埋め立てられ平地となっていますが、昔は前谷津川の大きな谷が南北に走っていました。”弦巻池”もこの谷の中にありました→ピンクの丸/弦巻池は西徳第一公園の東側の谷の中にあった池。埋め立てられて今はありません。→緑の丸
C.記事中で既に触れている「田柄用水を訪ねて」という教育用の冊子に収録された「練馬区水車分布図(M26北豊島郡全図を下図にしているもの)」に見られる「鶴巻池らしきもの」→青い丸

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Bの②については「いたばしの地名」の中に地図があり、それぞれの地名を示す範囲が囲まれていたものを大体の感じで再現してみました。
丸が二つ「集合」しているエリアの可能性が高いのでしょうか・・・?ここまでくると、もう東隣にすぐ蓮根川の谷が近接してきております。

また、伝承という形では、

D.「いたばしの昔ばなし」に登場する「鶴が池」の伝承では、位置に関する所だけ抜粋すると、「昔、西台村の円福寺の法蔵庵阿弥陀坂の下をおさむらいが馬に乗って通りかかった。さむらいは畑仕事をしていた百姓に向かい、鶴が池への道を尋ねると、「この道をまっすぐ行くと京徳観音の森がすぐ見えます。その森の近くにある大きな池が鶴が池です」と答えたというもの

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京徳観音が紫丸で、直線が「弥陀堂の坂」と呼ばれている坂。坂の下は東側を指すような気もしますが、そうすると話の筋に合わないし・・目印の少なかった時代なのである程度距離の離れた場所が、武士や百姓の立ち位置または指し示す方向とも言えますが、、、

鶴巻池に関しては、「五段田遺跡」の発掘資料の中で、地元の西台在住の古老の方のお話として
「家々の周囲では大根や茄子を栽培し、収穫された生大根は鶴舞池で洗い・・・」という記載がありましたが、詳しい位置や、いつまで池が形として残っていたのかが依然としてはっきりわからないままです。

ちなみに私は、上の地図でいうと中央から見て斜め左下の公園「徳丸1丁目公園(徳丸1-35辺り)」付近が鶴巻池の雰囲気に何となく似ているので、心の中の「鶴巻池」と見立てておりました。

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↑これも6年以上前の写真で、そのあと訪れていないため現状はどんな雰囲気なのか・・・

五段田遺跡の人々は、鶴巻池の水に触れ、鶴の姿を目にしたのでしょうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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おまけ
西徳通り沿いに残る、遺跡のようにも見えてきてしまう土台。年月の経った流木?で格子が掛けられていて、不思議な雰囲気。

暗渠ハンター・Lotus62さんがこちらの谷戸を既に取り上げていらっしゃいます。




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# by onnbubatta | 2017-08-17 10:05 | 前谷津川 | Comments(4)

薬師の泉からの流れ・・・?板橋区東坂下に僅かに遺る蓋暗渠

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冒頭から、この取り込み中みたいな画像であれなのですが・・・
ずっと地図にも記している水路跡で、かつ2回ほど過去に確認にも来ているはずなのですが、今回初めて蓋が3~4枚残っているのを現地で確認できました。



ブルーの金網とオレンジの金網、グループ化されているのかな。






場所はこちら。中山道と環八が交差する辺り。セブンタウン小豆沢という商業施設の近くです。
セブンタウン小豆沢は、かつての小豆沢ガーデン(ゴルフ・プールなどの運動施設)、更に遡ると大日本セルロイドという工場が立地していた場所です。近くに区立の小豆沢体育館のプールもあり、水とは深い関係のある土地のようです。
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過去の住宅地図において確認できた水路跡は上の地図の通り。
どこからか端を発して、新河岸川に注いでいた流れになります。ちょうど水路跡の表記の始点が「薬師の泉」(地図黄色い丸)に近いので、水源もそうなのかなと推測しますが、周囲が崖線なのでどこも水が出てきそうな地勢です。


過去記事~ここから東にある「小豆沢公園の鍵付き蓋暗渠」の記事はこちらです。宜しければお読みください。


薬師の泉は、「いたばしの河川」という昭和50年代に出された板橋の河川バイブル的な書において「現状荒れているのが惜しまれる」的な叙述があったのを鮮明に記憶しています。そうなった経緯はよくわかりませんが、平成初頭の住宅地図では「復元工事中」の表記が見てとれ、現在は「薬師の泉庭園」となっています。だいぶ前に中に入ったことがあり、酔芙容の花が艶やかに咲いていたのが印象に残っています。

追記:薬師の泉は現在区が管理する庭園ですが、昔は曹洞宗の「大善寺」という寺があった場所で、現在は台地上の「総泉寺」に吸収合併されています。板橋区教育委員会発行の「文化財シリーズ第75集・まち博ガイドブック」に拠れば「薬師の泉」の説明に於いて、
「・・・昭和の初めに造られた”亀山荘庭園”は戦後は荒れるに任せていたが、板橋区は復元を行い薬師の泉庭園として開園」との記載がありました。また、北豊島郡の地図を見るとこの辺り「大善寺谷津」という字名が飛び飛びに見られます。

崖下の寺が崖上の寺に吸収合併・・・寺の跡地の泉・・・荒れた庭園・・・ああ、心を寄せずにいられようか。。
心をかき乱されるしどうしようもなく惹かれていきます。

吸収された先の「総泉寺」も浅草からこの志村の台地上に移ってきた寺で、かつては芝の青松寺・高輪の泉岳寺とともに曹洞宗の江戸三ヶ寺の筆頭として栄えていたとの事。

総泉寺については記事の最後の方でも触れます。


何か、心をぐいぐいと寄せられる要素がどんどん出現してきました。


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当該水路跡、赤い丸で囲った所が水路跡の雰囲気を今でも残している箇所で、水路跡の南側は大日本印刷の敷地として利用されています。

大日本印刷、いつも良好な場所にあるイメージ・・・

その他の箇所は歩道になっています。

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赤丸部分の左側(西側)から。大日本印刷と駐車場の間に細い側溝が残されていました。
勇気を振り絞って一段下に降りてみると、服に沢山植物の種が付着しました。私が運び屋になります・・・
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護岸の石のようなものも確認できました。

コの字周りで、東側を確認しに行きます。

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赤丸右上辺り、水路跡が歩道に化けている箇所です。どきどきする瞬間。
君はどのようにして達するのか。
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あのさ、こういう土嚢の置かれ方って実にドラマティックだよね。
舞台装置、小道具みたい・・・ドゥ ユウ ノウ ドノウ・・・?

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土嚢スタスィオン



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公道に達する目前、僅かに蓋が残っていたのです!
都会?に残るこういう僅かな空白・隙間、みたいなものを探し続けている身にとって何よりの宝物。

こんな隙間に立って、私は何をしているのだろうか・・・

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大きさの若干違う蓋どうしが余生を静かに過ごしておりました。。。

 
至近(小豆沢3-12地内)に在る水路跡の写真も載せておきます。
マセラティ板橋の隣という、素晴らしいロケーション。
この辺りは清水坂という地名もありますし、色々な場所から水が流れて来たのでしょう。

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土木部・土木課のガードやコーンが置かれている場所は大抵我々にとって好ましい場所です。
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近くに着流した感じがイケてるお地蔵様がおられます。

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このかくかくした道、旧い道の匂いがする・・・

文中で触れた「総泉寺」、中山道沿いに葬儀会館「妙亀会館」を有しているのですが、そちらが不思議な状態なのです。
車で通過するときなど時折目にしていたのですが。

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平成14年完成予定につき閉館とあるのですが、今現在も閉鎖状態が継続しているのです。。

お寺の本体の方を訪問すると、

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がらん、としています。崖線上にあるので、背後の景色が抜けています。
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本堂もこのような状態・・

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山門のお向かいが工場なので、独特の光景を造り出しています。

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鉄の杭のロープが張られたりしていて、境内のすべてを再整備する予定ではあったようなのですが
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・・・常に普請中、ではなくて整備を計画したまま時が止まっている様子。

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事情を知るのは・・・黒猫ちゃのみ

おまけ・・・「いたばしの昔ばなし」に、以仁王がこの近くに流れてきて葬られたというお話が伝わっているとか。
貴種流離譚でしょうか・・・

追記。昔の住宅地図を見ていたら、今回ご紹介した水路跡の河口近く、水路を跨ぐ形で「トロッコ線路」という面白い表記を発見したので、地図上で示しておきます。

d0250051_08352230.png
緑の線で示した辺りに二条の表記がありました。
おそらく昭和40年代後半の住宅地図で、「秋木工業」という事業所が水路を挟んで東西に立地しており、資材の運搬などに利用されていたのでしょうか。

何度も地図を見ていても、気づかないことってありますね。


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# by onnbubatta | 2017-07-26 16:04 | 新河岸川 | Comments(9)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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