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大森海岸~暗渠、潮の香りの料亭街跡散策①

少し前に品川辺り(仙台坂、ゼームス坂界隈)を歩く機会があって、城南方面へひたひた、ひたひたと足を踏み入れ始めてました。

何故か私の頭の中では、なんかあれなんですが品川=小平事件の小平義雄、のイメージがあって、そこから「大井海岸町」という旧町名に辿り/流れ着いたというのもあります。そこには、最近になって急激に興味が湧いてきた「料亭街」がかつてあったのでした。

今迄全く気が付かなかった入り堀跡みたいなのもあるんですよね。
はじめての「大森海岸」へ向かいます。

去年の今頃、大森町駅も暗渠散策で初めて訪れて、何だか「春には大森」の流れが来ているのを感じています。
海が遠ざかった歓楽街という点では愛知県碧南市衣浦の記事とも通じるような。

スタートは、大森駅から。
クリーニング屋さん「あらがや」(荒賀さん)のタイルを見に来ました。


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タイルが好きで、色々な建物や遺構を見てきましたが、クリーニング屋さんは初めてです。
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青空にとてもよく映える、群青色の素敵なタイルでした。

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今昔マップ(1927-1939)より地図を引用させていただきました。
京浜電気鉄道大森支線の跡を通って大森海岸駅方面へ向かいます。
大森海岸駅の北側、南側両方に料亭街はあったのですが、まずは北側から。

あまり遺構は残っていないとの事ですが・・・
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大井海岸町の現在の場所を調べていた頃、まだこの辺りが料亭街という認識も無かった段階でグーグルマップの航空写真を見ていて気になっていた建物。

「大森海岸 芸妓置屋 由の家」様のホームページに寄りますと、こちらの建物は芸妓置屋だったそうです。
過去住宅地図を何年か分見た感じでは個人宅のような表記でした。

溶岩っぽい石造が玄関の内側に残っていて、異世界の雰囲気を少し残していました。

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あと、駅の北側で雰囲気が残っているのはこちらの「入舟」さん、等々でしょうか。今は「洋食 入舟」の表記ですが、メニューを見ていたら洋食一辺倒でもないようでした。

たまたまかもしれないですが、建物側面の円柱に勝手に料亭街のしっとりした空気を覚えてしまうのでした。

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料亭ではないけれど、この界隈に残る数少ない旧い建物。家族のように寄り添って残っています。

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駅近くの「松乃鮨」さんの近くに、1960年代の地図では「題目堂」の表記があってずっと気になっていたんですが、以降の地図では消えており、現地はどうなっているのかと思っていました。が、やはり何もありませんでした。

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1960年の住宅地図です。ここには寺院の表記のみですが、他の年代の地図を見ると「題目堂」とあります。
きっと、どこかへ移設されたのだとは思いますが。
(ちなみに、駅の反対側~海側には大型の料亭が林立し、その中の「楽々」などは地図でも(不夜城)の別名表記まで記載されていて興味深いです。)


更に年代を遡ると、明治期には駅の反対側(東側)に寺院の表記が見て取れます。

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今は国道の下になってしまっています。

これが、上記の「題目堂」なのか?と思い、帝都地形図を引きましたら

「国道1号東海道の街道脇にある題目堂は寛政年間(1789-1801)の開基である。鈴ヶ森刑場と関係はないが、刑場付近の悪臭、凄惨な様子を通行中にみた元小田原藩士で池上本門寺の日観が、霊を鎮める為に草庵を結んだのが始まりと言われる。」

の記載がありました。

国道の拡幅に伴って駅の西側に移されたのち、時の流れでまた別の地に。。。という流浪のお堂なのでしょうか。

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料亭ではなく比較的新しい年代の建物なのだけど、残り香みたいなものを感じられる間口。

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「大井海岸町」の名前を残す、大井海岸公園のトイレのタイル。


駅の南側へ移動します。

今は埋め立てられている入り堀?(名前がわからない・・・!水路跡のブログなのに・・・八幡橋、の名前は判るのですが)沿いに旧い建物が一軒残っているのをグーグルマップでチェックしていたので。

この堀、磐井神社をぐるっと回っていて、そんな造りもとっても気になっているんです
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グーグルマップのスクショ、右側が堀です。
この建物を見たかったのですが

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時既に遅し。最新の住宅地図にもかろうじて建物の形状は残っていましたが。

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料亭「梅元」さん跡を見に来た格好になってしまいました。(料亭ではなく置屋さんとの情報もあります)

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堀の先は水面は見えないけど平和島の競艇場。かなりの轟音が響いていました。

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1896-1909の今昔マップから引用させていただきます。
八幡海岸に、堀からの澪筋のようなものは描かれており、しばしうっとりしてしまいます。

「梅元」南側の堀は国道を「八幡橋」で渡って、磐井神社を回って京急とぶつかっているように描かれています。
(八幡橋 大森海岸、で堀の名称を検索しても江東区の方の八幡橋が出てきてしまって・・・)

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大正期の「地籍図」によると、京急を越えて「清花園鉱泉」の敷地へ入り込んでいます。
(清花園は鉱泉浴場や釣堀を備えた遊園地で、電力の供給を京急から受けていたとの事。のちのアサヒビール大森工場。
現在の「清花公園」にその名残がかろうじて感じられます。)
(清花園南の「潮田」地名もかなりキテます。)

次回に続きます。


















# by onnbubatta | 2019-03-03 12:27 | 城南 | Comments(2)

早稲田散策 コートハウス型の下宿建築を探して

最近、街歩きに少し新しいアプローチ/手法が加わりました。

名古屋の中村遊郭探訪がきっかけだったのですが、過去も含め航空写真から見た建物の特異な形状、古びた感じをまずチェック、そこから周りを歩き始めるといった具合です。

中村遊郭は特にその中庭を擁した「中空の箱」、「コの字型」の形が地表を埋め尽くすように見えるのが私にとっては強烈な印象だったのです。


そんな流れで、たまたま早稲田~高田馬場界隈の過去の空中写真を眺めていたら、かつて下宿/旅館/寮、社宅等の建物に上記のような特徴(またはそれに近似する)を備えた建物が多くあったことが読み取れてきました。(併せて住宅地図や、地元の方が作成した手描きの記憶地図なども参考にさせていただきました。)

しかし気づくのがいつも遅く、現存している建物は僅かです。

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最も有名な「日本館」。
昭和10年築との事。昭和10年くらいの手描き地図を参照すると「紺碧館」の表記がありました。

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昭和50年の空中写真で、「中空の箱」、「コの字型」の形に近く、大型の建物に丸を付けてみました。
見づらくてすみません。
この地図内で現存しているのはおそらく上のピンク二つになります。(もう一つのピンクは間違いです。重ねてすみません)
「日本館」はピンク丸の上二つの左側(明治通りに近い方)です。

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日本館は数回前を通っただけで、細部は観察していなかったのですが、グレイがかった水色の窓枠、板張りの壁など本当に絵になる建物で、ランドマーク的な角地を形成しています。

玄関脇、何の樹だろう。。入る人、帰ってくる人、出て行く人を静かに見つめているのかな。
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私が昔通っていたお医者さんがこんな感じの窓風景でした。

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藤棚?も。


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日本館すぐ近くの「富士見荘」。
通りに面してゆったりとした広いお庭、背後の棕櫚の樹も立派で、シンボルツリーみたいです。
日本館同様、藤棚のような造作が配されています。
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西向きの傾斜地に差し掛かる立地なので、本当に「富士見」の宿だったのかもしれません。

この界隈に川の流れのように連続している点字ブロックと「ピンポン」と鳴る誘導音を聴くと、馬場に来たなあ、と実感します。


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ここもそうですね。あちこちに、クリーム色の小川を見てしまいます。

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と、ここで。

富士見荘「建築計画のお知らせ」看板が掲げられていました。

いつもそうなんだ・・・ふっと呼び寄せられて赴くと。
昭和40年築との事。
がくんと肩を落とします。

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今のグーグルマップで見る、日本館と富士見荘。




中空型の建物が一つ残っているはずの、少し東の方に移動します。
これもグーグルマップの航空写真で見ただけなので、存在している保証はなく、富士見荘の「建築計画のお知らせ」看板を見た後なので不安な気持ちを抱え。

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ああ・・・!一歩遅かったか・・・!

としばし狼狽してしまいましたが、目的地はどうやら奥の建物のようです!
隣地が空いて、より良く観察できるようになってる!

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この窓に向かって、ご飯を沢山作っていたのかな。
かちゃかちゃ、ガチャガチャ、トントントン。色んな音が聴こえてきそう。
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下宿賄付 渡辺館。
こちらも各種の鉢が瑞々しく路地を彩っています。

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桜の樹も。

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サイドはあまりよく見えないのですが、板張りになっています。

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今のグーグルマップだとこんな感じ。
更地になった隣地、緑豊かな地所だったのですね。

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昭和50年の航空写真。ピンクが渡辺館、それ以外はおそらくこの形では現存していません。

渡辺館の下の、大きな山吹色の丸は「朋来居」という住宅だったそうです。
松本泰生さんのブログに、素敵な写真が残されていました。



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大学に隣接したあたりにも大型のコの字型下宿が確認できました。(昭和50年)
大学の建物群そのものが、コの字の集積ですね。



そしていつも思うのですが、早稲田界隈は素敵なY字路、わかれ道が多い。

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ここの近くのミモザ、いつも楽しみにしているんです。(昨年2月撮影)



下宿かどうかわかりませんが、現存している素敵な建物(集合住宅)
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早稲田~高田馬場は個人住宅含め、玄関の石柱が立派な住宅がいくつか残っています。
組み方が不思議美しいです。
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石の門柱、アーチを描くタイルの玄関、そして玄関わきの松と紅葉がやはり素敵です。
建物を彩る植物やお庭、豊かな気持ちにふわ~んと包まれます。

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サイドに廻ると、棕櫚がすっと立っていました。


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↑西早稲田2丁目、南栄荘。
旧屋号は「天龍閣」。
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西早稲田1丁目
この建物がなくなる時がきたら、絶対泣いちゃう

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うっとりするような戸建住宅もいくつか見つけられます。
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素敵な窓ガラス

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住宅地図みたいな玄関のガラス戸。
諏訪の方に近づくと、雰囲気のあるお宅が何軒か見つかりました。
数少なくなったとは言え、こうした建築を今でも目にすることができるんですね。


昔、インド大使館邸入った辺りに、何か気になる物件があった記憶があります。
写真も撮った気がするのですが、どこだったんだろう。。20年以上前になりますが、もっと旧い建物に気を配っていれば良かったと改めて痛感するところです。


下宿とか旅館がみんなこの形なら、本郷はどうなのかな?と思って本郷方面の昔の航空写真も調べたら、同様の建物がいくつも見つかりました。
残っているものはこちらも数少ないでしょうが、中村遊郭から始まった「コートハウス」建築を観察する新たな視点を持って、また本郷方面も歩きに行く予定です。

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早稲田高低差。お馬さんの階段。





# by onnbubatta | 2019-01-26 10:02 | 神田川支流

遠ざかる海。海を見ていた衣浦歓楽街跡(橋跡、暗渠入り)

昨年10月、愛知県碧南市の「衣浦遊郭」跡のこの建物、行かないと早々に無くなってしまう気がして、どうしても急ぎ見に行かないと・・・と、訪れました。
名古屋から一時間弱くらい、名鉄三河線「新川町」から徒歩圏。
旧い地名では「沖見平」、「常盤浦」

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旅館「吉文」さん跡。
高台の縁、今は埋め立てられてしまった沖を望む位置に立っているのです。
この鱗のような窓ガラス、何度夢に出てきた事でしょう。何枚ものガラスたち。

かつては客達が海を眺め、今は誰が遠くなった海を見ている事やら。。
残留思念か、窓の内側自身か。

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こちらの角度の写真の方が、より「海を向いていた」感が出ていると思います。横顔のようにも見えてきます。
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年月や潮風に晒されてなお、屋号の痕跡を微かに伝えています。
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宿の下は階段になっています。

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階段を挟んでお隣はラブホテル。(かつての、衣浦温泉湯本本館)

周辺には、旅館街だった名残がコンパクトに集積しています。
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強め・濃い目のピンク色にはどきどきしてしまいますね。

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旅館街に向かうメインストリート。
正面のくすんだピンクの建物も旅館跡。(八千代旅館)
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窓の手摺りの装飾、錆びているけど可愛らしい。桃色の建物にお似合いでした。

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「衣浦温泉 清元」の痕跡。
清元さんは既に無し。
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菱型の窓も

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「持ち送り」の意匠も手が込んだ細かな造り。
(この箇所を「持ち送り」と呼ぶことを教えてもらって以来、注視してしまいます。名称を知るって大事ですね。)

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鮮やかなタイル円柱!!
この日は天気がいま一つでしたが、救われた気がしました!

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屋号の看板など架かっていたのでしょうか。
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海の記憶。
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短い渡り廊下で繫がる、二棟の建物。
「渡る」という行為にはいつだってどきどきしてしまいます(どきどきしてばかりだな。)

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とある建物の裏手にぼんやり現われる大きな丸窓。

衣浦の街は、個々の旅館跡建物以外にも見所が沢山あります。



私は普段、水路跡歩きを生業としているのですが、「新川町」駅を降りた瞬間に嬉しい悲鳴が上がりました。


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何か埋まってる!
「駅前橋」、駅と橋が旧字なのも味わい深かったです。
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この地でも、しっかりと蓋暗渠にも出会う事が出来ました。
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この水路の先は・・・
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水路跡沿いに、花が咲いたように鮮やかなピンクの建物。ここまでくると旅館街跡が目の前です。
水路跡にguideされたような格好です。(嬉しき。)

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鈍色の空のもと、ピンクの濃淡が今にも残る強い印象を与えてくれました。

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窓の意匠が目を引いた建物、角地に立っていました。
過去住宅地図を見るとお菓子屋さんだったようですが・・・


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不意に、お城のような建物。
今はお布団屋さんでしたが、消えかかった「おもちゃ」の文字がうっすら。

「消えかかり」「名残」「痕跡」をテーマに街歩きしている者には、訴えかけてくるメッセージのようなものです。


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パチンコ屋さんも、趣ある建物です。ギラギラしてなくて。




そして帰り際、最も衝撃的だった光景
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「悪水路」。
こんな名乗りの橋は見た事がありません!
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私がその悪い水路です!!ワルです。

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昭和25年12月に架けられた「学校前橋」でした。

来る前に、旅館街のメインストリートあたりをGoogle SVで確認している際に気になっていた建物。(スクショです。)
二階部分の空洞、、くり抜いたような爆発でもあったかのような。
そうなっちゃったのか作為なのか、非常に心がグラグラしたのです。
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昭和40-50年代の住宅地図ではこの位置に「バー 石水」があった事もあり現地で確認したかったのですが、既にありませんでした。

昔の地図では、もうワンブロック駅寄りに「郭前」の表記の街区が見て取れました。

かつてはこの辺りに地域の法務局、劇場、ボウリング場?もあったようですが、今は本当に静かな街でした。(ご飯食べる所も見つけられず・・・)

このあとの行程として名古屋市の港陽園遊郭や、尾頭橋の八幡園遊郭探訪も計画していたため駆け足になってしまいましたが、もう一度じっくり歩いてみたい街でした。


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こちらは尾頭橋の旅館の痕跡。扇型の何か・・・
こうした「ヒトガタ」のようなものにいつも惹かれて、あちこちふらふらしています。
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豊島区で採集した「ヒトガタ」例
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過去記事はこちらです。↓










# by onnbubatta | 2019-01-20 18:24 | 愛知県 | Comments(0)

星は散り散りに・・・(中村遊郭跡地紀行)

先日名古屋の中村遊郭界隈を訪れた際、立ち尽くしてしまった物件のひとつ。

現地においては色々書き込みした地図を持っておらず、「Googlemapで見ると、現状遊郭4軒分空き地になっている場所」ぐらいの場認識を持っていた程度ですが。。

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空き地と隣地との境界に見上げる程の高い壁があり、鉄筋で支えられています。
雨が降っていたこともあり、コンクリートに染みた水跡も重みのある、人の気持ちを映し出したような雰囲気を作りげていました。

濃い部分の染みを「垂れ落ちる影」と見るか、下の白い部分を「山」として見るか。

中村遊郭の他の場所でもこうした壁があと数か所、隣地が空くなどした結果、見える形で残っています。

場所柄、「嘆きの壁」を意識してしまいます。

壁にもたれかかるように、解体で出た石材などが雑多な感じでより集められていました。


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ピンク色、紺色、水色。この色鮮やかなタイルたち、建物の中のどのような部分を彩っていたんでしょう・・
そして、欠片になった現在でも、辺りが失われた中の残照としてより強い光を放っているように見えました。
まるで最後の力を振り絞り、眩い程に。

後日、ストリートビューなどで詳しく確認してみると、ストリートビューの画像にはまだ建物が残っていました。
以前こちらの建物:天龍閣別館、の中を紹介したブログを読んだことを思い出してきたのです。
昨年夏ぐらいに書かれたブログで、当時既にに人は住んでおらず、建物の世話人のような方がいる、、というような内容でした。
(天龍閣、八幡園にも同じ屋号が過去にありました)

更に調べてみると、今年の5月に解体に着手、6月に更地となっていたようです。

「稲本」のような大店の取り壊しはニュースでも報じられるのですが、こちらの「旧新星楼」については、まだ存在しているのだろうと思っていました。
(旧新星楼、と矛盾を感じる表記に自分で書いていてもやもやしてしまう・・・)

「遊郭5軒分」の跡地、いずれ一つの大きな建物が建つのでしょう。
いや、もしかしたら6軒、7軒分くらいに今後拡大するのかもしれません。

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昨年以前に空き地となっていた区画は砂利敷の上に雑草が生えてきています。
束の間、光を求めてにょきにょきと。
そしてまた刈られ。
雑草は強い、って決めつけないで。


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今年の6月に解体された建物側の敷地は砂地が露出、そこに廃材が残置され、昼顔か朝顔が蔓延っています。
砂利敷と砂の境界、時の境界。

今後どのような土地利用になるのかわかりませんが、元々低湿地だった界隈を造成、別々の名前の楼が整然と立ち並んでいた場所。
時を経て再び別のまとまった形の土地を形作る・・・そんな前夜に立ち会った感じです。

その辺りも、宇宙と通じる所があるな・・・なんて事を考えました。

そして、どこが接点でどこが境界だったのか、忘れていってしまう。

雨でやだな~・・・と思っていた中村遊郭散歩でしたが、よくよく反芻して考えたら、低湿地だった雰囲気が色濃く伝わってきて、いつも以上に水の上を体感することができた旅になりました。




# by onnbubatta | 2018-10-23 21:01 | 名古屋 | Comments(0)

寝ても覚めても中村遊郭(橋跡、溝跡、そして後悔)

今年になって、人生初の名古屋下車→ご縁が続いてもう3度ほど訪れている「中村遊郭跡」界隈。

寝ても覚めても、名古屋から一駅のこの一画の事ばかり考えてしまいます。

「大正時代の妓楼が現役の風俗店、デイサービスセンター、民家として利用されており、目の前も含めて周囲はスーパーやマンション。中には廃墟のような物件もある」

が端的な現状説明になるのですが、それらの建築物が相当数を減らしつつあるとの事。

97年に購入した「赤線跡を歩く」で読んだことはあって、その際の写真の印象は派手で、賑やかそうな(大音量の音楽が聞こえてくるような)街、でした。

風俗街ということで、怖い場所のイメージもあったし、未知の場所で、少し緊張しながら散策してみました。

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こんにちは。
エリアの南西端で見つけた橋跡のような構造物。

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「大正10年3月」?と読めます。
中村遊郭の開業が大正12年(1923)なので、その直前のものになりますね。

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猫が歩いていそうな雰囲気があります。
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中村遊郭外周に巡らされた溝の跡。
川跡・溝歩きを本業としているため、ここはまず確認したかった箇所。
ここは未舗装ですが、また別の場所では舗装した道路となっています


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遊郭の街区は、亀?土俵?のような形状となっていて、空中写真などをみるとその特異な形が判然としています。
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遊郭の外周はこのような溝で囲まれていました。
南西端の水色部分は悪水路の「徳佐川」の痕跡です。

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今昔マップより引用させていただいてます。1888年の当地はまだ水田。
旧地形図の左側を斜めに横切るのが「徳佐川」、
地域を水害から守るために、安井徳佐エ門が私財を投じて開削した水路だそうです。

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1920年、明らかに何かが出来ています。外溝の出現。
この出現具合、心が高ぶります・・

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1932年、黒々として、ほぼ現在と同様の街区としての完成が見てとれます。
現在の日赤病院の位置にドーナツクッションのような池が見て取れますが、低湿地に遊郭を造成するにあたって土を掘った跡の池
「遊里ヶ池」で、大正14年に弁財天が勧請されてからは行楽地のような場所になり、花火大会が催された事もあったのだそうです。

徳佐川はそこに繫がれた形となったのでしょうか。

さて。
初回訪問時に、ふと目にとめた羽衣町の物件がありました。
遊郭跡の物件と認識していなかったので写真も撮らず。物件の前面に貼り紙がしてあり、内容は破産管財人からの通知。

写真を撮っていなかったのでストリートビューからのキャプチャーで失礼いたします。

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外観は新建材を巡らしてあるのですが、

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航空写真で確認すると(中央の物件)中村遊郭に特有の中庭があるコの字の形に見えます。
道路に向かって前面と、中庭や天窓から採光し、側面はほぼ窓が無いのが不思議です(側面に窓が少ないの、名古屋の古い民家によく見られて、東京から訪れるとそこに目がいってしまいます)
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中村遊郭の建物の配置は基本的に整然としていて、南北の端がぴったりと揃っているはずなのですが、当該物件は南側が少し切断されている?としても、明らかに遊郭の建物に見えます。(北側の物件が中村遊郭の特徴を有しています)

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昭和52年の航空写真が見易いので示してみました。
ピンク丸が当該物件です。まだ他の建物と形が揃っているのが判ります。
切断前、ということで良いでしょうか。
そして、立錐の余地もないほど、真ん中の開いた同形状の建物でぎっしり埋め尽くされている・・・圧巻の集合美です。


外観から判りにくい、切断されている可能性・・・
他の物件と比較して「派手さは無いけれど」この遊郭跡の可能性の或る建物:豊田食品、が気になってしょうがなく、一度目に留めたのにもかかわらず写真を撮らなかった事を激しく後悔していました。それが7月の事。


そして9月に再び名古屋にやって来た時、
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何も残っていませんでした。
雨上がり、砂地のような明るい地面が印象的でした。
前回の後悔が、二重三重になって覆い被さってくるような感覚になりました。


手持ちの1963住宅地図では酒/バー/アパート、の表記、1973年資料以降は現在に至るまで豊田食品。
風俗店などには転用されていないようです。

わかったのは大正12年開業当時の屋号のみ。

中村遊郭界隈は街区の並びは非常に判り易いのですが屋号の変遷が激しく、何度向かい合っても整理できていません。
でもその度に小さな発見があるのがやめられないところで、魅力的なのです。

あと、大正時代の建物に被せ物をしているケースが多々あるところも。
一体内部はどのようになっているのでしょう。風俗店には入れないけれど、お蕎麦屋さん(大門町の蕎麦伊とう)とかだったら入れるので、様子を伺いたいところです。そうでないと、残すは解体の瞬間でないと内部を見ることがかないません。

きっと中は綺麗に「古民家風」としてリフォームされているのでしょうけど・・・

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↑これも切断物件でしょうか。
遊郭のあとはおそばやさんだったようです。

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前店名の痕跡が見えている・浮かび上がっている(現アラモード)



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何か起こりそうな窓・・・♥



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遊郭に関連の或る「中村病院」跡地。
敷地を覆うメッシュ素材のシートが、こちらを見据える精霊のように見えて好きな一枚です。
ザッ、ザザッ・・・とこちらに近づいてきそう

また、かつての水田に蘇った、還ったかのような光景でした。。背後の名古屋駅ビル群も幻影のよう。



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クローズ・アップで見ると、ムシロ旗・・・?
先程は精霊と言いましたが、一揆のような気配を感じてもいます。



次回以降は、もっと自分で映した写真~(今回は地図が多かったような気がするので。)を入れていきたいと思います。

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2019.6追記。

「アラビアンナイト」の幻影は消えてしまっていました。

「徳佐川」の流末が残っている部分、前から確認したかったのですがなかなか行けず・・
今回ようやく現地に行くことができました。名古屋でこんな川跡を見られるなんて!!

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見事な橋跡に惚れ惚れ・・・


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最近気になって仕方がない棕櫚が堂々お出迎えです。



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水は流れていませんね。


徳佐川流末の他にも、中村遊郭の付近で地図が揺らいでる所を歩いてきたりして、冒頭の中村遊郭「幸橋」橋跡に非常に似ている構造物を発見しました。


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地図が揺らいでる=川跡の事も多いので期待しましたが、この構造物以外は確証得られず。。
橋跡だと思いたい。元から此処にあったのか、訳あってこの地に移されたのか・・・?

現在の環境から想像して「依存」という橋名を仮に付けたい感じです。


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やはり、どんな時も水に絡むものに自然と目が行ってしまいます。




# by onnbubatta | 2018-09-29 10:11 | 名古屋 | Comments(0)

大岡山駅前のtiny谷

初の呑川カテゴリ。
初の大岡山下車にして。

ごく小さな谷、名前はまだわからなくて(知らないだけ?)、お調べも手付かずのそんな谷です。
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小溝だね~。

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シュッとして、めっちゃスレンダーだなあ。
で、手前がもじゃもじゃしてるんだけど結構な急流なのよ。

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反対に(上流側)に廻り込みますと、

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再びドア。
脇には、「東工大専門 手作り料理 モミ(の木)」とあります。
TOKYO-TECH暗渠だったのか。

専門とは。
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「今昔マップ」より引用させていただきました。
今回の小溝は、大体この緑のごく小さな谷筋にあたるようです。
清水窪の、さらにその支谷ということでいいのかしら・・・?
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周辺を少しばかり歩くと、

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大田区の境界標で飾られた、こんな溝とか、(ビールケース付き)

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何だか知らずに染み出しちゃって

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ちょっとした湿地を形成している一画がありました。



我が家の近所に、夕暮れ時になると大量の鳥(種はわからない)の鳴き声が響き渡る樹があって。内部にどれだけの鳥がいるんだろう、ぐらいの密な存在感。
そこを通るといつもまだ見ぬ大岡山を連想していた場所があるのです。


一時期、大岡山のムクドリだかインコ類のねぐら騒音糞害が報道されていた時の印象が強いのかな。。



いつも連想するだけの大岡山で出逢った、リアルな谷のお話でした。

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# by onnbubatta | 2018-09-19 20:23 | 呑川 | Comments(4)

八王子市中野上町:清水川を辿る

前回の続きです。

前回積み残していた、「日本機械工業」敷地の北側辺りから、清水川を感じながら歩いて行きます。
暗渠化も取り沙汰されている清水川、現状はどうなんでしょう・・・

結論から先に申し上げると、結末が意外で、しばし愕然として立ち尽くしてしまいました・・・


敷地の北側は現在「しまむら」の敷地(以前の住宅地図表記ですと「ハチマン電子」)となっていて、その駐車場から・・・
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夏なのでより一層繁っていて外観がはっきりしないのですが、円型?円筒形の煉瓦給水塔がフェンスの向こうに見えているのです。

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引いてみても、やはりわかりにくい・・・また冬にきてみます。
人生初の「しまむら」、あまりに暑かったので中で涼ませて頂きました・・・
かつての製糸場に隣り合って、衣料品の量販店が立地しているのが時を越えて不思議な感じでした。

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いずれも敷地北側からの「日本機械工業」の建物の様子。
どれが「萩原」「片倉」時代の建物になるのでしょうか・・
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開きかけか、閉じかけた朝の顔

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すぼまっていると、色が濃く凝縮されて見えますし、白い部分との境い目もパラソルのように際立ちます。

右に曲がって、緑濃い道を降りて行きます。
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茎まで鮮やか。
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川沿いでよく見られる、各政党のポスターが畳みかけるように連続する風景。
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前回ご紹介した「橋跡」はここに繫がっていたんです。

この先、少し改変されたり一部が暗渠化されていますが(前回の水路上占有物件の地点など)、

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澄んだ水が流れていて、百日紅が造り出す美しい淵に出会う事も出来ました。

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梯子の梁が残っている区間。
川沿いに歩けない区間もしばしばあって、川を見失い「あれ、あの子どこに行っちゃったんだろう・・・」と思う事もありました。
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あまり近寄れなかったのですが、梅花藻のような植物に覆われている地点。もうすぐ川口川との合流地点。

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この辺りは清水川の中でも蛇行の大きな地点。北側を流れる川口川も改修前は大きく蛇行していた(緑色、大きな公園を回るように)のでその影響を受けていたのかな・・・

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ここまで下ってきた清水川、区画整理によるのか「東京環状道路」の手前で突如消えてしまいます。
見えづらいですが、中央右側よりの樹のたもとに旧い祠もあって、旧いエリア/整えられた区間が、バッサリと分断されている雰囲気。

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この先が「清水橋」あと。こっちの方に「清水橋跡地」を明示してほしいね。

少し北側に寄り道して、「川口川」の「川口橋」へ。
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川口川橋の西側至近に、何かの名残?水道施設・・・?
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延長線上には横断歩道の痕跡がうっすらと残されていました。緑のフェンスの先が「何らかの名残?」です。

更に北に寄り道すると、別の小川がやってきていて、
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もはや跡地、なのか・・・?
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交差点の広告看板の背後、よく見ると
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石仏等々が放置されていました・・・どんな謂れがあったものなのか、とても気になっています


清水川に戻ります。河口目指して、あともう僅かな距離のはず。

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車止めのあるこの街路が川の跡なのか、
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サイドの、こちらの敷地も含めて川跡なのか・・・
青々と重たげに成る栗の実と、並べて干された幾枚もの大判のタオルケットが素敵な夏風景だったので、暑かったのですが「良く乾きそうね」と独りごちていました。

さあ、中野橋の上から合流地点を確認してフィニッシュです。
清水川と合わさった川口川も、すぐに浅川に合流する忙しい場所です。

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え。。。何これ。。。
右の川口川に、左の清水川が合わさる筈なのですが・・・
作りかけの工作みたいな風景。

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糸が紡がれていた泉の水は、こんな末路になっていたのでした。
清水川の事を調べ始めた当初は、河口の護岸は自然のままで残されていて・・・と何処かに記載があった記憶。
それをインプットして下っていったので、目の前にある光景は結構衝撃的な結末です。

勘違いだったのか、以前に書かれた情報であったのか。

コンクリートがまだ白く、割と最近施工された様子です。

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川口川の方は水も澄んでいて、底も護岸も自然な感じに映りました。


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茫然としたまま浅川沿いを散策していたら、緑陰からカサカサ音がして、猫ちゃがぬっと出てきました。
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「清水川の河口は固められちゃったんだよ。前は鳥さんがいっぱい来ていたけどね。」


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おまけ。八王子駅前の谷内六郎作品。

「水面のライト」
きらきら・・・
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昼なのか、夕方なのかよくわからない、半分夢のような幻想的な作品でした。
一日、川を追って歩いてきて、最後にまた駅前で違う形で水に満たされて。

川追いで生まれた色んな想いを包んでくれました。幸せです。


# by onnbubatta | 2018-08-01 22:17 | 八王子 | Comments(2)

桑都八王子:水路に囲まれた製糸場跡、清水川

例年になく百日紅が気になってしょうがない、今年の夏。

百日紅の綺麗な場所ってどこだったかしら・・・と候補をいくつか考えていた時、以前訪れた、八王子の「田町遊郭」跡を東西に貫く、大きな通りを百日紅の並木が彩っていたのをふと思い出したのです。

これまでも幾度となく引き合いに出している愛読書「昭和二十年東京地図・周縁のこと」(1987年出版)に収録されている田町遊郭の写真を見ていたら、今迄目に留めていなかった、同じ八王子市内の建物の写真が急に気になり出して・・・

収録されている住所を頼りにストリートビューで検索してみると(つくづく、便利な時代)、何とほぼ同じ状態の建物が奇跡的に現存している様子。1987年当時においても、割と古い建物や街角の写真が多いのが特徴的な本なのですが・・・

明日にでも消えて無くなってしまう気がして、何だか気が焦り、急ぎ現地へ確認に向かいました。

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消防車などを製造する「日本機械工業」の寮敷地、ということで、不思議な光景を生み出しています。
何だか消防車と共に、今にも左方向へ動き出しそう。

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元々は片倉製糸の蚕室として利用されてた建物とのこと。
現在は建物自体は使われていないようで、屋根瓦が落ちている箇所なども見られますが、広い敷地にゆったり配された貴重な建物に見入ってしまいます。
桑都だ・・・・!!と大声で放ちたい心境でした。
明治10年に「萩原製糸工場」として創業(現地に来る途中渡った「萩原橋」にその名を遺す)、その後片倉製糸に譲渡、昭和10年後半くらいに工場は「日本機械工業」となり、歴史を重ねて現在に至っています。

ここで片倉の建物に出会うなんて・・・(今ではショッピングセンター業の印象の方が強いですね。紡績系はどこもそうですが・・)

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夏空。真紅の消防車。窓の連続する旧い建物。

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悠々と、堂々と存在しています。旧くて使われてはいないようだけど、手入れはされている感じがします。
その幾多の「手」を感じるのも好き・・・

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「中野町西二丁目」の頃の、琺瑯住居表示看板も見て取れます。(現在は中野上町4丁目)

「寮建物」は二棟残っています。秋川街道を挟んで北側が社屋、道路を挟んで東側も同様の古い戸建群があり、関連があるのかもしれません。社宅とか・・

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寮敷地の東側辺りです。眼の形のような柵が印象的。
「昭和二十年東京地図」にも、水路沿いの「三軒長屋」というタイトルの写真もあるので、この辺りのどこかだったのかもしれません。とにかく水路が多い・・・

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寮敷地の西側からは、水の流れていない水路跡との絶景を楽しむことが出来ます。水路は左に曲がっていきます。
石の敷かれた縁も、心に訴える調べのよう・・・

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染色所の建物が水路上に張り出しています。



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片方の護岸が煉瓦でざっくりと積まれています。面白い!

さて、この水路も気になりますが、後程考察していきます。




「昭和二十年東京地図」には社屋(工場)の方の写真も収録されており、そちらの方も本とほぼ変わらない姿で現役でした。
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「昭和二十年東京地図」では、門柱の上に球型の照明がありましたが・・・それでもほぼ変わらぬ光景に、胸が熱くなります。
(気温の方も37℃、激暑でした。)

こちらの敷地の方も、片倉製糸時代の建物がいくつか使われているそうです。
ああ、カタクラ、カタクラ・・・(次第に呪文のような響きに。。。)

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地図を眺めていると、工場敷地に一本水路のような線が描かれていますし、右の方には川筋も見えているし、ちょいちょいくすぐられます。
まだこの辺りがいかなる土地なのか全く知識が無く、放り出された子ヤギのようなのですが・・・(自分でもよくわからない比喩)

修景水路のような描かれ方なので気になっていまして、実際は見えるのかな?と思いましたが敷地内の水路自体は確認できず。
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工場の南側、東側は外周を水路で囲われていて(北側は暑さ等々※の為、積み残してしまいました。)、写真は南側で秋川街道沿いなのですが、年月を経た樹木が覆っていてまるでお堀のよう。歩道に影を落としていて素敵な風景を造り出しており、
城郭を想起させるような一角でした。

春には桜を見に来たい場所がまた一つ増えました。こうして小さな愉しみの小箱の中身が増えていくんです。
遠くから引きで眺めると、この工場敷地全体が森のような、お城のような感じがしてきます。
(※後述)

そして、水路をじっと眺めていたら・・・

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水路の西端部分が少し広くなっており、とても澄んだ水が溜まっていて、流れ・動き、もあるのです。
湧水じゃないかな?と心躍りました。この日は建物が目的で、まさか湧水に出会えるなんて・・・・!!

おうちに帰って調べてみると、日本機械工業の敷地には湧水があり、消防車のポンプ放水テストなどに現在でも利用されている事、昔は湧水の池があったが埋め立てられてしまったこと、その水が「清水川」という短い川の源流のひとつだったこと・・等々がわかりました。
湧水の利用用途を聞くと、凄く腑に落ちて気持ちが良いです。

泉湧くシルクの工場。湧水があったからこの地に製糸場が設けられたのでしょうか。。

水に呼ばれる。を実感したひと時でした。

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1974年くらいまでの空中写真だと池が残っているのがはっきりとわかります。
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今昔マップから引用させていただいた、1944-1954年地図と現在との比較。

「清水川」の源流にはこちらの湧水池や、近接する居宅の湧水(水車があった)、更に西へ進んで「楢原町の旧私学教育研究所(施設は現存せず)の池」等々があったとのことです。

先程載せた、煉瓦の護岸の空水路はそちらからきた流れのようです。

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地理院地図より引用、地図中央から少々左下の蛇行した水路線。煉瓦護岸の水路跡はこの辺りを映したものでした。

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気掛かりなのは、この界隈(秋川街道南側)で区画整理の気配が現実に形に現われている事。
ふとしたきっかけで急に好奇心がそそられて赴くことになった土地って、消える気配を虫の知らせ的な何かで感じ取って・・・の事例が何度かあるので・・・

で、またまた調べていたら、当該区画整理事業に伴って、清水川の暗渠化の話も取り沙汰されてるそう。
まだ出会ったばかりで、ほんの一角しか歩いていないのですが。


私が出会った清水川の断片たち
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水車のあたりかな。


住宅地の開発に伴って再整備された感のある区間
ここの手前の場所、メダカくらいの大きさの小魚が沢山集まってきていました。

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ここはグーグル航空写真で気になっていた場所でしたが、このように整備されたのですね。
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ああ・・・お上が「水路」という文字を置いてくれるだけでこんなに心が落ち着くなんて
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この辺りは再整備された水路の下流側が一瞬蓋掛けされて、また開渠となって姿を表し出てきます。

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※日本機械工業の北側に行けなかったのは激暑のせいでもあるのですが、通り沿いにこんな案件があって・・・
(通り挟んだ側の森が日本機械工業の敷地。)

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お野菜の無人販売所脇にあった、当世風の?創作案山子。
蛭子さんっぽいタッチ。

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何気に奥にもう一人潜んでいたり・・・
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リアルと虚構。男と女。大人と子供。立体と平面。
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お殿さまも見張ってます。城に還りたい殿様、城の北側を守る防人たち。
(ストリートビュー見たら、別の案山子だったので定期的に着せ替えが行われているのかも)

もうこれらで精魂尽き果てた感があり、田町遊郭に移動したのでした。
また改めて、追記していったり、そんなスタイルで行こうかと思ってます。

田町遊郭のお話も綴りたいな・・・

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八王子は2年ぶりですが、前回よりも甲州街道沿いのマンション化の動きが一層進行しているようで。
時限的に、旧い建物の側面を思いがけず目にする機会が多く、くすんだ中にも鮮やかな断面にハッとさせられたのが印象的でした。
(あと、ユーミンの実家チェックしたかった・・・)
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おまけ。
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田町遊郭跡地の百日紅、散り、再び寄り集まったものも断片的に載せてみました。

まるで地表の花束ね。明日には色・形を変えているんでしょう。
ふと感じる刹那なのでした。

白いのはまだこれから咲くみたいです・・・

あさかわを渡れば 富士の影清く 桑の都に青嵐ふく

# by onnbubatta | 2018-07-22 16:25 | 八王子 | Comments(0)

江東区北砂の残存蓋暗渠、養魚池跡地

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こんにちは。
先日、江東区北砂で蓋の枚数で10数枚?程の蓋暗渠に出会ったのでご報告します。

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こういう分岐には、何かが待っている。何か起こる。
極小美を体現する、極小車止め。

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現状は民家と民家の間の植栽置き場のような利用状況です。あまり長時間佇むような場所ではないです。

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反対側(中学校側)は、ミントグリーンの柵で塞がれています。(金属柵の一般的な色だと思うんですが、最近やたらとミントグリーンカラーが目につくのです、今迄何とも思ってなかった人を意識する感覚に近似)

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場所はこのあたり。
そっと・眺めるのが良い場所です(念押し。)

ここまできますと、上の地図では切れてますが(地図の左下辺り)金魚養魚池の跡地も近いです。
今回訪問時は丸八通りからちらと見た感じでではフェンスで覆われていました。
2017年10月訪問時の写真を載せておきます。

やっぱり養魚池跡の地図も載せます(心変わり)

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地図上では、まだ養魚池の二区画が表示されていますが・・・

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柳の大木だけが、在りし日の姿をとどめていました。(2017.10)

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実にシンボリックで、立派な柳です。まるで人格が宿っているかのような。
鑑賞者の心に強く訴えかけるものがあります。
柳は水分の多い土壌を好み、湿地や川岸に生えるといいますが、今後この柳はどうなるのか、気掛かりなのです。
(ちなみに私は昔柳の樹の下を通る時は息を止めていました。。)

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お池は無くなった。空が広いにゃあ。

2017年10月時点で保存しておいた、SV画像を下に。池が消える前の姿になります。
大分埋まってきている様子が見て取れますが、かろうじて水面が残っています。


奇跡的に遺っていた東京の開水面が、またひとつ消えたのです。
東京は、空地でいることを許されない・・・

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4枚前の画像とほぼ同角度。
日が暮れると蛙の合唱が聴こえてきたといいますが、どこに移動したのでしょう。

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平成4年の航空写真で見ると、まだ複数の池が見て取れます。
左下の駐車場部分も以前は池だったのかもしれません。


江東区の水路跡、またゆるゆるとご紹介していきたいと思います。




# by onnbubatta | 2018-05-30 16:11 | 江東区 | Comments(4)

砂川堀散策:教習所敷地を貫通する水路

簡易版:フォトブログのような形式でお届けします。

狭山丘陵(早稲田の人科付近)から新河岸川へ注ぐ砂川堀(そこはかとなく漂う立川感・・・まあ、「砂」という詞には強く惹きつけられるものがあります)、以前から気になっていた箇所があって、徘徊してきました。

場所は、東武東上線の特急停車駅である「ふじみ野駅」の少し南辺り。

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砂川堀が、セイコーモータースクールという教習所の建物に突っ込んで(或は、吸い込まれて)行く地点。
ラブホの駐車場の如き、びらびらとしたシールドカーテンの奥は・・・

都市には、時にこんな穴が開いているものなんですね。

河川又は暗渠水路が教習所敷地内へ貫通している事例としては、葛飾の平和橋教習所、戸田市のとだ自動車学校が思い浮かびますが、このように堂々たる姿を見せてくれたのは初めてでした。

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この教習所・・・自校位置の示し方のスケールが壮大でした。

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球体から、「バアアアアアアン~~~~!」って効果線放っていますし。流星群の放射点??
日本、いや世界の中心感に打ちのめされそうです。

面白かったのは、教習所の時限を知らせるチャイムが鳴ったあと、ちょっと記憶が曖昧なんですが聖子ちゃんの「スイート・メモリーズ」か「瞳はダイアモンド」が流れたこと。

ビッグな世界観に圧倒されたあとの、繊細な調べ。これ、好きになっちゃうやつ。

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さて、建物を貫通した水路は暗渠になって、「弁天橋」の交差点の所で出てくるのですが、私が歩いたのはふじみ野市と富士見市の市境にもなっている「旧水路」跡になります。

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東上線の線路をくぐって現われた、旧水路跡。


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改修されちゃうのも頷けるくらい、屈曲した魅惑の流路です。


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この先の新水路(暗渠化されて、この辺りでは広めの道路となっている)の「交差点名」としての「弁天橋」なのか、元からの流れに付けられていた橋名を示すものなのか、わかりかねて心が悶々としていました。(富士見市の別の旧流路でも同様の事例が見られたのですが、そちらに準拠すると後者と推量されます。良かった♥←独り悶々劇場です。いつもの・・・)

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脇の雑草たちのはみ出し方が、まるでかつての流路の屈曲ぶりをさらに誇張するような曲線を描いてくれています。

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今歩いている水路跡が「旧砂川堀」という名前であること、かつては「大井町」という町が存在したこと、等の過去の土地の情報が読み取れます。
「大井」地名ですし、実際「大井戸跡」とか、それにフィーチャーされてか「天然温泉真名井の湯」というネーミングの施設もあり、私のようなどうしようもなく水に惹かれてやまない者にとっていつかは来るべき場所だったのかもしれません。


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しばらく楽しく歩けてきた水路跡ですが、大味な蓋を見せつけられながらもここで進入禁止となってしまいます。。
規制線のような、管財物件のような。
切ない。
新水路の橋を渡ってしばらくはあまり旧水路の跡を見つけられなかったのですが、、

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見事に道路を横断する水路跡と、一対の木製橋跡が。
橋の名前が書いてあったようですが、読み取れませんでした。
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こちら側の欄干はこんにちではハーフ仕様として利用されている様子でした。


こう、久しぶりに「純然たる暗渠歩き」が出来て、原点を見つめ直すような、己と向かい合うような一日でした。
地図を見れば見る程、この辺探索したくなるような水路跡が沢山見えてきて、鶴瀬辺りも遠征したりしたのですが、またの機会に。

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車窓から見えてとても気になった、管制塔のようなこちらの塔。
小学校跡地の公園から見たところ。

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鶴瀬西配水場の塔でした。
内陸に現われた灯台に見えて、心を激しく揺さぶられたのでした。

# by onnbubatta | 2018-04-28 14:33 | 砂川堀 | Comments(4)


暗渠、猫、池、高低差、崖、弁天、軍遺構、建築、階段、廃線、天体   その他徒然(適当です)


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